kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2020年01月27日

【訃報】テリー・ジョーンズ

「スパム・スケッチ」のウェイトレス、「スペインの異端審問」のビグルス枢機卿、「ザ・ビショップ」、「このぉ、ちょんちょん! (Nudge nudge)」される人、カール・マルクス……などなど、TVシリーズ「モンティ・パイソン」でどちらかというとあまり目立たない役が多かったにもかかわらず目立った場合は強烈で、TVシリーズが終わったあとは『ホーリー・グレイル』、『ライフ・オブ・ブライアン』などパイソンズのメンバーたちを主役に据えた企画ものの映画やそのほかの映画でメガホンをとった、ガチの歴史家(中世イングランド)のテリー・ジョーンズが、こないだ亡くなった。

ジョーンズは、2016年9月に「原発性進行性失語」という症例の少ない認知症のため、公的な場での発言ができなくなったことを明かしていた。その数年前から症状は出ていて、2014年のパイソンズ再結成の舞台(ロンドン)は、ジョーンズは相当頑張ってやりぬいたのだという。

その後、「言葉の人」だったジョーンズは、ゆっくりゆっくりと言葉を失っていって、そして2020年1月21日に永眠した。その約1か月前には、モンティ・パイソンの音楽のコラボレーターだったニール・イネスが亡くなっていて、「立て続け」にもほどがあるというレベルで立て続け。70代というのはこういうことなんだなと。

ジョーンズの訃報を受けて、英メディアでは大学時代からの親友だったマイケル・ペイリンがメディアのインタビューにたくさん応じていたようで(イングランド在住なのがペイリンしかいないのかもしれない……エリック・アイドルはLAだし、ジョン・クリーズはBrexit後のごたごたに業を煮やしてカリブの島に移住してしまった。テリー・ギリアムはイタリア在住だっけ?)、そこで「いい人」っぷりを発揮するような柔らかい口調でジョーンズの楽しい話をあれこれしていた。認知症についても単刀直入で、「何も覚えていられないんだよね」と告げていたという。



そういったことを含め、ジョーンズが亡くなったことを語る言葉を、英語実例ブログの方に書いてある。下記3件の記事だ。(最近、あちらのブログしか更新していない。あちらは「毎日更新する」という形を保とうとしているので、何だかんだ毎日更新している。その分、こちらがおろそかになっていては本末転倒だが。)特に誰も「ネタ」で発言していないという事実の裏にあるのは、年齢的なことかもしれないが、やはりジョーンズの病気を考えたら全然ネタにできない(ならない)ということなのかなあと思う。

1. 感情の原因・理由を表すto不定詞(副詞的用法), 同格のthat, 主語とbe動詞の省略, 使役動詞(テリー・ジョーンズ死去)
2. 形式主語itの構文, feelを使ったSVCの文, 【ボキャブラリー】a man of 〜 (ジョン・クリーズによるテリー・ジョーンズ追悼の言葉)
3. the moment + S + V, O+S+Vの形の文, 条件を表すif節, 省略(テリー・ジョーンズを偲ぶ盟友たちの言葉)

そうそう、ジョーンズが言葉を失いつつあることを書いた2016年9月のエントリで言及してあったジョーンズ最後の著作(クラウドファンディングを募っていた3部作の3冊目)は、無事、出版されている。下記リンクで直接電子書籍が買えるが、Amazonでも入手できる。
https://unbound.com/books/the-tyrant-and-the-squire/

The Tyrant and the Squire - Jones, Terry
The Tyrant and the Squire - Jones, Terry

追記:
"Monty Python the Flying Circus" のYouTubeアカウントに追悼の特集映像がアップされている。パイソンズのメンバーたちがそれぞれジョーンズのことを語っている映像があり、そのあと、ジョーンズのコメディ映像の詰め合わせ。見たことないのがある。



このYouTubeのコメント欄より:
Finally, he mastered the art of not being seen. RIP


草生えたwwwwwwwwwwwwwwwwww
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ほかにもこんな言葉がある。


"He's not the Messiah, he's a very naughty boy", perhaps captures the essence and the mirth dwelling within this most creative and rich mind of Terry Jones. When I was in my early 20's, I would sometimes watch Monty Python's Flying Circus in the company of my father. While I was rolling around on the floor, barely able to contain myself, he would look at me and wonder how I could find anything funny about this show. Somehow, the insights must skip the occasional generation, because my own son now, feels exactly the same as I do about this brand of humour. I can watch all of the old shows today and still enjoy every single one of them as if they were brand new. Terry, based on all of the tributes now floating in, must have been the "cement" that held this wacky troupe together with his penchant for detail and perseverance. Thanks for all of your gifts; you were one of a kind.


こんな言葉も。これ、いつくらいの話でどういうことかよくわかんないけどすごくない? 小学校のときの先生のお加減が悪いらしいとどこかで聞いて、行動に移したんだろうな……
My father taught Terry Jones at Esher C. of E. school. About a week before my dads death Terry phoned me. It was rather sureal, I had never spoken to him before nor do I know how he got my phone number or new[sic] my father was ill. He phoned every day until that last phone call that I made to him. He was a very kind and understanding man. Goodbye Terry.


※この記事は

2020年01月27日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