「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年07月06日

2005年7月7日から、10年が経過しようとしている。

「2005年7月7日」といっても通じない人も増えてきているだろう。東京で、夜、ニュースの画面に釘付けになったことは、まるで昨日のよう……とは言わないが、10年も前のこととは思えない。
https://en.wikipedia.org/wiki/7_July_2005_London_bombings

NHK夜9時のニュース,トップ。ロンドン,リヴァプール・ストリート駅など7箇所で爆発。死者2人。けが人多数。ブレア首相がa series of terrorist attacksと発言する記者会見の模様が放送。シティセンターでバスも爆発。けがをした地下鉄乗客のインタビューも流れる。病院関係者「100人を治療」。

2005年07月07日
ロンドン地下鉄駅など7箇所で爆発,ブレア首相は「テロ攻撃」と
http://nofrills-o.seesaa.net/article/190027853.html


シンガポールで開かれていたIOCの総会で2012年の五輪の開催地がロンドンに決定し、英国ではスコットランドの山の中でG8サミットが行なわれているときだった。

とにかくボムられた範囲が広い。

東の駅(Aldgate EastとLiverpool StreetとMoorgateとOld Street)は金融街のシティのエリア。

日本のニュースで「ラッセルスクエア」といわれているのは実はTavistock Squareで,ここは……大学だよね,どう考えても。バスの爆弾だから,そのバスの路線番号も見ないとわけわかんないけど。

北のキングズ・クロスは,たまたま昨日も書いたけれども,欧州と英国を結ぶ鉄道の起点となるはずで,それ以前に多くの地下鉄路線が集まっているのだが,この場所の記憶としてはやっぱり87年の「地下鉄駅大火災」がある。(乗客の捨てた煙草が,木造エスカレーターに引火して31人が死亡した。参考記事ウィキペディア)。

西のエッジウェア・ロードは……特に何ということもないように思う。乗換駅でもないし。

2005年07月07日
ロンドン地下鉄爆弾,雑記
http://nofrills-o.seesaa.net/article/190027523.html


このエントリには、確か「報道ステーション」の画面に出てきていた地図をカメラで撮影した画像を添えておいたのだが、当時使っていたブログのサービスが完全に廃止され、データも全部消えてしまい、その写真はもう失われてしまった。テキストだけはバックアップを取ってあったので、再度アップしてある。下記あたりにある。
http://nofrills-o.seesaa.net/archives/200507-4.html

その後、「○年目」の節目を迎えたときに書いているものは07 July 2005のカテゴリに置いてある。

はてなブックマークでは、07-July-2005のタグをつけてニュースのクリッピングをしている(ただし2012年から2015年までの3年間ははてブはほぼ使っていなかったので、その間のものは抜けている)。

英国(正式にはイングランド&ウェールズ)では、大きな災害や事故などで突然の死が人々を見舞った場合は、Inquest(インクェスト)という原因・真相究明の場が設けられることが多い。52人の生命を奪い、数百人を負傷させた2005年7月7日のロンドン公共交通機関爆破テロについてのインクェストの結論は、2011年5月に出されている。



そのインクェストの結論を主要な柱として、あの日、何があったのかをまとめた記事が、3日のBBCに出ていた。この記事自体はすぐに読み終わる程度の分量だが、文中に細かく張られたハイパーリンクを主要なものだけでもたどると、1時間はかかるだろう。

7 July London bombings: What happened that day?
http://www.bbc.com/news/uk-33253598


計画の首謀者は30歳だった。彼の仲間は22歳、19歳、18歳だった。それぞれ、今生きていれば40歳、32歳、29歳、28歳だ。

首謀者のモハメド・シディク・カーン(30歳)は大学を出てから小学校で学習指導員として働いていて、保護者の信頼もあつかったという。が、その仕事を始めたころにはもう過激主義にはまっていたと2011年には結論されている。おそらく2001年までには固まっていただろうとも。

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2010年07月07日

2005年7月7日から、今日で5年が経過する。

2005年7月7日から、今日で5年が経過する。ロンドンの地下鉄で次々と爆発が起きたのは朝のラッシュアワーの時間帯で、つまり時間帯としてもそろそろだ。(現在、日本時間で16:30くらい。ロンドンの時間で08:30くらい。)

しかしBBC NewsのUK Newsでは、他に大きなニュースがあるという事情もあるだろうが(メインの3件は、アフガニスタン、ヘルマンド州サンギンからの英軍の撤退の件、イングランドで男が人を撃って銃を持ったまま逃走している件、英女王が53年ぶりに国連でスピーチをした件)、右枠のOther news欄の一番下に出てくるだけである。



UK Newsのひとつ下の階層であるEngland Newsのページを見ると、銃を持って逃走中の男の件、水不足対策の件に続いて、3件目に「追悼式典が行われる」との見出しがある。



