「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2019年12月14日

英国の「二大政党制」の終わりは、「第三極の台頭」ではなく「一党優位政党制」を意味するようだ。(2019年総選挙)

12月12日という微妙な日程で行われた英国の総選挙が終わった。全体的な結果について思うところはいろいろあるが、今キーを叩いているのはそれについて書くためではない。北アイルランドの結果について書くためだ。というか、結果だけでなく、北アイルランドでの今回の選挙全体について、できる範囲で。|→予定変更。北アイルランドについては別稿にて。

本題に入る前に英国全体の結果についてちょっとだけメモしておく。日本時間で13日の朝7時(現地12日夜10時)に投票が締め切られると同時に出口調査の分析結果が公表された。Twitterに流れてきていたTV画面のキャプチャ画像でその数字を見た瞬間、何か見間違えてると思ったのだが、次に流れてきていた別のキャプチャ画像にも同じ数字が書いてあったので、見間違いではないとわかった。

この時点で予測されていた議席数は、保守党が368議席、労働党が191議席、LibDems(「自由民主党」という党名は紛らわしいので当ブログでは「LD」と表記する)が13議席、スコットランドのSNPが55議席、環境政党Green Partyが1議席、欧州議会議員選挙ではすごい勝利をおさめたナイジェル・ファラージの新党であるBrexit Partyは議席なし、その他の政党が22議席(うち、北アイルランドに配分されているのが18議席)というものだった。



ちなみに、実際の確定議席数は、保守党が365議席(66増)、労働党が203議席(42減)、LDは11議席(10減!)、SNPは48議席(13増)、Greensが1議席(変動なし)で、その他の政党が22議席 (source)。(「その他」が27議席減ったことになっているがこれは後述するように保守党から追放されて議会解散時に無所属となっていた議員が「その他」に参入されているためで、2017年に選挙を行ったときの数値(317議席)を基準にすれば、保守党の「66増」は「48増」となる。)

「保守党368議席」の数値に「出口調査の数値は予測であって、確定結果じゃないし、今回はギリギリで競る選挙区が相当たくさんあるから」と述べている人もTwitterにはいたが、実際には365議席だったので、誤差はほとんどなかった。労働党の191議席は少なく見積もりすぎだったが、問題はそんなところにはなく、投票締め切りと同時に「保守党の単独過半数」がわかったということが重要なポイントだった。

英国の下院で単独過半数に必要な議席数は326議席。今回の選挙の最大の注目ポイントは、ボリス・ジョンソンの保守党がこの議席数を獲得できるかどうかだった。今回の選挙は「Brexitを問う選挙である」みたいなざっくりした説明が当たり前のように横行しているようだが、Brexit云々とは別に、ジョンソンの嘘上等&法律違反上等のめちゃくちゃな手口(政治手法)がノーチェックで通るということがないよう、議会を政府に対する一種の弁みたいにするために保守党の単独過半数を阻止しなければならないという有権者の運動は選挙の実施が決まってからわりとすぐに始まっていた。Twitterでは「戦術的投票 tactical voting」を呼び掛ける発言がシェアされ、それを支持する著名人の発言も相次いだ(その一例は、英語実例ブログのほうで取り上げた)。選挙が終わってみたら、ジョンソンがこの選挙で成立することになる自身の政府を "people's government" と厚顔無恥にも名付けているためだろう、そういった呼び掛けの発言を行った著名人はまるで「『人民の意思 people's will』の実現を邪魔しようとする国賊」であるかのように扱われていて(後述)ものすごく息苦しいのだが、そういう「結果」が発生する前の段階、つまり「単独過半数を阻止しよう」という勝手連的な運動が起きた段階で、ウォッチャーとしては、これは注目に値することだと思った。英国の政治が「二大政党制 two-party system」を前提としてきた時代が終わったということだからだ。





