「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2019年03月10日

今週(2019年3月3〜9日)の北アイルランドからのニュース (2): ブラディ・サンデー事件加害兵士らの訴追の問題、軽視される「法の統治」

今週の北アイルランド関連ニュースから、先ほどのエントリで最近のディシデント・リパブリカン組織の動向についてまとめたが、本エントリではより深刻な「法の支配」や「国家の暴力」についてまとめておきたい(「まとめる」=「一ヶ所に集めておく」であり、「内容を解説する」ではない)。

ここで何をやるか、先ほどのエントリから抜粋すると:
つい先日、パット・フィヌケン弁護士殺害事件についての司法の判断が出たばかりなのだが、来週は1972年1月30日デリーの「ブラディ・サンデー(血の日曜日)」で市民を撃ち殺した英軍兵士の訴追の可否をめぐる結論が出されることになっていて、英保守党の政治家たち何人かが「仕事をしただけの軍人を殺人罪に問うとは」というスタンスでわめき始めており、その中で現在の北アイルランド大臣カレン・ブラッドレーがかなりなトンデモであることが発覚(ブラディ・サンデーについては2010年に「撃ち殺された人々は全員無辜の市民」と結論したサヴィル卿の調査報告書が出たときに、当時の首相デイヴィッド・キャメロンが「英軍の行為に正当化の余地なし」と認めて謝罪をしているのだが、今の保守党の政治家たちはそれを無視している)、それと同時に、今週は1971年8月のバリーマーフィー事件(デリーのブラディ・サンデーの約半年前に、ベルファストで英軍が市民11人を撃ち殺した)のインクェストが始まっていて、非常につらい事件のディテールが改めて語られている(倒れた人を英軍は撃った、というような)。


てんこ盛りだ……。作業が終わる気がしないが、やるしかないだろう。先ほどのエントリでも、いつものような細かいリンクは入れていないが、ここでもそういうのは省略する。詳細を調べたいと思った方は適宜英語で検索を(日本語で検索してもほぼ何もわからないと思うが、検索ワードによれば&運がよければ大学の研究者の論文PDFが検索結果に出てくるはずで、それを読めばよくわかるはず)。

今回の動きが最初にTwitterで見られたのは、3月はじめのことだった。





いちいちツイートをエンベッドしていたのでは時間が足りないので、以下、ところどころでTwilogからソースを貼り付けるかも。読みづらくてすみませんが。

タイミング以前に、トピックとして、ついったらんどはすごいことになってる。図書館行って、何でもいいからまともな本読んでこようかな。うちだと北アイルランドから離れられない。
posted at 16:13:32


ついったらんどで「国を守るために尽くした若者たちが」云々とわめいている人々の誰一人として、サヴィル報告書を読むどころか見てもいなさそうなのがすごい。すごいんだけど、想定どおり。
posted at 16:16:45


サヴィル報告書は全部で数千ページもあるし、 (see www.gov.uk/government/pub… )、ウィキペディアでは簡略化されすぎている (see en.wikipedia.org/wiki/Bloody_Su… ) が、ウィキペディアでソースになっている報告書公表当時(2010年)の報道記事を読めば報告書の重要なポイントはわかる。
posted at 16:29:30


英軍兵士は自身にとって脅威ではない非武装の民間人を何人も、いくつかのケースでは背後から撃って殺した。そしてその事実を隠蔽するために、事件当時に行なわれた調査では「あちらから撃ってきたので応戦した」という虚偽がでっち上げられて《事実》とされた。
posted at 16:29:31


Judge orders extradition of John Downey over double murder charges www.belfasttelegraph.co.uk/news/northern-… "Downey, 67, whose trial for the IRA’s London bombing collapsed in controversy five years ago, is wanted by prosecutors in NI over the 1972 murder of two UDR soldiers in Enniskillen."
posted at 17:07:25


RT @ColmDore: 'Veterans' is a word with remarkably benign connotations. It is notable that @Telegraph used it in this headline (rather than, for example, 'troops', 'Paras', 'soldiers', etc.). twitter.com/DarranMarshall…
posted at 20:54:42


