「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2016年01月22日

「私は平等のために粉骨砕身努力いたしております」と言いながら同性結婚に反対する政治家が、北アイルランドでは最大政党の重鎮であるという現実。

21日夜(日本時間で22日朝)のBBC Question Timeのテーマが北アイルランドで、スタジオに保守党政権の北アイルランド担当大臣、テレサ・ヴィラーズ、シン・フェインのチェアマンであるデクラン・キアニー、DUP所属の英下院議員で院内グループを率いるナイジェル・ドッズといった人が招かれていたそうだ。

この日の番組のページで、英国内からの接続なら番組全体が向こう12ヶ月間再生できるほか、英国外からの接続でもゲスト各人の発言の短いクリップなどが見られるようになっている。(収録はベルファストかな。あと、ピーター・ヘインのクリップもあるが、発言内容はNIには関係ない感じ。)
http://www.bbc.co.uk/programmes/b06yms21

北アイルランド・ウォッチャーとしては、シン・フェインのキアニーが、グッドフライデー合意後の政治体制(各政党が獲得議席数に応じた閣僚ポストを配分する形の自治政府)の「次」を見ていることが明確に示されている発言が最も興味深い(こないだ引退したピーター・ロビンソンがその方向性に行こうとしていた)。クリップは下記。
http://www.bbc.co.uk/programmes/p03g5j5b

しかし、Twitterで(北アイルランドではなく)UKという大きなくくりで見ていると、人々が大きな反応を示したのは、宗教保守政党であるDUPのナイジェル・ドッズの「平等」へのスタンスについてだった。(ドッズのクリップはここにあるが、これとは別のトピックについての発言の部分のようだ。)これにより、Nigel Doddsという名前がUKのTrendsに入ってくる程度に反応が大きかった。

DUPは、基本的に、聖書を文字通りに信じるキリスト教根本主義者たちの政党で、同性愛に関しては全然「容認」しないというスタンスだ。北アイルランド基準に慣れてるとそれはそれでスルーできるというかしちゃうのだが、そうでなければやはり「いまどき、これはないわ」という話で、お茶の間はざわざわざわざわとしていたようだ。

その記録を、Twitterが提供しているCuratorというツールを使って、とってある。

https://twitter.com/nofrills/timelines/690302278847234048

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2016年01月15日

俳優って、すごい。ピアース・ブロスナンが、ジェリー・アダムズに激似だ。

「新作映画撮影中のピアース・ブロスナンが、ジェリー・アダムズに激似」という話があって、はいはい、プロモプロモ、それは似ないでしょう、と思って見てみたらほんとに激似で驚愕した。



ピアース・ブロスナン。説明不要だろう。さあ、君も目を♡ にできるぞ。emoji-heart.png emoji-heart.png



この美男すぎる俳優は、007(ジェームズ・ボンド)も演っているし、トニー・ブレアをモデルにした「元英国首相」も演っているのだが:



今回……
He is playing the role of Liam Hennessy, a former IRA member turned government official.

http://www.bbc.com/news/uk-northern-ireland-35312321


……あの、いろいろアレなのでこれ以上は言いませんが、アレですよね、アレ

ほんで、その「アレ」がこれで、あのー…… (^^;)

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2016年01月12日

ピーター・ロビンソンが引退し、アーリーン・フォスターが北アイルランド初の女性政治トップとなった。

北アイルランドでは、女性(たち)が前面に出て行って、局面が大きく変化するということが何度かあった。2008年の米大統領選挙前にまだヒラリー・クリントンが民主党の候補候補だったころにベルファストを訪問した際に、誰かが「男に任せておくと、いつまでも『紛争』やってるから(笑)」と発言していたが(ヒラリーは、北アイルランド和平の功労者のひとりである夫ビル・クリントンと一緒に紛争末期の北アイルランドとかかわっている。ただし彼女が豪語していたように「あたくしがいなかったら北アイルランド和平はなかった」というほどのかかわりでは、絶対にない)、60年代末の公民権運動のバーナデット・デヴリン(後に英国下院議員)、70年代の「ピース・ピープル」(ノーベル平和賞受賞)、そして1998年ベルファスト合意(グッドフライデー合意)の実現においてロイヤリストの囚人と交渉して「最後の一押し」を決めたモー・モーラム北アイルランド担当大臣(当時)といった女性たちは、非常に大きなインパクトを与えることに成功した。

