「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2020年12月10日

英国での新型コロナワクチン認可と接種開始、そして誤情報・偽情報について。おまけに陰謀論ジョーク。

既に大きく報じられている通り、新型コロナウイルスのワクチンが、この12月2日に世界で初めて英国(UK)で認可(承認)され、早くも同月8日には実際に接種が始まった。今回認可されたのは、米ファイザー社と独バイオンテック社の開発したBNT162b2である。このほか、アストラゼネカ社やモデルナ社など複数のワクチンが開発され、実用化に向けて治験が進められているし、中国やロシアではまた別にワクチンの開発・接種が行われている。

英国では、薬などの認可は英国全体レベルで決定されるが、実際の医療行政はイングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドの各地域 (それぞれの地域のことはnationと呼ぶが、北アイルランドについては単独でnationとは呼ばない。理由は、以前から当ブログをお読みの方ならおわかりの通り) 別におこなわれ、今回のワクチン接種も地域別にどういう人を優先するかが定められている。イングランドでは入院中の高齢の患者さんが最優先とされ、初日は各地から高齢者の注射の映像が次々と届いた。最初に接種が行われたのは、イングランドのウエスト・ミッドランズ(バーミンガムのあたり)の都市、コヴェントリーの病院で、接種第一号となったのは、北アイルランドのエニスキレン出身で60年前からコヴェントリーに暮らしているマーガレット・キーナンさんという90歳の女性だった。今年はほとんど子供や孫に会えていないというキーナンさんは、接種翌日にはもう退院し、翌週の91歳のお誕生日は家族と一緒に迎えることができるという(注射してすぐに免疫ができるわけではないので、生活はかなり制限されると思うが)。ちなみにキーナンさんの次に接種を受けたのは、ウィリアム・シェイクスピアさんという80歳の男性で、お名前ゆえにTwitter上の英国圏では国語の時間の復習みたいになってた(シェイクスピアは英国では「国語の教材」である)。

全世界で156万人近くが犠牲となっている(9日の数値)このパンデミックを引き起こした新型コロナウイルスの症状が、初めて中国の武漢の医療現場で認識されてから1年経つか経たないかという段階で、ワクチンの開発から治験、接種までこぎつけたことは、「すごい」としか言いようがないことである。もちろんワクチンが実用化されたからといって、すぐにこのパンデミックが終わるわけではないけれど、これは確実に、「終わりの始まり」だろう。

とはいえ、このニュースで「よかった、もう終わったんだ」みたいなムードになったら一気に感染が拡大してしまうわけで、うちらにできることといえばこの何か月かと同じように慎重な行動パターンをとり続けることだけだ。ただし、今はもう、それが「いつまで続くのかわからない」という不安によって受け止められる事態ではなくなり、「いつかは終わる」という具体的な希望を抱いてもよくなったということだ。

しかしながら、このワクチンを最初に認可したのが英国だからといって、英国で閣僚がナショナリズムというかパトリオティズム丸出しになっているのは、正直、理解できない。このワクチン、開発にも製造にも英国はほぼ関係ない(開発がドイツの企業、製造が米国の企業で、工場はベルギーにある)。

最初にこのわけのわからないモードに突入していることを露呈したのは教育大臣のガヴィン・ウィリアムソンで、ワクチン認可についてLBCラジオで「わが国の医療監督にあたる省庁はフランスやベルギーやアメリカのそれよりずっと優れているから。なぜならばわが国は最も優れているから」という意味不明のたわごとを述べた

続いて、保健大臣のマット・ハンコックが、初のワクチン接種を受けて朝のTV番組で「イギリスに生まれてよかった」的なことを、涙を浮かべながら語った

ハンコックは自身、春に感染して、けっこうつらい症状を体験しているので、いろいろと思い出されたのかもしれないが、事実として、英国はこのワクチンにはほとんど何も関係していない。英国で開発が進められているのは別のワクチンであり、このワクチンは、単にいち早く認可しただけである。

ボリス・ジョンソンの保守党政権がここまでパトリオティズムの陶酔を煽動しているのは、Brexitがあってのことだろう(英国のEU離脱は、この12月末に移行期間を終える。つまり今度こそ本当に英国は欧州連合からexitする)。「わが国は欧州とは違うのである」ということを言いたくて言いたくてたまらない心理状態なのだろう。実際にはこのワクチンを開発したのは、アメリカの会社とドイツの会社で、ワクチンそのものも国外から(というかベルギーの生産拠点から)運ばれてきたものだというのに。

ともあれ、そういう的外れな方向で熱狂的なムードの中で始まったワクチン接種プログラムは、2日目にはもう特にニュースになることもなく淡々と進められていたように見えた。「え?」という話が流れてくるまでは。

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2020年04月07日

英ボリス・ジョンソン首相、集中治療室へ #新型コロナウイルス

2020年4月5日(日)夜、英国ではエリザベス女王の録画メッセージがTVで放送された。女王が毎年のクリスマスのように決められた時以外に国民に広く、直接語り掛けるのは異例のことで、これまでに行われたのは1991年湾岸戦争での英軍地上部隊投入時という「有事」に際してと、1997年ダイアナさん死去時、2002年皇太后死去時、そして2012年ご自身のダイヤモンド・ジュビリーに際しての4度だけあったそうだ。この録画メッセージの中で女王は、最初に、この危機の時にあって家にいず現場で仕事をしている医療従事者や社会的インフラの従事者を讃え、「今は感染拡大防止のため離れ離れになっている大切な人とも、必ず再び相まみえる日がやってきます」と語った。"We will meet again" というフレーズは、明らかに、過去の戦争において、愛する人を送り出す人と送り出される人との間で歌われたあの曲の引用だ。



日本の「専門家会議」が「オーバーシュート」とかいう変な造語をいきなり定着させてしまったことで言語的に大きなダメージを受けている中で、そんなことをブログに書こうと四苦八苦していたときに、それどころではないニュースが飛び込んできた。

ボリス・ジョンソンの集中治療室(ICU)入りである。

ジョンソンは3月27日(金)に検査を受けて新型コロナウイルス陽性となり、以後、自宅(といってもダウニング・ストリート10番地)で自主隔離となっていた。仕事はリモートで閣議を行うなどしていたが、毎日の記者会見には、それ以来、ジョンソンは姿を見せていない。毎週木曜の夜に行われるようになった、医療従事者ら最前線で働く人々を讃える拍手に加わって、10番地の玄関口にまで出てきているのはメディアでも伝えられていたが、あとはSNSにアップされる自撮りビデオだけだ。その自撮りも、明らかにつらそうで、このウイルスは人によってはちょっとした風邪程度で済むとはいうが、やっぱり発熱がはんぱないから体にはこたえるんだなあ……などと思っていた。ジョンソンは元々、体力は有り余ってる感じの人だから(あのしゃべり方……)、少し寝てれば治るんだろうと思い込んでいた。

しかし実際には、それから1週間が経過した時点でも症状がおさまらなかった。確かジョンソンの1日か2日前に陽性となっていたチャールズ皇太子は7日経過して元気になり、東ロンドンの五輪会場でもあったコンベンション・センターExCELを臨時改装して設営されたNHSナイティンゲール病院の開所式もリモートで執り行っていたし、ジョンソンの(確か)直後に陽性となっていた保健大臣マット・ハンコックは、多少やつれてはいるもののすっかり元気になっていて、NHSナイティンゲール病院開所式典では現場で一番前に立ってリモートの皇太子のスピーチを聞いていた。

しかしジョンソンは、4月5日(日)になっても症状がおさまらないとの理由で、ロンドンの病院(後にセント・トーマス病院であることがわかる)に搬送された。このときは "routine tests" を受けるためだと説明されていた。そういった言葉をネットで見ながら私は、「まだ治療法が見つかってもいない病気について、"routine" とは何なのだろう」と思っていたが、BBCの記事に出ていた医療の専門家の説明では、肺炎の検査(たぶんCTを取るとかそういうの)のことをそう呼んでいるらしかった。まあ、それはroutineといえばroutineなのだろう。医者も検査技師も看護師もみながっちがちの防護服姿であれ何であれ。ジョンソンの入院は、女王のTVメッセージが終わった直後だったという。

ジョンソンは症状が出てから10日以上となっていたが、この時点では政府の責任者はジョンソンであることに変わりはなく(ジョンソンが何らかの理由で働けなくなった場合は、ドミニク・ラアブ(ラーブ)外相が代行として任にあたることが決められている)、ジョンソンは「元気だ」などとメディアを通してさかんに言われていた。ただコブラ・ミーティングや毎日の記者会見はジョンソンはできないので、ラアブが代行する、とのことだった。
https://en.wikipedia.org/wiki/Boris_Johnson#COVID-19

