近場にソメイヨシノの大きな木が2本ある。今年は花が遅かったが、陽気に誘われたように、この日、ようやく五分咲きに近くなっていた。1本目の木の下の右側にはレジャーシートを広げて楽しそうにくつろいでいるお母さん2人と子供たちがいて、左側には小学生の女の子たちが真剣な表情でスマホを掲げて貼り付いていた。この木の枝はけっこう下まで下がっているので、身長が150センチに満たない彼女たちでも、腕を伸ばせば何とか、撮りたいような写真が撮れるのだ。
私は枝の先の方だけを撮って、とりあえず、自転車にまたがってもう1本の大木に行くことにした。
もう1本の大木は児童遊園の中にある。少し離れたところから見ると、上の方の枝はまだまだこれから咲くところだ。
と、大木のほうから、キラキラと輝くような笑い声が聞こえた。
私は大木に近づいていった。下の方にまで伸びた枝が次々と花を咲かせ、何もかもがいっぱいの陽光を浴びて、キラキラと輝いていた。
キラキラとした笑い声が、また聞こえてくる。
この木の大きく張り出した高い枝の下には、子供用のブランコが置かれている。
そのブランコに乗って、幼い女の子が、高く高く、振り子運動を繰り返している。後ろにお母さんがいて、女の子の背中を押してやる。ブランコにしっかりつかまって桜の花々に届きそうなほど高く高く舞い上がりながら、女の子がキラキラ、キラキラと笑い声をあげている。空は青く、花は薄く色づいて、豊かな日差しに透けて細かな輝きを振りまいている。
こんなに美しいものがこの世の中にあるのか、と思った。少し距離のあるところから、花々の枝を通して、しばらく見とれていた。
それは生命力の、生命そのものの喜びの声であり、喜びの輝きだった。
しばらくして、お母さんが「もうおうち、帰ろうよぉ」と言った。女の子のキラキラした笑い声は止まない。お母さんは家でやることがあるから帰らねばならない、ということを言い、女の子は「じゃあ、おうち帰ったら、○○する?」といったことを言い、何往復かのやり取りの後、彼女は静止したブランコからぱしゅっと飛び降りた。ほんの十数秒のうちに、お母さんと手をつないで、スキップして、彼女は行ってしまった。後には、彼女の輝くような笑い声がまだこだましていた。開いて間もない花々をたっぷりつけて重くなり、私の目の高さまで垂れ下がった桜の枝が、わずかな風にゆれていた。
翌4日になっても、あの光景は、頭を離れなかった。別の場所に出かけて別の木々を別の光で見ても、ずっと残っていた。