DUPのアーリーン・フォスター新党首は、ガチ保守の男社会において、そのような先例にならうことになるだろうか。

北アイルランド、初めて女性が政治トップに。(ピーター・ロビンソンの引退)
http://matome.naver.jp/odai/2145043971175229501


↑このページ↑に、ピーター・ロビンソンの引退から、アーリーン・フォスターの党首およびNI自治政府ファーストミニスター就任まで、全部書いてある。フォスターがいかに「紛争」の当事者であるかといったこと、ピーターが最後に残したとんでもないジョークも含め。あと、Twitterの@DUPleaderのアカウントがピーターからアーリーンに代わった瞬間も、何とか捕捉できたので、それも記録してある。これで発言のチャンネルもなくなり、今のMLAの任期が終わったら、ピーター・ロビンソンは公的な場から完全に姿を消すことになる。(その前に、NAMA関連のお金の疑惑はケリがつくのかな。)

※アーリーン・フォスターについて、新たに書き足すのも、「NAVERまとめ」で行なう予定。

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2016年01月05日

「この中に、カトリックはいるか?」……キングズミル事件から、ちょうど40年。

北アイルランド紛争は、武装勢力の外見、服装や言葉遣い、アクセント(訛り)などでは、その武装勢力が誰なのか、「どちら側」なのか、区別がつかなかった。

1976年1月5日、夕刻。アーマー州の南部、キングズミル村の近くで、1台のミニバス(マイクロバス)が武装勢力によって停止させられた。バスに乗っていたのは、工場での勤務を終えて帰宅する労働者たち。武装活動とは関係のない、「一般市民(民間人)」である。

One of the most harrowing moments in the whole history of the harrowing of the heart in Northern Ireland came when a minibus full of workers being driven home one January evening in 1976 was held up by armed and masked men and the occupants of the van ordered at gunpoint to line up at the side of the road. Then one of the masked executioners said to them, "Any Catholics among you, step out here". As it happened, this particular group, with one exception, were all Protestants, so the presumption must have been that the masked men were Protestant paramilitaries about to carry out a tit-for-tat sectarian killing of the Catholic as the odd man out, the one who would have been presumed to be in sympathy with the IRA and all its actions. It was a terrible moment for him, caught between dread and witness, but he did make a motion to step forward. Then, the story goes, in that split second of decision, and in the relative cover of the winter evening darkness, he felt the hand of the Protestant worker next to him take his hand and squeeze it in a signal that said no, don't move, we'll not betray you, nobody need know what faith or party you belong to. All in vain, however, for the man stepped out of the line; but instead of finding a gun at his temple, he was thrown backward and away as the gunmen opened fire on those remaining in the line, for these were not Protestant terrorists, but members, presumably, of the Provisional IRA.


ここに引いたのは、シェイマス・ヒーニーのノーベル文学賞受賞の際のレクチャー(スピーチ)の一節である。ヒーニーがノーベル文学賞を受けたのは1995年。前年の1994年にIRAの停戦、ロイヤリスト武装組織の停戦があり、北アイルランド紛争は「和平プロセス」に向かって踏み出していた。(その後、1996年に一時ゆり戻しのようになったが、1997年の英国での政権交代の後に「和平プロセス」は一気に進んだ。)

ヒーニーとキングズミル事件(キングズミルの殺戮)について、検索したら、2011年の論文のPDFが見つかった。リムリック大学のカレッジのひとつでホストされている論文で、これまでに読んだことのないものだ。冒頭に、あの詩が引用されている。



‘Any Catholics among you...?’: Seamus Heany and the real of Catholism
https://dspace.mic.ul.ie/bitstream/handle/10395/1418/O%E2%80%99Brien,%20E.,%20%282011%29%20%E2%80%98Any%20Catholics%20among%20you...%20%20Seamus%20Heaney%20and%20the%20Real%20of%20Catholicism%20%28Book%20Chapter%29.pdf?sequence=2&isAllowed=y

Some 3,600 people were killed in the conflict in Northern Ireland and one might well ask why Heaney chose to discuss this particular atrocity in his Nobel lecture. I would suggest two reasons for this: firstly, because in this particular case, what we might call the Lacanian real of the Northern Irish situation found expression, in the haptic nature of the contact (both destructive and constructive) between Catholic and Protestant that is to be found in this encounter, because for Heaney, the real that is to be found here is in that poetic language which allows the body to speak and which faces death and disaster with some gesture towards the transcendent, with some reaching towards the transcendent and towards the other.



