「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年12月26日

このトピックについて書くと、無視される。そして、Twitterではフォロワーが減る……ロシアの戦争犯罪行為

12月、ヒューマン・ライツ・ウォッチ (HRW) とアムネスティ・インターナショナル (AI) が相次いで報告書を出した。シリアにおけるロシアによる(もしくはアサド政権とロシアの合同での)空爆について、市街地にクラスター爆弾などを使用して民間人を殺していること、戦争犯罪にあたる可能性があることを指摘した。何がグロテスクって、それと同時に「国際社会」はロシアやアサド政権を普通にプレイヤーの一人として扱った交渉を行ない、それを「和平なんちゃら」と位置づけていること。何が「マイルストーン」なのかと。

シリア: ロシアによる市街地攻撃、クラスター爆弾(無差別的な兵器)の使用について。
http://matome.naver.jp/odai/2145088945686778501


そして、これについて書くと、無視される。Twitterではフォロワーが減る。「減る」といっても5人、10人、という程度だが、この話題について連続してツイートしているとリアルタイムで減っていく。

上記の「NAVERまとめ」を利用したページも、全然閲覧数が伸びない。アップしてから48時間強が経過してなお、800件にも及ばない(キャプチャは26日23時55分ごろ)。



これが、「ロシアによる戦争犯罪」ではなく「アメリカによる誤爆」だったら、48時間もすれば、少なくとも1000は超えている。

「シリア内戦への無関心」を言うと、「あなたは(英語でニュースを読んでいて)普通の日本人とは違うから」などというばかげた反応が返ってくるのだが、そうじゃない。同じように「(英語でニュースを読んでいて)普通の日本人とは違う」はずの人たちの間で、シリア内戦は関心を呼ばないのだ。

パレスチナなら、瞬時に数百の反応がある。これは「優劣」の話をしたくて言っているのではない。同じ「非人道行為にさらされる一般市民」についてのニュースなのに、閲覧される回数が違うのだ。

その理由なんかどうでもいい。ただ、シリアの一般市民がアサド政権やロシアの爆撃の下に置かれていることは、パレスチナの一般市民がイスラエルの国家的暴力の下に置かれていることと同じように、関心を向けるべき「問題」である、ということは強調しておきたい。

で、11年前にあれだけファルージャファルージャと騒いでた人たちは、民間人の犠牲という点では、2004年11月のファルージャ包囲戦(全体)が毎週起きているような規模のシリア内戦について、本当に関心ないんですかね。だとしたら、私が疑問なのは、11年前にあれだけファルージャファルージャと騒いでいたのは、何が理由だったんですかね、っていうこと。いや、教えてくれなくていいです。知ってますから。そのことについてのシリアの人たち(在外シリア人を含む)の悲鳴は、2012年には既に、Twitter上で響き渡ってて、そのままずっと続いてますから。

暴力の行使者が米軍だろうとシリアのアサド政権軍だろうとロシアだろうとイスイス団だろうと……っていう考え方は、たぶん、「特殊」なんですね。それが21世紀。


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2015年12月25日

アメリカ人による「怯えずに言おう、メリー・クリスマスと!」という発言を、実際に見た。

アメリカの政治のことはよく知らない。とりわけ大統領選挙なんて今の段階では特段の関心もないから、リストに流れてくるニュース系のツイートで「見出し」を見てる程度しか追っていない。だから、おかしなことを思い込んでいるかもしれないし、書いてしまうかもしれない。

「世論調査ではドナルド・トランプ<<<<<<<<バーニー・サンダース」という結果(ただしその「世論調査」というのがどういう性質のものなのかは私は把握していない)が出ているという。そのサンダースは「トランプが大きな存在になったのはいちいちメディアが取り上げるからだ」ということを言っている(らしい。見出ししか見てない段階でこれを書いているが、あとで記事を読むつもりだ)。

つまり、2015年の総選挙前に英国のマスメディアがこぞってナイジェル・ファラージを取り上げてさしあげたことで、彼が「有権者がまともに取り合うべき政治家」であるかのような方向付けが可能になったように、ドナルド・トランプなんていう、「移民は国外追放だ」といった、理性のない、現実性もカケラもない、過激なだけの煽り文句で、世論の誘導と「右寄り」の議論の基盤づくりをするのが役目である道化(トリックスター)の発言をいちいちメディアがシリアスに取り上げる(それもBBCのようなメディアですら!)ことで、トランプが「世界が待ち構えるべき大統領候補の候補」であるかのように印象付けてきた、ということだろう。

で、トランプなんか選ばれるはずがないと私は思っているのだが(ナイジェル・ファラージと同じような結果になるはずだと思っている)、トランプがまき散らかした毒と憎悪のタネは、確実にこの言語世界に根を張りつつある。そこにあってあたりまえのもののようになりつつある。

「トランプ以前」、つまり2014年までにも、あのような言説には、量は少ないとはいえ、それなりに接していた。けれども、あのような言説が「その界隈」「あの人たち」の外にまで、「ムード」を及ぼすことは、ほとんどなかった。「過激な言説」は、「ああいう人たち」は好きに言っていればいいんじゃない、というようなものだった。

今もまだ、トランプやそのシンパに関しては「ああいう人たち」扱いができているかもしれない。英国人の家族が米国に渡航しようとしている空港で入国許可を取り消されるということが相次いでいるという件についてざっと検索したときにも、「そうすることが当然だ」という意見は(「まとめ」には入れていないが)見なかったわけではない。しかしそれらの意見の主は「いつものあの人」ばかりだった。イギリスでは極右言説でおなじみのユニオン・フラッグのアバターの「ジョーンズ」氏や、ケイティ・ホプキンスのような人たち。アメリカではユーザーネームに見覚えのある「アメウヨ」の人たち。

