「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2016年04月17日

来期からSPLで復活するオールド・ファームのライバル関係について、今から半笑いしておく。

4年前の2012年、スコットランドのサッカー、プレミアリーグの強豪のひとつ、レンジャーズFC(Rangers FC: RFC)が、4部リーグにまで格下げされた。理由は、サッカーそのものとは関係のない、経営上の問題だった。ウィキペディア日本語版より:
2012年2月14日、会社更生法の適用申請を行い、クラブの経営権が管財人の手に渡った。この時点では大口債権者に対して4900万ポンド(約58億8000万円)の負債を抱えており、裁判の結果次第では7500万ポンドまで膨らむ可能性があった。この破産により、リーグ規定で勝ち点10を剥奪されたほか、新戦力の獲得や登録に制限を課される可能性が生じた。同年7月、リーグ所属クラブによる投票によって4部に相当するスコティッシュ・フットボールリーグ3部への所属が決定した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%82%BAFC


RFCといえば、ウィキペディア日本語版にも書いてあるし、当ブログでも以前に書いたが(←リンク先だけでなく何度か書いてる)、同じグラスゴーに拠点を置くセルティックFC(Celtic FC)との「ライバル関係」だ。「オールド・ファーム Old Firm」と呼ばれるこの両者の関係については、日本語でも多く書かれているし下記の翻訳書にも詳しいので、関心がある方はぜひ読んでいただきたい。一言でまとめると、両者の「ライバル関係」はただの「サッカー上のこと」ではなく、「宗派(教派)対立」であるということ。そして北アイルランドのセクタリアンな紛争と呼応しているということ。それが「北アイルランド紛争」が終わって20年にもなろうかという今も、以前と同様であるということ。

4560080240英国のダービーマッチ
ダグラス ビーティ Douglas Beattie
白水社 2009-09

by G-Tools


で、レンジャーズFCの降格が決まったときにセルティックFCのサポは「ざまあwwwwwwwwwww」みたいなパフォーマンスをものすごい勢いでやったのであるが、それを見ながらレンジャーズFCのサポの側では「覚えておきやがれ」とニラニラしていたのは当然のこと。そして2012年の降格から4年後、2016年の現在、既に2部リーグにまで上がってきていたRFCは、来期(2016-2017)は1部リーグ(スコットランドのプレミアリーグ)に戻ってくる。そのニュースについて、私は次のようにツイートした。

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2016年04月02日

50年以上も生きてるシャチと、北アイルランド紛争期のデリーの子供たちの話を、4月1日に聞いた(でもエイプリル・フールではない)。

2016年4月1日、これは「あれ」じゃないというお話を追っていたら、北アイルランド紛争真っ只中のデリーに迷い込んで、当時小学生だった人たちの思い出話などを読んでいた件。
順を追って話そう。

英国のメディアの「エイプリル・フール」の嘘記事の基本形は、「とにかくもっともらしい」というものである。多かれ少なかれ衝撃的な見出し(それは記事で伝えられる話題の内容である場合も、「本紙独占」という派手な文言である場合もある)に、もっともらしい記述が続き、やがて読んでる人が「あれ……?」と思うように話が流れ、にやにやし始めたところで「嘘記事」であることが明らかになるような文言があり、最後に「今日の日付」について改めて強調する、といった形だ。

映像ニュースの場合も同様で、現場の記者が真顔でもっともらしくレポートし、関係者のインタビューで関係者がもっともらしく答えていたりする。あるいは関係者が真顔でもっともらしく語っている映像に乗せて「新奇な発明」などが紹介される。日本でも毎年Googleが作っている「ニセものの新機軸」の映像などが同様の形式だが(今年のは「もっともらしさ」が新次元に到達していた)、原型はBBCの「今年もイタリアでは、スパゲッティの収穫が最盛期を迎えています」(1957年)で、細部は時代に合わせたかたちになっているものの、この基本形に乗っ取った「大真面目なレポート(のように見える何か)」で4月1日をお祝いするという風習は、現在も続いている。これこそまさにフォークロア、伝統芸能と言えよう。

そんな日に、これを見たのだ。「スコットランド沖で、1970年代のキラー・ホエールを発見」。

kwsctlnd.png


「キラー・ホエール」は日本語にすれば「シャチ」で、何ということもない動物の名称(俗称)なのだが、独特の語感がある(いかにも「小学生が大喜び」しそうな感じ)。しかもそのシャチにつけられている名前が、Dopey Dick。ひどい名前だ。 「キラー・ホエール(人殺しクジラ)」→メルヴィルのMoby Dick……という連想だろうか。

このシャチが話題になったのは1970年代というから約40年前の話だ。当時夢中になった子供が40代後半から50代のいい大人になっているくらい昔の話。
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2016年03月29日

アイルランド、「これまでの100年」から、「これからの100年」へ。

というわけで28日のイースター・マンデーも、アイルランドからは「イースター蜂起100周年」の話題がたっぷり流れてきていた。100年前に実際に蜂起が決行されたのはイースター・マンデーのことで、ダブリンでは "Reflecting The Rising" と銘打ったRTE(公共放送)主催のイベントが市内各所で行なわれていて、#ReflectingTheRisingのハッシュタグでその様子が報告されていた。

内容は、RTEのサイトを参照すると:
http://www.ireland.ie/events/rte-1916-reflecting-rising
RTÉ 1916: Reflecting the Rising is a large-scale multi-location public event that will take place in Dublin on Easter Monday 2016 from 11am to 6pm, with hundreds of talks, walking tours, music, dance, street art, street theatre, and moments of reflection and celebration.

RTÉ 1916: Reflecting the Rising aims to provide Irish people of all ages with a one day canvas on which to explore the Rising and our relationship with it, both historically and contemporaneously. In locations on both sides of the River Liffey and on the river itself, the event is a public invitation to commemorate, to celebrate and to understand this significant moment in our collective history.
Hundreds of free events with a historical element are planned over eight city centre public zones which will be open to all.