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2015年12月27日

【訃報】ベルファスト・テレグラフのリーアム・クラーク政治部長

突然すぎてもう……北アイルランドの、「この人の記事は読もう」っていう、そういうジャーナリストですよ。(;_;)

http://chirpstory.com/li/298118
http://chirpstory.com/li/298118


Twitterではその視野の広さが本当に際立っていて、「ポスト紛争」を現場で経験した視点からは本当にたくさんのものが見えているのだなあと思わされたし、そういったことも含めて本を書いてくれるのではないかと思っていたのに。(;_;)


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2015年12月17日

補足: 「紛争地」だった都市が、今は「普通の街」であることについて、チャペックの旅行記を読みながら。

1つ前のエントリへの補足。

英国政府が受け入れを決定したシリア難民の最初の一団の受け入れ先となるなど、完全に「普通の街」という扱いを受けるようになったベルファストだが、それがいかに「特別なこと」であるかを少し書き留めておこうと思う。こういうことは書き留めておかないと、即座に忘れ去られるだろう。ロンドンについて、1991年とか92年版の『地球の歩き方』で「街頭にホームレスがあふれ……」と書かれていたことが、90年代後半の「ITバブル」以降はまったく忘れ去られているように(90年代前半を知っていた人たちは、「久しぶりにロンドンに行ったら、ウエストエンドにホームレスがいなかった」と驚いていたものだ)。

下記は現行のLonely Planetのベルファストについての記事の書き出しの部分。

Belfast is in many ways a brand-new city. Once lumped with Beirut, Baghdad and Bosnia as one of the four 'Bs' for travellers to avoid, in recent years it has pulled off a remarkable transformation from bombs-and-bullets pariah to a hip-hotels-and-hedonism party town.

http://www.lonelyplanet.com/ireland/northern-ireland/belfast


このような「旅行ガイド」の「都市の特徴」のような文言は、厳密な《事実》とは限りなく関係ない「キャッチコピー」のようなものだし、ベルファスト、ベイルート、バグダード、ボスニアと列挙するのは「Bで頭韻を踏んでいる」に過ぎない(そもそも「ボスニア」は都市名ですらない)。

それでも、ベルファストはこういう扱いを受ける都市だった。

でも、ずーっと以前には、アイルランド全体がそうだった。

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2015年12月16日

北アイルランドにシリアからの難民が到着。ベルファストのホスピタリティが暖かい。

シリア内戦で家を追われた難民の人々が、遠く離れた受入国に到着しているということがどんどん伝えられだしている。カナダは、最近の総選挙で保守からリベラルへの政権交代があったばかりだが、トゥルードー(トルードー)首相が「カナダが戻ってきました」と宣言し、自らトロントの空港にノーネクタイで赴いて、到着する難民を出迎えている

"This is a wonderful night where we get to show not just a planeload of new Canadians what Canada's all about, but we get to show the world how to open our hearts and welcome in people who are fleeing extraordinarily difficult situations," Trudeau said.

"Tonight, they step off the plane as refugees. But they walk out of this terminal as permanent residents of Canada, with social insurance numbers, with health cards, and with an opportunity to become full Canadians."


上記のアルジャジーラ記事によると、カナダでは入管当局が率先して、#WelcomeRefugees というハッシュタグを使っているともいう。若くてハンサムでテレビ映えのするジャスティン・トゥルードー新首相が空港で難民を歓迎するという映像は、政治的にももちろん利用しがいのあるものだ。

以前から、「難民受け入れといえばカナダ」というのはあって、日本での難民申請が受け入れられなかった人が第三国としてカナダに渡った例などもある。トゥルードー首相が言っているのは、9年間の保守政権のあとで、(米国との国境のこともあるだろうが)そのような「世界のどこかで困っている人を受け入れる国としてのカナダ」が戻ってきたということだろう。

今年、多くの人々を「難民問題」に向き合わせた「溺死した子供」、アラン・クルディ(日本のメディアは相変わらず「アイラン」と表記しているが、それは彼らクルド人を弾圧しているトルコがつけた名前で、クルドの言葉での本当の名前は「アラン」である。英メディアはそれが判明してすぐに彼の名前を変更している)は、おばさんがカナダに暮らしているので、一家でカナダに行ければと考えて移動中にお兄さんとお母さんとともに海に飲まれた(なお、11月末に、アランの親族の一家がカナダに受け入れられることになったとアランのおばさんが発表している)。

……と、カナダからの、いかにも今どきの「劇場型」ぽいニュースが一段落したところで、英国での受け入れ開始のニュースが流れてきた。それも、めっちゃかわいい。 (*^^*)



