「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2018年09月26日

"dehumanize", "less than human" と「人間以下」: Twitter社のブログと翻訳ギャップ

「なぜそういう反応が?」――26日午後、「人間以下」というフレーズがTwitter上ので話題になっているのを見てみたら、私にはイマイチわからない光景が展開されていた。どうやらTwitter社が規約を改定する方針を示したようだが、日本語圏で起きていることは意味が取れない。ギャグというかボケているのかもしれないが、おもしろくないし笑えない(重複表現)。こういう場合、疑うべきは「文化の違い」で、このケースもまたそのようだった。私は生まれも育ちも日本で母語は日本語で日本のパスポートを持っているのであらゆる点で日本人だし日本の文化にどっぷりつかっているはずだが、ネット上の日本語圏とはいろいろと分かち合えていないのだから(例えば漫画には興味がないのでその話題はわからないし、90年代からネットを使っているが「テキストサイト」とかはほとんど知らない。ちなみに生魚が嫌いで寿司は食べられず、村上春樹も読んでいなくてジャパニメーションとかちょっとかんべんしてくださいっていう感じで、つまり西洋のインテリや日本通が「日本人」と聞いて思い浮かべる人物像ともかけ離れているので、挨拶後のスモールトークの段階での「気まずい沈黙」の経験は多い)。

そういう場合、私は私にわかる圏で、その言葉をめぐって何が起きているのかを把握すればよいだけだ。そのときのメモが私にしては多くのretweetsをいただいていたので、こちらにも投稿しておこうと思う。

そもそもその話題のフレーズ「人間以下」とは何なのか。いや、「以下」だとか「未満」だとかじゃなく(それ、この文脈ではかなりどうでもいいことです。揚げ足取り)、社会科学系としてはUntermenschを連想せざるを得ないじゃないっすか。Twitterがついにネオナチ(ヒトラーとナチズムの信奉者)を直接標的にしたのか?
Untermensch (... underman, sub-man, subhuman; plural: Untermenschen) is a term that became infamous when the Nazis used it to describe non-Aryan "inferior people" often referred to as "the masses from the East", that is Jews, Roma, and Slavs – mainly ethnic Poles, Serbs, and later also Russians. The term was also applied to most Blacks, and persons of color, with some particular exceptions, such as the Japanese. Jewish people were to be exterminated in the Holocaust, along with Romani people, and the physically and mentally disabled. ...These concepts were an important part of the Nazi racial policy.

Etymology
Although usually incorrectly considered to have been coined by the Nazis, the term "under man" was first used by American author and Klansman Lothrop Stoddard in the title of his 1922 book The Revolt Against Civilization: The Menace of the Under-man. It was later adopted by the Nazis from that book's German version Der Kulturumsturz: Die Drohung des Untermenschen (1925).


ナチスがその政策において用いたこの "Untermensch" という用語は、上述の通り、英語では "subhuman", "under-man" と表される。その英語の用語の意味を英語で解説すると、 "less than human" となる。今回「人間以下」(少し後に「人間未満」に改訳されたらしい)として日本語圏でぶんぶん飛び交っているのは、この "less than human" を直訳したフレーズであるようだ。

……と、話はここでは終わらない。どうやら今話題の "less than human" は、ナチスも採用した人種主義思想の用語という文脈にあるものではないらしい、ということに気付くまでには、ほんの2秒程度しかかからなかった。「人間以下」というフレーズだけでおちゃらけている(&自分たちがそもそもTwitterが何を言っているのかを理解していないということを把握せずに、何かを生産的な形で考察しているつもりになっている)日本語圏を一歩出てみたら、それは明白なことだった。

そもそも日本語圏で「人間以下」として大騒ぎになっているのはTwitterのブログの日本語版だ。原文(英語)を日本語に翻訳したものである。

これは翻訳の問題かな、とまず思った。米原万里さんの時代なら、翻訳には「不実な美女」と「貞淑な醜女」があると認識していればよかったのかもしれないが、私たちが日常で接する《翻訳》が往時のそれとは比べ物にならないほど幅が広くなり、品質的にもアレなことになって、結果、「不実な醜女」も少なくないということになっているという現状を認識すれば(ここまで、「表現が性差別的である」ことについてお詫びします。ちなみに米原さんの本は1994年です)、まずはその「人間以下」なるフレーズが「不実な醜女」ではないかということを確認するのが定石だ。
不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か (新潮文庫)
不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か (新潮文庫)

というわけで原文を参照するとこうなっている。
For the last three months, we have been developing a new policy to address dehumanizing language on Twitter. Language that makes someone less than human can have repercussions off the service, including normalizing serious violence. Some of this content falls within our hateful conduct policy..., but there are still Tweets many people consider to be abusive, even when they do not break our rules. Better addressing this gap is part of our work to serve a healthy public conversation.