選挙前には、英国は、「二大政党制」から、大政党と小政党の連立が前提される「多党制」(そのときどきで連立政権が構成される形)に移行するという想定になっていたのかもしれない。選挙前の分析記事などで、どこも過半数を取らないhung parliamentの結果に(またしても)なった場合にキーを握ることになると思われたLDへの注目は、かなり大きなものがあった。大きくなりすぎて、「LDが単独過半数を取ることも夢じゃないかも。きゃはっ☆」みたいなムードすら醸成されてて、そこまで行くとあからさまに情宣でうさんくさすぎるだろと思って見ていたが、最近LDの党首になったばかりのジョー・スウィンソンは大真面目にLDが政権を取ることを考えていたらしい。この選挙を引き起こしたのもLDなんだけどね(LDが解散総選挙に賛同したことで議会が解散できる道筋がついた)。でも選挙が終わってみたら、百何票という僅差ではあったが、ジョー・スウィンソンは議席を失っていた。何だそれ。


※ニック・ボウルズのこの発言は選挙開票前のもの。



……「ちょっとだけメモ」のつもりで書き始めて延々と書いてしまうのは私の通常運転なので気にせず先に行こう。

で、ここ80年か90年くらいは保守党と労働党の「二大政党制」でやってきた英国の政治だが、今回の選挙はどう見ても、欧州大陸諸国でよくある「多党制」ではなく、保守党が安定的に一強を保つ政治体制、つまり日本などと同じような「事実上の一党制」(「一党優位政党制」という用語があるんだね)を実現しようとして行われているという印象だった。保守党は、自身の政権の座を脅かす可能性のある対抗政党(つまり労働党)を徹底的に叩き潰す(できれば分裂させてしまう)ということをしているように見えた。同じことを言っても、保守党側の発言はスルーされ、労働党側の発言はタブロイドで扇情的に扱われ、いつまでもしつこく繰り返し流されるという例のあれが行われていたのだ。この話の詳細はさすがに今書いてる時間も能力もないから先に行こう。

……頭が北アイルランドに向かわなくなってしまった。北アイルランドのことはまた稿を改めることにする。

って、本稿を書くために自分のログを掘ってたら、こんなん出てきたから貼っておく。2017年6月、前回の総選挙の後のツイート(画像クリックして全図を表示させてください)。


いわば「定期的」な政権交代を前提とする「二大政党制」を、やっぱ今のこの保守党、過激派ばかりの保守党は、壊したかったのだろうし、実際にそうしたんだろうね。

今回の選挙結果を、単に「保守党が圧勝」と見ていてはいけないと思う。今の保守党は以前の保守党とは違う、過激主義者の集まりだ。何しろこの保守党には、ケン・クラークのような人がいないのだ。ドミニク・グリーヴもいなければフィリップ・ハモンドもオリヴァー・レトウィンもいない。7月の党首選のときには「新星」として注目されていたロリー・ステュワートもいない。保守党内のいわゆる「穏健派」で、ジョンソンの嘘上等&法律違反上等のやり方に危機感を抱き、no-deal Brexitを阻止するために議会で議員として仕事をした人々21人から、ジョンソンは党籍を剥奪した。うち10人は10月に党籍を回復しているが(ジョンソン陣営に手なずけられたわけだ)、2人はLDに移り、そして保守党に戻った10人のうちの4人を除いては全員(つまり21人中17人が)、12月12日の選挙の後で、議員ではなくなった(立候補せず引退した人が12人、LDから、もしくは無所属で立候補して保守党候補に敗れた人が5人)。
https://en.wikipedia.org/wiki/September_2019_suspension_of_rebel_Conservative_MPs