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2015年12月15日

北アイルランド、「未完の平和/和平」(書籍)

北アイルランドで「紛争」のころからずっと各武装勢力を取材してきたジャーナリストのブライアン・ロウアンさんの本が出た。

1780730926Unfinished Peace: Thoughts on Northern Ireland's Unanswered Past
Brian Rowan
Colourpoint Books 2015-12-07

by G-Tools


amazon.co.jpにも入ったが、まだ直接は買えず、古書も扱う業者がマーケットプレイスに出しているのしかない。今見たところ、3000円以上の値段がついている(日本国内のマーケットプレイスの送料が別にかかる)。

これならたぶん、版元で直接オーダーしたほうが安いだろう(為替レートにもよるが)。配送の時間は、たぶん同じだ(amazonに今入ってる業者はアイルランド共和国の業者なので)。

版元は著者の地元、ベルファストの小さな出版社、Colour Point Booksというところ。サイトで直接注文できる。通貨はGBP(英ポンド)だ。
http://www.colourpointbooks.co.uk/more_details.php?id=1878

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2015年12月12日

「ベルファストの日常」(グレン・パターソンの文章)

21時にアップしようと準備していた記事があったのだが、グレン・パターソンによる新しい文章を読んで、少し寝かせることにしたいと思った。

Welcome to Belfast, where bomb scares are part of daily life
Saturday 12 December 2015 11.00 GMT
http://www.theguardian.com/uk-news/2015/dec/12/belfast-bomb-scares-daily-life

「ボムスケア」が日常生活の一部である街、ベルファスト。生まれたときは「北アイルランド紛争」は始まっておらず、子供のころにその「紛争」が激化して終わりのない状態に入っていった世代の(ちょうど映画『ミキボーと僕』の主人公男子2人と同世代だろう)パターソンは、「セキュリティ・アラート」というい今風の言い方よりも「ボムスケア」というあの時代の言い方で語ることで、何かを描き、伝えようとしている。より直接的な言葉の時代。ちなみにこの文で言及されているFelixとはこのマンガのことだ。爆発物処理の専門家たちのマスコット。

パターソンの文の最初のほうで描かれているのは、「やけにセキュリティ・アラートが出まくってるなあ」と、Twitterの「NIのリスト」を見ながら思った日のことだ。ベルファストとデリーとオマーで、アラートが同時進行していた。警察の新人募集のイベントが行なわれていた。今調べてみたら10月9日のことだ。(そんなに前だったか。)その後のセクションで、「東ベルファストの水曜日」の出来事として描かれている日がいつなのか、調べられそうな気がしない。

そして、パターソンの文はそのことについての文である。「日常」という、書き残されたり語られたりしないような凡庸さについての。

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2015年12月02日

【訃報】「北アイルランド和平」の功労者、西ベルファスト、クロナード修道院のジェリー・レノルズ神父

西ベルファストで「北アイルランド紛争」の始まりから激化の過程をずっと目撃してこられ、「暴力の停止」のために尽力なさったアレック(アレックス)・リード神父が亡くなったのは、2013年11月下旬のことだった。

その2年後、2015年11月下旬に、同じクロナード修道院に所属するジェリー・レノルズ神父が亡くなった。

レノルズ神父は、リード神父とともに「リパブリカン(シン・フェイン)は話をすれば話ができる相手である」ということを当事者すべてに知らせるために努力を重ねてこられた(その過程では、リパブリカンとの粘り強い対話も行なわれた)。しかし文献や報道記事に登場することは、リード神父のように多くはない。リード神父はのちの和平プロセスでIRAの「武装解除」の証人になるなど、全国ニュースに出てくることが多かったが、レノルズ神父はそうではない。

そのことは、レノルズ神父の貢献を小さいものにすることはないが、目立つか目立たないかといえば、目立たない。



以下:

北アイルランド紛争の終結に尽くしたクロナード修道院(西ベルファスト)のジェリー・レノルズ神父死去
http://matome.naver.jp/odai/2144905489030266601

見出しだけ見て終わらせずに、↑↑↑このページ↑↑↑を読んでください。全部ここに書きますので。
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2015年11月25日

「ベルファスト・ボーイ」として社会をまとめたジョージ・ベスト、没後10年

もう10年か……と、過去ログをあさる。

2005年10月27日には一時生命維持装置につながれ、「死期が近い」と本人も考えているという報道について書いている。11月20日には再度生命維持装置につながれたことについて。そして「24日に主治医が『もうあと24時間もたない』と発表していたジョージ・ベストは、たぶんそれから24時間くらいして、他界した」