そして、記憶を反芻するようにして帰宅した私がTwitterの画面の中に見た光景は、3日に桜の大木の下で見たのと同じ年頃の子供の姿のある光景だったが、両者はまるでかけ離れていた。3日に見たのは生命の輝きそのものの光景。今ここで目にしているのは生命の輝きが完全に奪い去られた光景。空気中の化学物質が、血を流すことなく、文字通りに人々の「息の根を止めた」光景。2013年8月に同じTwitterの画面の中に見た光景。1988年の出来事の記録のなかに見られる光景。
#Idlib また化学兵器だ。血を流さず、腕や足をもぎ取られることもなく死んでいる子供たち。
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) April 4, 2017
https://t.co/CyaBT2sJjg 現地医師の話では、塩素ガスではなくサリンまたは同様の致死性のガスだろうと。 #Idlib
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) April 4, 2017
イドリブ、被害者が口から泡をふいている写真がある。(イドリブについて、今Twitter検索すると厳しい写真が多く出てくると思うので、心の準備をしてからどうぞ。)
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) April 4, 2017
被害者っていうか、赤ちゃん。赤ちゃんが半開きのうつろな目で、口から泡をふいている。アメリカが「アサド退陣は求めない」という態度を明確に示した4日後に。そしてTwitterでは「レジームのトロール」と呼ばれる人々のプロパガンダも盛ん。
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) April 4, 2017
アレッポから(母親が英語で)ツイートしていた7歳のバナ・アルアベドさんのアカウントからも、ニュースは(写真つきで)流れていた。
Dear world, today these children were murdered with chemical in Idlib. Shame on you killers, shame on you. Shame on you, shame on you.. pic.twitter.com/GMG1NIP25J
— Bana Alabed (@AlabedBana) April 4, 2017
それから10日が経過した。こんなことがあったことなど、もはや、多くの人々にとっては「記憶のかなた」かもしれない。「ああ、そういえばそんなこと、ありましたっけねぇ」的な何かかもしれない。
「世間」はそうやって忘れていくだろう。私だって忘れていく。
でも、私がTwitterで見た写真やビデオ映像の中で、うつろな目をして口を半開きにし、もがくように顎を上げ、手を伸ばそうとしていた子供たちは、桜の大木の下のブランコに乗っていたあの子供がキラキラと輝くような笑い声を上げていたときに、同じように桜の花の下で笑っていたかもしれないのだ。せめてそういうことは書き留めておきたい。何もできない、できるわけがない。けれども、せめては。
In these dark days, the drive through Idlib province is a study in contrasts. Few places match its beauty in spring – green as far as the eye can see, olive and cherry trees in blossom, yellow and purple flowers alongside the verdant hues of the earth.
But look further into the distance, at the towns and villages that dot the countryside along the way to and from Khan Sheikhun, scene of the chemical attack on Tuesday that killed more than 80 people, and you will see columns of smoke rising in the sky.
Tragedy of a father who lost more than 20 family members in Khan Sheikhun
Kareem Shaheen in Idlib province
Saturday 8 April 2017 22.50 BST
https://www.theguardian.com/world/2017/apr/08/syria-town-mourning-chemical-attack
なぜこの町の名前がこんなに有名になってしまったのかを知っている読者は、この地域がこの季節、いかに美しいかという描写に胸を打たれる(「桜やオリーヴの木が花を咲かせ、色とりどりの草花が咲き乱れる」)。Khan Sheikhunの町には、隣接するハマから逃れてきていた国内避難民も多く…
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) April 9, 2017
続…埋葬のため町の外に運び出された遺体も少なくないので、最終的な犠牲者数ははっきりしない。犠牲者の埋葬の日、西洋のメディアの記者たちが現地入りしたときに双子の亡骸を抱きしめて泣いている様子が撮影され、ニュースになった男性はアブドゥル・ハミド・アル=ユセフさん。
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) April 9, 2017
※記事内容のツイート、この続きはこちらでどうぞ。
化学兵器使用のあと、「国際社会」はまたぞろ「国連安保理の緊急会合」を開き、アサド政権を非難するのしないので真っ二つに分かれた。2013年のゴータの町での化学兵器使用時と同じだ。
2013年と同じでなかったのは、米国が――というか、米国からの報道を見る限り「ペンタゴンが」と言ったほうがよいのかもしれないのだが――アサド政権の管理下にある軍用施設にミサイルを撃ち込むという行動に出たことだ。