RT @IrishTimes: Bloody Sunday: Ex-soldiers reportedly set to be charged with murder www.irishtimes.com/news/ireland/i…
posted at 20:57:01




そしてこのタイミングで、「北アイルランドでレガシー(過去)という問題を扱うには、被害者と加害者の区別が必要」という、この10年ちょっとの間に行なわれた交渉や提言をいちいちストップさせ膠着状態に追い込んできた点について、DUPのアーリーン・フォスターが発言。この人は自分が乗っていたスクールバスがIRAのボムの被害にあいかけるなどしていて「被害者」の側にいるし、実際彼女が被害者の立場だったことに異論を持つ人はいないだろうと思うのだが(「だがDUPは憎悪煽動の加害者だろう」という反論というかつけたしはありうるだろうが、「被害者」「加害者」はゼロサム・ゲームではない)、北アイルランド紛争全体を見る場合、誰が「加害者」で誰が「被害者」ということはそんなにスッキリ割り切れるものではない。フォスターとは逆の側で、英軍兵士に撃たれた市民は「被害者」であり、英軍を襲撃しようとして撃たれたIRAのメンバーは「加害者」(英軍は自衛)であるとして、攻撃を仕掛けている最中ではないときに、あるいは/および非武装の状態で英軍兵士に問答無用で撃ち殺されたIRAのメンバーは「被害者」なのか? イングランドでIRAがボムったパブで飲んでいた英軍兵士を「被害者」と位置づけるなら、非武装の状態で撃ち殺されたIRAも「被害者」だろう。むろん、フォスターはそういった議論がなされてきたことを知っている。知っていて、この発言だ。




カレン・ブラッドレー(ブラッドリー)という人は、前任者(ブロークンシャー氏)が病気治療のため退いたあとに北アイルランド大臣になったのだが、大臣になったあとで「北アイルランドでは宗派の別によって投票行動が決まるなんて知りませんでした」とか言っちゃうレベルで、ほんとになんでこの人がBrexitで微妙なときにNI大臣に任命されたのか、理解できない。日本の大臣でIT担当なのにパソコン使ったことないとかいう人がいるけど、それとあまり違わない。



この話になるとまたどんどん膨らんでいってしまうが、このジャーナリストたちのドキュメンタリー映画、No Stone UnturnedはAmazon Primeで見られるので、そちらをご覧いただきたい。
ノー・ストーン・アンターンド (字幕版)

1994年、ニュージャージー州で行われたワールドカップ・イタリア戦でのアイルランドの勝利は、今もなお、アイルランドの誇りの源となっている。しかし、それはある記憶にも取り憑かれている。北アイルランドの小さな村にあるパブで、その試合を観戦していた罪のない6人がテロリストに殺害されたのだ。驚くことに、犯人はまだ捕まっていない。事件から20年以上にわたって、被害者の家族は答えを探し求めてきた。そしてやっと、彼らはその答えを見つけたかもしれない。しかし、殺人事件の謎は全ての人に関連するより大きな疑問へと発展する。もし政府が真実を隠蔽していたとしたらどうなる?

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こういうことを取材してきたジャーナリストたちが、英国では逮捕されているのだ。






北アイルランドでジャーナリストが危険にさらされることがあるとすれば、武装勢力に脅されたり狙われたりするということだった。実際にひとり、ロイヤリストに殺されたジャーナリストもいる。しかし2018年にはこうして取材活動ゆえに逮捕されるジャーナリストが出たし、その前にはボストン・カレッジで進められたオーラル・ヒストリーのプロジェクト(実施したのはジャーナリスト)が警察によって潰されるということも生じている。繰り返すが、これは「英国の一部」である北アイルランドで、英国の法律のもとで起きていることだ。ロヒンギャ迫害について記事にしたジャーナリストが逮捕・投獄されるということが起きて国際的に大騒ぎになったビルマ(ミャンマー)のような国での出来事ではない。




そしてそこに飛び込んできたのが、自身も元々「ジャーナリスト」という立場であったはずのボリス・ジョンソンだ(この人物は政治家になる前に「ジャーナリスト」としてEUとブリュッセルについてのデマを書きたてていたのだが)。