だがそのときにも、ラアブのフワフワ感というか、いろいろつじつま合ってないよ、というのは気になっていた。


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2020年03月19日

"Come together as a nation by staying apart from each other" −−アイルランド首相のすばらしい演説について

新型コロナウイルスの感染を拡大させないため、アイルランドでは先週から、屋外で500人以上、屋内で100人以上の集まりを禁止しており、3月17日のセント・パトリックス・デーのイベントはすべてキャンセルされた。

何もなければ、パレードに参加したりパレードを見物したりした人々が集まって騒いでいたであろうはずの17日夜、アイルランド首相レオ・ヴァラドカーがテレビ演説を行い、非常に厳しい見通しを率直で真摯な言葉で語った。この演説が大反響というか、ものすごく高く評価されている。「ものすごく」というより「驚くほどの」というべきかもしれない。何しろあのジェイミー・「旗騒動」・ブライソンまで誉めているのだ(ジェイミーはレオ様のこのスピーチの才能をうらやんでいるに違いない)。

私もリアルタイムでネットで聞いていて、非常に大きな感銘を受けた。まさに「言葉の力」というのはこういうものだと思う。"We are asking people to come together as a nation by staying apart from each other." という言葉は、レオ・ヴァラドカーという政治家について、ずっと語り続けられる言葉になるだろう。

英語実例ブログの方に、簡単な背景解説とスクリプトへのリンクを上げてあるので、そちらをご参照いただければと思う(同じことを複数の場所に書きたくないので、こちらには書かない)。

映像はこちら:



英語圏では、このほかにも、"We are all in this together" という力強いメッセージがいろいろと出ている。気づいたものはTwitterでメモしている。
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2020年01月31日

欧州議会の議場で歌われたのは「別れの歌」ではない。「友情の歌」である―−Auld Lang Syneは「蛍の光」ではない。

表題の件、欧州議会が「とっとと出てけ」っつってケツを蹴飛ばすために「蛍の光」を歌った、「煽り」だ、とかいうトンデモな説がネット上の日本語圏で断言された断片として漂っていて、それについて書こうと思ってこのブログの管理画面を開いたが、もうタルいのでツイートの貼り付けだけ。そもそも、Auld Lang Syneと「蛍の光」が全然別物だということは常識だと思っていたが? (「蛍の光」の歌詞は原詩の翻訳ではない。)










↑「別れに」って書いたけど「永遠の別れに」っていう意味。大晦日から元旦の集まりをお開きにするときに歌われる(つまり「今年もみな元気でやっていこう」的な意味)。



議場からの議員による実況ツイートを私がリツイートしたものは下記:
https://twilog.org/nofrills/date-200130/asc

リンクしといたって誰もクリックなんかしないからキャプチャ画像で入れとく。
auldlangsyne.png

それと、ナイジェル・ファラージのゲス野郎が何かやってたことについては:
auldlangsyne2.png
※ファラージを黙らせたマレード・マクギネスはアイルランド選出のMEP。キャシディ先生がそう書いてるけど、一応、日本語で強調しておく。


Auld Lang Syneの歌詞はスコットランドの詩人、ロバート・バーンズによるもので、スコットランド語で書かれている。スコットランド語は英語(イングランド語)に近いが、「別の言語」になる程度に違う。欧州大陸の議員たちはそのなじみのない言語での歌詞を書いた紙を見ながら、声を合わせて歌ったのだ。

Should auld acquaintance be forgot,
and never brought to mind?
Should auld acquaintance be forgot,
and auld lang syne?

For auld lang syne, my jo,
for auld lang syne,
we'll tak' a cup o' kindness yet,
for auld lang syne.

...

As well as celebrating the New Year, "Auld Lang Syne" is very widely used to symbolise other "endings/new beginnings" – including farewells, funerals (and other memorials of the dead), graduations, the end of a (non-New Year) party, jamborees of the Scout Movement, the election of a new government, the last lowering of the Union Jack as a British colony achieves independence[24] and even as a signal that a retail store is about to close for the day.

https://en.wikipedia.org/wiki/Auld_Lang_Syne


これを「煽り」とか「嘲笑」とか、よくもまあ勝手に解釈できるものだ。無知はこれから知ればよいが、無知が無恥のまま放置されて無恥の恥知らずになって、しかも増幅され拡大されているのは、見てるこちらが恥ずかしいし、醜いし、おぞましい。

クソが。

むしろ、スコットランド語がEUの公用語に新たに加わることの伏線だろうよ。
posted by nofrills at 11:45 | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月27日

【訃報】テリー・ジョーンズ

「スパム・スケッチ」のウェイトレス、「スペインの異端審問」のビグルス枢機卿、「ザ・ビショップ」、「このぉ、ちょんちょん! (Nudge nudge)」される人、カール・マルクス……などなど、TVシリーズ「モンティ・パイソン」でどちらかというとあまり目立たない役が多かったにもかかわらず目立った場合は強烈で、TVシリーズが終わったあとは『ホーリー・グレイル』、『ライフ・オブ・ブライアン』などパイソンズのメンバーたちを主役に据えた企画ものの映画やそのほかの映画でメガホンをとった、ガチの歴史家(中世イングランド)のテリー・ジョーンズが、こないだ亡くなった。

ジョーンズは、2016年9月に「原発性進行性失語」という症例の少ない認知症のため、公的な場での発言ができなくなったことを明かしていた。その数年前から症状は出ていて、2014年のパイソンズ再結成の舞台(ロンドン)は、ジョーンズは相当頑張ってやりぬいたのだという。

その後、「言葉の人」だったジョーンズは、ゆっくりゆっくりと言葉を失っていって、そして2020年1月21日に永眠した。その約1か月前には、モンティ・パイソンの音楽のコラボレーターだったニール・イネスが亡くなっていて、「立て続け」にもほどがあるというレベルで立て続け。70代というのはこういうことなんだなと。

ジョーンズの訃報を受けて、英メディアでは大学時代からの親友だったマイケル・ペイリンがメディアのインタビューにたくさん応じていたようで(イングランド在住なのがペイリンしかいないのかもしれない……エリック・アイドルはLAだし、ジョン・クリーズはBrexit後のごたごたに業を煮やしてカリブの島に移住してしまった。テリー・ギリアムはイタリア在住だっけ?)、そこで「いい人」っぷりを発揮するような柔らかい口調でジョーンズの楽しい話をあれこれしていた。認知症についても単刀直入で、「何も覚えていられないんだよね」と告げていたという。



そういったことを含め、ジョーンズが亡くなったことを語る言葉を、英語実例ブログの方に書いてある。下記3件の記事だ。(最近、あちらのブログしか更新していない。あちらは「毎日更新する」という形を保とうとしているので、何だかんだ毎日更新している。その分、こちらがおろそかになっていては本末転倒だが。)特に誰も「ネタ」で発言していないという事実の裏にあるのは、年齢的なことかもしれないが、やはりジョーンズの病気を考えたら全然ネタにできない(ならない)ということなのかなあと思う。

1. 感情の原因・理由を表すto不定詞(副詞的用法), 同格のthat, 主語とbe動詞の省略, 使役動詞(テリー・ジョーンズ死去)
2. 形式主語itの構文, feelを使ったSVCの文, 【ボキャブラリー】a man of 〜 (ジョン・クリーズによるテリー・ジョーンズ追悼の言葉)
3. the moment + S + V, O+S+Vの形の文, 条件を表すif節, 省略(テリー・ジョーンズを偲ぶ盟友たちの言葉)

そうそう、ジョーンズが言葉を失いつつあることを書いた2016年9月のエントリで言及してあったジョーンズ最後の著作(クラウドファンディングを募っていた3部作の3冊目)は、無事、出版されている。下記リンクで直接電子書籍が買えるが、Amazonでも入手できる。
https://unbound.com/books/the-tyrant-and-the-squire/

The Tyrant and the Squire - Jones, Terry
The Tyrant and the Squire - Jones, Terry

追記:
"Monty Python the Flying Circus" のYouTubeアカウントに追悼の特集映像がアップされている。パイソンズのメンバーたちがそれぞれジョーンズのことを語っている映像があり、そのあと、ジョーンズのコメディ映像の詰め合わせ。見たことないのがある。



このYouTubeのコメント欄より:
Finally, he mastered the art of not being seen. RIP


草生えたwwwwwwwwwwwwwwwwww
grass-4068585_1920.jpg

ほかにもこんな言葉がある。


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2019年12月14日

英国の「二大政党制」の終わりは、「第三極の台頭」ではなく「一党優位政党制」を意味するようだ。(2019年総選挙)