ジョージ・ベストは、一般的には「マンチェスター・ユナイテッドの往年の名選手のひとり」かもしれないが、北アイルランド、ベルファストにとっては「郷土の偉人(スーパーヒーロー)」である。本人も「俺のようになっちゃだめだ」と語り残していったが、酒に飲まれて身を滅ぼしたたわけ者とはいえ、ベルファストで生まれ育って学校に通い、少年サッカーをして、イングランドのクラブにスカウトされ、やがては大成し、北アイルランド代表チームでもプレイした「この街出身のスーパースター」である。

彼が生まれ育ったのは東ベルファストの労働者階級の住宅街。両親は、イアン・ペイズリーの創設したフリー・プレスビテリアン教会の信徒で、お父さんのディッキー・ベストはオレンジ・オーダーのメンバー。少年時代にジョージ・ベストもオレンジ・オーダーのパレードに参加していた。「オレンジ」の伝統は彼の一部だった(が、のちの放埓なライフスタイルから判断するに、信仰はそれほどでもなかったのかもしれない)。

けれど、彼は「プロテスタントだけ」のヒーローではなかった。ジョージ・ベストが他界してすぐ、2005年11月27日のオブザーヴァー(ガーディアンの日曜)に、アーマー出身でベストより少し年下のショーン・オヘイガン(オハガン)が次のように書いている。

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ジョン・ヒュームの体調のことが、ご家族の口から語られた。

北アイルランド紛争は、2度にわたってノーベル平和賞受賞者を出した。1度目は1970年代の平和(暴力停止)を求める運動、「ピース・ピープル」を始めた市民2人。2度目が1998年のベルファスト合意(グッドフライデー合意)を実現させた政治家2人。どちらも、北アイルランドの2つのコミュニティ(「プロテスタント」と「カトリック」、「オレンジ」と「緑」)から1人ずつだ。

その「北アイルランドの4人のノーベル平和賞受賞者」の1人が、ジョン・ヒュームである。
https://en.wikipedia.org/wiki/John_Hume

http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/northern-ireland/portraits-of-literary-greats-seamus-heaney-and-cs-lewis-unveiled-at-stormont-34230429.html1937年1月、デリーに生まれたヒュームは、1960年代の「公民権運動」の中心的な活動家で、1971年に当時の北アイルランド自治政府がナショナリストの若者を主な対象とした「インターンメント」(無期限勾留、強制収容)を開始すると、それに抗議するハンガーストライキに加わった。現在も「資料写真」としてよくメディアに登場する当時の写真で、デリーの公民権運動のデモで放水車の水を浴びて兵士に連行されるヒュームの姿を記録したものがある(キャプチャ via kwout)。

1972年1月30日の、のちに「血の日曜日(ブラディ・サンデー)」事件と呼ばれるようになった英軍による非武装のデモ隊への発砲事件が起きた公民権運動のデモには、ヒューム自身は参加を見合わせていたが、2002年1月、事件の真相究明を行なうインクワイアリで当時のことを証言し、事件の1週間前に英軍が非常に暴力的な態度でデモ隊に対峙していたと語っている。1979年以降、英国政府の対決的な姿勢とシン・フェ……IRAのますます過激化する手法で北アイルランド紛争が「解決し得ない」と言われていた時代を、ジョン・ヒュームは当時のナショナリスト最大政党、SDLPの党首として体験した。

非常に暴力的な状況の真っ只中に身を置きながら、IRAのわかりやすい「フィジカル・フォース(物理的な力、武力)至上主義」とはまるで逆の「非暴力主義」を貫いたヒュームは(それは簡単なことではなかったし、きれいごとでもなかっただろう)、1990年代、the Hume-Adams process と呼ばれる「シン・フェイン(IRA)との対話のプロセス」を、多くの反対の声にも関わらず推進した。これは最終的に、1994年のIRAの停戦という大きな成果に結実する。Sunday Bloody Sundayで "But I won't heed the battle call" と歌ったU2のボノは、1998年5月、グッドフライデー合意についてのレファレンダムを前に「合意賛成」を訴えるベルファストでのAshとの合同コンサートで、SDLP党首として和平への道のりを先導したヒュームと、和平に賛成するという大きな決断をしたユニオニスト政党UUPのデイヴィッド・トリンブル党首をステージに上げて称賛した