しかしそれがこれからもそうであり続けるのかどうか。先日、Newsweek日本版で訳出されていたH・A・ヘリヤーさんの記事(原文はSlate.com掲載)は、2000年代前半に登場した(2005年に出た書籍でおおっぴらに語られるようになった)「ユーラビア」言説について、「過激」な言説がいかに一般的な場所にも居場所を得たかを考察している。そして最後で、次のように締めている。
 イギリスのキャメロン首相すら、難民・移民について「人の群れ」という極右派が用いそうな言葉を発した。要はイスラム教徒に対する偏見が容認されるような雰囲気が広がっている。

 排外主義の偏狭さを最初からもっと白日の下にさらす努力をしていれば、こんなことにはならなかっただろう。歴史的に差別問題に敏感なドイツでさえも、反イスラム政治運動が激化しかけていることが懸念される。

 トランプはまさか本気でイスラム教徒の入国を禁止できるとは思っていないだろう。ただ大政党の最有力候補がそんな政策を打ち出せるようでは、既に米政界の「中道」は右へ寄ったも同然だ。反イスラムの偏見は米政界の主流派にも蔓延しかねない。




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2015年12月23日

再生するということ。

クリスマスといえばベツレヘムである。

今年は2月に忍び込んだガザでねこちゃんなどを描き、つい先日、フランスのカレーの「ジャングル」難民キャンプの高架下の壁にスティーヴ・ジョブズを描いたバンクシーは、10年前(もう10年前!)の2005年、西岸地区の分離壁に「芸術テロ」をぶちかまし、2007年にはベツレヘムで「サンタのゲットー」というイベントを行なった



そんなベツレヘムについて説明が必要だという人はさほどいないかもしれないが、「それって食えるのおいしいの」と思った人はウィキペディアの概要部分の第二段落の最初の文の後半の25字分くらいを読んでほしい。(リンクをクリックして、そのくらい、探して読めるでしょ?)

ベツレヘムはパレスチナ(ヨルダン川西岸地区)にある。そして、ヨルダン川西岸地区は、イスラエルによる不法(国際法の無視)にさらされ、壁とか作られて分断されまくっていて、そして「警察力」的なもの(そういう名目の何か)を行使するのもイスラエルである、という不条理の中にある。それでいてイスラエルは「我が国は宗教に寛容、ユダヤ教以外も厚遇」ということを言いたいので、ベツレヘムに関しては「観光振興」とかいろいろある。しかし現実には……である。

そして外部では、こういう「報道」がなされる。

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2015年12月22日

ハンニバルはなぜ、ベイルートにいたのか、ようやく真相らしきものが。

先日、唐突に「ハンニバル・カダフィが、ベイルートで身柄を拘束され、当局に引き渡された」というニュースがあった。

なぜベイルートに? という疑問が当然出たわけだが、そのときは「妻を訪ねて行っていた」とかいう話になっていた。そういうこともあるかなとそのときは思ったが、いかにもとってつけたような理由なので、マユツバマユツバと思いつつ読んでいた。

そして、12月21日のロッカビー事件(1988年)の日が過ぎた22日付けのNYT紙面に掲載されたのがこの記事だ。

Mystery of Missing Lebanese Cleric Deepens
http://www.nytimes.com/2015/12/22/world/middleeast/mystery-of-missing-lebanese-cleric-deepens.html

By HWAIDA SAAD and RICK GLADSTONE

ハンニバル・カダフィがなぜベイルートにいたのか、ようやく真相らしきものがでてきた。(上のリンクをクリックして、記事をお読みください。)

しかし、この記事の最後に書いてあること、「そんなの、最初っから分かりきってたはずでは」ってことですよね。

Ms. Khalil said she expected him to be released soon. “He is not guilty, and he was 3 years old when Imam Sadr went missing,” she said. “He knows nothing about the case.”


いや、いろいろと、闇は深いですよ。。。

以下、記録。

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で、「なぜパリばかり〜〜〜」って言ってた人たちは、その後、シリア情勢に注意を払ったりしてるんすか。民間の救急隊員がロシアの空爆で殺されたりしてるんですけどね。

1ヶ月と少し前、日本語圏で「なぜパリばかり〜〜〜〜〜〜」と狂乱の叫び声を上げていた人たちは、その後、「パリ以外」について少しでも知ろうとしたのだろうか。私は疑問に思う。

正直、こんなことに時間を割くのもばかばかしいが、「シリア内戦」とか「シリア情勢」というと「イスイス団」しか思いつかないくらい、何も知らない人たちの無知な言葉が、ネットをうっすらと覆っている。先ほども、「イスイス団のようなイスラム主義者のテロ」について、「クルド武装勢力」の戦闘員(一見してYPJとわかる上に、腕にオジャランの顔をモチーフにしたワッペンをつけているようなガチのクルド民族主義者)の写真を使っている頭が激しい下痢を起こすようなエントリを「はてブ」で流行っているということで見たばかりだ。まったく、心底、ばかばかしい。

そしてこういうのを「ばかばかしい」と述べると、「高飛車である」とか「知識自慢している」とか言われるのがネットだが、「中国と日本の区別がつかない欧米人」や「北アイルランドの7月12日の暴動を、反緊縮の暴動と区別しない怠惰な日本語圏の知識人」が批判されて当然なのと同じように、「イスラム主義過激派」と「クルド武装勢力」の区別がつかない・つけようともしないで「テロ」を語ろうとするような怠惰な者は、(どこの国の人であれ)批判されて当然である。「イスラムだから全部一緒」みたいなのは日本語圏のネットではうんざりするほどあふれかえっているが(日本語圏に限らないが)、そもそもシリアについて「イスラムだから」云々で決め付けるような知識しかない人は、自らの無知を自覚するところから始めるべきである。

Re: http://b.hatena.ne.jp/entry/www.continue-is-power.com/entry/2015/12/21/081249

……こんな話題で、なんでクルド武装勢力の写真使うの? 関係ないじゃん。あと、偉そうに一般論を語りくさすだけで、2004年3月11日のマドリードはスルーですかそうですか。2005年7月7日のロンドンは記憶されてんでしょうか

http://b.hatena.ne.jp/nofrills/20151222#bookmark-274297417


「2004年3月11日」や「2005年7月7日」を知らない? ggrks.

