「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2016年10月28日

LとRとHi-NRG/ユーロビート(訃報: ピート・バーンズ)

英語のLとRの聞き分けは難しかった。今でも難しい。語頭にある場合は文脈なくても聞き分けられると思うが (lidとrid, lightとrightなど)、語中にあるときは文脈を頼って判断していると思う(flyとfryなど)。でもずっと以前は、語頭にあるときも聞き分けなんてできなかった。聞き分けができないから書くときも間違えた。テストでくだらないところで失点する原因になると言われ、「受験地獄」の時代、私はあせった。スペルミスは1箇所で-1点なので、1点を争う入試などでは致命傷になりかねない。

今のように「ネイティヴがしゃべる英語」へのアクセスがほとんど無尽蔵にある時代とは違う。聞き取りの練習には、基本、英語教材か、ラジオの英語講座か、英語の映画(もちろん吹き替えではなく字幕)しかなかった。ただし、地理的条件が合えば、米軍のラジオ放送を「英語のシャワー」的にかけっぱなしにしておくという荒技も使えた。当時のFEN (the Far East Network: 現在はAFN, the American Forces Network) である。

FENは基本、DJがおしゃべりしながら音楽を流している局で、定時にはニュースがあり、大相撲の中継などもあったが(力士の名前が英語訛りで読まれ、"Push, push, push" などと絶叫で中継されるのは、おもしろかった)、基本的には「そのときどきのヒット曲や、オールディーズと呼ばれる曲が延々と流れている局」だ。実際には音楽目当てでかけっぱなしにしていても、「英語の聞き取りに役立つから」という名目があるから、親に「また『ながら勉強』なんかして!」と怒られずに済むという便利な局だった。かかる曲はテレビの「ベストヒットUSA」(これもまた「小林克也の英語が勉強になるから」という名目が立ち、「親に怒られずに毎週見ることができる番組」だった)と大差なかった。1980年代、商店街の店の多くは店頭でラジオか有線放送かカセットテープを流していて(今のように、著作権管理団体がうるさくなかった)、そこでもヒット曲が常に流れていた。八百屋ではおやじさんが「さかなはあぶったイカでいい」と有線に合わせて鼻歌を歌っていたし、こじゃれた雑貨屋はFENだったり「海外チャートもの」の有線放送で「洋楽」を流していた。もっと本格的に「音楽好き」の人は、それなりのリソースやアクセスがあれば、チャートもの以外の音楽を聞いていただろうが、「チャートもの」の音楽は、どこにいても必ず耳にした。

LとRの壁にぶち当たっていた私に光を投げかけてくれたのは、そういう「チャートもの」の曲のひとつだった。

You spin me right round, baby, right round
Like a record, baby, right round round round


発音記号もどきで書くと、 [rai], [rau], [lai], [re], [rai], [rau], [rau], [rau]. これだけのバリエーションが間髪いれずに流れてくる。それも、ものすごい美声で、しかもLとRの違いがはっきりわかる。


※全体の歌詞はこちら: http://www.metrolyrics.com/you-spin-me-round-lyrics-dead-or-alive.html

この一節は発音練習にも使える。You spin me right round, baby, right round like a record, baby, right round... のlikeを、いかに失敗せずにRでなくLで発音できるかは、英語発音の口周り&口内筋トレになる。曲のテンポもちょうどいいし、歌も(ピート・バーンズのようにすばらしい歌唱力がない人でも)難しくなく、すぐに覚えられる。

というわけで、ピート・バーンズは私にとっては「英語の先生」だったのである。

男性について「妖艶」という形容がなされるのがかなり当たり前のことだった80年代でも、ピート・バーンズは突出していた。ボーイ・ジョージは、服装・髪型・メイクなどを真似れば自分もああなれそうな感じがしたが、ピート・バーンズ(とアダム・アント)は別格の美形だった。80年代半ば以降流行り始めた「カフェバー」仕様の店でずっと流れているMTVでDead of Aliveのビデオが流れると、店内の客が男も女もみな画面を見てしまうというような美形。私もこの人は顔(とそれを引き立てている髪型)にしか目が行っていなかったのだろう。今改めてビデオを見て、すっごいかわいい手をしてたんだなということに初めて気づいた。手のアクションがけっこう多いビデオなのに。