ジョンソンは「政治が正義(法)をひっくり返そうとしている」と言っているが、これはデマで、事実は、「正義(法)」にのっとればこれらの軍人たちは訴追されなければならない立場にあるのだ。あれらのkillingsはunlawfulだったのだから。

そして英国の得意技は、そんなものなどないかのようにふるまうことなのだが(例えばガザ地区でイスラエル兵に射殺された英国人ジャーナリストや支援ワーカーはunlawfulな形で殺されたと法的に認められているが、その後、英国政府が彼らのために「正義」を追求するという動きは一向にみられない)、ジョンソンはあえてそこで知らないふりをするのではなく言葉にしてみせている。しかもこの写真は「勇敢な軍人がテロリストをひっとらえている」という光景では全然ない。並ばされ壁に手をつかされているのは1972年1月30日のデリーにいた非武装の民間人だ。いくらジョンソンがURLを貼り付けたデイリー・テレグラフの記事に最初っからついていた写真で、ジョンソン自身は選ぶことができなかったとしても、むちゃくちゃすぎてどう反応したらいいのかわからないレベルだ。

さらに、ジョンソンのこの発言は2010年にサヴィル報告書が公表されたときのデイヴィッド・キャメロン首相の謝罪と矛盾するというすさまじい問題がある。まあ、ジョンソンは「英国版ドナルド・トランプ」なので、一貫性なんかクソ食らえと思っているかもしれないが。




そしてジョンソンのこういう発言と同じタイミングで始まっていたのが、デリーの「ブラッディ・サンデー」の約半年前にベルファスト西部のバリーマーフィーで起きた、ほぼ同種の「英軍による非武装の民間人の殺害」についてのインクェストである。ちなみに1972年1月30日のデリーも、1971年8月9〜11日のベルファストも、銃撃を行なったのは同じ部隊 (1 Para) だ。


同時期に――「判断が示されるのがいよいよ来週に迫っています」というタイミングなのでこれがこの時期に起きているのは不思議でも何でもないのだが――、北アイルランド紛争をずっと取材してきたジャーナリストの一人で、1972年1月30日にデリーを取材していたピーター・テイラー(当時はITN、その後BBC)が、あの日非武装の民間人を銃撃した軍人の1人にインタビューを行なっている。















さらにわき道に逸れるが、このタイミングで国防大臣が「警察が足りてないのなら軍隊を派遣すればいいじゃない」とかいうことを言ってて、何この強権国家って感じ。『1984年』化は静かに進行するよね。





そういうときに、カレン・ブラッドリーの発言がなされた。彼女は下記のように、なかなかツラの皮が厚いタイプである。ストーモントの北アイルランド自治議会が機能していないことなど、晴れた日の空が青いということよりも明らかなのに、こういうことを平気で言うようなタイプ。



ブラッドリーの発言内容:






カレン・ブラッドリーのもボリス・ジョンソンのもignoranceではない。Denialだ。

北アイルランドでの当局とロイヤリスト武装組織との結託・癒着 (collusion) を調査し報道してきたアン・カドウォラダーは次のように述べている。







DUPの再生エネ導入汚職疑惑(RHIスキャンダル)を追求してきたベルファストのメディア、Newsletterのマクブライド記者は、この発言のある前に、ブラッドリーについて次のように指摘していた。どうも彼女は「民主主義」がわかっていないようだ(何でそんなのが国会議員を……ってのは日本に限ったことではない)。





あとこの人、事実を確認しないで喋るクセがあるらしい。





閑話休題。「1972年1月30日のデリーでの英軍の行為は犯罪ではない」との発言について、ベテラン・ジャーナリストのエイモン・マリー:


アイリッシュ・リパブリカン・ニューズ:


パット・フィヌケン・センターとフィヌケンさん:







1992年に夫と両親をロイヤリスト武装組織UVFに殺されたバーニー・マッキアニーさん。殺害実行者は英国政府からエージェントとして報酬を受け取っていた人物。



「ノラ・マッカビーは、商店からパンとミルクを持って出てくるところを、至近距離から警察官に撃たれた。その警官はノラが暴動に参加していたと主張したが、暴動など起きてもいなかった。警官は『勇気』を讃えられ女王の名で叙勲された」。「その現場を撮影していたクルーがいましたね。暴動など起きていなかったし何の騒ぎにもなっていなかった。ただ無実の女性が至近距離で撃たれて殺されただけ。夫も子もいる人が」。「ええ、カナダの取材陣が撮影していましたが、帰国するまでは秘密にしていましたね。(北アイルランド/英国では)押収されかねないので」。IRAの暴力ほど語られていないけど、北アイルランド紛争ってこんな話ばっかり。









ジャーナリストのアリソン・モリスさん。「わたしのいとこのトマス・ライリーは英軍兵士に撃ち殺されました。その兵士は後にトマス殺害で有罪となりました。トマスの家族を打ちのめした刑事事件を起こしたのです。誰にふきこまれたのかわかりませんが、決してカレン・ブラッドリー大臣が言うような『威厳ある、適切な』行動ではありませんでした」



Ch4のジャーナリストのアレックス・トムソンさん(北アイルランドの人)は、短いしシンプルだけど鳥肌が立つような映像をツイート。




このように「大炎上」の状態となり:



evidenceがあるのならinvestigateじゃなくてprosecuteでしょ。というかevidenceはinvestigateされた結果、確定されるもの。カレン・ブラッドリーは言ってることがめちゃくちゃだし、すべてが計算ずくでないのなら、自分が何を言ってるかもたぶん全然わかってない。デイリー・メイルを読んだ人の世間話レベルのことを言ってる。













もちろんこの「炎上」はボーダーの向こうにも及んでいる。北アイルランドのことは英国だけで決めるのではなくアイルランド共和国もかかわってくるというシステムがサッチャー政権以降築き上げられてきたことは(それは「IRAの味方の労働党のしわざ」などではない)、保守党も認識していて当たり前だが、おそらく今の保守党はそんなことかまっちゃいない。北アイルランド紛争が終わってIRAがおとなしくなった、それだけで認識はストップしている。素で「なんでいちいち南が口出ししてくるんだ」と思っててもおかしくない。



もちろんブリテンでも非難の声があがる。




だけどカレン・ブラッドリーのやったことは「犬笛」だ。こうして議論の軸はシフトされ、「お国のために尽くした勇敢な兵隊さんたち」の神話が支配的になるのだろう。ブラッディ・サンデーの加害者兵士たちを訴追するなどと結論した判事は「民衆の敵」呼ばわりされることになるのだろう。



「辞任すべき」という声は、遠からず忘れられるだろう。たとえそれが「被害者」のものでも――DUPアーリーン・フォスターが重視したがっている「被害者」とは別のクラスタに属する場合は。





バリーマーフィー事件のインクエストから。





そしてブラディ・サンデー。









ブラッドリー大臣の発言への批判に対し、「戦争だからそういうこともある」と言い張る人物も出現し、即座に相当数の反論を寄せられているが、英軍の民間人殺戮を正当化するような人々は、おそらく聞く耳など持っていないだろう。「原爆投下は正しかった」論みたいなもので、何をどう言っても「民間人の殺戮」であることはスルーされる。これもまた「否定 denial」の一形態だ。





その後、彼女は謝罪を行なった。口先だけだが。











そしてネット上では一応「炎上」がおさまったあと(人々の発言がだいたい出尽くしたあと)、金曜日にガーディアンがとてもよい社説を出していた。



そしてこれで一巡したかと思ってたところに、また保守党から逸材が現れた。少し前に、スキンヘッド系ではなく育ちのよい人々の中に見られる極右思想のイっちゃってる界隈で流通している「EUはドイツ帝国の野望。英国はドイツに侵略される」論(ドイツ脅威論)を、BBCニュースで堂々と吹聴していたマーク・フランソワ議員だ。




こういうの見せられると、南アフリカの「真実と和解委員会」って、ほんとにすごかったんだなって思う。







ブラッドリーの発言はおそらく「個人の資質」の問題とされ「一過性」の扱いを受けるだろう。だが実際にはそうではない。彼女はボリス・ジョンソンに続いて出てきて、犬笛を吹いたのだ。




※この記事は

2019年03月10日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 03:45 | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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