12月12日という微妙な日程で行われた英国の総選挙が終わった。全体的な結果について思うところはいろいろあるが、今キーを叩いているのはそれについて書くためではない。北アイルランドの結果について書くためだ。というか、結果だけでなく、北アイルランドでの今回の選挙全体について、できる範囲で。|→予定変更。北アイルランドについては別稿にて。

本題に入る前に英国全体の結果についてちょっとだけメモしておく。日本時間で13日の朝7時(現地12日夜10時)に投票が締め切られると同時に出口調査の分析結果が公表された。Twitterに流れてきていたTV画面のキャプチャ画像でその数字を見た瞬間、何か見間違えてると思ったのだが、次に流れてきていた別のキャプチャ画像にも同じ数字が書いてあったので、見間違いではないとわかった。

この時点で予測されていた議席数は、保守党が368議席、労働党が191議席、LibDems(「自由民主党」という党名は紛らわしいので当ブログでは「LD」と表記する)が13議席、スコットランドのSNPが55議席、環境政党Green Partyが1議席、欧州議会議員選挙ではすごい勝利をおさめたナイジェル・ファラージの新党であるBrexit Partyは議席なし、その他の政党が22議席(うち、北アイルランドに配分されているのが18議席)というものだった。



ちなみに、実際の確定議席数は、保守党が365議席(66増)、労働党が203議席(42減)、LDは11議席(10減!)、SNPは48議席(13増)、Greensが1議席(変動なし)で、その他の政党が22議席 (source)。(「その他」が27議席減ったことになっているがこれは後述するように保守党から追放されて議会解散時に無所属となっていた議員が「その他」に参入されているためで、2017年に選挙を行ったときの数値(317議席)を基準にすれば、保守党の「66増」は「48増」となる。)

「保守党368議席」の数値に「出口調査の数値は予測であって、確定結果じゃないし、今回はギリギリで競る選挙区が相当たくさんあるから」と述べている人もTwitterにはいたが、実際には365議席だったので、誤差はほとんどなかった。労働党の191議席は少なく見積もりすぎだったが、問題はそんなところにはなく、投票締め切りと同時に「保守党の単独過半数」がわかったということが重要なポイントだった。

英国の下院で単独過半数に必要な議席数は326議席。今回の選挙の最大の注目ポイントは、ボリス・ジョンソンの保守党がこの議席数を獲得できるかどうかだった。今回の選挙は「Brexitを問う選挙である」みたいなざっくりした説明が当たり前のように横行しているようだが、Brexit云々とは別に、ジョンソンの嘘上等&法律違反上等のめちゃくちゃな手口(政治手法)がノーチェックで通るということがないよう、議会を政府に対する一種の弁みたいにするために保守党の単独過半数を阻止しなければならないという有権者の運動は選挙の実施が決まってからわりとすぐに始まっていた。Twitterでは「戦術的投票 tactical voting」を呼び掛ける発言がシェアされ、それを支持する著名人の発言も相次いだ(その一例は、英語実例ブログのほうで取り上げた)。選挙が終わってみたら、ジョンソンがこの選挙で成立することになる自身の政府を "people's government" と厚顔無恥にも名付けているためだろう、そういった呼び掛けの発言を行った著名人はまるで「『人民の意思 people's will』の実現を邪魔しようとする国賊」であるかのように扱われていて(後述)ものすごく息苦しいのだが、そういう「結果」が発生する前の段階、つまり「単独過半数を阻止しよう」という勝手連的な運動が起きた段階で、ウォッチャーとしては、これは注目に値することだと思った。英国の政治が「二大政党制 two-party system」を前提としてきた時代が終わったということだからだ。


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2019年11月30日

ロンドン・ブリッジでまたテロ攻撃――テロリストとして有罪になっている人物が、なぜまたテロを起こせたのか

11月29日(金)の23時台、Twitter経由でロンドン・ブリッジで何かが起きているということに気づいた。現地では14時台だ。最初はよくある鉄道トラブルかなと思った。英国は米国の感謝祭は存在しないが、それにまつわる商業行事のブラック・フライデーのセールだけはここ数年で輸入されているので、その関係のイベントかなとも思った。しかし実際に起きていたのはそういうことではなかった――一帯は封鎖されており、銃声があったという。

ロンドン・ブリッジでは以前にもテロ攻撃があった。2017年6月3日、橋を北から南に進んでいく車が歩道の歩行者の中に突っ込み、テムズ川の南岸に渡り切ったところで車を捨てた犯行グループ3人が、今度は刃物を用いて、バラ・マーケット (Borough Market: 大量生産でない加工品やオーガニックの野菜などで有名な食品の市場だが、敷地内にレストランやパブもたくさん入っている) にいた一般の人々を次々と襲った。8人を殺し、48人を負傷させた容疑者3人は、そのすぐ先で警察に撃たれて死んだ。イスイス団に触発されての凶行だった。
https://en.wikipedia.org/wiki/2017_London_Bridge_attack

英国では事件・事故などで亡くなった人の死亡原因の特定のために、inquest (死因審問)と呼ばれる法的手続きが取られるが、2017年6月のバラ・マーケットでのテロのインクエストは、今年5月から7月に行われたところだった(このインクエストの結論は特に驚くべきものはなかったので、Twitterなどでメモることもしてないと思う)。
https://en.wikipedia.org/wiki/2017_London_Bridge_attack#Inquest

あのテロに影響を受けた何百人という人々は、インクエストの報道を見てまた「あの日」のことを思い出していたに違いない。

それから4か月ほどで、また同じロンドン・ブリッジで、何百人――いや、ひょっとしたら何千人の規模で、「あの日、自分はそこにいた」と回想することになる人々が増えた。平日の昼間に、道路の通行止めや駅の封鎖などで交通網にも広く影響が出たから、間接的に影響を受けた人は何万人の単位になるだろう。Twitterでフォローしている方の中にも、ご家族の誰かが発砲音を聞いた人や、交通の混乱に巻き込まれた人がいる。この

今回のテロ攻撃は、29日(金)午後2時前に、ロンドン・ブリッジの北側にあるフィッシュモンガーズ・ホールのあたりで起きた。この建物は魚屋のギルドの建物で、ルーツは中世にあるが現在の建物は19世紀半ばに建設されたものである。第二次大戦でのロンドン空襲で損傷して修復され、現在はGrade IIに指定されている(文化財の指定を受けている)。外観はあまり派手ではないが、中は壮麗で、イベント会場として貸し出されるなどしている。
https://www.squaremeal.co.uk/event-party-venues/fishmongers-hall_275

29日(金)は、この建物で、ケンブリッジ大学のコンファレンスが行われていた。分野は犯罪学だが、テーマは "Learning Together", 犯罪を犯した人と一般社会の関係を「学び」によって再構築していこうという取り組みである。"Learning Together" という取り組みは、ケンブリッジ大だけでなく英国の多数の大学が参加して進めていて、今はちょっと重いようだけど取り組みをまとめたウェブサイトもある。
https://www.learningtogethernetwork.co.uk/

このコンファレンスに招かれていた元服役囚が、今回の事件を起こした。現時点で報道されていることをまとめたウィキペディアには次のように記載されている(事件が進展中の段階ではこんなにすっきりまとまった情報は出ていなかったということは強調しておきたいが):
A man attending the event, and wearing a fake suicide vest, threatened to blow up the hall. He began stabbing people inside the building. He subsequently began stabbing pedestrians at the north side of the bridge. Several people fought back, including one who grabbed a narwhal tusk from the wall inside Fishmongers' Hall to use against him as a weapon.

Several people were injured before members of the public restrained the attacker on the bridge. The police arrived shortly thereafter and surrounded the attacker, firing multiple shots. The attacker was shot by police and died at the scene.

https://en.wikipedia.org/wiki/2019_London_Bridge_attack


このようにして5人が刺され、うち2人が残念なことに亡くなった(現時点では男性1人、女性1人としか報じられていない)。

襲撃者はこのコンファレンスに「当事者」として招かれていたのだが、では彼はどのような罪で服役することになったのか。現地でも日付が30日になったころには、それが報じられていた。明らかになった事実に、私は言葉を失わざるをえない。

London Bridge: Attacker had been convicted of terror offence
https://www.bbc.com/news/uk-50610215


Usman Khan profile: terrorist who wanted to bomb London Stock Exchange
https://www.theguardian.com/uk-news/2019/nov/30/usman-khan-profile-terrorist-who-wanted-to-bomb-london-stock-exchange


襲撃者、ウスマン・カーンは28歳。2010年、19歳のときにロンドン証券取引所を爆破しようとした集団の一員として、2012年に有罪判決を受けていた。量刑は「もはや社会に危害を加えるおそれがなくなるまでは保釈なし」とされていたが、この条件は後に緩和され、2018年12月に仮釈放されて保護観察下に置かれていた。電子タグを常時着用することを条件とした仮釈放だ。
The Met has identified the London Bridge attacker as Usman Khan, a 28-year-old man released from prison on a licence (parole) in December 2018 after spending eight years in jail for terrorism offences.