つうわけで、シリアから。

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2015年12月21日

「朕は国家なり」的態度を見せ付けた挙句、'I'll be back' とブラッターは言った。

♪今年の汚れ、今年のうっちっにっ!♪ というCMソングがかつてあった。年末の大掃除に向けて、「あきらめていた換気扇の油汚れも、強力パワーで落とします」という洗剤などを売るCMだ。

そして今年も、ああ、換気扇…… (・_・) とそっと手を見る時期になり、ニュースでも「あきらめていたあの汚れが落ちた」系の話が流れてきた。

今年5月下旬、スイスのホテルに米当局が踏み込んでFIFAのお偉いさんたちをしょっ引いてから7ヶ月。その間、紆余曲折……というか、どうやってもこれは落とせんな、という展開になっていた。ニュースを追うのもばかばかしくなるようなムードだった。

ffsb-m.jpg




これはもうどうにもならんのではないか(FIFAはFIFAに対して何もできないのではないか)、と思っていたところに、「ブラッター、プラティニ両氏 8年間の活動停止処分に」という今日のニュースがあった。

国際サッカー連盟(FIFA)倫理委員会は21日、FIFA会長のジョセフ・ゼップ・ブラッター氏(79)と、FIFA副会長で欧州サッカー連盟(UEFA)会長のミシェル・プラティニ氏(60)の間に不正な金銭授受があったとして、ともに8年間の資格停止処分を科した。

……

FIFA側は、2011年にブラッター氏がプラティニ氏に200万スイスフラン(約2億4000万円)を超える資金を支払った件について捜査してきた。2人はこの金銭授受は口頭での契約に基づいた正当なものだと主張していた。しかし倫理委は今回、口頭での合意に有効性は認められないと判断した。

2015年12月21日 20:13 発信地:チューリヒ/スイス
http://www.afpbb.com/articles/-/3071057


FIFAの文書はこちら。普通に読める英語だと思うんで、どうぞ直接お読みください。

ブラッターには「汚職」の容疑があったのだが、この前の段階で、それは取り下げられていた。(「永久追放」ではなく「8年間」となったのは、こういう背景だろう。)

ブラッター会長はスイスのブリック紙に対し、倫理委員会のハンスヨアヒム・エカート裁定委員長の前で8時間にわたり行われた聴聞会について語り、同氏から冒頭で「汚職の容疑は取り下げられた」と伝えられたと語った。

2015年12月21日 15:57 発信地:ジュネーブ/スイス
http://www.afpbb.com/articles/-/3071005


(「8時間」ですってよ……)

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2015年12月20日

アンドレイ・クルコフ『ウクライナ日記』(読書メモ)

ウクライナ日記 国民的作家が綴った祖国激動の155日 私はこの本をウクライナのために書いている。この本にはユーロマイダンの期間中の私の日記を載せる。分かりやすい言葉で、もしかすると少々単純化した形で、現在ウクライナで起きていることの原因の解説を試みたい。今日の状況がウクライナの遠い過去と近い過去とどう結びついているのかを主観的に説明してみせるための、国民の群像、国の肖像を描いていきたい。

――アンドレイ・クルコフ(吉岡ゆき訳)『ウクライナ日記 国民的作家が綴った祖国激動の155日』ホーム社、2015年、pp. 121-122


読んでいてかなり辛かったこの本を読了したので、読書メモとして。(「辛い」というのは「退屈だ」という意味ではない。ここで書かれていることが作家の空想ではなく現実であるということが堪えたのだ。)

アンドレイ・クルコフはウクライナの作家。使用言語はロシア語。1961年にロシアのレニングラード(当時)に生まれ、3歳のときに家族でキエフに移って、以来ウクライナに暮らしている。1991年のソ連崩壊のときは30歳になっていた計算だ。『ペンギンの憂鬱』(邦題)というたいへんに魅力的な小説が2004年に日本で翻訳紹介され、私はそれによってこの作家のことを知ったが、クルコフは英語圏を含む欧州でも広く知られた小説家で、『ウクライナ日記』にも出てくるとおり、2014年にはフランスのレジオンドヌール勲章をうけている。

4105900412ペンギンの憂鬱 (新潮クレスト・ブックス)
アンドレイ・クルコフ 沼野 恭子
新潮社 2004-09-29

by G-Tools

1860469450Death and the Penguin
Andrey Kurkov
Harvill Press 2003-05-29

by G-Tools


『ウクライナ日記』は、元々の企画としては、オーストリアの出版社からの依頼で「ヨーロッパの人々にウクライナを理解してもらうため」のエッセイ集だった(「訳者あとがき」より)。つまり、ウクライナがEUに接近することになっているという前提があった。2013年11月にそれが突然ひっくり返されたことで、企画は方向性を大きく変え、「エッセイ集」ではなく「日記」になった。

ニコライ・アザーロフ首相が、EUとの連合協定調印の準備作業を停止すると声明……ヨーロッパへの統合は棚上げ。我々は再びロシアを愛する。ヨーロッパは唖然とした様子。私とて同じだ。ヤヌコヴィッチはこの半年というもの、「我々はヨーロッパに行くのだ!」と言い続けてきた。