……という感じで、講演・ディスカッションあり、音楽あり、演劇あり、ゆかりの場所をめぐるウォーキング・ツアーあり、展示ありと盛りだくさんで、ディスカッションなど屋内のイベントは入場は無料だが整理券が必要という形で、ずいぶん前に整理券がはけてしまっているものがたくさんあったようだ。



蜂起が行なわれた現場では俳優さんたちが蜂起を再現するイベントもあった。

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2016年03月27日

イースター蜂起100周年の記念式典と北アイルランド

先ほどまで、オンラインで全世界に公開されていたRTE(アイルランド共和国の公共放送)の生中継で、ダブリンでのイースター蜂起記念式典を見ていた。式典は毎年行なわれ、毎年RTEがリージョンによる制限をつけずにネットで中継しているが、100周年の今年は式典も拡大版、RTEの番組も拡大版だった。

式典は、コアの部分(大統領による献花、軍人による1916年の共和国樹立宣言の読み上げ、最後の空軍によるフライパストといった部分)は例年とあまり変わらなかったが、その後のパレードが拡大版で、軍だけではなく警察も、刑務所当局も、沿岸警備隊も、消防隊も、果ては救急隊までパレードに参加していた。救急車がパレードしてるのなんて、初めて見た。つまりは、アイルランドという国家が、「国のため」に保持している機動力が全部集合していたのだが、ここは中立国のアイルランドゆえ、ミサイルなどではなく、消防車や救急車や沿岸警備隊の救命艇がパレードしていたという次第だ(軍の装甲車は出ていた。アイルランド軍は世界各地の国連のPKO、特に地雷除去に参加しているので、国連の水色のベレー帽をかぶった退役軍人もパレードしていた)。

この100周年という大きな節目のイベントについての現地のツイートは、いつも見ている「北アイルランド」のリストをベースにしてアーカイヴしている。(現在、関係ないものを取り除く編集作業中だが、しばらくかかる。)
http://chirpstory.com/li/309321

ダブリンでは「国家」をあげての行事となったが、それと北アイルランドとのかかわりは、例によって、一筋縄ではいかない。ダブリンの式典を中継するRTEの画面にはマーティン・マクギネスの姿があったが(あと、SDLPの代表団も参列していたことはツイートされている)、シン・フェイン(の名称を現在に受け継いでいる政党)のトップ、ジェリー・アダムズは、例年のごとく、ベルファストのミルタウン墓地――「北アイルランド紛争」で死んだIRAのメンバーたちが埋葬されている墓地――でスピーチを行なった。「リパブリカン史観」全開の内容だ。


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2016年03月25日

イースター蜂起から100年。

何年か前までは、「2016年のイースターの時期は、私の視界はイースター蜂起100周年であふれるのだろう」と思っていた。しかし現状、イースター蜂起100周年関連は、多くが「あとで読む」の状態である。このエントリも「あとで書く」の状態で見切り発車でアップしている(→その後、最後まで書きました)。

というわけで今日は「グッド・フライデー」、イースターの週末の始まりである。次の日曜日が「イースター・サンデー」で、それからの1週間が「イースター・ウィーク」だ。
https://en.wikipedia.org/wiki/Easter_Week

「イースター」というと「欧米の春の行事」というイメージが強いのか、「イースター蜂起」という概念が通じないことがよくある。「プラハの春」について「古都の春は美しいのでしょうねえ」などとすっとぼけた反応があるのと同じような感じだ。「イースター蜂起」は、うららかな日差しの中、子供がうさちゃんの着ぐるみで卵型のチョコを食べているといったイメージとはまったく関係がない。

1916年、英国の支配下で約束された自治(ホーム・ルール)が第一次世界大戦を理由・口実に停止されたまま宙ぶらりんにされていたアイルランドで、イースター・ウィークに、(数としては少数の)武装主義者がダブリンで対英武装蜂起を決行した(決行直前に中止命令が出されたため、ダブリン以外の諸都市では大規模な蜂起にはならなかった)。目的はアイルランドの英国からの独立。今もディシデント・リパブリカンが掲げている「英国人はアイルランドから出て行け」という標語はこのころのものだ。

月曜日に始まった蜂起は、土曜日に武装勢力の降伏という形で終結。ダブリンは多くの街路が破壊され、反乱軍の側は82人の戦死者と1600人を超える負傷者を出し、英軍は157人の戦死者と300人以上の負傷者を出した。戦闘の巻き添えとなって落命した非戦闘員(一般市民)の死者は200人を上回り、負傷者は600人を数えた。ウィキペディアの日本語版がかなり充実しているので(百科事典にしてはちょっと詳しすぎるくらいだ)、興味のある方はご一読いただきたい。(なお、本段落の数字の出典はウィキペディアの日本語版である。)

蜂起の指導者たちは5月上旬に死刑を宣告され、銃殺された。それにより、「恐ろしい美が生まれ出た」――詩人のウィリアム・バトラー・イエイツはこの蜂起をうたった詩、Easter 1916で、そのように言語化した。"A terrible beauty is born".