つまり、dehumanizing language = Language that makes someone less than human. Dehumanizeがキーとなるフレーズおよび概念で、それを補足的に説明し、また言い換えた表現にless than humanが出てくる。

しかしながら日本語圏で火がついたのは後者のほうで、そこからわけのわからないこと(動物なりきりアカウントが「わたし、パンダですけど」的に発言しまくる動物写真展に見物客がわんさか、的な状況)になったようだ。

翻訳の問題というか訳語の問題もあるのだろうし(「非人間化する」という訳語ではOKが出ないという現場事情はありうる)、その概念を扱いなれていない人々には通じないという「文化の違い」の問題もあるだろうが(例えば人権関係の活動をしている人にはdehumanizeの意味はすっと通じるはずだ……と前提してかかると全然通じなくて、逆に罵倒されたり自己批判せよと迫られたりすることになることもありうるので要注意なんだけどね)、そもそもdehumanizeという概念は、英語圏では通じても、日本語圏では通じないのではないかとすら思うわけだ。

私自身、大学のときに西洋思想概説みたいなめっちゃ詰め込みの厳しい授業を通じて(「受験戦争」を経験した直後でも厳しいくらい詰め込んだが、「そのくらいは知っておかないとまったく話にならないレベル」に到達することもおぼつかなかったが、「話にならないレベル」がとんでもなく高いということがわかったことはとてつもなく大きな収穫だった。ちなみにそこまでの教育をしてくれる大学はあまり多くはないようだ)、ならびに当時よく(翻訳で)読んでいたヨーロッパの文学作品の多くを通じて、強烈な違和感を抱いていたのが、「絶対的」ともいえる「人間中心主義」(humanism)だった。

その話を書き出すと終わらなくなるので先に行くが、その思想は「人間か、そうでないか」というフラットな区分けではなく、「人間か、人間より上か、人間より下か」という上下関係のある区分けだ(と、少なくとも私は理解し、そして違和感を抱いた)。

そういう上下の区分けは仏教思想にもあるが(「畜生道に落ちる」とかね)、ヨーロッパの考え方と、その言語が把握しまた描いている世界は、単に上下に区分けしているだけでなく中心が常に「人間」に置かれていて、そこに、なんか飲み込めないような違和感を覚えたのだ。

「人間より上」は(創造主たる神は別格中の別格として)、いわゆる「超人思想」としてカーライルとかニーチェとかに出てくるあれ。「人間より下」は、本稿の上の方に述べたナチズムのあれが一番強烈なものだが、純粋にヒト(ホモサピエンス)以外の(キリスト教でいう)創造物・被造物を「人間(ヒト)が支配すべきもの」と位置づけているという思想で、それは「自然と人間の共存」というのとは全然異なる、「人間が自然を支配する」という近代西洋の行動原理を規定していた……とか書いてると、本格的に、何の話をしようと思ってこのブログ記事を書き出したのかがわからなくなる。

で、なんだっけ。

ああ、そうそう、dehumanize.

dehumanizeという語は、de + human + -ize という構造になっていて、humanizeの対義語である。

humanizeは、日本語にすれば「人間化する」だろうが、そんな日本語では概念はつかめない。英英辞典(Oxford)を参照しよう
1. Make (something) more humane or civilized.
his purpose was to humanize prison conditions’

2. Give (something) a human character.
‘dogs are wonderful friends but why do we try to humanize them?’

1のほうは「対象をよりhumaneに、あるいは(つまり)civilizedにする」という定義で、例文は「彼の目的は、監獄内の状態をよりhumane/civilizedにすることだった」という意味。

2は「対象に、人間の性質を与える」という定義で、例文は「犬は確かによき友ではあるが、どうして私たちは犬をいちいち人間扱いしようとするのか」というような意味。

dehumanizeはその反対の意味で、つまり「対象のhumaneさ、あるいは(つまり)civilizedさの度合いを減じる」とか「対象から、人間の性質を奪う」とかいった意味になる。これが《意味》として、「人間以上」のもの(超人、神)に与えられることは(フィクションなら「人間離れした」スーパーヒーローについて用いられることはあるかもしれないが)実際にはあまりなくて、たいてい、「人間以下」と、おとしめるように用いられる。

例えば、dehumanizing working conditionsといえば「勤労者の人間性を奪うような労働環境」という意味になる(現代日本語では「ブラック職場」だろうか)。それがどういうものかは、ロバート・オーウェンに関する著作などを見ればわかるだろう。具体的には休日を与えないとか、一日中働かせっぱなしにするとか、食事時間が30分しかないとか、トイレに行く暇もないとか、あるいは従業員が使えるトイレが非常に離れた場所にあるとか、無理やり残業させるとか、結婚させないとか出産させないとかいったことがあるだろうが、いずれにせよ働いている人が人間らしい生活が送れないような環境はdehumanizingという言葉で語られる。そこでの前提は、「humanであることはよいことだ」であり、「そのhumanをhumanたらしめているものを奪うことは悪いことだ」である。(誤解されたくないので念のために書いておくが、私自身はその価値観は共有していると思う)。