... Khan was wearing an electronic tag

https://www.theguardian.com/uk-news/live/2019/nov/29/london-bridge-incident-police-city?page=with:block-5de1dc7f8f08cd6fe586e952#block-5de1dc7f8f08cd6fe586e952

Khan was originally classed as never to be released unless deemed no longer a threat but this condition was later lifted.

He was freed in licence in December 2018.

https://www.theguardian.com/uk-news/2019/nov/30/usman-khan-profile-terrorist-who-wanted-to-bomb-london-stock-exchange


2012年のこの判決について、うっすらと記憶にあったので(ロンドン証取はIRAが1990年にボムっているので「またか」と思ったことは確実)ログをあさってみたら、当時の記事が出てきた。

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2019年11月23日

「ハロルド・ウィルソンは欧州について中立だった」という言説

twittertrends-23nov2019-haroldwilson.png11月23日の晩(日本時間)、Twitterの画面を見てみたらなぜかHarold WilsonがTrendsに入っていた。選挙絡みだろうということはわかったのだが、それ以上はわからないので、「何だろう?」と頭の上に「?」を浮かべた状態でTrendsをチェックしてみた。

そしたら「ほへー」と驚くことになった。

「エビデンス」云々の話としても、これはとても興味深いと思う。

ハロルド・ウィルソンは、1960年代と70年代に二度にわたって英国の首相を務めた政治家。私は気づいたときには「ウィルソン労働党内閣」というセットフレーズが頭に入っていたのだが、いつそんなセットフレーズを頭に入れたのかは記憶していない。大学に入る前だったが、高校の世界史でそんなの習わないし、何だろうね、ほんと。ともあれ、詳細はウィキペディアを参照。
https://en.wikipedia.org/wiki/Harold_Wilson

ウィルソンが率いた労働党は、1964年にアレック・ダグラス=ヒュームの保守党を破って政権をとったが、1970年にテッド・ヒースの保守党に敗れて政権を失った。その後、1974年3月の総選挙でどの政党も過半数を取らないというhung parliamentの結果が出たときに、ウィルソンの労働党はどの党とも連立しないで(できずに)minority governmentとなり、同年10月に改めて選挙を実施してわずか3議席の差で過半数を得て労働党政権を率いたが、1976年に突然引退。当時は明かされていなかったが、そのときすでにアルツハイマー病で、記憶力と集中力がひどく減退するという症状が出ていたようだ。ウィルソンのあと、労働党党首に選ばれたのはジェイムズ・キャラハンで、キャラハン政権下で英国政治は激動の時代を迎え、最終的にはいわゆる "winter of discontent" のあと、1979年に提出された不信任案がわずか1票差で可決されたために議会の解散と総選挙が行われ、そして首相となったのがマーガレット・サッチャーだった。(この段落は早口で読む)

そのウィルソンが首相として対応した最大の問題が(北アイルランド問題は別として)、英国は欧州経済共同体(EEC)に留まるべきかどうかという問題だった。2010年代のEU離脱論が保守党の中から出てきた議論である一方で、1970年代のそれは労働党の中から出てきたものだった(労働党には根強い欧州懐疑主義がある。そのことは、現首相のボリス・ジョンソンも著作の中でしっかり検討している)。

英国がEECに加盟したのは1973年、保守党ヒース政権のときのことだ(60年代は、「フランスのNON」が英国のEEC加盟の道を閉ざしていたが、「NONしか言わないフランス人」ことシャルル・ドゴールが死去して事態が動いた……というのが英国の歴史観である)。しかしその「保守党による政策」には労働党の党員・支持者からかなりの反発があった。ウィルソン労働党が1974年に政権に返り咲いたとき、その問題に直面しないわけにはいかなかった。そしてウィルソン首相、キャラハン外相らは次のように行動する(太字は引用者による)。

Following Wilson's return to power, the renegotiations with Britain's fellow EC members were carried out by Wilson himself in tandem with Foreign Secretary James Callaghan, and they toured the capital cities of Europe meeting their European counterparts. The discussions focused primarily on Britain's net budgetary contribution to the EC. As a small agricultural producer heavily dependent on imports, Britain suffered doubly from the dominance of:

(i) agricultural spending in the EC budget,
(ii) agricultural import taxes as a source of EC revenues.

During the renegotiations, other EEC members conceded, as a partial offset, the establishment of a significant European Regional Development Fund (ERDF), from which it was clearly agreed that Britain would be a major net beneficiary.

In the subsequent referendum campaign, rather than the normal British tradition of "collective responsibility", under which the government takes a policy position which all cabinet members are required to support publicly, members of the Government were free to present their views on either side of the question. The electorate voted on 5 June 1975 to continue membership, by a substantial majority.

https://en.wikipedia.org/wiki/Harold_Wilson#External_affairs


つまり、欧州側と交渉して約束を取り付けたあと、英国でレファレンダム(国民投票)を実施し、そして「欧州の共同体に英国は残留する」という結論を得たわけだ(2016年にキャメロンがしたことも、基本的にはこの型で、そのときは「1975年と同じように、英国は残留するだろう」と思われていた)。そのレファレンダムの際、上の引用部分で太字で示したように、ウィルソンは労働党の人々に対して党議拘束をかけなかった。それが一種のプロトタイプになっている。


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2019年10月25日

欧州大陸から来たコンテナと、39人の中国人とされた人々と、アイルランドのトラック野郎と、そして……?

きれいに手入れされているように見えるそのトラックのフロントガラスの上部と下部には、
Ireland
The Ultimate Dream
という文字が見える。

そのトラック(正確にはトレーラー)はアイルランド島からウェールズを経てイングランドにやってきた。運転手は北部6州(北アイルランド)のアーマー州ポータダウン在住の20代男性。専業のトラック運転手だ。彼はダブリンからフェリーに乗り、ウェールズのホリーヘッド港に到着し、一路車を南東に向けて走らせた。ロンドンを通り越して到着したのは、テムズ川河口域のエセックス州サロック (Thurrock) のグレイズ (Grays)。ここで彼は、港に到着していたコンテナを受け取った。欧州大陸から来た冷凍コンテナだ。この荷物をどこかに運ぶ仕事を請け負ったのだろう。

そして彼は殺人 (murder) の容疑で逮捕されることになった。コンテナの中では、39人の人間が死んでいた。



「エセックス州の港で、コンテナの中で39人が死亡しているのが発見された」というショッキングなニュースがあったのは10月23日の晩(日本時間)。当初、「ホリーヘッドから入った」(ホリーヘッドはアイルランドのダブリンからのフェリーが発着する港である)、「ブルガリアから来た」という2つの情報が直接結びつけられて報道されていたので、「ブルガリアからアイルランド経由でイングランド南東部へ移動?」と多くの人々が頭の上に「?????」を並べていたようだったが(私も)、一夜明けてみれば、トラックの車の部分(トレイラー)がアイルランドから来ていたのであり、39人が入れられていたコンテナはベルギーの港から直接サロックの港に来ていたということがわかった。

Brexitがこうなっているタイミングで、こんな形で欧州と英国の間の物流について、そして何よりアイルランド島の「ボーダー」(アイルランドを1つと見る立場では、あれは「国境」ではない)と、アイルランドとブリテンの間の物流について、改めて確認されるようなことになるとは。

亡くなっていた39人は、24日の報道では、全員中国籍と思われ、男性が31人、女性が8人。うち1人は、初期報道では「ティーンエイジャー」と伝えられていたが、やがて「若い成人女性」とされるようになった。
https://www.bbc.com/news/uk-england-essex-50162617
Essex Police said it was the largest murder investigation in the force's history and the victims were all "believed to be Chinese nationals".

It said formal identification of the 39 people, one of whom is a young adult woman, "could be a lengthy process".