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2016年03月18日

セント・パトリックス・デー補遺。WHに入れなかったアダムズと、デリーのプロテスタントの件

アイルランド成分濃度が高すぎて、次から次へといろんなものが出てくるから、エントリが書き終わらない。17日は水とお茶とコーヒーしか飲んでいないのに、目にする成分のため頭がぐるぐるしていて、追記するとわけわかんなくなるので、別記事を立てることにした。

迎え成分補給しながら(テンポ速い):



まず、ホワイトハウスのいつものイベントに招待されていったら、入り口でセキュリティに止められて90分も待たされているうちにイベントがほとんど終わってしまい、そのまま立ち去ったジェリー・アダムズについて。

アダムズは、事後出したステートメントで、"Sinn Fein will not sit at the back of the bus for anyone." と黒人公民権運動のローザ・パークスを引き合いに出して、あてこすっているのだが(アイルランド政治系クラスタとしてはここは真顔)、
1. これがアメリカをざわつかせ……
2. その後のイベントでのスピーチで、アダムズが「シン・フェインだけ他の政治家と扱いが違う」として、パークスを再度引き合いに出し……
3. さらに「私はローザ・パークスさんとはお会いしたことがありますが、何か」と証拠を提示したら……
4. 即座にツッコミが入る
……という、変則的な4コマまんがみたいなことになっている。

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ワシントンDCなどでの「セント・パトリックス・デー外交」と、招待されてたのにセキュリティに止められたジェリー・アダムズ

1つ前のエントリで、北アイルランドでも緑色一色に染まっていることについて少し書いたが、その北アイルランドの自治政府2トップ(正副ファースト・ミニスター)は毎年恒例の「アメリカ詣で」に行っている。「セント・パトリックス・デー外交」である。

「セント・パトリックス・デー外交」は、アイルランドの政治トップ(首相)がワシントンDCのホワイトハウスを訪問し、米大統領にシャムロックの鉢を手渡すという儀式(?)を核にしており、発端は1952年、米トルーマン政権時の駐米アイルランド大使の思いつきだったそうだ。詳細は2015年にホワイトハウスがまとめた記事と、アイルランド大使館が制作したビデオ(下記)に詳しい。
https://blogs.state.gov/stories/2015/03/17/united-states-and-ireland-celebrating-st-patricks-day-and-90-years-diplomacy



去年は北アイルランドの正副ファースト・ミニスターは、ストーモントの議会での福祉法案をめぐるすったもんだのために、ホワイトハウス訪問を取りやめていた。(そしてその福祉法案をめぐるシン・フェインのUターンが、昨年のストーモントでのドタバタの第一章にすぎなかったことは、そのときは知る由もなかった……)今年は正副ファースト・ミニスターとジョー・バイデン副大統領が会談中にオバマ大統領が顔を出し、「北アイルランド和平プロセス、がんぱってくださいねー」というやり取りをしたと報じられている(ちょっとよく意味がわからないんだけど、任期を終えようとしているオバマ大統領のこのレセプションは今回が最後。就任当初は母方の「アイルランドとのつながり」を強調し、「北アイルランド和平はすばらしい」という発言も多かったオバマさんだが……ということかな)。

オバマ大統領との面会について、写真がね、マーティン・マクギネスからは出てるんだけど、アーリーン・フォスターからは出てないんだよね。

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2016年03月17日

アイルランドに「春」を告げる、セント・パトリックス・デーの光景

今年はイースターが早く、セント・パトリックス・デーと1週間ほどしか離れていない上に、1916年のイースター蜂起から100周年というのも重なっていて、むしょうにあわただしいのだが、本日3月17日はセント・パトリックス・デーである。

セント・パトリック(聖パトリック)はアイルランドにキリスト教をもたらした聖人で、3月17日は命日(宗教的な用語を使うと「帰天した日」ということになるだろうか)。これが「アイリッシュのアイデンティティ」の日として祝われるようになったのは、アイルランド島の外に脱出した(せざるをえなかった)ディアスポラの間でのことだった。発祥の地は北米で、アイルランド島そのものが大騒ぎするようになったのは、ここ20年ほどのことである(「アイリッシュのアイデンティティ」というものは、アイルランド自身、特に都市部にとっては、わりと微妙なものだった。「ダブリンのプロテスタント」の手記など、探せば読めると思う)。私自身、「セント・パトリックス・デーにお祭り騒ぎして、何でもかんでも緑にしてしまう」文化・習慣は、「アメリカのもの」という印象が強い。かつて、こういうお祭り騒ぎをしているという情報が私にも得られたのは、ニューヨークやボストンやシカゴのような米国の諸都市だったからだ。現在は、「照明で、世界各地の名所やランドマークを緑色に染める」という「グローバル・グリーニング」なるキャンペーンをアイルランド共和国政府の観光当局が率先して行なっている。これは毎年、拡大の一途だ。
https://en.wikipedia.org/wiki/Saint_Patrick%27s_Day

セント・パトリックス・デーは、現在はアイルランドでは南北の区別なく共通して、パレードが行なわれたりする祝日(休日)になっているが、北アイルランド紛争のころまでは、北アイルランドの「ブリティッシュ」のアイデンティティの人たちは、行政機構も含め、無視していたという。今はベルファストでもセント・パトリックス・デーのパレードが行なわれる。(→【更新】今年のパレードについてのBBC News記事

北アイルランドの「ブリティッシュ」を自認するユニオニスト/ロイヤリストのコミュニティで「われわれの文化が脅かされている」という(先鋭化した)言説が根強くあるのは、北アイルランド紛争という局面が終わってから「アイリッシュネス」に対する北アイルランドでの態度が柔軟になってきたことによる「包囲の心理」のあらわれのひとつで、その象徴が「旗を掲げる」という行為である。2016年1月に発起人が「終結」を宣言した「フラッグ・プロテスト」(旗デモ)は、そのような文脈にある。「アイリッシュ(緑)か、ブリティッシュ(オレンジ)か」という二者択一の二元論を刷り込まれているコミュニティにとって、「アイリッシュも、ブリティッシュも」というのは、そうやすやすとは受け入れられないようだ(と、「緑色一色に染まった光景」を、「クリスマスも初詣も」の葬式仏教徒はただ眺めている)。

でも、現在もなおそのようなかたくなさを見せている人たちがいるとしたら本当に一部の「強硬派」だけだろう。今は、ユニオニストの政治家たちもごくナチュラルに、セント・パトリックの日のお祝いをしている。よくイベントが行なわれるストーモントの議事堂の正面ホール(大階段)も16日、緑色に染まり、セント・パトリックス・デーのイベントの始まりを告げた。





