「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2020年03月30日

美しかった。ひたすらに。

これを見て、しばらく立ち尽くしていた。さしていた傘が、降り積もった雪で重たくなるまで。


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ばさばさと何度か開閉するようにはたいたら、傘は驚くほど軽くなって、本当はこんなに軽いものなんだ、と思った。


その朝、それを何度か繰り返しながら、少し歩いた。雪がひどくならないうちに、日課の散歩。


朝、起きたときには大きな雨音が聞こえていたが、いつしかそれがしんと静まり返った。窓の外を見ると、もううっすらと白くなっていた。一番暖かい裏起毛レギンスと、一番暖かい着る毛布みたいなロングスカートを重ねて履いて、一番暖かい靴下を履いて、真冬のコートを着て真冬のストールを巻いて外に出た。


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楽しそうな犬を散歩させている、あまり楽しそうでない人が何人かいた。考えることはみな同じ、「雪がひどくならないうちに」。


スマホカメラを構えている人がいた。野鳥が飛んでくるときならバズーカみたいなレンズをつけてカメラを持ってるであろう眼光鋭い人が、沼々しい雰囲気のレンズをつけた立派なカメラで桜の花を接写していた。私はコンデジ。


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湿って重たい雪は、風に吹きつけられて、見る見るうちに花にまとわりつき、枝にしがみついていった。


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本来ならちょうど8分咲きくらいだっただろうが、ここ数日の強風でずいぶん散ってしまっている。特に昨日の強風はひどかった。最高気温が25度近くになり、開き切っていた花はもぎ取られ、吹き飛ばされるように散らされていた。一方でまだつぼみのままの花も多い。つぼみのまま、重たい雪の中に固められている。でもこれは一時的なことだ。24時間もしないうちに、この重石は溶けて流れ去るだろう。


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足元では、昨日の暖かさ(最高気温25度近く)で目覚めたと思われるナガミヒナゲシが凍えている。

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眼を上げれば、ジャスミンのつぼみも、ツツジのつぼみも。

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早くも噴き出し始めているドウダンツツジも。

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鮮やかなヤマブキも。

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足元にはムスカリも咲いている。

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そして大好きなキュウリグサちゃんも。君は雪は似合わないね。

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ベニバナトキワマンサクと雪なんて、想像したこともなかった組み合わせだ。

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※この記事は

2020年03月30日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 04:00 | 雑多に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