そういうことに今まで気づかなかったくらいで、私は特にピート・バーンズの「ファン」ではなかった(アルバムYouthquakeはレンタルレコードでダビングして聞いたが、限られたお小遣いの中で買ってはいないんだよね。デュラン・デュランやカルチャークラブは持ってるけど)。でも一度耳にしたら忘れられないインパクトのあるあの声と圧倒的な歌の上手さ、そしてあのルックスは、強烈に記憶に残っている。

そういうふうにして、特に「ファン」ではなかったが今も記憶に残っているという人は、ほかにも大勢いるだろう。当時、hi-NRG (high energyと読む) /ユーロビートと呼ばれたシンセポップのディスコ・チューンは、「マハラジャ」など大人の人が行くようなディスコでも、新宿や渋谷にあったより裾野の広いディスコでもかかっていた(遊ぶ年齢になってからは「チャートもの」からは遠ざかるようになっていた私は、個人的にはユーロビートの店で遊ぶことはほとんどなく、何度か友人の付き合いで「女性」枠の人数あわせに動員されてタダ酒飲みに行った程度だったが……自分で遊びに行った店ではDead or Aliveはまずかかってなかったと思う)。

ずっと後に、別の文脈(GOTH)のクラブで、「GOTH GOTHしく盛り上がる80年代ヒットチャートものの曲」として再会し、「そりゃみんな当然好きですよね」という空気に満たされもしたが、「バブル真っ盛りの日本で大人気」だったころの曲には、あまり馴染みのないものもある。下記のビデオは、どう見ても「なんとかのかんとかスタジオ」だが(撮影場所はBrocket Hallだそうだ)、この曲にはあまり鮮明な記憶がない。「LとRを教えてくれた恩人」のことを、そのころにはもう私は忘れていたようだ。「チャートもの」が恥ずかしくなるお年頃でもあった。ラジオをエアチェックして「70年代パンク特集」などでかかった曲をカセットテープに溜め込んでは、それを繰り返し聞いていたころだ。(なお、「女の音楽の好みは男の影響」とか知ったような口をきくアホ男もいるが、レコードを買ったりレンタルしたりFM雑誌を買ったりエアチェックしたりということを、「男」など関係なくやってた女は山ほどいる。私もそのひとりだ。)



ピート・バーンズは90年代以降、あれほど美しく整った顔にもまだ不満が残っていたようで美容整形手術を重ねたが、そこでひどい目にあい、近年その相貌は、カフェバーのテレビ画面に人々の目を釘付けにしていたころの彼の面影をまるで残さないものとなってしまった。だたそのことは「歌手、ピート・バーンズ」の活動を止めはしなかった(当たり前のことかもしれないが)。Twitterが普及した後、再度彼の芸能界での活動にTwitterで接することも何度かあった(テレビに出ていて、人々が「おもしろいな」的な一言をツイートしている、という形でしかなくっても)。



その彼が急逝したというニュースがあったのは、2016年10月24日(現地、日本時間では25日早朝)だった。心不全を起こしたのだという。








「妖艶」という形容で語られた80年代の「イギリスのミュージシャン」たちの追悼の言葉にあるように、ピート・バーンズは強烈な個性の人だったのだろう。

訃報が流れたときに見た写真で、「これはすごい」と思った写真。同時代のスターなんだから、こういう写真もそりゃあるよね。どの媒体だろう。Soundsかな。Melody Makerかな。





ピート・バーンズはリヴァプールの人で、ほかにも有名なミュージシャンが働いていたことのある地元のインディペンデントなレコード屋の店員だった。店員としてですら「エキセントリック」だったようで、客の買うレコードが気に入らないと、会計した品物を投げてよこした (Burns was notorious for his maltreatment of customers, sometimes throwing their purchases at them because he disapproved of their selection.) という逸話など、ドリフの「もしも」シリーズのようである。

