「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2011年10月19日

「ねこをかぶる」

「お風呂上りにはねこをかぶります、と言っても誰も本気で取り合ってくれないので、撮影することにしました。」





BBCの犯罪行為に手を染めたアデリーペンギン(ぜひともゴム手袋を頭にかぶっていただきたいほどの悪党)と二本立てで。



0563380845Wallace and Gromit: Storyboard Collection: The Wrong Trousers (Wallace & Gromit)
Nick Park
Penguin Character Books Ltd 1998-11-09

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2007年12月09日

この多事なる世界――漱石忌に

12月9日は漱石忌である。

夏目金之助がロンドン留学中、明治34年(1901年)に正岡子規に宛てて書いた書簡が、『ロンドン消息』として伝わっている。近況報告なのだか病床の友人への元気付けなのだか愚痴なのだか、「五目鮨司のような感じ」の文章だが、これが滅法おもしろい。(ただし非常に暗い。)

『倫敦消息』
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/779_14973.html

どこで切ったらよいものやらさっぱり見当もつかないから、長々と引用する。改段落がないのは原文ママである。四月九日付けの書簡から。
……なるほどこの妹はごく内気なおとなしいしかも非常に堅固な宗教家で、我輩はこの女と家を共にするのは毫も不愉快を感じないが、姉の方たる少々御転(おてん)だ。この姉の経歴談も聞(きい)たが長くなるから抜きにして、ちょっと小生の気に入らない点を列挙するならば、第一生意気だ、第二知ったかぶりをする、第三つまらない英語を使ってあなたはこの字を知っておいでですかと聞く事がある。一々勘定すれば際限がない。せんだってトンネルと云う字を知っているかと聞た。それから straw すなわち藁という字を知っているかと聞た。英文学専門の留学生もこうなると怒る張合もない。近頃は少々見当がついたと見えてそんな失敬な事も言わない。また一般の挙動も大に叮嚀になった。これは漱石が一言の争もせず冥々(めいめい)の裡にこの御転婆を屈伏せしめたのである。――そんな得意談はどうでも善いとして、この国の女ことに婆さんとくると、いわゆる老婆親切と云う訳かも知れんが、自分の使う英語に頼みもせぬ註解を加えたり、この字は分りますかなどという事がたくさんある。この間さる処へ呼ばれてそこの奥さんと談(はな)しをした。するとその人が大の耶蘇(ヤソ)信者だからたまらない。滔々と神徳を述べ立てた。まことに品の善い、しとやかな御婆さんだ。しかる処 evolution と云う字を御承知ですかと聞かれた。「世の中の事は乱雑で法則がないようですがよく御覧になると皆進化の道理に支配されております……進化……分りますか」。まるで赤ん坊に説教するようだ。向(むこう)は親切に言ってくれるんだから、へーへーと云っているより仕方がない。それはこの婆さんのようにベラベラしゃべる事はできない。挨拶などもただ咽喉の処へせり上って来た字を使ってほっと一息つくくらいの仕儀なんだから向うでこっちを見くびるのは無理はないが、離れ離れの言語の数から云えばあなたよりも我輩の方が余計知っておりますよといってやりたいくらいだ。それからよく御婆さんを引合に出すが、もう一人御婆さんがある。この御婆さんがせんだって手紙をよこしてその中に folk という字を使っている。ただ使っているばかりなら不思議はないが、その字に foot note が付いている。これは英国古代の字なりとあった。「ノート」を自分の手紙へつけるのも面白いが、そのノートの文句がなおさら面白い。この御婆さんと船へ合乗をした時に、何か文章を書け、直してやるというから、日記の一節を出してよろしくおたのもうす事にした。すると大変感心したといって二三所一二字添削して返した。見ると直さなくってもけっして差支のない所を直している。そしてとんでもない間違った事が例のノート的で書いてある。この御婆さんはけっして下等な人でない。相応な身分のある中流の人である。かくのごとき人間に邂逅する英国だから、我下宿の妻君が生意気な事を云うのも別段相手にする必要はないが、……四月九日夜。

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2007年06月12日

【メモ】「規範意識」と「法治国家」

以下はメモです。

はてブ新着経由、「ONO-MASA Homepage はてな主張所」さんの11日エントリ経由で、自由法曹団さんの「教育3法案国会審議についての公開質問状〜法案審議の前提として明らかにされなければならない101の質問〜」
http://www.jlaf.jp/jlaf_file/070606situmon.pdf
【学校教育法改訂についての質問】
(各学校種の目的及び目標の見直し等について)

3. 幼稚園の目標に「規範意識の芽生えを養う」、義務教育の目標に「規範意識・・・を養う」という文言が入りましたが、ここにいう「規範意識」とは具体的に何ですか?

4. この点につき、伊吹文部科学大臣は、「社会あるいは国家が長い年月の間に熟成させてきた伝統と申しますか、暗黙の、その社会を動かしていくためのルールというか約束事のようなもの、そういったものを総称して規範」と答弁されていますが(5月16日の衆議院特別委員会での石井議員の質問に対する答弁等)、具体的にはどのようなものを指しているのでしょうか?