下記の「緑色の照明を浴びたジャイアンツ・コーズウェイ」の写真(ジャイアンツ・コーズウェイの観光客向けアカウントのツイート)は、DUPのイアン・ペイズリー(ジュニア)がRTしていたので、NIのリストに流れてきていたものだ。「われわれはブリティッシュなので、アイリッシュネスを受け入れない」という態度は、ウケを狙う政治家がそのようなポーズを取るという表面的なことでさえ、もう歴史のかなたに行っている。

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2016年03月14日

北アイルランド、「歴史」の奥に潜んでいたパーソナルな物語と、今ここにあるホモフォビア(ジェイムズ・モリノー)

北アイルランドの政治家に、ジェイムズ(ジム)・モリノーという人がいる。「北アイルランドの成立」(アイルランドの南北分断)以来ずっと政治の中心であり続けたUUP (the Ulster Unionist Party) で、1979年から95年まで党首をつとめた。当時は北アイルランドは自治が停止され英国の直轄統治だったが、もしそのころに自治政府が機能していたら「北アイルランド自治政府のファースト・ミニスター」になっていたと思われる立場の人である。つまり、決して無視できるような政治家ではない。
https://en.wikipedia.org/wiki/James_Molyneaux,_Baron_Molyneaux_of_Killead

モリノーは1997年の政界引退後に一代貴族に叙せられたため「バロン・モリノー」になっているが、家柄が貴族だったというわけではない。1920年生まれの彼は、第二次世界大戦中は英空軍の軍人で、ナチスドイツのベルゲン=ベルゼン収容所の解放の目撃者である(そのことについて、インタビューで語ったりしている)。政治的にはガチ保守で、保守党の例の「月曜会 the Monday Club」の重要なメンバーだった(UUPは保守党とがっつりくっついている)。

90年代後半に、主にIRA視点から北アイルランドに強い関心を向けるようになった自分は、モリノーについては「今北産業」状態だった。そして「3行」で語られるモリノーは、「保守強硬派、反アイルランド・ナショナリズム、反ダブリン」だった。アングロ・アイリッシュ合意(1985年)に反対する市民の大集会(ベルファストのシティ・ホール前)で、イアン・ペイズリーと肩を並べて「何たる愚行!」と同合意を批判し、「受け入れられない」と言い切った政治家である。つまり、1998年のベルファスト合意(グッド・フライデー合意)以降の「歴史」の流れから見れば、「間違った側 the wrong side」に立っていた政治家である。

そんな感じで、最初から「過去の人」として、ニュースではなく文献に出てきていたモリノーには、特に関心を払ったことはなかった。「北アイルランドの強硬派」なんぞ、正直、イアン・ペイズリーだけでオナカイッパイである。

2015年3月に94歳で死去したときも、特に大きな関心を払った形跡はない。「一応重要人物の訃報として押さえておくかな」程度だった。




そのジム・モリノーが、死後1年が経過したところで、またニュースになっている。それが、「ええっと、この人、オレンジ・オーダーですよね」っていう内容だ。口さがない向きは「ゲイ疑惑」云々という言葉を使いたがるかもしれないが、個人のセクシュアリティ、セクシュアル・オリエンテーション自体はどうでもよい。問題は、聖書を根拠に「同性愛排斥」(「同性愛者は治療対象とすべき」と主張するような)を公然とかかげ、今も北アイルランドでの同性結婚の実現を邪魔している「宗教保守」の勢力の「中の人」であるばかりか「リーダー格」の一人が、ということだ。しかもこの人の人脈は、おそらく歴史の闇の奥深くに封印されることになっている「保守党政権下での人権侵害スキャンダル」の当事者たちにつながっている。そういう意味でこの件は「公益性」のある話題である。個人の(しかも「故人」の)プライバシーそれ自体に関心があるわけではないということは強調しておく。

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2016年03月12日

ベルファスト、刑務所職員爆殺未遂事件と、「ニューIRA」

4日にベルファストの住宅街の道路で、刑務所職員の車の下に仕掛けられていた爆発物が爆発し、その刑務所職員が重傷を負った(ただし命に関わるような怪我ではない)ということがあった。

誰かが何かを言わなくても「アレでアレでアレですな」とわかるような事件だが、実際そうだという犯行声明が数日後に出た。そのことをTwitterに流しただけだったので、改めて書いておくことにする。

犯行声明を出したのは、BBCなど報道機関が「the new IRA」または「the New IRA」もしくは「the "New" IRA」あるいは「the "new" IRA」と表記しているディシデント・リパブリカン(リパブリカン非主流派)の組織である。わかりやすく言えば、かつて「Real IRA」と呼ばれていた組織などが再編した武装組織である。

Belfast bomb: Dissident republicans 'new IRA' claim prison officer attack
By Vincent Kearney
7 March 2016
http://www.bbc.com/news/uk-northern-ireland-35742097

※組織名について、どこを大文字にするとか引用符を使うかどうかといったことはあまり追及してもしょうがなさそうだ。下記の通り、BBCの同じ記事の中でも表記ゆれがあるのだから。そもそもこの組織自身は自分たちのことを「ニューIRA」と呼んではいない(それは「リアルIRA」も同じだったのだが)。



ともあれ、犯行声明の内容は:
In a statement to the BBC, the group said he was one of a number of prison officers on a list of "potential targets".