この状態を無視して「保守党はやはり保守党だから」と期待をかけるのは、安倍自民党について「でも谷垣さん(あるいは石破さん)が……」みたいなことを言い続けるのと同じなのだが(元からの支持者が陥る「腐っても鯛」現象)、どうやら英国ではそういう人がけっこういるみたいな感じがする。そういう人々には、ここ日本でごまめとして歯ぎしりすることをやめてしまった河野太郎氏がどうなっているかを知っていただきたいと思う。氏がいい人だとか悪い人だとかいうことではなく、権力っていうのはそういうものだ。何しろ、現在「記録何それ取っといてどうすんの終わったものは捨てればいいじゃない」みたいな態度を貫いている菅官房長官は、民主党政権時代には「記録を残さないとか、マジ考えられないんですけど」みたいなことを言っていたのだ。後者が菅氏本人の理念だとすれば、権力の座にあることはそれをさくっと捨てさせるくらいのものなのだ。

菅官房長官、7年前に「政府があらゆる記録残すのは当然」 桜を見る会めぐり「過去のブログ」話題に
https://www.j-cast.com/2019/11/29373991.html?p=all
菅氏の2012年1月28日付ブログ……を見ると、「議事録も作成しない『誤った政治主導』」のタイトルで、当時の民主党政権が、東日本大震災に対応するために開かれた多くの会議で議事録が作られていなかったとして、ずさんだと非難していた。国会事故調の検証にも支障が出ると指摘し、失敗を隠そうとしたと疑われるような密室政治で、政権を担う資格がないと断じている。その文中に、以下の表現があった。

「1000年に一度という大災害に対して、政府がどう考え、いかに対処したかを検証し、そこから教訓を得るために、政府があらゆる記録を克明に残すのは当然で、議事録はその最も基本となる資料です。それを作成していなかったのは明らかな法律違反であるとともに、国民への背信行為です」(ブログから引用)

こんな常識的な、ごくまともなことを言っていた人が、8年近く後の今では公職者が公金を使って主催する公的な行事に、私的なつながりで人を(それもかなりとんでもない系の人を)招待していたという「汚職」とも言いたくないような、どこの途上国の接待・賄賂だよというような問題が生じたら、「あらゆる記録を克明に残す」どころか、シュレッダーにかけるとかファイルを消去するとかいうことをやり、消去したデジタル・ファイルは復元できないという虚偽説明を行って平然としている。それが権力を持つということの一面だ。

だから今、保守党圧勝というこの状況で誤った楽観論に傾いている人には、それはあまりに衝撃的な現実からの逃避なのかもしれないが、ショックを吸収し終わったあたりで冷静になって、「妙な期待をしない」という英国式処世術を思い出してもらいたいと、心底から願っているのである。







ピーター・ゲガンさん (Open Democracy) はいつも明晰だ。



ただ、ジョン・シンプソンの下記の発言は、これから行われなければならないEU側との交渉について、明確な分析に基づいているのだと思う。英国が何をどうしたいのか全然わからないところで形だけ交渉をして、形だけ合意文書を取り交わして、英国が持ち帰った議会で否決されて……ということは、EUはもう繰り返したくないし、繰り返すつもりもない。現にフランスは前回の10月末の期限延長もすごい渋ってたみたいだし(ドイツに説得されたとか)、今回の選挙の結果、「Brexitは絶対にする」という方向性が確定したと考えることの妥当性ができたことで、ようやく次のステップに行けるという認識は、EUと英国の間で共有されている。ユーロ・ポンドのレートが爆上げしたのはその反映だ(あとはもちろん、「政権の安定」っていう例のあれがあるんだけども)。






個人的には、Greensのキャロライン・ルーカスの下記の発言に共感を覚えている。


だが2019年12月(レファレンダムから3年半後)に、この論に説得力があるかというと、Yesとは言えない。もう手遅れなのだ。EUはもう待てない。EU各国だって選挙もすれば政権も変わるし、官僚だって入れ替わる。各国の政策もある。EUとして取り組むべき新たな課題も続々と出てくる。いつまでも2016年6月に縛られているわけにはいかない。

