「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2016年07月03日

映画Children of Menでの "Only Britain Soldiers On" のところの映像クリップを見つけたので貼っておく。

当方がときどき言及している映画Children of Men(気の抜けた邦題は『トゥモロー・ワールド』)での "Only Britain Soldiers On" のところの映像を、この映画の批評を目的とするvlogで見たので貼っておく。8分近くあるビデオだが、当該の箇所は2分48秒から54秒にかけて。下記URLで直行。vlog主の解説(米語)も的確でわかりやすいので、「とてもリアルなディストピア」に関心がある方はぜひどうぞ。
https://youtu.be/-woNlmVcdjc?t=2m48s
onlybritainsoldierson.png


映像全体は:


この映画から今年で10年になると思うんだけど、まさか現実の世界がこうなっていようとは……という感覚に、大変複雑な思いがしている。当時書いたブログは下記:
2006年12月16日 Thou shalt not killの発展形としてのStop the killing、そして笑いとディストピア。
http://nofrills.seesaa.net/article/29711412.html

ディストピア。Avoiding Fertility Test is a Crime. という電光掲示板。Homeland Securityという、「現在」は存在していないものが当たり前に存在している英国。「独裁者」がまったく登場しないディストピア。

そのディストピアは、その「近未来」は、「現在」と地続きだ。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/5357470.stm

ほとんど誰も「変化」に気づかないうちに、その「変化」は訪れる。


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※この記事は

2016年07月03日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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