コンテナに何十人と詰め込まれた人間が全員遺体となって発見されるということは、これまでも何度かあった。最も衝撃的だったのは、2015年、オーストリアで冷蔵車の中から71人の遺体が見つかった事件だろう。

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2019年09月24日

英国で学位を取得した人の残留許可期間が2年になる(テリーザ・メイ内相の「改革」で短縮されていたのが元に戻る)

こちらのブログを放置してしまっているが(下書きはあるんだけど、アップできる状態にまで持ち込めていない。何しろBrexitと英国会がああだから……)、英語実例をただ集積していくブログは毎日更新中で、そちらで取り上げる記事によっては、こちらで書いてもいいんじゃないかという内容の解説を書いて、コピペしようかなどうしようかなと考えている間にめんどくさくなってコピペしない……ということが続いている。そもそも同一の文章をあちこちにアップするのはノイズを増やすだけだというインターネット老人会のいにしえの掟に縛られているので、どうにも腰が重いのだが。

が、この件はリンクと一部コピペくらいはしておこう。表題の件:
https://hoarding-examples.hatenablog.jp/entry/2019/09/18/%E5%85%88%E8%A1%8C%E8%A9%9E%E3%81%8Ccase%E3%81%AE%E5%A0%B4%E5%90%88%E3%81%AE%E9%96%A2%E4%BF%82%E5%89%AF%E8%A9%9E%E3%81%AFwhere%2C_have_%2B_O_%2B_%E9%81%8E%E5%8E%BB%E5%88%86%E8%A9%9E%2C_
現在EU離脱(Brexit)という問題を抱えてしっちゃかめっちゃかになっている英国だが、Brexitの焦点のひとつが「外国からの流入人口(移民)」である。EUの一員である限りはEU加盟国からの人の流入は制限できないという問題――それは同時に、英国からEU各国への流出に障害がないということでもあるのだが――について、自身は外国で就職など絶対にしないという庶民層からの感情レベルでの反発(「近くの工場で働くために通りの奥に引っ越してきた人たちが、わけのわからない言語でしゃべっている」「ここはイギリスだ、英語をしゃべれ」的なもの)を、ポリティカル・クラス(政治の上層部、国政の政治家たち)が無視し、侮ってきたツケが爆発した、と言えるわけだが、そういった感情的反発はBrexitが議論の俎上に乗るようになる前からずっと可視化されていたわけで(ゴードン・ブラウンの "Bigoted woman" 発言と、その後のブラウンへの批判の嵐をご記憶だろうか。わからない方は英語圏でウェブ検索を)、ある意味でその不満のガス抜き調整弁として利用されてきたのが「外国からの留学生の数」だ。2010年、労働党ゴードン・ブラウンが選挙で負けて、保守党のデイヴィッド・キャメロンがLibDemsと連立を組んで新政権を発足させたあと、テリーザ・メイ内相のもとで積極的に進められたイミグレ政策のひとつが、「留学生を減らす」という政策だった。具体的にはインチキ学校(「ヴィザ取り学校」と呼ばれたような実体のない学校……今、日本で問題になりつつありますね)の認可を取り下げたり、ヴィザ発給要件を厳しくしたり、ポイント制を導入したりといったことが進められた。さらに、大学で留学した場合、学位を取得したあと英国に残れるのは4か月までとされ、要するに、卒業したら速やかに英国外に退去することが求められていた。

テリーザ・メイが内相時代に導入したその方針が、ここにきて転換された。「転換」といってもメイ以前の時代の制度に戻っただけだが、学位を取得したあと、2年間の残留が認められる。転換の理由は、メイの導入した政策のもとで英国の大学は外国人留学生を大量に失うことになった(つまり学費収入が減ってしまった)ことだと考えられる。詳しくは下記報道記事を参照。
https://www.theguardian.com/education/2019/sep/10/uk-work-visas-for-foreign-graduates-to-be-extended-to-two-years


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2019年06月16日

「バスで血まみれになってる私の姿をご覧になったかと思いますが、そんなあなたも、ホモフォビアというものすべてについてちゃんと怒ってくれているのでしょうか」

今月7日、女性2人が血だらけでロンドンのバスの中に座っているというショッキングな写真がTwitterにどっと流れてきた。日本語圏でも話題になっていたから、見た人も多いだろう。

07june2019.jpg私が見た画面では多くが報道記事のフィードで、写真はTwitter Cardで表示されるようになっていたのだが、中にはローカルに保存した写真を単独でツイートして、自分の言葉を添えたものもあったかもしれない。

ショッキングだったのは写真だけではなかった。彼女たちはカップル(同性カップル)で、5月30日にロンドンのカムデンのバスの中で「今ここでキスしてみろよ」などと男たちに絡まれ、それを拒んだら、こういうふうになるまで殴られたという。あのカムデンでこんなことが起きるなんて!

あまりに痛々しい写真で、写真を「さらす」ようなことも殴られた彼女たちが気の毒な気がしたが、記事のメモということでGuardianのフィードとMetroの記事のツイートを何件かRetweetした。

その後、警察が動いて加害者が特定され(ロンドンのバスの中は、IRAが暴れていたころからの「テロ対策」でカメラが設置されている)、翌日には5人が逮捕されていた。5人ともティーンエイジャーだ。

2人の女性のうち髪の色が濃いのはメラニアさんという方で、姓も職業も報道されていたが、もう1人の金髪の女性は「クリス」というファーストネームしか報道されていなかった。

さて、6月16日のガーディアンのトップページに「バスで血まみれになってる私の姿をご覧になったかと思いますが、そんなあなたも、ホモフォビアというものすべてについてちゃんと怒ってくれているのでしょうか」(超訳)という見出しが出ていた。筆者名はひとこと「クリス」。スーダンやらイランやらで10日近く前のロンドンでの出来事のことは正直忘れかけていたが、ああ、あのカムデンで殴られた人かと思い、記事を読んでみたら、これはすごい。低気圧だの暑さだのでダルさMAXなのだが、思わず超訳に着手するレベルだった。

You saw me covered in blood on a bus. But do you get outraged about all homophobia?
Chris
https://www.theguardian.com/commentisfree/2019/jun/14/homophobic-attack-bus-outrage-media-white

【以下、超訳(原文の文意をゆがめてはいないつもりですが、読解を間違えていたらすみません)】
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2019年05月28日

「英国ではサッカーは労働者階級のスポーツ」という類型に対する強烈なカウンターをどうぞ

英国をめぐる類型(ステレオタイプ)の中に、「サッカーは労働者階級のスポーツだ」というのがある。(それと同時に、フットボーラーがファンに丁寧に応対したりしていると「さすが紳士の国」云々のナレーションがつけられたりするのでわけがわからないのだが。)

「サッカーは労働者階級のスポーツだ」というのは、それ自体は真である。1990年ごろまではそう言われていたものだし、ほかのスポーツ(特にラグビー)と比較するとサッカーは際立って「労働者階級」的な存在だ。

しかし、少なくとも21世紀の現代においては、「サッカーは労働者階級のスポーツだ」をひっくり返して「労働者階級以外はサッカー以外のスポーツに入れあげる」とか、「サッカーは労働者階級だけのスポーツ」と言ってしまうのは、真ではない。

それでもしかし、「サッカーは労働者階級のスポーツだ」というわかりやすい言説は、ときに「サッカーは労働者階級だけのスポーツだ」と尾ひれはひれをつけながら、今も流通している。「それ、必ずしも正しくないですよ」ということを指摘したい場合は、普通に「今はそうとも限らないですけどね」と言うこともあるが、黙ってほほ笑んで聞き流しておくこともあるだろう。

いずれにしても、「労働者階級だけ」でないことをはっきり示すエビデンスがあれば、「サッカーは労働者階級だけのスポーツだ」という極論を知ったかぶりで吹聴するような人々の発言は無視すべきものだということを、説得力をもった形で示すことができるわけで、その機会を待ち望んでいた人も少なくなかろう。

そしてついにその機会が、まさに願ってもないような形で、我々の前に訪れたのである。

ケンブリッジ公、つまりウィリアム王子といえば、英王室メンバーの中でも最も真顔力が足りていない人である。昨年のヘンリー王子の結婚式の際、あまりに激しいアメリカの黒人教会式の流儀に、エリザベス女王をはじめ王室の方々が居並んだ席のなかでただ一人、顔を真っ赤にして下を向いて肩を震わせているのが中継されていた(ちなみにお父さんのチャールズ皇太子は、口元が多少ひくひくしながらも鼻で大きな息をするなどして持ちこたえていたし、お祖母さんのエリザベス女王に至っては完璧な真顔力の持ち主としての実力をこれでもかこれでもかと見せつけていた)。

そのウィリアム王子がサッカーの「アストン・ヴィラFC」(バーミンガム拠点)のサポーターであることは、英国では広く知られているそうだが、現在チャンピオンシップ(二部リーグ)に落ちているアストン・ヴィラが、来季におけるプレミアリーグ昇格をかけた試合が27日、ロンドンのウェンブリー・スタジアムで行われ、ウィリアム王子もVIP席で熱戦を見守った。試合は終盤、アストン・ヴィラが1点リードしたまま、アディショナル・タイムに入り、VIP席ではウィリアム王子が(フットボール・ファンにはなじみ深い)例の表情で(つまり感情をむき出しにして)、試合を見守っていた。