They claimed he was targeted because he was responsible for training prison officers who work in a wing housing dissident republicans at Maghaberry prison.

http://www.bbc.com/news/uk-northern-ireland-35742097


というわけで、この人を標的にした理由は、ディシデンツが「刑務所闘争」を展開してきた(数ヶ月前に終了が宣言されてると思うが、まだ続いているのかもしれない……そこまでディープにフォローしてるわけではないのでわからない)マガベリー刑務所の職員(官吏、俗語でいうscrew)の訓練・研修の担当者だからということだ。

※書きかけ【続きを読む】
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2016年03月04日

また刑務所職員を標的にしたボム攻撃(ベルファスト)

tb04march2016.png右側のキャプチャ画像(クリックで原寸表示)は、TwitterでのTrendsを追うウェブ・サービスのフィードのもの。この24時間で、夏の音楽フェスのラインナップ発表や、この次の週末のイベントに関するワードがトレンドしているところに、「車両」、「負傷」、「警察」といったワードが入っている。そう、また「ああいうこと」があったのだ。ここしばらく、表向きは、完全に静かだったのに。

というわけで、ふと画面を見たら、East BelfastがUK全体のTrendsに入っていた(キャプチャ画像は後のほうに入れる)。今日は、East Belfast FCというIFA(北アイルランドのサッカー協会)所属のクラブが、敷地内にUVF(オリジナルUVF)のミューラルを描いているのが政治問題化しているということでアイリッシュ・ニュースが記事を出していたため、それのニュース・フィードが一度に出たことで言及数が増えたのかなと思いつつ確認してみたら、「東ベルファストで、車の下に仕掛けられた爆発物が爆発し、負傷者が出ている」というニュースが新たに出ていた。

ボムを仕掛けられたのは52歳の刑務所職員の車で、負傷の詳細は公表されていない段階だが、生命に関わるような怪我ではないとは伝えられている。「紛争」終結後の北アイルランドで、同様の手法で警官が攻撃された事例はいくつかある。例えば2010年1月のPeadar Heffronさん(下肢切断)や、2011年4月のRonan Kerrさん(死亡)。刑務所職員が襲われた事件といえば、2012年11月、David Blackさん(高速道路を車で走行中に銃撃)が殺された事件がある。ここに挙げた事件は、いずれも「解決」はしていないと思う(「逮捕」、「起訴」の話を聞いた記憶がない)。

北アイルランドでは刑務所職員が暴力の標的にされるリスクは依然として「非常に高い」ということが、2015年10月に北アイルランド自治議会で報告されていた。

今日の東ベルファストでの攻撃について、BBC:
East Belfast: Prison officer injured after bomb explodes under van
http://www.bbc.com/news/uk-northern-ireland-35724066


同、BT(ライヴ・ブログ):
Belfast bomb explosion: Prison officer injured by device planted under van - live updates
http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/northern-ireland/belfast-bomb-explosion-prison-officer-injured-by-device-planted-under-van-live-updates-34510925.html


同、UTV:
Prison officer injured in bomb in east Belfast
http://www.u.tv/News/2016/03/04/Prison-officer-injured-in-bomb-in-east-Belfast-55135


なお、現場はここ。市街地からは離れているので(「東ベルファスト」自体、川を渡った向こう岸なのだが、現場はその「東ベルファスト」でもさらに奥というか南に入ったところ)、学会や商用、一般の観光でベルファストを訪問するような人が「やだぁ、怖い、きゃあ」と反応するような場所ではない。地元の人が暮らす住宅街のど真ん中だ。


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2016年03月01日

35年前の3月1日。ロング・メッシュ(メイズ)刑務所でボビー・サンズが食を断った。

毎年のことだが、3月1日である。

"I'll start a hunger strike on the first of March."
"You're going to head to head with the British government who are unshakable."



B00L31IS72HUNGER/ハンガー 静かなる抵抗 [DVD]
ギャガ 2014-10-02

by G-Tools

オンライン配信

1981年のこの日の本人の言葉も、ウェブで読める。

My heart is very sore because I know that I have broken my poor mother’s heart, and my home is struck with unbearable anxiety. But I have considered all the arguments and tried every means to avoid what has become the unavoidable: it has been forced upon me and my comrades by four-and-a-half years of stark inhumanity.

http://www.bobbysandstrust.com/writings/prison-diary


この件については、別館のほうにまとめてある。下記キャプチャ画像はクリッカブルなので、見出しをクリックして各記事に飛んでいただきたい。



I believe and stand by the God-given right of the Irish nation to sovereign independence, and the right of any Irishman or woman to assert this right in armed revolution. That is why I am incarcerated, naked and tortured.

http://www.bobbysandstrust.com/writings/prison-diary


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2016年02月28日

ベルファストのボクサーと、「クロス・コミュニティ」

カール・フランプトンというプロ・ボクサーがいる。ベルファストの人で、試合をするたびに勝っているので、北アイルランドではしゅっちゅうニュースになっている。そのため、ボクシングには特に関心がない私でも名前と顔が一致する。

そのフランプトンが、28日朝(日本時間)、またニュースになっていた。今回は「北アイルランドのニュース」ではなく「英国のニュース」だった。マンチェスターで行なわれた試合でイングランドのボクサーを相手に判定勝ちして、WBAとIBFの統一王者(スーパー・バンタム級)になったという。試合についてのハッシュタグは、UKでも、また総選挙の開票が行なわれているアイルランド共和国でもTwitterのTrendsの上位に入っていた。
https://twitter.com/hashtag/FramptonQuigg?src=tren

ボクシングは階級だけでなく団体もいっぱいあって、私には全然わからないのだが、フランプトンはIBFのチャンピオン、対戦相手のスコット・クイッグはWBAのチャンピオンで、両者が対戦して統一王者を決定するという試合で、試合が行なわれたマンチェスターはクイッグの地元(ベリー Buryの人)。Twitterでさかのぼって見ると、「スロー・バーナーだな」とか「ペンキが乾くのを見ているようなもの」とか、「最後の3ラウンドは動きがあったが、チケット代の分も楽しめないような試合だ」とかいった評価が多いが、「この試合がつまらないなんて言ってる人は、ボクシングのことは何もわかってない」というボクシング系のアカウントもある。いずれにせよ、最終的には判定で、ジャッジ3人のうち2人がフランプトン、1人がクイッグということで、フランプトンが統一王者の座に輝いた。
http://www.bbc.com/sport/live/boxing/35639187