(p. 21)


この本の「日記」の始まりの日である2013年11月21日以降、「ウクライナとは何であるか(何でないか)」は、文筆家による外国人向けエッセイのテーマではなく、現実に武器や装甲車両・軍服といったものを伴った武力紛争のタネとなっていく。徐々にきな臭さと血の臭いを増していく情勢の中で心理的に翻弄されながら、妻と3人の子と一緒にキエフの中心部に暮らす作家は、日常生活を送っている。予定していた長編はなかなか執筆が進まないが、ウクライナ国内の大学に呼ばれて講演を行ない、国外のイベントに呼ばれて飛行機で出かけていく。子供の誕生日を祝い、家族で一緒にキエフから少し離れた村のセカンドハウスに行き、そこで畑仕事をする。政治家たちの煽動的な言葉を聞き、ロシアのプロパガンダに(きっと「またか」的なものであるだろうが)苛立ちをおぼえ、その日のことを日記に書き留める。その中に、自然、当初の企画にあったに違いないような「ウクライナ事情の解説」が地の文で、または原注で入る。よく考えられ、適度に添えられた訳注も、読者の理解を助けてくれる。

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2015年12月15日

カレーの「ジャングル」難民キャンプ。「溺れる者」がすがりつく「藁」さえ、ここにはない。

12日に書いた「フランスのカレーの『ジャングル』難民キャンプに、Banksyが新作を描いた」件について、「NAVERまとめ」を利用して作成しているページに追記した(下記の7ページ以降)。

バンクシーが「シリア移民の子、スティーヴ・ジョブズ」を描いた英仏海峡の街で、何が起きているのか。
http://matome.naver.jp/odai/2143833336178143801


このページは元々、7月末に英メディアで「カレーから移民 (migrants) が押し寄せてくる」というパニック報道が展開されていたときに個人的備忘録としてニュースのフィードなどのツイートを書き留めておいたものの冒頭に、12月の「バンクシーの新作」という新たな要素を加えて公開したものだ。

この「バンクシーの新作」、描かれた故人(スティーヴ・ジョブズ)が主役であるかのように取りざたされるし、実際作家自身もそれを狙っていることは明白なのだが、「主役」はこのキャンプ自体である。

12日に「NAVERまとめ」のページをアップした段階では、そこがまだ書き終わっていなかったのだが、さっき、その部分の大半を書いてアップした。

そこが読まれるかどうかは知らない。人目を引く派手な要素は何もない。ただ、シリアだけでなく、世界のいろいろなところからさまざまな抑圧と暴力を逃れてきて、フランスの北端でゴミと糞尿と泥の中で日々を過ごすことを余儀なくされている人々がいるということ、「溺れる者」がすがりつく「藁」さえ、ここにはない(国連さえここにはいない)ということを、何もせずにはいられなくなってボランティアの炊き出し隊を組んで現地に行った英国人の手記を通じて、日本語で伝えようとしただけだ。



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2015年12月13日

ある「アイリッシュ」の訃報と、格闘家の掲げるアイルランドの旗……ベネディクト・アンダーソンの突然の死。

「いつかこの日は来る」。そうわかっていても、特にそれについて考えたり、思ったりすることもなく日々過ごしている。そんな日が来た。そういう感覚で、ブログを書こうとしても収拾がつかない。

「ことば」は集めた。

【訃報】ベネディクト・アンダーソン(『想像の共同体』)
http://matome.naver.jp/odai/2145000187978557101


集めはしたが、私が探しているものはここにはない。自分の中に、漠然と、「ことば」という形を得ることなく存在しているものに、形を与えてくれる「ことば」は、見つかっていない。

ベネディクト・アンダーソンの訃報が流れてくるこのモニターには、「想像の共同体」の最たるものと私がずっと思っているアイルランドから、「想像の共同体」のシンボルを誇らしげに掲げた勝利者の写真が流れてくる。総合格闘技UFCのコナー・マクレガー。タイトル・マッチでわずか13秒で挑戦者をKOした彼は、リングでチャンピオン・ベルトを締め、アイルランドのトリコロールの旗を高々と掲げた。

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2015年12月12日

Banksyの新作は、「後にAppleという会社を創業したシリア移民の子供」だ。

ペーパーバック版 スティーブ・ジョブズ 1 - シリア中部の都市ホムス。腕一本でのし上がった富豪の息子として、1931年に生まれたアブドゥルファタ・「ジョン」・ジャンダリは、この街で育ち、長じて、隣国レバノンのベイルートにあるアメリカン大学に通った。学生活動家だった彼は政治的な活動で投獄も経験した。経済と政治学を専攻した彼はやがて、渡米し、ウィスコンシン大学の大学院博士課程に籍を置いた。ここで出会ったのがジョアン・キャロル・シーブル。ウィスコンシン育ちのカトリックの彼女と、ホムス出身のムスリムの彼は、恋に落ちた。彼女の親はいい顔をしなかったらしい。

1954年の夏、アブドゥルファタがジョアンをつれてホムスに里帰りしているときに、ジョアンが妊娠した。アブドゥルファタは大変な喜びようだったが、ジョアンの父親が娘がシリア人と結婚することを許してくれない。ジョアンは、生まれた子供は養子に出すよりないと彼に告げた。1950年代のことだ。婚外子やシングルマザーへの風当たりの強さは今とは比較にならない。それに、妊娠中絶はまだアメリカでは違法だった。