※引用文は、ブラウザで読みやすいよう、項目と項目の間に1行アキを入れた。以下同。

「ONO-MASA Homepage はてな主張所」さんのエントリでは、特に「家族(像)」について注目されているのだが(必読!)、私はそれとは全然関係のないところでメモる。以下、本題の「教育基本法ならびに教育三法」とは関係なし。

自由法曹団さんの質問状から抜粋させていただいた上記部分、これを見て、ブレアとかブラウンとかストローとかが何度も語っているvalues (British values) という例のアレは、「規範意識」と解釈すると話が見えやすいかもと思った。ただし「規範意識」というのを「訳語」として扱ってしまうとラディカルすぎ。以上、メモ本体終了。

で、もうひとつ、トンデモないものを見たのでそれもメモ。

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タグ:言語
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2006年12月27日

Wikipediaの独自の検索エンジンと日本語の意外な関係?

TechCrunchの12月25日記事:
http://jp.techcrunch.com/archives/wikipedia-to-launch-searchengine-exclusive-screen/
Wikipedia、独自の検索エンジンを準備中―独占スクリーンショット
Michael Arrington

英国のThe Times紙は今日(米国時間12/23)早く、WikipediaのファウンダーJimmy Walesが来年、「Wikiasari」と呼ばれる新しい独自の検索エンジンサービスをローンチすべく準備中だと報じた。【→Founder of Wikipedia plans search engine to rival Google, 23 December 2006】……

Wikiベースのサービスなので出てくる固有名のどれもこれもwikiがついてて私には読みづらいニュースだし、読んでもよくわからない。

たとえば、TechCrunch記事内の「Wikiasari」のリンクwww.wikiasari.comなのだが、実際にアドレスバーに表示されるのはsearch.wikia.com/wiki/Search_Wikiaだったりする。

にしても、Wikiasariって変な名称ですね。英語っぽくなさすぎる。

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2005年06月05日

decodeunicode.org

何となくFlickrであちこち見て回っていて,この写真↓(by asvensson)から・・・

http://decodeunicode.org/というプロジェクトを知った……めちゃくちゃおもしろい!

世界の言語で用いられている文字のうち,Unicodeでエンコードされている文字を説明しようというプロジェクトらしい。ドイツ語と英語のバイリンガルで進められている。

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2003年11月20日

「科学的精神は尤も日本的現実を、いきなり日本文化や日本人精神として掴みはしない。」

科学的精神は尤も日本的現実を、いきなり日本文化日本人精神として掴みはしない。日本の現実は根本的にはそういうもので動いているのではないからだ。日本的現実は正に、日本の社会機構・生産機構を通して政治的に動いているのだ。分析をここから始めない限り、日本的現実の把握は歴史的でもなく又技術的でもない、つまり科学的でないのだ、ということを銘記すべきである。というのは、そうしないと、一切の日本論議が、恰も今日見るように、論理的にもならぬし、実践的にもならぬ、というのであり、筋も通らなければ物の役にも立たぬ、というのだ。
 さて之が科学的精神の要求する処である。之によって日本的現実のもつ日本固有の独特な特色も初めて正確に検出出来る。


――戸坂潤,『科学的精神とは何か――日本文化論に及ぶ――』


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タグ:日本
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2003年09月13日

「萩の花の落ちこぼれた水の瀝りは、静かな夕暮の中に、幾度か愛子の小さい咽喉を潤おした」

ただ、じっとして寝ていた。しかしその寝方にどことなく余裕(ゆとり)がない。伸んびり楽々と身を横に、日光を領しているのと違って、動くべきせきがないために――これでは、まだ形容し足りない。懶さの度をある所まで通り越して、動かなければ淋しいが、動くとなお淋しいので、我慢して、じっと辛抱しているように見えた。

「自分は、どうしたんだ、夜中に小供の頭でも噛られちゃ大変だと云った。まさかと妻はまた襦袢の袖を縫い出した。猫は折々唸っていた。

萩の花の落ちこぼれた水の瀝りは、静かな夕暮の中に、幾度か愛子の小さい咽喉を潤おした。

――夏目漱石,『永日小品』より「猫の墓」

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2003年07月26日

「砂糖がはいっているのである」

「傘蛇(コブラ)」
「『正当だ。おれのしたことは正当だ』」
「なんだかドイツらしくないという気がした。」
「『いかに速く動くよ、六月の雨は、寄せ集められて、最上川に』」
「イデオロギーに砂糖がはいっているのである。」
―― 寺田寅彦、『柿の種』

青空文庫さんの25日の新着。
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2003年07月25日

「香箱をつくつてゐた」

「大きい牡の三毛猫が一匹静かに香箱をつくつてゐた。」
――芥川龍之介、『お富の貞操』より

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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