「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2019年09月24日

英国で学位を取得した人の残留許可期間が2年になる(テリーザ・メイ内相の「改革」で短縮されていたのが元に戻る)

こちらのブログを放置してしまっているが(下書きはあるんだけど、アップできる状態にまで持ち込めていない。何しろBrexitと英国会がああだから……)、英語実例をただ集積していくブログは毎日更新中で、そちらで取り上げる記事によっては、こちらで書いてもいいんじゃないかという内容の解説を書いて、コピペしようかなどうしようかなと考えている間にめんどくさくなってコピペしない……ということが続いている。そもそも同一の文章をあちこちにアップするのはノイズを増やすだけだというインターネット老人会のいにしえの掟に縛られているので、どうにも腰が重いのだが。

が、この件はリンクと一部コピペくらいはしておこう。表題の件:
https://hoarding-examples.hatenablog.jp/entry/2019/09/18/%E5%85%88%E8%A1%8C%E8%A9%9E%E3%81%8Ccase%E3%81%AE%E5%A0%B4%E5%90%88%E3%81%AE%E9%96%A2%E4%BF%82%E5%89%AF%E8%A9%9E%E3%81%AFwhere%2C_have_%2B_O_%2B_%E9%81%8E%E5%8E%BB%E5%88%86%E8%A9%9E%2C_
現在EU離脱(Brexit)という問題を抱えてしっちゃかめっちゃかになっている英国だが、Brexitの焦点のひとつが「外国からの流入人口(移民)」である。EUの一員である限りはEU加盟国からの人の流入は制限できないという問題――それは同時に、英国からEU各国への流出に障害がないということでもあるのだが――について、自身は外国で就職など絶対にしないという庶民層からの感情レベルでの反発(「近くの工場で働くために通りの奥に引っ越してきた人たちが、わけのわからない言語でしゃべっている」「ここはイギリスだ、英語をしゃべれ」的なもの)を、ポリティカル・クラス(政治の上層部、国政の政治家たち)が無視し、侮ってきたツケが爆発した、と言えるわけだが、そういった感情的反発はBrexitが議論の俎上に乗るようになる前からずっと可視化されていたわけで(ゴードン・ブラウンの "Bigoted woman" 発言と、その後のブラウンへの批判の嵐をご記憶だろうか。わからない方は英語圏でウェブ検索を)、ある意味でその不満のガス抜き調整弁として利用されてきたのが「外国からの留学生の数」だ。2010年、労働党ゴードン・ブラウンが選挙で負けて、保守党のデイヴィッド・キャメロンがLibDemsと連立を組んで新政権を発足させたあと、テリーザ・メイ内相のもとで積極的に進められたイミグレ政策のひとつが、「留学生を減らす」という政策だった。具体的にはインチキ学校(「ヴィザ取り学校」と呼ばれたような実体のない学校……今、日本で問題になりつつありますね)の認可を取り下げたり、ヴィザ発給要件を厳しくしたり、ポイント制を導入したりといったことが進められた。さらに、大学で留学した場合、学位を取得したあと英国に残れるのは4か月までとされ、要するに、卒業したら速やかに英国外に退去することが求められていた。

テリーザ・メイが内相時代に導入したその方針が、ここにきて転換された。「転換」といってもメイ以前の時代の制度に戻っただけだが、学位を取得したあと、2年間の残留が認められる。転換の理由は、メイの導入した政策のもとで英国の大学は外国人留学生を大量に失うことになった(つまり学費収入が減ってしまった)ことだと考えられる。詳しくは下記報道記事を参照。
https://www.theguardian.com/education/2019/sep/10/uk-work-visas-for-foreign-graduates-to-be-extended-to-two-years


ヴィザ取り学校がつぶされていったころのことは、当ブログに書いていると思うが、学位(学士号・修士号)取得者が英国に残れる期間が延びた(元に戻った)からといって、ビザ取り学校まで戻ってくるわけではない。あのときつぶれた怪しげな語学学校や専門学校のサイトは当然もうなくなっているが、そういった「なんちゃって学校」への留学について書かれた外部サイトなどはまだ残っているかもしれないし、それを利用してお金をかすめとろうという詐欺師もいるかもしれないので、語学学校や専門学校への留学をご検討の方には、今回のこの制度改正は大学・大学院(学士・修士)だけということを改めてご確認いただきたいと思う。


※この記事は

2019年09月24日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