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2019年04月30日

ロンドン、SOHOパブ爆破テロから20年 #AdmiralDuncan

あれからもう20年にもなる……1999年4月30日、ロンドン中心部の繁華街SOHOのオールド・コンプトン・ストリートにある「アドミラル・ダンカン」というパブに対する爆破テロがあり、何十人もが負傷し、3人の尊い命が奪われた。うち1人は妊娠中の女性だった。

このパブは「ゲイ・パブ」として知られていたが、パブの客はさまざまで、要は「LGBTコミュニティに理解がある不特定多数の人々」がネイルボムの標的にされるというテロ事件だった。

爆弾犯はその前の2週間にわたって攻撃をしかけていたネオナチ活動家だった。この男は、まずは17日の土曜日に黒人街であるブリクストンのエレクトリック・アヴェニュー(19世紀に最初に街頭が電化された通りだが、現代では庶民の商店街に鍋釜たわしの類や衣類を扱う露店が立ち並ぶ通りとして人々を集めている)を標的とし、翌週、24日の土曜日にはバングラデシュからの移民が多く住むイーストエンドのブリック・レイン(ここも露店市で有名)を標的として爆弾テロを行なっていた。ブリクストンでは48人、ブリック・レインでは13人が負傷した。

いずれも、「IRAではない」ことは最初から明白で(1999年はまだ英国、いやイングランドは「爆弾テロといえばIRA」の時代だった)、ブリクストンのボムの後、18日(月)には戦闘的極右(ネオナチ)集団C18から犯行声明の電話があったにもかかわらず、警察はぼーっとしていたらしい。「極右テロ」が警察でさえ深刻に受け取られていなかった時代だ。

当時のBBC記事 (via wikipedia):

Combat 18 'claims nail bomb attack'
Monday, April 19, 1999 Published at 18:47 GMT 19:47 UK
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/323295.stm
A man claiming to be from the extreme right-wing group Combat 18 has told police that the organisation was behind Saturday's Brixton nail bomb attack.

The 999 telephone call was made at 0606 BST from a telephone box on Well Hall Road, south-east London - near where Stephen Lawrence was murdered in April 1993.

But Scotland Yard detectives said they were keeping an open mind about the motive behind Saturday afternoon's attack which injured dozens of people and have not ruled out the phone call being a hoax.

The head of the Metropolitan Police's anti-terrorist branch, Deputy Assistant Commissioner Alan Fry, said: "This call should be taken with extreme caution.

"This line of inquiry is being taken very seriously but there is absolutely no evidence and there is no intelligence at this time to support this claim, and I can only reiterate to the public that no motive has been ruled out at this time of the investigation....


こうして警察が「犯行声明はあったが証拠がない」と言ってる間に次の爆弾が準備され、ブリック・レインで13人を負傷させ、さらにその次の爆弾はSOHOで79人を負傷させ3人を殺した。

そうなってからようやく逮捕された容疑者はナチズムを信奉する男で、当時22歳。数年前に極右政党BNPに入って「ターナー日記」に触発され、BNPではヌルいということで離党して、より小規模で過激な「ナショナル・ソーシャリスト・ムーヴメント」(この集団はC18の分派である)に加わっていた。

裁判の結果、男は有罪となり、少なくとも2049年までは仮釈放なしということで収監されている。

以上、概要などはウィキペディアにまとまっている。
https://en.wikipedia.org/wiki/1999_London_nail_bombings

事件当時、私は既に自宅でインターネットを使っていたが、情報環境は今とは比べ物にならないほど貧弱で(SNSどころか、YouTube以前、それどころかGoogle以前の時代である)、1日に1度配信されてくるガーディアンのニューズレターやいくつかのメーリング・リストのほかは、自分でBBC Newsやガーディアンのサイトを見ていたのだったと思う。入ってくる情報はとても少なかったが(何しろ映像なんか流れてこない時代。BBCのニュースも部分的にRealPlayerで提供されていれば御の字だった)、極右の爆弾テロであることはすぐにわかった。

その後、有罪となった男はその界隈で崇拝される存在となり、いくつかの(彼らにとってこれほど「成功」しなかった)極右の爆弾事件に関連してその名が言及されている。「学校での銃乱射」におけるコロンバイン高校銃撃事件の2人(これも今年4月で20周年だった)ほどではないにせよ、同種の「崇拝」の事例だ。

さて、この連続爆弾テロから20年となる今年4月、英国では「事件を振り返る」動きがよく見られた。例年4月17日も24日も30日も、関係団体でなければ特に何も行われていないのだが、今年は大手でも特集が組まれていたようだ。BBC Newsnightがまず、4月16日に一連の事件をまとめた映像を出した――犯人の名前に言及せずに。

映像では、当時の警察の記者会見の様子などがわかる。記者に対して警官が示している「物証」の釘(爆発物の中に仕込まれていたもの)を見るだけでぞっとする。こんなものを大量に詰め込んだ爆発物が、間口が狭く人が密集したパブという空間で爆発したのだ。そして同様のネイル・ボム事件は(どの程度報道されているかということはさておき)その後も起き続けている。例えば2010年にはウエスト・ヨークシャーで火器やらネイルボムやらが大量に押収され、BNPのメンバーだったことのある男が逮捕・起訴の末、有罪となっている(がこのときは「テロリズム」として扱われもしなかったはずだ)。それから、2013年にはウエスト・ミッドランズでモスクに対してネイルボムが仕掛けられたが、たまたまラマダン中で礼拝の時刻がずれていたため、死傷者を出さずに終わった。このボムの犯人は礼拝帰りのイスラム教徒の老人を刺し殺して有罪となったウクライナ人の男で、この男はほかにも複数件のボム攻撃を行なっている。

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2019年03月17日

変化したアイルランド、首相が男性パートナー同伴で外交

今日、3月17日はセント・パトリックス・デイ(アイルランドの守護聖人、聖パトリックの亡くなった日)で、アイルランドの祝日。世界各地がシンボルカラーの緑に染まるのは、ここ20年くらいの間にアイルランドがプロモーションを成功させたためだが、元々この「3月17日の緑祭り」はアイルランドが発祥というより在外アイルランド人、特に北米の人々が始めたものだ(ソース)。

アイルランドと北米の縁は深い。映画でもその《物語》に関するものは非常にたくさんある。『タイタニック』や『ギャング・オヴ・ニューヨーク』のような歴史大作もあれば、『ブルックリン』のような一人の女性の人生と内面をじっくり描いたものもある。私は今日は10年以上ぶりにジム・シェリダンの『イン・アメリカ』を見た。天使のような子供から目が離せない、センチメンタルなメロドラマ(とてもよく作られている)。



一方、コンピューターの画面の中は通常運転で、ニュージーランドで発生したモスク襲撃テロに関連して極右がなんちゃらといったフィードがあふれていて、アイルランドはBrexitの話とラグビーのSix Nationsの話(25-0だったのに最後に意地を見せてトライを決めて25-7にするあたり、アイルランドらしいと思った)のフィードがたくさんあるが、中には、一部Brexitと関連して、セント・パトリックス・デイでの訪米外交のフィードもあった。

セント・パトリックス・デイでの訪米外交はアイルランド共和国の政治トップだけでなく、北アイルランドの政治トップも行なっており、Brexitがあの状況のなか、DUPのアーリーン・フォスターはワシントンDCから写真をフィードしてきたりしている。

一方、アイルランド共和国はレオ・ヴァラドカー(ヴァラッカー)首相がDCに行っている。彼はアイルランド生まれのアイルランド人だがお父さんがインド出身の医師で(だからアイルランドの白人優越主義者には嫌われているし、「移民」呼ばわりもされている)、アイルランド初の人種的マイノリティの首相なのだが、それ以上に彼が注目されているのは、ゲイであることをオープンにしているうえで与党党首に選出され、首相となったということだ。

同性カップルが珍しくなくなった現在では、外交行事では「男の首相とファーストレディ」や「女の首相とファースト・ハズバンド」というのが慣習だった場面で、「男の首相とファースト・ハズバンド」「女の首相とファーストレディ」ということになることもある。昨年はヴァラドカー首相は確か外交的な場には単独で出席し、カジュアルな場でだけパートナー(男性の医師)を伴っていたと思うが(要確認)、今年はパートナー同伴で外交行事をこなしている。