そのレコード店(現存する)のツイートより:





日本語で(歌舞伎の女形でもないのに)男性が「妖艶」と形容されることが、特別だったけれど当たり前でもあったのが1980年代。個人的にその前(70年代)のことは知らないのだけど、90年代には「美形」や「王子様」や「貴族」はいても、「妖艶」と呼ばれるスターはいなかったような気がする。その後はどうだろう。いつしか「最新の音楽」の音の部分以外への興味を失い、ヴィジュアル情報をあまり見なくなったのでわからないが、やはり80年代のあの「ジェンダーを問い直す」ポップ界のありかたは、特別なものだったのではなかろうか。「男が女装する」のではなく、「男とか女とか、そんなのどうでもいいじゃん」というありかた。当時のフェミニズムの「女たちのなんちゃら」とかいうのすら暑苦しくてたまらん、というありかた。

その感覚はたぶん、英語圏でも共有されているのではないかと思う。用いられる単語・フレーズは異なるが(英語では、「妖艶」のように、もっぱら女性の美しさを言うために使われる日常的な形容詞はあるのだろうか)。










"Gender bending", "unashamedly different", "androgynous", "gender nonconforming". ほかにも形容することばはあるかもしれない。

LOVESEXY
PRINCE
B000002LE6
Nude
Dead or Alive
Nude






You've got your mother in a whirl 'cause she's
Not sure if you're a boy or a girl
Hey babe, your hair's alright
Hey babe, let's stay out tonight
You like me, and I like it all
We like dancing and we look divine
You love bands when they're playing hard
You want more and you want it fast
They put you down, they say I'm wrong
You tacky thing, you put them on

Rebel Rebel, you've torn your dress
Rebel Rebel, your face is a mess
Rebel Rebel, how could they know?
Hot tramp, I love you so!

http://www.metrolyrics.com/rebel-rebel-lyrics-david-bowie.html



On the topic of his sexuality, Burns stated that "[People] always want to know – am I gay, bi, trans or what? I say, forget all that. There's got to be a completely different terminology and I'm not aware if it's been invented yet. I'm just Pete."

https://en.wikipedia.org/wiki/Pete_Burns


デイヴィッド・ボウイのRebel Rebelは1974年リリース。1959年生まれのピートが15歳のときだ。

どれほど大きな影響を与えたことだろう。

ピート・バーンズという歌い手の声の変遷を、キャリアの最初(オブスキュアなポジパン・バンドだったころ)から最後(2016年)まで、まとめた映像がある。



最後の、黒い衣装でYou Spin Me Roundを歌うステージの映像を見ると、相当身体がしんどそうに見える。腰を悪くしているときもああいう感じになるから、観客はあまり気に留めなかったかもしれないし、実際腰の問題だったのかもしれないが、心不全で急逝してしまった今見ると、もうずいぶんつらかったのではないかと思う。痛々しい。

だが、太く短く燃焼した人生だったのではないかと思う。何より、LとRの件、ありがとうございましたと言いたい。合掌



すごいファンの人が作ったと思われる「まとめ」(下記)を見たので、本稿はアップしなくてもいいかなと思ったんだけど、やっぱ「LとRは友達、怖くないよ」ということは書いておきたいのでアップすることにした。

ファンの人が作ったと思われる「まとめ」:
【速報・訃報】ピートバーンズ死去 ピートバーンズ☆☆ロック歌手☆☆まとめ
http://matome.naver.jp/odai/2140965252565781301

お父さんがリヴァプールの軍人(リヴァプールの「バーンズ」さんはアイリッシュが多いかも)、お母さんがナチスの迫害を逃れてきたドイツのユダヤ人だったんすね。そしてイングランドでつらい思いをしたお母さんはアルコール依存……ピート・バーンズが政治的な発言を進んでするような人だったら、Brexit後の発言があれば読んでみたいですね。探してみよう。

※この記事は

2016年10月28日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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