以後、「和平プロセス」においてシン・フェインのあんな人やこんな人が「和平/平和の人 man of peace」と持ち上げられるようになるのだが、真の意味での「man of peace」はジョン・ヒュームである。彼はその功績で、2010年に「最も偉大なアイルランド人」に選ばれている

ヒュームは2004年に政治から引退してからは公の場に現れることも減っている。2013年にデリーがCity of Cultureとして大掛かりなイベントを連続して行なったときも、客席に姿を見せたことはあっても、スピーチなどはしていなかったと思う。2014年8月に、ともに「和平」への困難な道を切り開いたアイルランド共和国のアルバート・レノルズ元首相の国葬に参列したときも、ほかの参列者(マーティン・マクギネス、ジョン・メイジャーなど)と言葉を交わすなどしている場面は、ネット中継されていた映像では見ることができなかった。というか、ずいぶん体調が悪そうに見えた。より正確に言うなら、「かつての彼の影」に見えた。

誰が見ても、それは明らかだっただろう。

この11月22日、下記のような記事がBBCに出ている。

John Hume: Former SDLP leader has 'severe difficulties' in dementia struggle, wife says
http://www.bbc.com/news/uk-northern-ireland-politics-34894724


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2015年11月23日

ピーター・ロビンソン、DUP党首として最後のスピーチ

11月21日(土)、ベルファストのラ・モン・ホテルでDUPの党大会が行なわれ、今年の「ストーモントの危機」を乗り越える合意をとりつけた直後に新年をめどに引退する意向を表明したピーター・ロビンソンが、DUP党首として最後のスピーチを行なった。

グッドフライデー合意に反対していたDUPが、北アイルランド自治政府でシン・フェインとともにここまで来たということは、いろいろなことが今ほど生々しく感じられなくなった時点で(「枯れた」時点で)、改めて振り返る必要があると思うが、そのときにピーター・ロビンソンという政治家がどのように描かれるかはまだわからない。

党首としての最後のスピーチのライヴ・ツイート、写真などを、下記に書き加えてある(4ページ以降)。

【北アイルランド】ピーター・ロビンソンが政界引退を表明した。
http://matome.naver.jp/odai/2144799904623571601?page=4


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2015年11月20日

ピーター・ロビンソンが新年をめどに政界を引退する。

表題の件。

【北アイルランド】ピーター・ロビンソンが政界引退を表明した。
http://matome.naver.jp/odai/2144799904623571601


ピーターの引退後、DUPは「党首」と「北アイルランド自治政府トップ」を別々の人に任せるようになるかもしれない。それをピーターは「シン・フェインが党首はアダムズ、NI自治政府はマクギネスと分担しているように」と述べているが、シン・フェインは「全アイルランドの政党」としては党のトップが北アイルランド行政のトップであっては困るという事情があるわけで、いろいろと、いいのだろうか、と思う。

ともあれ、ニューズクリップは:
http://b.hatena.ne.jp/nofrills/20151120【続きを読む】
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テロリズムと暴力の中で少年時代を送ったベルファストのバンドが、パリでのライヴをキャンセルしなかった理由。「普通」にしていることの価値。

……というわけで、U2が、「パリの混乱から、ベルファストの平和へと」やってきて、18日と19日に、かつて「紛争地」だったこの地でがっつりメッセージぶちかまして、心の白旗をぶん回していったことを1つ前のエントリに書いた。アリーナに来ていた人たちの多くがにやにやさせられただろう。決してパリをバカにするのではなく、ついにこのベルファストが「平和」の地になったか、という笑いを誘う一言だ。

1970年代、80年代と、西欧でも各都市で「テロ」は起きていた。ETAのような民族主義の組織も、極左組織も極右組織も活発だった。しかし、「普通の」都市であることを、「テロ、暴力、紛争」によって阻まれた都市は、西欧では(←重要。ここを無視して読んで、文句つけてきたりしないでください)北アイルランドの都市だけだっただろう。「紛争のとき、ベルファストにはバンドが来なかった」(SLFのジェイク・バーンズ)のだ。その時代を記録した貴重な資料としては、ドキュメンタリー映画、Shellshock Rockがある。

B00LETDYKEシェルショック・ロック [DVD]
キングレコード 2014-09-10

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この辺のことをあんまり詳しく書いてるとまた終わらなくなるので先を急ごう。

1977年10月、The Clashのベルファスト(アルスター・ホール)でのライヴが中止になったときのことが、2014年に社会学の研究テーマとしてシンポジウムで取り上げられた際のBBC記事に、次のような一節がある。
http://www.bbc.com/news/uk-northern-ireland-27864602
Street violence and bombings as the Troubles raged in Northern Ireland meant bands mostly shunned Belfast.