こうして生まれた男の子が、紆余曲折あって、サンフランシスコのブルーカラー(労働者階級)の夫婦に引き取られた。成長した彼が何を成し遂げたかは、説明は必要あるまい。

(以上、ウィキペディアを参照した。)

その「シリアからの移民の息子」を、バンクシーは、フランスのカレーの劣悪な環境の難民キャンプ、「ジャングル」に描いた。

バンクシーが「シリア移民の子、スティーヴ・ジョブズ」を描いた英仏海峡の街で、何が起きているのか。
http://matome.naver.jp/odai/2143833336178143801


全部こちら↑↑に。この夏のBanksyの企画、Dismalandのその後のことも。

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2015年12月08日

音楽映画ベストテン(企画参加エントリ)

はてなのid:washburn1975さんの企画、「音楽映画ベストテン」:
http://d.hatena.ne.jp/washburn1975/20151031

「音楽映画」(定義は下記)のオールタイム・トップ10を人それぞれ好きなように選ぼうという企画。

- 音楽をテーマとした映画、音楽家が主人公の映画、ミュージカル/オペラ、音楽家の伝記映画などを対象とします。

-「サウンドトラックが名曲」や「主題歌が大ヒット」などの作品ではなく、音楽がストーリー上で重要な役割を果たしているものを選んでください。

-とはいえ、「音楽映画」の定義をここで細かく決めることはしませんので、迷ったときには当ベストテンの大原則である「迷ったら入れる」を採用してください。

http://d.hatena.ne.jp/washburn1975/20151031


既に集まっている他人様のご回答を眺めていたらいろいろ思いついたので、参加してみます。

参加したい方は、ブログを持っている場合はブログに書いてid:washburn1975さんの記事へトラバ送信、ブログのない方、トラバが送れない方は同エントリのコメント欄に、*書式を守って*投稿(でも集計作業で「正規表現で半角スペースを境目にして抽出」というのはやめていただければと……英文などが入ってる文字列の扱いに困るし、半角コロンを使ったら半角スペースを入れるのがタイピングのルールなのでそれが打鍵のクセになっています)。Twitterでも投稿できるそうです。締め切りは12月12日の深夜24時。

というわけで、「何が《音楽映画》になりうるのか」をそれなりに考えつつ、「人間と音楽」がコアにある映画を、今年見たものから1本、昔見たものから9本。順位にはあまり意味はないです。詳細はブログ記事本体(「続きを読む」の先)に。

1. ジミー、野を駆ける伝説(2014年、ケン・ローチ監督)
2. Blue ブルー(1993年、デレク・ジャーマン監督)
3. ウィズネイルと僕(1987年、ブルース・ロビンソン監督)
4. ライフ・オブ・ブライアン(1979年、テリー・ジョーンズ監督)
5. スパイナル・タップ(1984年、ロブ・ライナー監督)
6. ザ・コミットメンツ(1991年、アラン・パーカー監督)
7. シェルショック・ロック(1979年、 ジョン・T・デイヴィス監督)
8. アンダーグラウンド(1995年、エミール・クストリッツァ監督)
9. プリシラ(1994年、ステファン・エリオット監督)
10. ストレンジャー・ザン・パラダイス(1984年、ジム・ジャームッシュ監督)


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オバマ大統領のスピーチが気に入らない共和党支持の人たちの言葉を、なぜかかなり大量に見るはめになった件。

1つ前のエントリに書いたオバマ大統領の6日のスピーチの件。イスイス団について、"ISIL does not speak for Islam. They are thugs and killers, part of a cult of death, and they account for a tiny fraction of more than a billion Muslims around the world" と言い切ったものだ。

時差の関係もあり、私はこのスピーチはリアルタイムではなく、終わってしばらくしてから、まずはBBCニュース経由で一部だけ見た。"We cannot turn against one another" からの2分20秒ほど(上に引用した部分)が切り出されている。そこだけでもすばらしいスピーチだと思った。
http://www.bbc.com/news/world-us-canada-35021210

だが、共和党はおもしろくなかったようだ。ドナルド・トランプは「ラディカル・イスラミック・テロリスト」という表現を使っていないと吠え(ちょっと意味わからない。cult of deathとまで言ってるのに)、ジェブ・ブッシュは「弱い」と切り捨てたそうだ(上記のBBC記事参照)。

で、こういうときはTwitterで、信頼している誰かが実況ツイートしているのはどのポイントかということを確認してみるのがひとつの習性なのだが(それによって、自分の「読み」が確認できる)、そのために検索してみたハッシュタグの画面が……なんというか……。

最近、いろいろと続いていることと、「選挙前」モードになってることが重なっているのだと思うが、普通にハッシュタグをクリックしてみたり、ニュース系の検索をしてみたりしたときに、ティーパーティ系や南部連合旗系のアメリカの右翼の人たち(以下「アメウヨさん」)のツイートが表示されることが多くなっている。多分、絶対的に、彼らの発言数が増加している(選挙前だし、トランプの「キャラ」的な話題などもあるし)という事情もあると思うが、少し前までは私のフィルターバブルの中には「アメウヨさん」が入ってくることは稀にしかなかった(なので、ティーパーティ系の人たちの話がニュースに出てくると、いちいち調べなければ基本的なこともわからなかった)。

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2015年12月07日

They are part of a cult of death 「彼らは死のカルトの一部です」(自爆した18歳の子供のこと、など)

'I live! I die! I live again!'