そのdehumanizeという語をそのまま日本語にすれば、「対象を非人間化する」、「対象から人間性を奪う」ということになる。

だが、それでは「理屈っぽい」とか「何のことかイマイチわからない」とか、「論文でも書いてるつもりか、わかりづらいから書き直せ」とか言われてしまうことにもなりうる。

そういう場合に「人間扱いしない」という訳語を選択することがある。(「まるで動物/虫けら扱いする」では行きすぎだが、文脈によっては「超訳」として許容されるだろう。)

しかしそうすると、日本語圏では、「『人間』に比べて『人間以外』は下なのか」などという方向性の反発を食らうことにもなりかねない。つまりdehumanizeの「非人間化」という概念そのものが通じないわけだ。

オー、ニホンゴムズカシーネー。

そういう場合、普通の翻訳物ならば、まっとうな翻訳者ならば、概念そのものを表せる日本語を(多くの場合かなりの時間と手間をかけて)探してきてそれを適用するという作業を行なうだろう。原文からは少々離れてしまうかもしれないが、《意味》は伝えられる。《意味》を伝えることが翻訳の仕事ならば、原文からは離れてしまっても許容される――これが「不実な美女」の翻訳だ。私はそういう場合の自分の翻訳は「不実な凡人」程度だと思っているが(あるいは説明的にデコりまくった「貞淑な厚化粧&アクセじゃらじゃら」)、それでもこの場合は「他人をおとしめる」的な方向で訳出しようと検討するだろう(実際にどのように訳すかはここには書かない。書くと盗まれるだけだろうから……たいしたものじゃなくても盗まれるのはいやだし、盗まれることを警戒するのもいやだから、最初から書かない)。

しかしそのような「不実な美女」が認められない場合がある。著作物の同一性保持の観点から「直訳以外は一切認めない」とする契約もあるし、ほかにもさまざまな事情で「貞淑な醜女」型の翻訳しか認められないことがある。翻訳者の個性や独自の判断など不要で、誰がやっても同じようになるべきである文などはそういう制約があってもおかしくない。

推測だが、Twitter社のブログの日本語訳は、おそらく、非常に制約された中で出されている日本語訳だろう。だからわかりづらいし、「翻訳物」のクサさがある。しかし、このくらいのクサさのある「日本語文」は、インターネットが普及してからはどんどん一般化してきている。ショッピングサイトの「今すぐ買う」的な不自然な日本語は、今や違和感を感じる人もほとんどいなくなっているかもしれない。

「不実な美女か貞淑な醜女か」。上に述べたようなdehumanizeという語の《意味》(とその語が背負っている文化)を踏まえて、今回のTwitterのブログの文面の問題の箇所をもう一度読み比べてみると、見え方が違ってくるかもしれない。
For the last three months, we have been developing a new policy to address dehumanizing language on Twitter. Language that makes someone less than human can have repercussions off the service, including normalizing serious violence.
https://blog.twitter.com/official/en_us/topics/company/2018/Creating-new-policies-together.html

過去3ヶ月間、私たちはTwitter上で人間性の否定に対処するためのポリシーに取り組んできました。人間性を否定し人間以下に扱う会話は、暴力を正常化することを含め、Twitterのサービス外に悪影響を与える可能性があります。
https://blog.twitter.com/official/ja_jp/topics/company/2018/Creating-new-policies-together.html

(あー、今よく見たら訳抜けしてるじゃん。For the last three months, we have been developing a new policy to address dehumanizing language on Twitter. と、including normalizing serious violence. の下線部が抜けてる。あと、Language that makes someone less than human を「会話」と訳しているのはどうなのかね。「言葉遣い」でしょ。off the serviceはこの場合は「サービス外に」ではなく「サービス外で」だ。翻訳チェッカーがいないのかもしれないけど)

以下、ツイートの貼り付け。
































※普段は英綴でdehumaniseと書いていますが、本稿はTwitterの米語表記に準じてdehumanizeで統一しました。

※言及した本:
不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か (新潮文庫)
不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か (新潮文庫)

容赦なき戦争―太平洋戦争における人種差別 (平凡社ライブラリー)
容赦なき戦争―太平洋戦争における人種差別 (平凡社ライブラリー)

※追記:






dehumanizeっていうのは、「女は産む機械」とかそういうのだからね。「女はバカ」とか「女はキモい」とかじゃなくて(そういうのも問題ではあるけど、dehumanizeとは別の次元の問題じゃないかと)。しかし実際には、この曖昧な日本では「キモいって言われた」=「人間扱いされてない」っつって暴走することもありえるよね。むしろ、自分で自分のことを「変態」と呼んで喜んでいるのに、他人から「変態は変態の巣に帰れ」的なことを言われると「差別だ」と逆ギレするような人がネットにはうろうろしているから(私はそれでずいぶん消耗したことがある)、「暴走することもありえる」というより「暴走するに決まっている」というレベルで前提として制度設計に組み込むべきだと思うけど、アメリカ本社主導ではそこまではやらないし、やれないんじゃないかな。何しろ言語と文化が違いすぎる。

※この記事は

2018年09月26日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 22:30 | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。