この下に、式典後のガーディアンのトップページキャプチャ。

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2009年07月07日

それぞれ別々であり、同時にひとつである52の死――2005年7月7日から4年。

あの日私は、第一報ではショックを受けたけど、そのあとは泣いてなんかいなくて(今年の6月にテヘランで死者が出たときには泣いてたけど)、とにかく現地のニュースをネットで集めようとして、メインストリーム・メディアの情報はあまり当てになりそうになかったのでブログなどを見て回って、それが一段落ついたあとは、例によって日本での報道がひどい(「ロンドンでバスがああいうふうに爆発したときに連想されるのはIRAしかないでしょ」みたいなことと、1990年代前半までを知っている者にとっては「ロンドンで公共交通機関を標的にしたテロ」など別に珍しくもないという事実が語られないことへのものすごく大きな違和感と)とクダを巻いていたのだ。

4年が経過して、今日のニュースはウイグルでのむき出しの暴力(住民に対する住民の暴力もしくは暴力的意思と、住民に対する国家の暴力)と、イランでの暴力(国民に対する国家の暴力と、外国に対するある主権国家の比喩的な「暴力」)と、英国によるあまりに英国的な暴力(MI5とパキスタンのISIと「拷問」の件)と、あまりに暴力的なBNP支持者の「無知」と、「極右テロの脅威」と、東京をはじめとする日本の都市に爆弾を雨のように降らせ、ヴェトナムでも同じようなことをしたアメリカ人の93歳での死と……で、つまり私はすごく疲れている。

そういう気分でこのニュースを読み、このビデオを見るのは、私が大好きなあの都市への裏切りのような気さえする。もっと心安らかに、落ち着いて、このニュースに接したいのだが。

Tributes paid at 7 July memorial
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/8137265.stm

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2008年07月07日

2005年7月7日から3年

2005年7月7日から3年目の今日、ロンドンでは追悼集会が開かれた。各メディアは、ごくごく小さな扱いで、3年目の様子を伝えている。以下、いつも見ているメディアということでBBCとガーディアンの記事。

Ceremony remembers victims of 7/7
Page last updated at 11:19 GMT, Monday, 7 July 2008 12:19 UK
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/england/london/7481580.stm

Survivors remember July 7 London bombings, three years on
Paul Lewis and agencies
Monday July 7, 2008
http://www.guardian.co.uk/uk/2008/jul/07/july7.london

爆発があった午前8時50分に、英国政府のロンドン担当大臣と、ロンドン市長(ボリス・ジョンソン)が、キングズ・クロス駅で花輪を手向ける式典をおこなった(といっても5人の政治家が淡々と花を置くだけで、式次第らしきものはなさそうだ)。ほかの3箇所の爆破地点でも、事件に巻き込まれた人や遺族・友人らが花を手向けた。BBC記事にはlow-key servicesとあるが、これらは小規模な静かなものだったようだ。

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2006年07月07日

あれから1年――NEWS 23でのレポート

たった今、TBSの「NEWS 23」で「あれから1年」のレポートを見た。「追悼式典が行われました」だけでなかった。市長も警視総監もイスラム教徒の組織のおえらいさんも出てこなかった。

1年前のあのときに乗っていた列車(あるいはバス)が爆弾でやられ、以来、現場を訪れることができないという女性が、イングランド南部の訛りで、「なぜああいうことになったのか、もっと深く知りたい」と述べた。

取材記者は彼ら4人の出身地であるビーストンを訪れた。タンウィールの実家は、ドアをノックしても応答がない。モスクでもあっさりと取材を断られる。「イスラムだから」というテロップが出る。

それでも、彼らの友人や親戚がインタビュー取材に応じた。顔を出さないことを条件にした人もいたが、顔を出していた人もいた。みな、ウエストヨークシャー訛りでしゃべっていたと思う。

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あれから1年――そしてビデオが。

英国政府筋の話としてBBCが記事にしたものはあまりにショボかったのだが、アルジャジーラが6日に放映したビデオは、ショボいどころか。。。私はそのビデオの静止画像7枚を見ただけで、とりあえず、いっぱいいっぱいになってしまった。

Video of 7 July bomber released
http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk/5154714.stm

記事内からビデオ(動画)へのリンクがあります。

Tanweer says in a Yorkshire accent on the film that attacks will continue "until you pull your forces out of Afghanistan and Iraq".


「タンウィールはヨークシャー訛りで述べた」……ヨークシャー訛りで。

さらにまた……

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2005年07月16日

何がショックを与えているのか。

7月7日にロンドンで起きたことについて,あれを実行した人々が「外国人」ではなく(すなわち「外国人テロリスト」ではなく),英国で生まれ育った英国人――英国籍保持者――だったことは,確かに英国の人々および社会全体に対して,かなりのショックを与えているようだ。むろん私は今のところ,メディアを通してしか英国の様子を知るすべはないが。

これが日本で報道されると,なぜか,「移民との軋轢」の話になる。
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posted by nofrills at 19:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | todays news from uk/07 july 2005 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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