……というわけで、5日に書いた通り、『マッドマックス 怒りのデスロード』をオンライン・レンタルで見た(年齢制限あり: 15歳以上のみ視聴可。字幕・吹き替え両方あり)。個人的にカーアクションや戦闘シーンについては車や武器について細かいことを知らないためにディテールに関心が向かず、ざっくりと「すごい」としか思わないのだが、それでもこの映画は「おもしろい映画」だと思う。「伏線を張った物語の語り方」であるとか「魅力的な登場人物」とかいったものが詰め込まれた映画としてよくできていて、「ディストピアもののフィクション」として安心して消費できる。

オンライン・レンタルだと「貸し出し中」がないので、今回のように見たいときに確実にすぐ見られるのは便利だが、同じパソコンの同じ画面でイスイス団の残虐行為の図像(なるべく見ないようにしているのだが、どうしても目に入るものはある)を見たりしているのがどうしてもかぶってしまい、イモータン・ジョーの「教団」型独裁国家のありかた、特に教育というものを経験しておらず、「信念と献身」のようなものを仕込まれている若い戦闘員たち(ウォー・ボーイズ)や、黙って群れ集い、従順に行動している子供たち(映画では気づかなかったけど、作中ではWar Pupsと呼ばれてるんですね)などに、非常に微妙な思いをさせられた。初見のときもそうではあったが、映画館の座席で映画館のスクリーンで見るのと、自宅のいつもの椅子でパソコン画面で見るのとはやはり印象が違う。この椅子で、この画面で、先月、PBSのドキュメンタリーでアフガニスタンのISISのことをやっていたのを見ているのだ。画面の中心から少し焦点をずらしたときに目に入るキーボードや、ふと触ったマウスの感触などが、そういう「現実」を、「物語を消費している幸福な時間」に滑り込ませる。



わずか3分半とは思えないほどみっちり詰まったこの映像。「拳銃の使い方」の授業(3分10秒くらいのところ)で、拳銃を渡されて「撃つ動作をしてみなさい」と「先生」に指示される少年たちの1人が一瞬、横目でカメラの方(撮影者の顔か? カメラの中心を見ているわけではない)を見て浮かべる表情が、何かに刺さったトゲのように自分の中に残っている。

それから、このパソコンの画面では、こういうものも表示される(以下、画像は加工してある)。イスイス団が仕込んだ、彼らのWar Pupsの姿だ。これはフィクションではない。台本にそって役者が演じているのではない。現実だ。

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2015年12月05日

アメリカの報道はとても慎重だが、もうたぶん、「ことばで通じ合う」ことなど夢物語になる。

米カリフォルニア州のサン・バーナディーノ (San Bernadino) という人口20万規模の都市で起きた銃乱射事件。14人も殺され、21人が負傷させられた。現場の障碍者支援施設の貸しホール(か何か)では、保健・公衆衛生当局の職員の忘年会が行なわれていた。銃撃犯は忘年会を開いていた職員の一人とその妻で、当初、事件は「テロではなく、職場の集まりでの諍いが原因と思われる」というトーンで報道されていた。メディアのインタビューで、同僚(忘年会の参加者)は「気に入らないことがあったようで、彼は退席した。今年は集合写真には彼は写らないことになりそうだなと考えていた」などと応えていた。いったん出て行った彼は銃を持って戻ってきて、そしてあの惨劇……。たまたまトイレに行っていたその同僚の人は、トイレの中まで銃弾が撃ちこまれ、床に伏せていたと語っていた(読んだ記事のどれかより。たぶんLAタイムズ。でなければABC)。

そんな話を読みながら、「職場での諍い」だったとして、なぜ銃撃犯が単独ではなく妻と一緒に銃撃にやってきたのだろうと思っていた(現場には銃は2人分……つまり「長い銃」が2丁と拳銃が2丁あった)。あるいは夫婦はこの職場の同僚で、2人そろって忘年会に出ていて、2人そろって何かがあって激怒して、車から銃を取って戻ってきたのだろうか、と(銃を車に積んでいる人など、特に珍しくもないだろう)。

しかし、そうであるという報道はない。2人がそろってこの場にいたのならまだしも、「夫と妻」が「夫の職場のもめごと」で激怒して銃を乱射し、逃亡して警察に追い詰められ、(ボニー&クライドのように)撃ち殺されるなどということがありうるだろうか。しかも、現場には爆発物処理班まで出ていた。銃は何かあったときにその場で車から取ってくることは考えられるけど、爆発物処理班が対処するようなものは、普通、車には積んでない。とすれば、爆発物処理班が出たのは「念のため」、「過剰反応」だろうか。それに、警察署長はかなり早い段階での記者会見で、「銃撃犯はassault-style clothingを着用」と言っていた。何だそれ、っていうのもあるんだけど、そういう服装で職場の忘年会に行ったりするのだろうか。

というわけで、英語でいう、The story doesn't add up. という感覚で見ていたが、きっとまだ情報が断片的なだけだろうと思った。夫婦だとか婚約者だとか言われているが、実は「妻」と報じられている女性は妻ではない別の女性で、あとから本物の「妻」が「夫の二重生活」を語ったりするのではないかなどといったことも、いろいろぼやーっと考えてもいた。

が、あとから記者会見で公表され、報道される細かな事実は、「職場の揉め事 workplace dispute」であるという説明をますます変に思わせるものだった。特に数日前に地元のレンタカー業者で借りた車を使っていたというのは、意味がわからなかった。自家用車が故障していたとか、同居の家族(親や兄弟と同居していることも充分に考えられる)が使っているとかいった事情でもあるのだろうか……。



いや、そんな無理やりつじつまを合わせるような考えかたをするよりは、「そういうこと」を疑うのが合理的ではないか。報道はまだわけわからない断片ばかりだけど、爆発物処理班の出動という事実を素直に読めば、「そういうこと」ではないか。それに、自宅にはパイプ・ボムもたくさんあったという。

これでもまだ、「いや、極端な兵器マニアだ」とは言える。何かを思いつめていて、過剰警備に走っていたのかもしれない。でもそう考えるのは、若干、無理があるのではないか。

