ミュンヘンのショッピングセンターでの銃撃事件の発生から24時間以上が経過し、詳細が明らかになってきている。この事件については
1つ前のエントリでも書いたが、実は、それはまだ書こうとしていたことの半分だ。残り半分と、もろもろアップデート分をここに書こうと思う。
この事件は、当初、「またイスイス団のテロか」と思われたので(現地警察も
「テロである」と宣言し、非常事態宣言を出していたのだが)
国外の大手報道機関のイスイス団を専門とする記者がドイツに派遣されるなど、各報道機関が「イスイス団のテロ」であることを前提として報道していたし、ドイツの政治家も、外国の政治家も、「テロ」のときの対応をし、そういう場合の言葉を発していた(例えば米オバマ大統領や、
アイルランド共和国のマイケル・D・ヒギンズ大統領)。しかし結局のところミュンヘン警察は、「イスラム過激派(ジハディスト)のテロではなかった(関連は認められなかった)」と結論した。
「イスラム過激派」とは関係なかったとしてもなお、動機が解明されていない以上は、厳密にいえば、「テロである可能性」は残っている――「イスラム過激主義」以外にもテロの動機はいくらでもあるからだ。それに、「テロ」は定義次第だ(アメリカなどは「自軍が外国を占領しているときの自軍、つまり占領軍に対する現地の人々の武力抵抗」を「テロ」と呼んで恥じない)。;-P
でも、英国の報道機関の記事を見ている限り、あの銃乱射は、単なる――「単なる」とかいうとまた言葉尻をとらえて「不謹慎だ」と絡んでくる人がいるかもしれないが――「卑劣な無差別攻撃」であり、「テロ」ではないとほぼ断言されている状態だ。
豪州の司法長官は「攻撃があれば何でもかんでもテロテロテロテロと言い立てるのはいかがなものか」といった発言をしている。個人的にも、日本でときどき発生する「通り魔殺人事件」が「テロ」ではなく殺人、傷害といった「刑法犯罪」であるのと同じく、鬱積を募らせた個人の暴力の爆発は、「テロ」ではないと思う。
英語圏で話がややこしくなるのは、ひとつには、「テロ」イコール「卑劣な無差別攻撃」という言い換え(セット思考)があるからかもしれない(実際には、テロリストは無差別ではなく標的を定めた攻撃(暗殺、誘拐など)も頻繁に行なってきたのだが)。Twitterなどを見ていると、「無差別」な攻撃というだけで「テロ」と呼ぶ条件を満たしているかのような発言を見ることが多いように思う(「IRAのテロ」のころはそんなでもなかったような気がするが、そのころアメリカでは「テロはわが国では起こらない」ことになってた)。また、日本語で俗に「無差別」とか「不意打ち」の攻撃を「テロ」と呼ぶが、そのような性質のものをすべて本当に「テロリズム」として扱っていたら、あれも「テロ」、これも「テロ」ということになってしまい、意味がなくなる。(秋葉原の通り魔事件を、その意味で「テロ」と呼んだ人もいたが、そこまで拡大解釈が許されたら、議論は成立しなくなるだろう。)
ともあれ、英語圏のジャーナリストなどが(
警察が「テロではない」と結論している)ミュンヘンの銃撃事件を「テロではない」と断言することにためらいを覚えているように見えたのは、おそらく、ミュンヘンの18歳の銃撃犯と、5年前の同じ日にノルウェーで大量殺人を起こした極右テロリストのアンネシュ・ブレイビクとの「つながり link」を考えなければならなかったからだろう。つまり、「テロリストのシンパ」は「テロリスト」なのではないか、ということだが。
18歳の銃撃犯はブレイヴィクに非常に高い関心を抱いていて、ミュンヘン警察が記者会見で "obvious link" か "apparent link" がある、ということを述べたようだ(これはlost in translationを呼ぶよね)。BBCはここに注目してセンセーショナルに「ブレイヴィク」という名前を見出しにして、トップニュースとして扱っていた。(ブレイヴィクが大喜びしているだろうし、どこかにいるかもしれない「予備軍」みたいな人が「これか!」と思っているだろう。)
だがミュンヘンの銃撃犯とブレイヴィクとでは、大きな違いがあるのではないか。
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