While punk was often cited by bands as a reaction to overwhelming boredom, in Belfast young people were starved of anything approaching normality.


ベルファストは、バンドがライヴをしに来てくれるような「普通の街」ではなかった。Stiff Little Fingers (SLF) は、そのことが人々にもたらす影響を、まさに自分の物語として知っている。彼らはその「異常性」の中を生きてきた。

週末から週明けにかけて、U2やFoo FightersやMotorhead(ウムラウト省略)といったバンドがパリでの公演を中止し、ジャイルズ・ピーターソンのクラブでのレジデンシーも取りやめとなったが、SLFは予定通りに火曜日のパリでのライヴを行なった。

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「私たちは憎悪することを拒否します」……同時多発テロのあおりでパリでの日程がつぶれたU2が、ベルファストで「平和」「犠牲者」の物語を共有する。

「U2が18年ぶりにベルファストでコンサートするってよ」というニュースが流れたのは夏だった(正確なタイミングの確認は省略)。続いて「チケットが発売されて即時完売」というニュースがあったが、私は「そりゃそうだろうな」と思ったくらいで、特に気に留めなかった。観客が撮影したビデオが公開の場にあれば、少なくとも「あの曲」のは見るだろうと思ったし、ベルファストだから「この曲」はやるのかなあ、どうなのかなあと思いはしたが、そもそもここ20年近くのU2のアルバムは、まともに聞いたことがない(自分で買ってない)。

ただ、ベルファストが「U2のようなビッグなバンドがコンサートを行なうといえば、チケットが即時完売するような、普通の都市」になっているというニュースは、私がネット上で見ている殺伐としきった流血と暴力の世界の中では喜ばしい、歓迎すべきニュースのひとつではあった。というか、「ベルファストは普通の都市になりました」がニュースになる時代でももうないのだが、最近は日本を含めほかが殺伐としすぎていて、北アイルランドのニュースで日常感覚を取り戻すということになっている。

……という次第だが、今の私がさほど関心を持っていないビッグなバンドが、「普通の都市」になったベルファストでコンサートを行なう、というあんまり目立たないニュースのことは、私はすっかり忘れていた。

昔、試験勉強をしながらつけていたFMラジオで、U2の「あの曲」がかかっていなかったら、北アイルランドについて知ることもなかったかもしれないというのに。

しかし、その「今の私がさほど関心を持っていないビッグなバンド」は、11月半ば、思わぬ形で私が関心を持って見ているニュースに出てきた。

11月14日、U2はパリでコンサートをすることになっていた(4日間連続の日程で2日を終えたところだったそうだ)。この日はTwitterでQ&Aのイベントが予定され、ステージの模様はHBOが全米に生中継することにもなっていたという。

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2015年10月31日

ハロウィンの北アイルランド

https://twitter.com/nofrills/listsUKでのトレンドの1位が「ハッピー・ハロウィン」になって数時間になる(キャプチャ via kwout)が、Twitterのトレンドは、地域に関してはイマイチ甘いので(英国からのツイートがほとんどないような米国内のスポーツの話題などについても、なぜかUKでトレンドしていることがある。あと、UKのトレンドにはなぜかナイジェリアのトピックが混入していることが頻繁にある。ニュース的なことならわからなくもないのだが、ナイジェリアの芸能人がどうしたとかこうしたといったことがUKで大きな話題になるはずもない。プロクシか何かかな、とは思うが)、正確に「英国での」トレンドなのかどうかはちょっとわからない。

いずれにせよ、今年は土曜日に重なっているので、みなさんゆるゆるまったりしながら、「日没が早くなったなあ」などと語り合っているのではないかと思う。

さて、日本でも定着してきたこのハロウィンという行事について、アイルランド共和国大使館のプレスリリースが出ていた。日本語の対訳あり(ページの上半分が英語、下半分が日本語の対訳)。

Ambassador of Ireland delighted to see Ireland-origin festival, Halloween a huge hit in Japan!
https://www.dfa.ie/irish-embassy/japan/news-and-events/2015/embassy-of-ireland-press-release/