その段階でアップしたのが1つ前のエントリだ。

何がどういう話になっても、個人的に驚きはしないだろうなという気はしています。突然「むわはははは! 諸君、われわれは……」的な声明が出ても、衝撃はあるかもしれないけれど、驚きはしないだろうなと。

一応、下記にいろいろと。

米カリフォルニア州障碍者支援施設銃撃事件、初期報道の記録
http://matome.naver.jp/odai/2144912957605048801


それから、台所を片付けたりトイレを片付けたりお風呂に入ったりしている間に、来ていた。CNNに捜査当局者が「容疑者夫婦の妻のほうが、Facebookで、イスイス団のトップ、アブ・バクル・アル=バグダディに忠誠を誓っていた」ということを語った。


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2015年12月04日

米カリフォルニア州、「職場で銃乱射した夫婦」の件

何がどういう話になっても、個人的に驚きはしないだろうなという気はしています。突然「むわはははは! 諸君、われわれは……」的な声明が出ても、衝撃はあるかもしれないけれど、驚きはしないだろうなと。

一応、下記にいろいろと。

米カリフォルニア州障碍者支援施設銃撃事件、初期報道の記録
http://matome.naver.jp/odai/2144912957605048801


一方、この事件に関連して最もアレというか失笑ものだったのが、「デマ」というか「ガセネタ」というか……5ページ目(下記)に書いてあります。その名前を見て、「それはトルコの大統領の名前をパロったのか」と言えず、簡単に釣られてしまうジャーナリストって、一体……と思うけれど、現場ではそのくらい情報が混乱してて矢継ぎ早にいろいろ流れてきたのでしょう。
http://matome.naver.jp/odai/2144912957605048801?page=5

少なくともサンディ・フック小学校銃撃事件の初期報道(2012年12月)ほどの報道の混乱はないのかもしれませんが。

※以下、追記。


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2015年11月30日

「イスラミスト過激派も、反イスラム活動家も、やってることは同じ」……豪州でのアフガン難民の体験から

ラヒラ・ハイダリは20歳。オーストラリアのパースで大学に通っている。2014年から15年のユニセフ・オーストラリアのヤング・アンバサダーをつとめている彼女は、アフガニスタンの中部、ウルズガン州の出身だ。



上記は2015年の難民週間(6月)に、ユニセフ・オーストラリアが公開したラヒラのインタビューのビデオ。髪の毛を隠すスカーフを着用しているが、服装は膝丈のタイト・スカートに黒のレギンスと、肌を露出させていないだけで「西洋流」な彼女が、大学のキャンパスでの日常生活を見せながら、これまでのことを語っている。ほんの3分程度だからぜひ見ていただきたい。聞き取りが苦手な方は(YouTubeの字幕は全然ダメなので)ラヒラの話の内容をまとめたユニセフ・オーストラリアのブログを参照されたい。

子供の頃、ラヒラは学校に行きたかった。しかしタリバン支配下で学校に行けるのは男子だけ。女子であるラヒラは学校に通うことすら許されない。それでも学校に行ったが、授業に出ることは許可されず、それどころか地域の指導者たちが家にやってきて、「女に学問はいらん。女が学校に行こうというなら、学校など燃やしてしまう」と言い、「娘はこの町から追い出せ」と命じた。「出て行かないなら、娘を殺す」。選択の余地はなかった。

ラヒラは親元を離れ、パキスタンのクエッタの親戚の家に預けられた。6歳だった。親戚の家には既に大勢の子供たちがいて、ラヒラはあまり面倒を見られることなく、自分のことは自分でやって過ごした。

6歳から14歳まで、家族と離れて過ごしたラヒラだが、アフガニスタンに残った家族も安全ではなかった。

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「人種差別(的な発言)」とは何か。

表題の件だが、5年ほど前にTwitterで見た英語圏での議論を思い出す。正確な文言は覚えていないし、発言主もはっきり思い出せないのでそのものの発言は探せないのだが、「議論」というか「発言1件ずつのやり取り」だったと思う。話題は、当時「時の人」だったウィキリークスのジュリアン・アサンジ。彼がウィキリークスの代表者として数々の「暴露」報道でパートナーとして組んできた新聞、ガーディアンに対して、傍目からはよくわからない恨み・つらみを抱いて絡むような発言を繰り返していたときのことだ。

アサンジが突然、何の脈絡もなく、「ウィキリークスのことを書いているガーディアンのジャーナリストの誰それはユダヤ人だ」と言ってガーディアンを非難した(さらにアサンジは、当時のアラン・ラスブリジャー編集長についても「妹がなんちゃらかんちゃら」とわけのわからないことを言い、編集長自身が「えっ、俺、妹いたんだ!」と反応するという爆笑コントが展開されていたりもしたが)。

この発言が「レイシズム的な発言 racist remark(s)」に該当するかどうかで、Twitterではひと悶着あった。

一方に、"「ユダヤ人」についてはあまりに簡単に「反セム主義 anti-Semitism」が持ち出されるが(例えばイスラエルの国家としての政策を批判しても「反セム主義」呼ばわりされる)、ただ単に「《事実》を指摘しただけ」のアサンジの発言を「レイシズム」の発言だと位置づけることもまた「反セム主義」というレッテルの濫用である" という主張があった。

その屁理屈に対し、"必然性などまるでないときに、誰かの人種について「その人が『○○である』」という《事実》を語ること自体が、レイシズムである" という主張がなされた。

まったくその通りである。このケースではガーディアンの記者がユダヤ人であることは、彼がジュリアン・アサンジについて書いたこととは何も関係なかった。(ちなみにこの発言はあちこちで波紋を呼び、「アサンジ個人が反ユダヤ主義の思想を抱いているのではないか」という方向に人々の関心は移った。)