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2016年02月26日

「壁」が崩されるとき……ベルファストの「ピース・ウォール」の撤去が始まった。

ベルファストには「ピース・ウォール peace wall」と呼ばれるものがあるということは、これまで何度か書いた。「プロテスタント」と「カトリック」の分住が完全に定着している地域で、両者が接する場所に築かれている「隔離壁・フェンス」だ。相互に、相手側の武装勢力やチンピラ集団がもの(火炎瓶などを含む)を投げ込んだりするのを阻止することが主目的のひとつである。

この「壁」がある程度長く伸びたものは「ピース・ライン peace line」と呼ばれていて、東ベルファストのニュータウナーズ・ロードの辺りのものについて結構詳しく書いた記事がある。また2012年の調査報告書についてもある程度書いてある

「ピース・ライン」は、今では「紛争(の跡地の)観光」の目玉だが、報道や現地の人々のブログなどを見る限り、「紛争」が過去のものになった今もこれらが撤去されていないのは、「観光資源だから」というより、「住民が即時の撤去を望んでいないから」と思われる。地域/コミュニティを分断する壁なんかないほうがいいに決まっているのだが、今すぐに撤去することには不安がある、というような複雑な心情は、きれいごとではないリアルな現場には、やはりある。

そういう「壁」を除去するということには、たいへんな思い切りが必要だろう。

その「思い切り」の動きが、北ベルファストから伝えられた。場所はクラムリン・ロードのホーリー・クロス教会(カトリック)の向かい、あのアードイン地区だ。
https://twitter.com/BelTel/status/702904323949400064

夜間だから見づらいが、クラムリン・ロードを進む車の中から撮影された「撤去された壁」の映像。



撮影主(アップロード主)は、この映像に寄せられたコメントに返信して、次のように述べている。

... they are planning to take down 21 different peace walls in Belfast in the next year. I have to be honest, I didn't think it would have been taken down in our lifetime.


「私たちが生きている間に撤去されるとは思っていなかった」。

北アイルランドはまたひとつ、「不可能だと思われていたこと」を可能にした。 (^^)

以下、詳細。

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2016年02月12日

アイルランド共和国総選挙前の党首討論に、シン・フェインの党首も出た。そして討論は……

アイルランド共和国はもうすぐ総選挙が行なわれる。2月3日の議会解散から26日の投票まで、わずか3週間だ。

アイルランドはいわば「小党分立」がデフォとなっている。Fianna Fail (FF) とFine Gael (FG) が「2つの大きな政党」だが、どちらも「中道右派」で、どちらも単独過半数を取るような政党ではなく、より小さな(議席数の少ない)政党と連立を組んで政権をつくる。2011年2月末の総選挙では、FFと緑の党の連立政権が敗北し、FGと労働党の連立政権が成立した。今回の選挙のあとも、FGと労働党の政権が続くという見込みのようだ。

って、こんなつまらない話なら、わざわざブログに書かないわけで。

(・_・)

In Thursday night’s debate he said jurors could have their identities concealed from the court. Others said his plan would end with jurors fleeing overseas and living under fake identities.

When Adams suggested that Labour shared Sinn Féin’s desire to close the court, Burton icily shot back: “That’s a direct lie.” When Adams accused her of making “a mess of justice”, Burton retorted: “You made a mess of terror in this country, Gerry.”

http://www.theguardian.com/world/2016/feb/12/irelands-party-leaders-round-on-gerry-adams-in-tv-election-debate


これは、木曜日(11日)にテレビで行なわれた大真面目な党首討論の模様。

コメディではないし、漫才でもない。(・_・)

そりゃ、「南」の党首討論にシン・フェインが出てきたらこうなるよね。

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2016年02月09日

アイルランドがギャングランドで、その「IRA」はあの「IRA」とは違うという件。

2015年、ベルファストの住宅街で5月と8月に相次いで「IRA」のメンバーが撃ち殺され、ユニオニストの政党が「IRAがまだ存続してるなんて、恐ろしい」的なことを(今さら)言い出したことで、ストーモントの自治議会が機能を停止するということがあった。

その「IRA」は、Provisional IRA (PIRA)、つまり「IRA暫定派」である。北アイルランド紛争(1969〜1998)において「IRA」と言う場合は、紛争のごく初期(OIRAとPIRAの分裂前)は別として、「PIRA」のことを指す(「暫定」というのは、OIRAとPIRAの分裂時の呼び方がそのまま残ったもので、《意味》はないも同然である)。1970年代から90年代初めにかけて北アイルランドで英軍や警察を標的に攻撃を展開し、イングランドでハロッズ、ブライトンでの保守党党大会会場のホテル、ロンドンの地下鉄駅などをボムるなどし、1991年2月7日にはダウニング・ストリート10番地(首相官邸)を迫撃砲で攻撃し、1994年8月に停戦し、1996年2月9日にドックランズ爆弾事件でその停戦を破棄した後に、1997年7月に再度停戦して、以降は軍事的手段(「政治的暴力」)を停止して、政治的手段(選挙)で目的を達成する「和平路線」に切り替えたのは、この「IRA」である。そしてこの「IRA」が、ジェリー・アダムズとマーティン・マクギネスが主導する「メインストリームのリパブリカン」である。

2015年5月から8月の事態は、「暴力はやめた」はずの彼らが、(何らかの原因による)内輪もめに際し、銃を使って人を殺しているということだった。何が原因なのかははっきりしないが、「IRA」は軍事組織としてはもはや機能しえないものの、組織の構造は存続しており、武装闘争以外の何らかの活動をしている。それを手っ取り早く言えば「ギャング」ということになるが、あまり気軽に「ギャング」呼ばわりすると、あら、ノックの音だわ、こんな時間にだれかしら……ということにもなるかもしれない。