日本語の対訳から、ハロウィンのいわれについての部分を抜粋すると:
数千年前、ケルト人は収穫期の終わりを祝っていました。この時期は死者の魂がよみがえり、地方をさまよって生家に戻ると信じられていました。死者の魂は幽霊や妖精、ゴブリン、悪魔の姿をしており、彼らが家に戻ってきた時に機嫌を損ねないよう、人々は食べ物や飲み物を出しておきました。また、自らも悪魔の仮装をして、彼らに気づかれないようにしていました。

このケルト人の慣習であるハロウィーンは現在もアイルランドで祝われており、アイルランド語で『サワン(Samhain)』の名で知られています。キリスト教が伝えられた際、その教えは幽霊や妖精、悪魔に対する信仰を否定しようとしましたが、完全には成功しませんでした。そして、19世紀半ばに多くのアイルランド人が海外へ移民した時に、ハロウィーンがアメリカに伝えられたのです。


現地で午後2時(日本との時差9時間)を過ぎ、「北アイルランドのリスト」でもそろそろハロウィン関係の実況のツイートが増えてきた。

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2015年10月26日

だじゃれをいうのはだれじゃ(豆系)

peace = peas (音的に)

というわけで……

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2015年10月22日

存在していて存在していないIRAは、IRA以外の武装組織同様やはり今も存在しているんだけど、IRAの存在は許せんと自治政府から抜けたDUPは戻ってくる。

もうね、意味をわかろうとしないほうがいいです。起きていることをただ淡々と受け止めるだけ。高校のときに「現代文の受験テクニック」って習った人が多いと思うんですが(そしてこのテクニックはとても大事なものなんですが)、あの感覚ですね。自分では意見を抱くことなく、ただ「読み取る」ことに集中する。

ただ、ロジックがないと「読み取る」ことも実は人間にはできないんだけど、そこを諦めることができるかどうか。(きっとこの件の理路がわかるのは、何年か経過して状況が変わったあとなんですよ。)

現地時間で10月20日午後の早い時間帯(日本時間で同日夜)、北アイルランドの武装組織に関する活動状況報告(警察とMI5、3人のメンバーからなるパネルによるアセスメント)をまとめた文書が、英国下院でテレサ・ヴィラーズ大臣によって発表されました。その結論は、「IRAもUDAもUVFもINLAも、みんな相変わらず存在している」、「IRAのアーミー・カウンシルも存在している」。大臣(つまり政権)の考えとしては「紛争の最終局面からもう20年になるのに、なぜまだ残っているのか」、「解散すべきである」。

で、それは誰にとっても「知ってた」っていうことなんだけど、そもそもそんなわかりきったことをわざわざ英国の国会の議事録に残るような形で公式にまとめて資料にしたかというと、「IRAの存在」をめぐって北アイルランドの政治(自治政府)が紛糾しているから。具体的には、UUPが(1人しかいない)自治政府の閣僚を引き上げ、DUPも奇策を講じつつ閣僚を引き上げてDUP党首はファースト・ミニスターの座を一時退いているから。

そして、普通に考えたら、「IRAが存在しているという疑惑があり、そのために自治政府が混乱しているのですが、調べてみたら、やはりIRAは存在はしていないと結論されます」という話になって、DUPが自治政府に戻るというのがまともなことで、「IRAが存在しているという疑惑があり、そのために自治政府が混乱しているのですが、調べてみたら、やはりIRAは存在していると結論されます」という話になって、DUPが自治政府に戻るというのだから意味不明で、もう「意味」を追究するのはやめたまえ、むわはははは。

というわけで、ヴィラーズ大臣の議会での報告(オーラル・ステートメント)とその後の質疑の間のNIのリストのログ。ステートメントそのものはNIOのサイトで読めます

Northern Ireland: the police and intelligence's assessment on paramilitary orgs
http://chirpstory.com/li/289574


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2015年10月09日

アイルランド(全島)がフットボール・フィーバー

欧州のサッカーは、現在、Euro 2016(2016年欧州選手権、フランスで開催される)の予選の終盤だ。ラグビーのワールドカップも開催中で、スポーツニュースがやけに熱いのだが、今日はアイルランドが大騒ぎだ。それも全島規模で。

いや、ラグビーのことなら全島規模で大騒ぎになるのは既に普通だが(ラグビーはアイルランド全島でひとつの代表)、サッカーで北アイルランドもアイルランド共和国もどっちも大騒ぎ、お祭り騒ぎである。

北アイルランドがギリシャを3-1で下して本大会出場を決めた。

アイルランド共和国は世界チャンピオンのドイツを1-0で下して、出場権獲得に望みをつないだ。

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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