中でも注目され、ウェブで実況中継のようになっていたのが、現政権の中でもものすごい保守派として知られるペンス副大統領のもとを訪問したときのことだ。


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2019年03月04日

「モモ・チャレンジ」は、心配のあまり、大人たちの反応が過剰になった事案。「フェイクニュース」ではなく。

この2月末、一度見たら目に焼きついてしまうような奇怪な顔写真のついた報道記事のフィードが、Twitterで私の見ている画面にいくつか流れてきた。往年の「口裂け女」と貞子を合体させたような顔写真で、フィードされている記事はガーディアンのものだった(ガーディアン記事のTwitter Cardで表示される写真が、その奇怪な顔のものだった)。「うげ、何じゃこりゃ」とは思って記事URLをクリックして読んだ記事の内容を、いくつかのツイートに分割して投稿し始めた私は、それを途中で中断して投稿したツイートを全部消した。この件については、連続したツイートの一部だけが拡散されても困ると思ったからだ。

というわけで、さくっとツイッターに流して終わるということにはできなかったのだが、かといってブログに書くこともしなかった。「書くほどのことではない」というより、正直、「書くにしても、どこに重心を置けばいいのか」ということがわからなかったからだ。メディアが別のメディアを批判したりしている声がでかかったし、過去に類例があったのを思い出してその記事の外でネット検索で調べてみたがはっきりしないことが多くて、何というか、全体像をつかみかねてしまっていた。

が、この騒動の発端近くにいたのが北アイルランド警察だった(そして「ねとらぼ」に北アイルランド警察のFBのキャプチャが載っていた! PSNIの「ねとらぼ」デビューなんて、想定外すぎる)という奇遇も手伝って、全体を見渡してみることができた。

下記に書いてある。

「こんな怖い話を聞いたんですけど……」で始まったネット上の "都市伝説": 「モモ・チャレンジ」とは
https://matome.naver.jp/odai/2155168676005142901


問題の奇怪な顔写真は使わないように編集してある(画像を非表示にしてある)ので、そういうのがいやな人が見ても大丈夫だ。私個人はそういう編集はあまりしたくないのだが、ああいう「衝撃画像」的なインパクトのある写真を何度も何度も繰り返し目にすることが精神衛生上よくないということは自分の体験からもわかっているので(イスイス団の暴力の最盛期に本当に懲りた)、「検閲」と批判されるかもしれないが、画像を非表示にした。英国のメディアはそういうところは配慮せず、がんがん奇怪な写真を使ってくるので、けっこう消耗する。(元々、例えば米国のメディアより、何というか、センスがアレだし。)

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2019年02月20日

根拠のない楽観論を吹き飛ばしたはずのホンダのスウィンドン工場閉鎖が、よりいっそうのプロパガンダの機会となっている件。

自動車メーカーのホンダ(本田技研)が、欧州唯一の生産拠点である英スウィンドンの工場を2021年に/2022年までに閉鎖するということが、おとといSky Newsなどで報道され、昨日、ホンダの正式なステートメントで確定された



スウィンドンはイングランド南部、ウィルトシャーにある都市で(ただし「シティ」の格は持っていない)、人口は2011年のセンサスで18万人程度。お手軽にウィキペディアによるとホンダのほか、ミニ(BMV)の工場があり、さらにドルビーやインテルといった企業が拠点を有しており、金融機関やエネルギー企業の英国本部が置かれていたりする。

2016年6月のEU離脱についてのレファレンダムでは、スウィンドンは54.7%が「離脱」に投票していた

「離脱」という選択の背景には、「エリートたちにお灸を据えてやろう」という動機が大きかったこと(「離脱」に投票した人が必ずしも本気で「離脱」するなんて思ってたわけではないということ)や、UKIPがずっと前から喧伝していたような右翼的ファンタジーによる「(彼らの言う)主権回復」という《物語》(あるいは《神話》)があったことは確かであるにせよ、実際に票を投じる人々が「国がEUから離脱しても、自分たちや子供たちの生活には影響はないか、あるいはもっとよくなる」と楽観していなければ、「離脱」に投票するという行動にはつながらなかっただろう。

実際、スウィンドンの「EU離脱」派は、その雇用を支える重要な一部となっているホンダの工場が閉鎖されるなどということは、想定していなかった。それは、投票結果を報じるBBC News記事にも出てくる「EU離脱」派の国会議員の発言にも見て取れる(同記事には「EU残留」派の議員の発言も引用されている)。

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2019年02月07日

BBCは嘘をつく。そしてしれっと修正する。(「情報として最小限で必要不可欠な限定句を省略する」という手法について)

1つ前のエントリが、結局は、メディアがview数を目当てにスピンした(ミスリーディングなことをわざと書いた)という事案だったかもしれないのだが、6日に、同じようなスピンが行なわれている現場にリアルタイムで遭遇した。

どちらにしても、実際にあった発言の一部を、狭いスペースに入る程度に切り出して(ここに「編集判断」が働く)、そのいわば「短縮版」を、「放流」すれば勝手に「拡散」されていくようなSNSという場に放り投げるだけの簡単な(それでいて手法としては計算されているような)お仕事。1つ前のエントリは、内容としては多少は「社会」的な面もあるにせよ、カテゴリーとしては「芸能ニュース」だったが、ここに書くのはもろに「国際」「政治」のカテゴリーで、つまり「フェイクニュース」という表現で語られるべきことだ。

Screenshot_2019-02-06-21-43-25.jpgさて、何があったか。2月6日の夜、本を読んでいた私は何気なくBBC Newsのアプリを立ち上げてみた。そこで目にしたものに、思わず崩れ落ちた。

先日も書いたが、今の英国――というよりイングランドのBrexit支持界隈のムードは基本的に完全に "Us vs Them" になっている。 "Us vs Them" はすべてを敵味方に分ける考え方で、「我々に賛成・同調しない者は、みな敵だ」という状態。世界のすべての国を例えば「反日か、親日か」で分けて考えるようなことは、便宜的に、考えや状況を整理するためにやるのならまだましだが(それでも私はそういう考え方はとらない)、実際に何か対立や争いがあるときにその枠組みで考えることは、極めて危険なことだ。「自分たちの思い通りにならないのは、敵のせいだ」という思考で物事をみるとき、そこに見えてくるのは「解決すべき問題」ではなく「叩き潰すべき敵」であるだろう。

そういうのが煽られているときに、「敵」が「暴言」を吐いて、我々を「侮辱」している、というストーリーがあれば、煽られている人々はますます感情を高ぶらせて怒りを募らせるだろう。

ここで見出しになっているドナルド・トゥスクの発言も、それを伝えるBBCの見出しも、絶望的なまでにひどいものだと私は見てとった。こんなの、感情を煽ることにしかつながらない。



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リーアム・ニーソンの発言の炎上、そしてウィンストン・チャーチル――あるいは「誰の人種主義がどのように、どこまで、人種主義と認められるのか」。

(Twitterだけで終わらせようかと思ったけど、ジョン・バーンズがウィンストン・チャーチルを持ち出してきたのは記録しておくべきだと思い、ブログを書いている。)

映画俳優が不用意な発言をして炎上しているだけだったら、見出しを見るだけで終わっていただろう。だが今回炎上しているのはリーアム・ニーソンだ。しかも炎上の中身が「人種差別」。

リーアム・ニーソンについては、日本では特に「ハリウッド俳優」と見なされているし、「米俳優」と呼ばれることもあるが(実際、米国在住だし米市民権は持っているはず)、出身は北アイルランドである。それも、プロテスタントが多数の地域に暮らすカトリック、という立場にあった人だ。北アイルランド紛争下で個人を常に「集団の一員」と見なすのが当たり前という環境の中に身を置いて、それを体験している人が、今ここで「人種差別」で炎上しているというのはどういうことなのか――記事を読まずにはいられなかった。そして読んで、唖然とした。

私が読んだのは、英国の通信社Press Association(日本で言えば「共同通信」のようなところ)の記事である。これをただの「芸能人の問題発言」とはとらえていなさそうな媒体だからという理由でベルファスト・テレグラフを見に行ったのだが、中身はPAだった。

Liam Neeson: I walked streets hoping to kill black person after friend was raped
The actor has said he wanted revenge for the attack.
February 4 2019
https://www.belfasttelegraph.co.uk/entertainment/film-tv/liam-neeson-i-walked-streets-hoping-to-kill-black-person-after-friend-was-raped-37781066.html

PAの記事は、別の媒体(英インディペンデント……あとでリンク)の記事内容をかいつまんでまとめたような記事で、どういう発言があったのか、それがどういう文脈でなされたのかはよくわかる。

いわく、公開を間近に控えた新作映画(またいつもの復讐もの)の主人公の行動について、インディペンデントのインタビュアーが質問したのに対し、ニーソンは「実際にあったことです」と前置きして、自分の体験を語った。発言内容は、次のようなものだ。
「以前のことですが、自分が遠方に行っている間に、友人がレイプされまして。旅から戻ってきてからそういうことがあったのを知ったのです。レイプという状況に、本人は見事に、それは見事に対処していたのですが、私はといえば……まずは彼女に、犯人は誰なのかわかるかと訊いたのですが、わからないと。そこで何色だったのかと (What colour were they?)。彼女の答えでは黒人だと」