一方で所かわってアイルランド共和国のダブリン。何しろ、「コカイン使用の実態」に関し、大学の研究チームが行なった調査で、サンプルのすべて(100%)が「クロ」の結果になった(2007年)のがアイルランドである。(この映画の予告編の冒頭、10秒くらいのところにあるような用途で使われる。)そこまでくまなく行き渡っているのは、流通システムがあるからで、その流通システムを運営しているのが「ギャング」である。こちらは何の留保もなく「ギャング」だ。

20年前の1996年6月、ギャングについての調査報道を行なっていたジャーナリスト、ヴェロニカ・ゲリンが、街中を車で移動中に撃ち殺された。彼女の活動と死は2度にわたって映画化されているが、日本語環境でも難なく見られるのは2003年のジョエル・シュマッカー監督、ケイト・ブランシェット主演の『ヴェロニカ・ゲリン』だ。オンラインでも配信されているが(→楽天SHOWTIME)、DVDも出ている。

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キャロル・ドイル
ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント 2006-01-25

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この映画にも実名で出てきたGerry Hutchというギャングがいる。他のアイリッシュ・ギャングの親分たちのように贅沢な暮らしをするのではなく、ダブリンのインナーシティで質素な暮らしをしていることで「僧侶 (The Monk)」と呼ばれている(そのあだ名をつけたのは、ゲリンだという)。かつては銀行強盗として悪名を馳せていたこの人物は……うーん、ウィキペディアを読んでも、ちょっと何を言っているのかよくわからない

ともあれ、そんなギャングの名前が、ニュースに出てくるようなことが、ダブリンで起きている。同時に「コンティニュイティIRA (Continuity IRA)」(「プロヴィジョナルIRA」、つまり「IRA」ではない)の名前も出てきている。

Twitterで見たりRTしたりしていたら情報が断片化してしまったので、まとめておこうと思う。断片化していてよいことはないので。

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2016年02月08日

ロンドンのドックランズ爆弾事件(IRA)から、20年になる。

1996年2月9日は金曜日だった。当時、金融・商業の一大拠点として大規模な再開発が進められていたロンドン東部のドックランズ地区は、既に「閉鎖された港湾施設の跡地」、「寂れたウォーターフロント地域」ではなくなっていた。この一帯の港湾施設が現役だった時代に使われていた貨物鉄道の線路を利用して整備されたDLR(ドックランズ・ライト・レイルウェイ)が1987年に最初に開通したカナリー・ウォーフ(「ワーフ」は日本語で変な読みが定着したもの)地域は、1990年代初頭の英国経済の不況の時期には低迷していたオフィス需要の増加に沸いていた。つまり、IRAにとっては大きな「経済標的」になっていた。

午後5時半ごろ、ベルファストと、アイルランド共和国の首都ダブリンに電話が入った。「停戦(後述)の終了」を宣言し、カナリー・ウォーフに爆弾を設置したことを告知するIRAからの電話だった。すぐにロンドン警察に連絡が行った。カナリー・ウォーフのサウス・キー駅付近からは人々が退避させられた。

午後7時1分、サウス・キー駅付近に停められていたトラックが爆発した。トラックには500キロの肥料爆弾が積まれていた。再開発で新たに建築された「外壁はほぼ全面ガラス」みたいな建物のガラスが粉々に砕け、退避しきれなかった人々の上に降り注いだ。爆風・衝撃波で飛ばされた重いもの(コンクリート片、金属板など)が飛んだ。「ドックランズ爆弾事件」と呼ばれるIRAのボム攻撃だ。
https://en.wikipedia.org/wiki/1996_Docklands_bombing
http://news.bbc.co.uk/onthisday/hi/dates/stories/february/10/newsid_2539000/2539265.stm

爆弾の被害を記録したAPの映像(後半部分は、「IRAの停戦破棄」を受けてシティで実施された検問の様子):


すさまじい被害状況だが、死傷者は数としては少なかった。死者は2人(逃げ遅れた個人商店主と店員)、負傷者は39人だった。ただし、負傷者の中には四肢切断、失明、身体麻痺の人もいる。

IRAは「われわれは爆発前に告知を行い、人的被害が出ないように退避する十分な時間を与えた。死傷者が出たのは残念なことだが、それは、爆発に間に合うように退避させられなかったロンドン警察の責任である」という内容の声明を出している。(IRAを美化する人たちは、「IRAは爆弾予告を行い、人を退避させる」ことだけを強調するが、それがめちゃくちゃな欺瞞であることは言うまでもなかろう。)

第一報を含む発生時のニュース(複数)を1本にまとめた資料ビデオ(爆発の規模などがまだわかっていない状態で、「IRAの停戦破棄」が中心的なトピック):


この17ヶ月前の1994年8月、IRA (Provisional IRA) は停戦を宣言していた。IRA……ええっと、シン・フェインのいわば「正史」としては、この「1994年の停戦」を、1990年代の最も大きな節目と見ている。英国政府にとってもそれは同じだ。つまり、「1994年の停戦で、実現へ向けて軌道に乗った和平プロセス」は、公的に書かれている《物語》だ。(なお、私はそれを当然だと思っているし、一定範囲で歓迎もしている。)

しかし、「歴史(正史)」は「勝者が書く」ものだ。

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2016年01月30日

1月30日。私が自分の中で、弔鐘を鳴らす日。

毎年のことで、1月30日である。毎年何かしら書いているが、今年も、1972年のあの日にデリーで起きていた出来事を、その時刻(日本との時差は9時間あるので、日本では日付が変わったあとになる)にTwitterで流すよう、botを設定してある。(その前に、30日の午後10時台に「解説」的なものをいくつか流すよう設定した。)それらのツイートは、あとでこのエントリに貼り込むことにしよう。