(ただし、英語圏では「文章術」として、人名の繰り返しを避けるためにわけのわからない「属性羅列」が行われることがあり、そこでよく何の脈絡もなく「国籍」や「年齢」は言及されるし、「人種」や「民族」も、ときどきだが、言及される。「アーセン・ヴェンゲル」を「そのフランス人監督は」、「その66歳の人物は」云々と言い換える類のことだ。国籍も年齢も必然性があるとは思えない場合もあるが、こういうのは行き過ぎなければ、「レイシズム」などの何らかの「イズム」とは見なされない。)

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2015年11月29日

「アート」の力。プロパガンダの画像に、言葉を添えることで別の文脈を与えるという形での。

1つ前のエントリで音楽について書いた。本エントリでは視覚芸術(ヴィジュアル・アート)について、もう少し書く(視覚芸術については、既にピース・シンボルのことや、レバノンとパリのことを書いている)。

本稿は下記の画像についてのちょっとしたメモだ。

propaganda2-c.jpg


「アート art」とは、(神の手ではなく)人の手の技術によるもののことを言う。神の手が作る「自然」は「アート」ではないが、人の手が描いた「風景画」は「アート」だ。自然の雨音は「癒されるサウンド」ではあるかもしれないが「アート」ではなく、雨音にインスピレーションを得て作曲されたピアノ曲は「アート」であり、人間が口で雨音を真似て音を出すのも「アート」である。それら「アート」は、既に見てきたように、人々の心に働きかける。

そういう「アート」は、「イスラム国」を自称する勢力(ネットスラングで「イスイス団」、本稿では「ISIS」と表記)をめぐる情報空間にもあふれかえっている。ISIS自身が製作しているものもあるし、ISISを批判する立場から製作されたものもある。ISIS自身が製作したものの見た目の「かっこよさ」は、日本語のネットスラングで言えばかなり「厨二」っぽいと私は思うのだが、確実に、ある種の人々にアピールする。「あんなおどろおどろしいもの、気持ち悪い」と思う人もいるに違いないが、どうしても見てしまう、どうしても目が離せなくなってしまう人もいる。

そんなふうにばら撒かれている「アート」のひとつが、下記である。

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「音楽は人生であり、歌は希望や癒しに結びついている」

今月13日夜(現地時間。日本では14日早朝から午前中)にフランスの首都、パリで実行された、ISISによる攻撃(同時多発テロ)は、西洋の大都市の「人々の暮らし」そのものを標的としていた。金曜日の夜、地元の人たちが集うバーやカフェ(東京でいうと「ガード下の居酒屋」や「街角の立ち飲み屋」、「地元の中華料理屋」みたいな店)と、キャパが1500人のライヴハウス(東京ではだいたいO-Eastや赤坂Blitzの規模)が、戦場で使うような武器で攻撃され、自爆までおこなわれた。サッカーの代表の親善試合が行なわれているスタジアム周辺で、3人もが自爆攻撃をおこなった(試合中に周辺の店で自爆するという計画はちょっと意味がわからない。スタジアムに入り込むつもりだったのだろうか)。

これは、2003年のマドリードや2005年のロンドンでおこなわれた「公共交通機関」を標的とした攻撃以上に、「暮らし」そのものへの攻撃だった。



週が明けて水曜日にロンドンのウェンブリー・スタジアムでおこなわれたイングランド対フランスの親善試合(日曜日、月曜日の段階ではフランスのプレイヤーの中に「とても試合ができる心境ではない」という声があったことが伝えられてもいたが、予定通りにおこなわれた)で、あのウェンブリーが「自由、平等、博愛」のフランスのスローガンを掲げ、キックオフ前にはスタジアム全体が『ラ・マルセイエーズ』を歌った(その映像で、スタンドにいるアーセン・ヴェンゲルの姿が一瞬画面に映ったとき、この人は2005年7月7日も攻撃対象のロンドンで経験しているのだと思い、とても悲しくなってしまった。しかもこの曲の歌詞、ああだし)。



さて、以下はこの事件についてこれまで書いたページの一覧である。

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2015年11月28日

また見せかけの「反戦」が(シリアで「病院を爆撃」しているのは、誰か。知らないはずがないのに)

2015年11月28日、TwitterのUK圏では#DontBombSyriaがトレンドしている。集会が行なわれているようだ。

私がログインしない状態でのスクリーンショット。



「学校や病院や一般家屋が爆撃されるのを私たちは見てきた」と言っている人がいる。なるほど、と思うが、文の後半が「この『テロとの戦い』で」だ。ちなみに「テロとの戦い」(カギカッコつき)なんて、今は米政権も言わない。この発言主は「今」を見ていない。

心底、うんざりだ。こういう「反米」のひとつ覚えのようなものには。

今、というか2011年以降、シリアで「学校や病院や一般家屋」を爆撃してきたのは誰か。

アサド政権だ。大統領が、自国民を爆撃してきたのだ。「軍用ヘリから、落とせるものは何でも落とす」レベルで。落とすものがなくなったら、「たる爆弾」(テロリストが使う「ネイルボム」を巨大にしたもので、標的に正確に命中させることなどできない手作り爆弾)を製造し始めたのだが。

アサド政権は、自分たちの軍事力だけでは足らず、隣国から武装組織を呼び(ヒズボラ)、同盟国のごっつい部隊に来てもらい(イラン)、そして今年の後半にはロシアの空爆(「ISISを標的としている」という建前で、ISISがいなくてFSAなどがいる地域をがんがん爆撃している)という加勢も得て。



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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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