レファレンダム以降の3年半の間にこの方向性を追求することをしなかった最大野党・労働党は、非難・批判を免れ得ないのだが(レファレンダム自体が実は法的拘束力がなく、離脱陣営のやったことは法的に怪しいものだったのだから、そこに突っ込めば、少なくともレファレンダムのやり直しか2度目のレファレンダムは勝ち取れたはずだ)、その責任者はほかならぬジェレミー・コービンだ。だが、コービンの労働党はその責任から目を背け、純粋に内政の課題に振り切って選挙戦に出た(もちろん個々の議員にはコービンのその考え方にはついていかない人もいるのだが)。そしてその結果が、今回の、惨敗と言うのでも足らないくらいの無残な負けっぷりである。とっとと退陣してほしい。コービン支持者は、半分泣きながら「Wenger Out」と叫んでいたアーセナルのサポーターと同じく、今こそ「Corbyn Out」と叫ぶべきだ。

ていうかここに至るまでの間にアホな取り巻きをどうすることもしなかったコービンは、裸の王様だったのだろう。熱烈なコービン支持者であるポール・メイソン(ジャーナリスト、元BBC)がこんなことを書いている。



一方で、この選挙に際して労働党やLDを支持して発言した著名人への風当たりがめっちゃきつい。「風当たり」というレベルではないかもしれない。コービンの提灯持ちになって「勝てる勝てる」ということを連呼していたオーウェン・ジョーンズやポール・メイソンのような人々なら批判されて信頼を失っても当然かもしれないが、どう見てもやりすぎなような事案もある。







意見の異なる者を排斥していこうという流れが、あの英国で、強まるのだろう。戦時下でもないのに。

そういえばこの10年ほどの間にますます高まってきた戦没者追悼のレッド・ポピー運動(毎年11月)も、「赤いポピーを着けていない者は、この国を愛していない」というあまりに単純すぎる白か黒かのリトマス試験紙みたいになってきてて、サッカー選手でも俳優でも、TVなどに出る人は誰でも着用するようになっている。英国籍であろうがそうでなかろうが関係なく、アイルランドの俳優、マイケル・ファスベンダーもその時期のTVのトーク番組に出たときは胸にレッドポピーを着けていた。彼の場合、先祖を少し辿っていくとマイケル・コリンズとつながっているのだが、そんな人でも着けさせられるなんて恐ろしくてしょうがない。あの戦没者追悼は「平和への感謝」であるみたいなことも言われていないわけではないが、平和祈念のシンボルならホワイト・ポピーというのがあるのだから、それを使えばよい。だが実際には、ホワイト・ポピー着用者には「愛国的でない」という罵倒が浴びせられるのだ。ホワイト・ポピーの由来を見れば、このシンボルが「愛国的でない」というのは、字義通りの「デマ」以外の何ものでもないのだが、そんなことより同調圧力。なんかそういうふうになってきている。(「平和主義者」が「愛国的でない」というレッテル貼りは、英国ではまあよくあるレッテル貼りではあるが。)

そして今回、選挙で「戦術的投票」を呼び掛けたり、労働党支持を公言したりした芸能人やスポーツ界の名士たちが、Twitterでさらし上げられている。リリー・アレンはジョンソン勝利確定後にジョンソンを「レイシスト」と批判したことで袋叩きにあったようだが(デイリー・メイルなどがさらし上げるような記事を出していることが確認できる。私はそういう記事自体は読んでいないがフィードは見た)、他の芸能人が単に選挙前に有権者として普通に発言したことですら「国賊」扱いみたいなことにつながってきている。


※このツイートを書いたときには気づかなかったが、リリー・アレンはこれで騒ぎになって、Twitterアカウントを削除したようだ。実際、何があってもおかしくないからね……ボリス・ジョンソンは下院の議場で、2016年のレファレンダム直前に極右思想の持ち主に殺害されたジョー・コックス議員のような目にあわせてやるという脅迫を受けていると述べた女性議員に対し、スクルージのように「ふん、くだらん Humbug!」と言い放った人物だ。その人物を支持しているような連中が何をするか、わかったものではない。