1972年のデリーでのブラディ・サンデー(血の日曜日)のときだけ、こういうことをしていると、この事件だけを「特別扱い」しているのではないかという気もしてくる。少なくとも、Twitterで私のアカウントを見てくださっている方々にはそう見えるだろう。そして、この事件だけを「特別扱い」することは好ましいことではない。しかし、私が個人的に「北アイルランド紛争」に接した初めてのきっかけが、勉強机の脇に置いたラジオから流れてきたあの曲だったということを、私は個人的に、何度でも確認したい。英語なんか聞き取れるわけもなかったけど、それは伝わってきたのだ。



1972年1月30日、デリーで英軍が非武装のデモ隊に発砲し、13人を撃ち殺した(さらに1人が後日、この日の負傷により亡くなった)。ほどなくして、英軍は「連中は武装しており、軍は攻撃を受けたので反撃した」との虚偽を《真実》として発表し、マスメディアはそれを《事実》として単に垂れ流した。撃ち殺された人たちのご家族・ご友人は、彼らが非武装だったことを知っていた。しかし、「英軍は背中を向けている(逃げようとしている)非武装の一般市民(民間人)に発砲し、撃ち殺した」ということが《事実》であると認められるまで、デリーの人たちは、38年半も待たねばならなかった。

2010年6月15日。1998年に開始が決定され、2000年から4年の歳月をかけて、当時のデモ参加者や英軍兵士を中心に膨大な数の人々の証言を聞き取ったサヴィル卿を長とするインクワイアリ(公聴会)の最終報告書が、予定より何年も遅れて、ようやく公表されたときの、BBC News (Northern Ireland) のウェブページ (via その日の拙ブログ)。



このことについては、毎年この日に、何かしら書いている。

2012年:


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2016年01月27日

シャンキル・ロード爆弾事件(1993年10月)。攻撃計画は事前にIRA内部のスパイから英当局に知らされていたとの報道。

1993年10月23日、土曜日。ベルファストの西側、ロイヤリストの拠点であるシャンキル・ロードの魚屋は、買い物客でにぎわっていた。その建物の2階は、ロイヤリスト武装組織UDAが会合を開くのに使っており、UDAを標的とした爆弾を持ったIRAのメンバーが店に入っていった。爆弾を設置して「爆発するぞ!」と叫び、店の客を外に逃し、2階のUDAを殲滅するつもりだった。しかしその日のその時、UDAはその建物にはおらず、爆弾は予定より早く爆発し、爆弾犯の1人と店にいた「プロテスタント」の一般市民9人を殺した。「シャンキル・ロード爆弾事件」である。
https://en.wikipedia.org/wiki/Shankill_Road_bombing

この事件のあと、北アイルランドでは「暴力の連鎖」が起きた。「プロテスタント」の側が、「報復」として、「カトリック」の一般市民を標的にした(つもりの)攻撃を重ねた。そのことは、事件から20年を迎えた2013年にざっと書いた。

20年前の1993年10月、シャンキル・ロードからグレイスティールへ、暴力は連鎖した。
http://matome.naver.jp/odai/2138320196046648301


この事件について、英当局は「シャンキル・ロードのUDAの会合場所を狙った爆弾攻撃が行なわれる」ということを、IRA内部に入れていたスパイから知らされていた、という記事が、今日(2016年1月26日)のインディペンデントのトップページに出た。


※写真が出ている「1本指を立ててる迷彩柄のTシャツの男」は無視してください。関係のない話題なので。

Shankill Road bombing: MI5 failed to act on IRA tip-off that may have prevented Belfast atrocity, investigation claims
http://www.independent.co.uk/news/uk/home-news/shankill-road-bombing-mi5-ignored-ira-tip-off-that-could-have-prevent-belfast-atrocity-investigation-a6833541.html


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2016年01月26日

ネット上のイラつくミーム、Be like Billと、リアル世界のIRAを気取る勢力を相手にする北アイルランド警察

"Be like Bill" は、最近急激に流行りだしたインターネット・ミーム(おもしろ画像、ネタ画像)である。棒人形 (stick figure) の絵の横に、「Billはネット上でお手本となるような行ないをする、そんなBillを見習おう」という内容の文言が書かれている。

Be Like Bill meme


ネット上の英語圏の特にFacebookでは、これがあらゆるところに出没しているらしい(私はFBを使っていないので直接にはその氾濫っぷりを見ていない)。あまりにそこら中に出てくるから、人々がイライラし始めているくらいだそうだ。

ミームについての解説サイト、Know your memeのエントリによると、初出場所などは不明だが、最初のは下記の画像だったという。

d6b-m.png


「ビルはネットで見かけたものにムカっときたが、華麗にスルーした。ビルは賢い。ビルを見習おう」

(本来、「スルーする」というのはこういうことだったような気がする。自分自身に向けられた悪意ある言葉についてではなく、ネットで誰かが書いている言葉に「それはおかしい」などと食ってかからないことが「スルーする」だったような……私自身、「U2がIRAのテロを歌った名曲」などという誤った情報や珍説は、いくつもスルーしたが)

この画像は、明らかに、下記の「キーボード・ウォリアー」のミーム(10年以上前からあるもの)パロディだろう。

swi.png


Be like Billの画像は、2015年10月にRedditやFunnyjunkのようなフォーラムに投稿されるようになった。よくあることだが、人々が話をしているところに「俺のことカーッ、俺は差別主義者じゃないゾーッ」などと殴りこんでくるようなのが湧いて出てきたときに誰かがこの画像を投稿したら解散、みたいなお約束になっていたんじゃないかなあと思う。

これが最初に爆発的に流行ったのは、英語圏の外でのことだったようだ。

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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