そして、その「ミサイル攻撃」は実質的には何の変化ももたらさず(軍用空港にミサイルを撃ち込んだのだが、空港のインフラを破壊していないという)、2011年に始まった民主化要求運動が政権による武力弾圧で武装蜂起化し、内戦となって、政権が自国民の暮らす町に対して持っている限りの兵器を使い、兵器の在庫が尽きたらドラム缶的などこにでもあるような容器に爆薬を詰め込んで起爆するようにした手作りの「樽爆弾(バレル・ボム)」(テロリストがよく使う「パイプ・ボム」を巨大化したようなもの)を空から投下するという、常識では多くの人たちには考え付かなかったようなこと(実際、「アサドの武器庫が空になるまでの辛抱だ」と見られていたのだ)が平気で行なわれている状況は、きっとこれからも継続される。なぜなら、英米仏が「非戦闘員の保護」を掲げ、「独占的に空軍力を有する政権側が、自国民を殺戮することを阻止するため」として「飛行禁止区域(空域): No Fly Zone, NFZ」を導入する(という形で軍事介入する)よう行動するということは、シリアについてはありえないからだ。なぜありえないかというと、英米仏はアサド政権の最大の支援者であるロシアの賛同を取り付けることはできないからだ。2011年のリビアについて、国連の場でNFZを導入し、その後「非戦闘員の保護」をはるかに超えたことをやってカダフィを除去した英米仏(特に英仏)は、リビアのときはロシアを何とか説得したが、「リビアのNFZ導入」が「カダフィの除去」という結果を生じさせた(→「カダフィの除去のためのNFZ導入だった」と解釈される)以上、もはや国連安保理が「NFZ導入」という「人道的(人道の見地から必要と思われるもの)で、軍事的にはかなり消極的な軍事介入」で一致する望みはない。
そういう状況の中、米国が、というかドナルド・トランプ個人が「あれらの子供の写真を見たら何もしないではいられなかった」的なことを公言して(役者だね)行なった軍事行動は、しかし、実際には(米国内向けのパフォーマンスという側面をのぞいては)何の意味も持たない。交渉を前提としてゆさぶりをかけるときには使われるような強硬な手も、交渉がないときには意味はない。破壊されなかった滑走路からは今日も樽爆弾投下のために航空機が飛び立っているだろう。
そして、子供のキラキラした笑い声が、永遠に、止められていることだろう。
世界に知らされることなく。
そういうときに、自分の目の前の幸せな光景だけを見て、「ああ、よかった、日本はあんなふうでなく、平和で」などという脳内花畑に逃げ込むことは一種の防衛反応なのかもしれない。しかし、それをネットという全世界に開かれた場で発言することは、今そこで消されている声の持ち主にとって、たいへんに侮辱的なことでもある(「日本語で書けば日本人以外にはわからない」と思っている人もいるかもしれないが、日本が好きで日本語を勉強している人たちは、世界にものすごく大勢いるし、そういう人たちはTwitterなどで日本語の発言を熱心に読んでいる)。「日本のこの平和を守りたい」的なことは、「チラシの裏に書いとけ、な?」というレベルのことだ。自分だけで、あるいは家族や友人との身内の場で、または言論についての全責任を自分で取れるような場(講演とか論文とか)で発言するのは構わない。しかしSNSは、「チラシの裏」ではないし、そこでの「言葉」は文脈を持たない(=言論についての責任の所在を持たない、発言者の事情や信念などを持たない)状態で、単なる「言葉」として、それを読み解ける人々にダイレクトに飛んでいくのだ。
シリア、イドリブ県での化学兵器による攻撃から、米国のミサイル発射までの経緯 https://t.co/3PN5fQWplb こういうの見て「日本は平和でよかった」とか言うの、やめてもらえませんかね。現地に失礼です。それに当方、誰かにそう言わせるために記録してるんじゃないっす。
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) April 9, 2017
4月5日、この「まとめ」のページで何が起きているのかをできる範囲で最大限記録する作業をしながら、4日の夜に画面の中に見た子供たちの顔と、3日の昼間に桜の大木の下のブランコでの光景がずーっとまぶたの裏に浮かび、あのキラキラとした笑い声が耳の中でこだましていた。
作業をしながら、「よかった、日本は平和で」なんて、思いもしなかった。(こう言うと「反日」呼ばわりされるのだろう。)
はるか昔、80年代にLive AidだのWe Are The Worldだののビデオやインタビューを小林克也の番組で見ながら、「よかった、日本は食べ物がいっぱいあって」なんて思ってた人はいなかっただろうと私は思うのだが、案外、「よかった、日本は」的な人の方が実際は多かったのかもしれない。「日本は、日本は」言説の横溢に触れるたびに、そう思う。実際、例えば北アイルランドのことに関してまで「日本には何ができるのか」という問いを立てない限り、話を聞こうという人がいない(とされる)のがデフォだし(何もできることなんかないっていう前提に立つことができないのだろうか)、「ロンドンの美術館の歴史」のような、現地に山ほど研究業績があるものについても、「翻訳でなくて日本人が自分で書くことが必要です」と言われるのがデフォだ。
(とかいうことを書いてるとまた「世界市民乙」とかいうネット臭い嘲笑と罵倒がどっかから飛んでくることだろう。ブログのコメント欄を開けていたころはそういうのに対処するのも日課の1つだった。)
そういうなかで、シリアで政権側がまいたサリンによって殺されていった人々のことは、単に「よかった、日本は平和で」とつぶやくために、ダシにされ、踏み台にされ、消費されて終わるのかもしれない。
それでも、記録は必要だ。だから。
シリア、イドリブ県での化学兵器による攻撃から、米国のミサイル発射までの経緯まとめ
https://matome.naver.jp/odai/2149153879577747201
世界のどこかの、あるいは歴史上のいずれかの時点での「悲惨」は、それを体験しなくて済む立場の人たちが「よかった、私たちはああじゃなくて」と言って「自分たちの平凡な日常の大切さを実感する」などするために存在してるんじゃないっす。
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) April 9, 2017