「私はコッシュ(棍棒)を持って街を歩き回りました。誰かがちょっかいを出してくるのを待って――こんなことを言うのは、恥ずかしいことなのですが――。1週間くらい、そうしてましたね。黒人のクソ野郎がパブから出てきて、私に言いがかりをつけてきてくれるんじゃないかって思いながら。そういうことになれば、そいつを殺せる、と」

「1週間か、1週間半か、そのくらいずっとその調子でした。彼女に行き先を尋ねられれば『ちょっと散歩にね』と答えていましたよ。『何、どうしたの?』『いや、別に何ともない』というやり取りもありました」

「恐ろしいことでした。今思い返せば、自分がそんなことをしたとは、実に恐ろしい。今まで誰にも明かしたことのない話ですよ。それを(よりによって)ジャーナリストにこうして語っている。実にとんでもないことです (God forbid.)」

「ひどい体験でしたが、そこから私は学んだのです。最終的には『おまえは何をしてるとんだ』思って」

「私はああいう社会の出身で――紛争期の北アイルランドで育ちまして、ハンストで死んだ人たちも数人知ってますし、紛争に深く絡め取られていった知り合いも何人もいます。復讐の必要性というものは、私は理解している。けれどもそれは、さらなる復讐を呼ぶだけです。さらなる人殺しがまた人殺しに。北アイルランドは、それを証明しています。世界中で起きているそういうこと、そういう暴力がその証明です。しかし、初期衝動的に(復讐が)必要だと感じることは、私は(身をもって)理解しています」


一読して、「何と正直な」と感嘆しつつ、呆れかえってしまった。こういうことを、新作映画のプロモーションで、インタビュアーに喋るということの意味がわからなかった。しかもその新作映画が、またいつもの「復讐劇」なんでしょ。私は常々「あの路線つまんないし、リーアム・ニーソンの無駄遣いだからやめれば」と思っているのだが、「復讐」をドラマチックでロマンチックな、一種の「男のロマン」に仕立て上げるお芝居をしながら「復讐はよくない」と言ったところで、説得力ないじゃんね。しかも北アイルランドのベルファストでは、紛争が終わって20年経過してもいまだに、現実にパラミリタリー絡みの殺人事件が発生して、家族が「報復はやめてください」と訴える、ということが起きているのだ。

例えば『スリー・ビルボード』みたいにして「復讐」を描いた作品のプロモーションなら、ニーソンの発言の意義も一応わかると思うけど、事実上シリーズ化している「リーアム・ニーソン主演の復讐もの」にそういうの期待できるかっていうと……。

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2019年02月05日

妄想に規定された、Brexitをめぐる風景(2019年1月以降現在までのざっくりとしたまとめと、覚え書き)

私の見るパソコンの画面の中で、妄想が現実を侵食している。その「妄想」は何も新しいものではない。過去にも見かけはしている。そのときはドン引きしつつ「あー、はいはい」と流したりしていたものだ。しかし、最近――英国会下院でのテリーザ・メイの "meaningful vote" 以降は目に見えて――ドン引きしながらも生温かく見守ることができるという限界を超えている。目にしたら「何これ!」と叫んでしまう。あるいは見なかったことにしてそっ閉じして、その後は近寄らないようにしてしまう。(それがどういうののことかは本稿もっと下の方に書いてある。)

2019年1月15日の "meaningful vote" でメイがEUとの間に取り付けてきた合意(協定)案が歴史的大敗北を喫して以降、Brexit(ブレグジット)をめぐる英国内の論点としては、選択肢は「Brexitしない(英国がArticle 50の発動を一方的に取り消す)」、「期限日(3月29日)の延期」、「合意なし(no-deal)のBrexit」、「再度のレファレンダム(People's Vote)」、そして「メイが持ってきて否決された合意案の修正」の5つになっている。

「Brexitしない」という選択肢は、事実上、理論上のものにすぎない。与党保守党のみならず、最大野党(the Official Opposition)の労働党もEUからの離脱は実行する構えだからだ(2018年12月の時点で、労働党のジェレミー・コービン党首は「総選挙をやって政権交代しても、Brexitは実行する」と明言している)。

同じ理由で、「再度のレファレンダム(People's Vote)」もほぼ可能性はない。2018年10月には、ロンドンでPeople's Voteを求めるデモが、すさまじい規模で行なわれたし、それは日本語圏でもニュースになっていたが、何十万人もが街頭に出たからといって、それがウエストミンスターの議事堂内で討議されることにはならない。労働党は、かなりの数の議員たちがPeople's Voteを支持していても、党執行部は「断固Brexitを推進」の方針を貫いている。そもそも、再度レファレンダムを行なったところで、Brexitしない(EUに残留する)という結論が出るという保証もない(世論調査では「今実施すればEU残留になる」という結果が出ているとたびたび報じられているし、1月以降は企業が次々と英国から出て行くというニュースが続いているので、論理上は「こんなことになるならEUに残留したほうがまし」と考える人が増えていると考えることはできるが、「もうここまできているのだから」と考える人も増えているかもしれない。そもそも「事前の世論調査」があてにならないことは、近年の選挙結果が示している通り)。

というわけで、現時点で現実味のある選択肢として残っているのは、「期限日(3月29日)の延期」、「合意なし(no-deal)のBrexit」、「メイが持ってきて否決された合意案の修正」の3つと言えよう。

そのうち、現政権がやろうとしているのは、「メイが持ってきて否決された合意案の修正」である(当たり前といえば当たり前だが)。その「修正」を要求しているのは、保守党内のBrexit過激派(昔は「欧州懐疑派 Eurosceptics」と呼ばれていた人たちが、今は「Brexit過激派」になっていると思ってだいたいよさそうだ)で、どこをどう修正しろと言っているかというと、例の「バックストップ」である。つまり「バックストップを除去せよ」と。

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2019年01月16日

英国、「議会における政府の大敗」で参照されている「1924年」、そして当時の捏造文書 #MeaningfulVote

howdideachmpvote15janguardian.pngというわけで、テリーザ・メイ首相が長い時間をかけてようやくEUとの間に成立させた合意案が、英国会で採決にかけられたわけだが、結果はとんでもない大差での「否決」だった。ガーディアンに各議員の投票一覧の記事があり、視認性のよいチャートがついている。労働党で党の方針(「反対」)と逆の投票をしたのは3人、保守党では党の方針(「賛成」)と逆の投票をしたのは118人。2日前くらいまでは「棄権者が多いのでは」との観測もあったが、ガーディアンの一覧を見ると、実際には投票していない議員はほとんどいない。議長と、議会非出席主義をとるシン・フェインを除けば、保守党で1人、労働党で3人のみだ。

全体で、「反対」432票対「賛成」202票と、ダブルスコア以上の結果。あまりにとんでもない差がついて、Twitterの画面にはhistoricとか1924とかいった単語が乱れ飛び、早朝の東京で私はついていけなくなってしまった(一度その時間帯に目を覚ましたのだが、Twitter見てるうちに寝落ちした)。

ちなみに1924というのは、「政府は1924年以来の負けっぷり」という文脈で言及されていた数字だが、改めて検索してみると、労働党マクドナルド内閣(第一次)に対する不信任決議のことを言っていると確認できた。このときの結果は「不信任」が364票、「信任」が198票。政府(the government)側のボロ負けの結果、同年10月に行なわれた総選挙では、労働党から保守党へ政権が交代した(議席数はボールドウィンの保守党が412、マクドナルドの労働党が151、アスクィスの自由党が40)。このころ英国は選挙が頻繁だった。1922年11月の定例の総選挙でボナー・ローの保守党が再度政権をとったあと、わずか209日で病気のためローが辞任してボールドウィンが保守党党首となり、1923年12月に再度総選挙が行なわれて、保守党が大幅議席減で258議席、労働党が大幅議席増で191議席、自由党も大幅増で158議席(定数615)とどこも過半数を取らないというhung parliamentの結果に終わり、自由党が労働党を支援したため労働党が数的に不十分な状態で政権を取った(少数内閣)。これが労働党初の政権だったのだが、それが1年ももたず、上述の不信任決議が行なわれて、1924年10月に総選挙となり、労働党が政権を失った。この政権交代劇の背後にあったのが、新聞に掲載された反共主義の偽造文書(今でいう「フェイク・ニュース」)だったというのも何とも言えないというか、「まあそりゃ英国ですから」としか(こんな英国が「モデル」と崇められてきたのが現実ですが)。

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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