「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2016年12月31日

2016年が終わる。

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例年のごとく、12月31日の日没時にその辺を歩いてみる。その辺といっても、頻繁に歩く道ではない。普段はまっすぐ行って右に曲がるところを、左に曲がってめぐったりしてみる。そうすると、「ここからは確か、大きな木が見えたはずだが……」などと思うこともしばしばある。さらに歩いてみると、ちょうど視界をさえぎるように家が建てられていたりもするのだが(それまでは駐車場だったところが宅地になったり、家が建っていたところが駐車場になったりすることが、ここらへんではよくある)、木が切られてしまっていることも少なくない。

毎年、春になると、こんな「空がない」東京の住宅街の中にも、大きな桜の木が枝を広げて花びらを散らしているところがある。住宅街の一本桜。それが、ここ2年か3年ほどの間に、何本もなくなった。1本は、さほど大きくはないが小さくもない一軒家の玄関先に植わっていたもの。その家が取り壊されたときに、その桜の木も伐られた。立派な桜だったのに。家の跡地には、汚れが目立たない灰色(というより銀色に近いか)の外壁をしたワンルーム・マンションが建てられた。桜の木が立っていた場所は、コンクリートで固められた。別の一本は、桜の花の盛りのころに、「地元の皆様に親しまれているが、この木はとても古い木で、中が朽ちていていつ折れるかわからないと樹木医が診断したため、残念ながら切り倒すことになった」という内容の自治体の告知の紙が貼られていて、次に通りかかったときには、桜の木があったところは長方形の真新しいアスファルトになっていた。ここの空はこんなに広かったんだなと、足を止めて思った。その木が花を咲かせているのを、そこにいた首輪のないねこと一緒に眺めたことがある(人懐っこいねこで、写真を撮ろうと足を止めると、足元にすり寄ってきて、どかっと座り込む。通りすがりの近所の人が「あらまあ、また構ってもらってるの、いいわねぇ」などとそのねこに声をかけると、得意そうにあごを上げてみせていた)。

別の桜の木は、というかオフィスビルの敷地内に数本並んでいる木々は、枝がさっぱりと切り落とされてほとんど幹だけのようになってしまった。かつては歩道に張り出した枝が一面に花びらを散らせていたが、今では申し訳程度に、ちょろり、ちょろり……という感じだ。そこでは空は広くなっていない。元々、見上げてもビルの壁しか見えなかった場所だ。

桜の木ではないが、毎年桜の前に花を咲かせていたこぶしの木のある家が取り壊されて、そのこぶしの木はもちろん、ほかの庭木もすべて引っこ抜かれ、1軒分の敷地には、現在2軒の家が建築中である。

今年はこの辺で、何本の木が姿を消したのだろう。大晦日の夕暮れ時、ぶらぶらと歩きながら、「確かあそこに大きな木が見えていたはず」と思った場所を眺めて考えてみるが、もとより、どこにどんな木が何本生えていたかなどはっきり憶えているわけもなく、写真を撮るために印象に残っていたものが見当たらないと「あれ?」と思うだけである。

カメラ持って歩いてなかったら、何にも気づかなかったかもしれない。

Camellia

Hoopy birdy

Silence is golden


気づくと、とても久しぶりに斜めの構図で写真を撮っていた。

いつもは歩かない道。いつもは見ない光景。それでも特に、変わった感じがするわけでもない。特徴のない、住宅街。

隙間から、東の空が見える。

Look to the east


西の空には、細い月が浮かんでいる。

Very thin moon marks the end of the year 2016

本エントリは「今年もいろいろとありがとうございました。来年もまたよろしくお願いします」という、毎年投稿している「締めくくりのご挨拶」だが、今年はまだ、毎年恒例の英国の機密指定解除文書(いわゆる「30年ルール」)の記事のまとめもしていないし、ほかにも書いておこう(このブログのログに入れておこう)と思っても全然書けずにいるものがある(今月、既にアップされている記事は、「すぐに書ける」くらいに精神的負荷が軽かったものばかりと言ってよい。といっても1エントリを仕上げるのには、たいがい数時間かかっているが)。なので、「締めくくりのご挨拶」である本エントリのあとでさらに新規エントリがアップされるかもしれない。

誰もが、2016年は著名人の訃報が相次いだという印象を持っているだろう。英国でそれを1枚の画像にまとめているアーティストがいる。英国ローカルの著名人も少なくないが、今年はとにかく「世界中で、よほど情報が閉ざされてる環境なら別だが、その時代を生きた人ならほぼすべての人が、好きか嫌いか無関心かは別として、少なくとも顔と名前が一致する」というようなスター、著名人の訃報が相次いだ(映画俳優の場合、本人の名前が知られていなくても、「あの有名な映画の○○役」といえば誰もが「ああ!」と思うような人、ということもあったかもしれない。「レイア姫」や「スネイプ先生」のように)。

ビートルズの『サージェント・ペッパーズ』のようなコラージュで、だいたい作り終わったはずのクリスマス以降、さらに何人か加えることになって、最終形が下記のものである。




そのあと、ど真ん中にどーんといるレミーが2015年12月だったと指摘を受けて(アーティストは敢えて入れているようだが)、修正版も出ている。




このコラージュ作品は、英語圏でおおいに関心を集めているようで、アーティストの@christhebarkerさんのTLには、各メディアでの記事が紹介されている。

そんななか、30日に「マーガレット・サッチャー」がTrendsに入っていて……いや、その話は「30年ルール」の件なので、ここにツイートを貼り付けて満足してしまうのではなく、別途エントリを立てよう。


※この記事は

2016年12月31日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 22:30 | TrackBack(1) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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英国政府の機密文書、いわゆる「30年ルール」での機密指定解除により、今年公開されたのは……
Excerpt: 年末恒例、今年も英国で「30年ルール」により、機密指定されている政府の文書がまとめて機密指定解除され、ナショナル・アーカイヴズ(国立公文書館)で公開されている。「30年ルール」というのは、「文書が作成..
Weblog: tnfuk [today's news from uk+]
Tracked: 2016-12-31 23:55

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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