他方、下記のコリアーさんの発言は、もっともだと思う。これ、2016年6月のレファレンダムのときからずーっと続いてるんだよね。Brexit支持の漁民を「田舎のレイシスト」扱いしたRemain支持者のことは、以前書いている
2016年6月のレファレンダム前に、EU離脱を主張する人々は、彼らが「エリート」と呼んでいる層から「まともに取り合うべきではない愚か者たち」と扱われていた。例えば、投票数日前にテムズ川で漁民が船を駆ってデモをしたとき(その中には、当時UKIP党首だったナイジェル・ファラージの姿もあった)、川でこぎれいな船に乗って待ち構えていたBrexitに反対する活動家たちの一群(その中には、アイルランド人のボブ・ゲルドフの姿もあった)は、漁船の側から水をかけられて、中指を立てるような最大限の侮蔑を浴びせかけた。メディアはそれを「ファラージ対ゲルドフ」的におもしろがって書き立てた。しかし結果的にこれは「傲慢なエリートが、EUに苦しめられている漁民を見下している」という図式を決定づけてしまった。……

Brexitに反対する人々がすべきだったのは、船上のファラージらに向かって「アホー」と叫ぶことではなく、「EUに苦しめられている漁民」と話をして、彼らの苦しみの元は何なのか、彼らが何を誤認・誤解しているのかを話すことだった。少なくとも、話そうとすることだった。しかし当時のメインストリームの政治家たち(デイヴィッド・キャメロン首相ら)はシティの金融業者や大企業と話はしても、(時としておかしな根拠に基づいて)EU離脱を主張する一般市民は無視していた。「離脱などという結論になるはずがない」とタカをくくっていたからだ。「吠えたいだけ吠えさせておけ、何も変えることはできやしないのだから」と。



あとこういうこともね。



こういう発言をしている人たちは、デイヴィッド・キャメロンやボリス・ジョンソン、ジェイコブ・リーズ・モグのような本物の上流階級(ジェイコブ・リーズ・モグは若いころ、選挙運動で戸別訪問をするときに、労働者階級の住宅街に足を踏み入れるのが怖くて、乳母についてきてもらったような人物だ)のことはどう思ってるんだろうね。そういう人たちが低所得の労働者階級の生活に直結する政策を決めていることは、リリー・アレンのような芸能人が上から目線で「労働者階級はこうあるべき」と勝手に決めてかかっていることほど気にならないのかな。

そういったところから話はできるのだろうが、党派性による分断はそういった対話の可能性を閉ざしてしまう。このような分断は、きっと今までもずっと英国社会の中にあったのだが、それが見える化されているのかもしれない。

労働党(に限らず左翼)による「労働者階級はこうあるべき」論、何でもかんでも「階級闘争」に還元してしまう理念は、鉄板なように見えて、実はもろい。「ワーキングクラス・トーリー」の存在だ。現在、コービン応援団として非常に活発に発言している映画監督のケン・ローチも、自身の親が「ワーキングクラス・トーリー」だったことをドキュメンタリーで語っていた(工場の職長のような立場にいた人で、教育の重要性を知っていて、息子を大学進学のルートに乗せた)。

1979年から10年以上の長きにわたって政権の座にあったマーガレット・サッチャーは、「資本家」によって支持されていたから政治家として成功した、という《物語》を左派は好むが、実際にはサッチャーの保守党には労働者階級の支持もあったという。ただしサッチャーがつぶそうとしていた炭鉱労組などは話が別で、労働党の「正史」はそちらの物語だ。だから語られていないことも多くあるのだ。


それを発掘し、流れのあるものとして語り直すのは、歴史家の仕事になるのだろう。

そして思う。歴史はジェレミー・コービンという労働党党首をどのように語るのだろうか、と。せめてBrexitに関する態度がああでなければ――「面倒なところは右翼がやってくれるので、あとは左翼が政権を取ってソーシャリストの国を作るんだ」などという絵空事に踊らされていないで、「不正を許さない」ということでLeave陣営の悪行を追求していれば――、仮に無策で無能でも、少しはまともな評価がなされているだろうに。

※この記事は

2019年12月14日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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