消費すべきでないものを、消費するな。
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) April 9, 2017
あ、思うのは別に勝手です。あなたが思いたければそう思えばいい。家族や友人にそう言いたければ言えばいい。しかし世界のどこかの悲惨に接し、Twitterのような場で日本語で「日本はこうでなくてよかった」と言うことは、現地で日本語がわかる人にも言ってることになるんっすよ。
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) April 9, 2017
他者の苦痛を、他者の尊厳 (dignity) を少しでも考えるのであれば、少しでも「差別」や「偏見」とたたかう気持ちがあるのであれば、そういう安直な「日本は平和でよかった」的な気持ちの吐露を、Twitterのような場ではおさえるということは、人として必要なんじゃないすかね。
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) April 9, 2017
私だって「ネットで知った(だけの)悲惨の記録」などしているより、散歩で見かけたねこちゃんやお花の写真などを整理してるほうが、楽しいんですよ。でこういう写真を撮りながらシリアのことを思って「よかった、日本は平和で」とかいうことは、一切、思わないんっすよ。全然、別のレイヤーなんっすよ pic.twitter.com/3XTpTCTJOG
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) April 9, 2017
他者の苦痛に自身の「平和」を "実感" する、などというところまで堕ちたら、人として終わりっすよほんと。20世紀の終わりにバルカン半島やルワンダでたいへんなことが起きて、そういう「他人事(ひとごと)」を "消費" するだけという態度にNOっていうのが確立されたはずだったんすけどね
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) April 9, 2017
"戦争は人の心の中で生れるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。" ――ユネスコ憲章https://t.co/VheiCVflm2
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) April 9, 2017
その「平和のとりで」は、他者の苦痛を消費することで自身の平和を実感するなどということの上には築けないはずです。
2017年4月4日の私のツイートのログ:
http://twilog.org/nofrills/date-170404/asc
本稿の表題とした「日本で桜の花が咲いているとき、日本以外でも桜の花が咲いている」について。
私は2004年からFlickrを使っている。Flickrは写真を投稿して公開する(シェアする)サイトで、私が登録したときはカナダのベンチャーだったが、その後米Yahoo!に買収されたため、「Yahoo系サービス」として扱われている。
2004年当時、写真をシェアするウェブサービスはいくつもあったが、写真を簡単にウェブサイトやブログに埋め込めること、クリエイティヴ・コモンズのライセンスでの公開ができること(サービス開始時はCCがデフォルトだった)、ユーザー同士が写真を持ち寄って議論したり批評しあったり、単に楽しんだりする「グループ」の機能があることなど、「交流」という点で最も先進的なのはFlickrだった。そして先進的なサービスには多くの人が世界中から集まった。写真には言葉が必ずしも伴わなくてよいので、Twitterなどよりずっと「グローバル」だった。(時制の一致のため過去形にしているが、現在もそうである。)
本稿で見たガーディアン記事には、化学兵器が使われたシリアのイドリブ県に入った記者が見た光景が、「見渡す限り緑が広がり、オリーヴの木や桜の木が花を咲かせている」といったように描写されている。
この「桜 cherry」が、日本のうちらが「桜」と呼ぶのとまったく同じ種の花であることはないかもしれないが、この時期、地球のあちこちで「桜」と呼ばれる花が咲くということは(「桜」にほとんど「信仰」のようなナショナリズムがある日本ではあまり語られないかもしれないが)、いわずもがなの事実である。そういえば3月下旬にアイルランド島の一番北のほうに位置するデリーで行なわれたマーティン・マクギネスの葬儀でも、教会の脇で「桜」のような花が咲いていた。
で、そういうことをヴィジュアルで確認するのにとても便利に使えるのが、Flickrだ。Flickrには、世界各地の「桜 cherry blossoms」の写真がある。
例えばこれは米カリフォルニア州ディクソン:

これはスコットランド:
https://www.flickr.com/photos/kamesargyll/7024118933/
※撮影者が埋め込みを許可していないのでURLからごらんいただきたい。とてもきれいな写真。
これはイングランド:

これはトルコ:

これはスイス:

……と、こんな感じだ。
で、つい先日、私が「ピンクの花」のグループに投稿した写真にコメントをくれた人のページを見てみたら、その人の写真にも同じような「ピンクの花」が並んでいた。


下記はモモの花だろう。

これらの写真を撮ってアップしているvale 83さんは、個々の花に名前を書き添えておらず、どこで撮影されたのかの情報も一切添えられていないが、他の写真を見ていくとセルビアの首都ベオグラードのものが多いので、セルビアの人なのだろう。
ボケの花もある。

私が撮った東京のボケ:

こういうものを目にする環境に身を置いていれば、根拠などあるのかないのかわからないような「日本だけ」論にはまり込んでしまうこともないのではないかと思う。もちろん日本とは違うものもたくさん目にすることになるが、そういうのを見るたびに「日本は」「日本は」と言うことなど、ばかばかしくてやっていられなくなるだろう。
例えばシクラメンは、イングランドでこう咲いている。

※この記事は
2017年04月15日
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