「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2018年02月12日

ジェリー・アダムズがシン・フェイン党首を退いた。

3か月近く前に、「2ヶ月以上前に告知され、『ついに』と思ったことではあるが」と書き始めているので、都合、6か月近くの猶予というか待機時間があったのだが、それでもやはり、またしても、「ついに」という感覚に包まれている。

この件に関心・興味がある人で、このニュースに接して「ついに」という感覚を覚えない人はいないだろう(あるいは、昔は関心を向けていたが最近は見ていなかったという人は、「まだやってたのか」と思うかもしれないが)。

一応、淡々と記録しておくという目的では、「Naverまとめ」を利用して、現地報道機関のフィードや記事を書いた人などのフィードを一覧できるようにしてある。特に3ページ以降は基本的に「リンク集」で、ツイート内に入っているURLから記事を確認していただくことが目的である。私のフィルターバブル内からさらに厳選してあるので、アイリッシュ・タイムズとBBCニュース北アイルランド、ベルファスト・テレグラフが中心だ。(アイリッシュ・インディペンデントとかRTEとかベルファストのニューズレターはほとんど入っていない。)

ジェリー・アダムズが、シン・フェイン党首の座を退く。
https://matome.naver.jp/odai/2151825107742330101


アダムズが引退したのは、臨時党大会で正式に次の党首がメアリ・ルー・マクドナルド(2009年から副党首としてニュースにもよく出てきたダブリン出身の政治家)に決まった2018年2月10日(土)で、日本時間ではちょうど日付が11日になったころ(現地では午後3時ごろ)にメアリ・ルーの演説が始まった。全文は党のサイトで読めるようになっている。(アダムズはフロアにはいたが、発言はなかった。)

メアリ・ルー・マクドナルドの演説は、要するに「これまでの路線を継続していく」という確認で、何かがドラスティックに変わるわけではないということを強く印象付けるものだった。だが、少なくとも見た目は大きく変わる。アイリッシュ・リパブリカンは元々、1910年代の独立運動のころから女性が前に出ていたし、今更「女性党首」で驚くような人は誰もいないだろうが、35年近くも「ジェリー・アダムズの党」だったシン・フェインが、アダムズの娘くらいの年齢の女性政治家が率いる党になるという変化は、「慣れるまでに時間がかかる」ような性質の変化かもしれない。個人的にはこれで、何となく漠然と「アイルランド」を認識してて「アイルランドの政党といえばジェリー・アダムズのシン・フェイン党」と思っているような人が、Brexit関連のニュースなどに際して、最も重要な与党(の中心)FGの発言や、最大野党FFの発言にはまったく関心を示さないのに、正直政治的意思決定という点では外野にすぎないSFの発言には「ほう!」的に反応してみせる、とかいうばかげたことが減ってくるんじゃないかなと思う。

で、NAVERのページを作るときに、メアリ・ルーとアダムズの写真を(NAVERでライセンス取ってるから自由に使えるようになってる)Gettyの報道写真で探して使ったのだけど、そのうちの一枚のこの写真は、これまで見たことがなくてちょっと見入ってしまったものだ。

写真が撮影されたのは2017年3月23日。場所はデリー。マーティン・マクギネスの埋葬のときのものだ。教会でのミサはオンラインで中継されていて見ていたのだが、棺が教会を出たところで中継が終わってしまったので、墓地での埋葬までは生では見ておらず、そこでアダムズが何を語ったかはあとから報道で知った。だから、墓地に設営された演台に上ったアダムズが口を開くまでの様子は知らなかったのだ(ということに、今更気づいた)。

マーティン・マクギネスは、アダムズにとってまさに「盟友」だった。お互いに結婚した相手よりも多くの時間をともに過ごしてきた。1971年に英国政府に呼ばれてロンドンで極秘交渉に臨んだときも、1998年のグッドフライデー合意の交渉も、ほかもろもろ大変なこと、難しいことにともに立ち向かってきた。そういう盟友が、短い闘病生活の末、政界引退からわずか2か月で死んでしまった。そのショックは、教会でのアダムズの様子からもうかがえはしたが、少なくとも顔の表情には出ていなかった(アダムズは顔の表情に何も語らせない。恐ろしいほど無表情だ。カメラ向けの笑顔はいわゆる「アイドル・スマイル」と同じ、仕事の作り物だ)。そのアダムズが、登壇して口を開く前に、こんな顔をしていた(下記、全部で5枚のスライドショー)。

Embed from Getty Images

ベルファストのIrish Newsのフォトグラファーのツイート。アダムズ自身がRTしている。



ていうか、ジェリー・アダムズはほんとに誰でも知ってたよね。特にアイルランド、北アイルランドに関心がなくても、誰でも知ってるような存在だった(と過去形で書くのは違和感があるのだけど)。その大きな要因はやはり、あの得体のしれないカリスマ性だろう。一度見たら忘れられない。あの存在感はどこから来るのか、という存在感の持ち主。

メアリ・ルーにはそういう存在感はない(というかああいう存在感のある人はめったにいるものではない)。だから、党としても「見せ方」を変えてくるだろう。

それ以前に、シン・フェインは「北アイルランド紛争で最前線に立った闘士たち」が(男女ともに)70歳になったかなろうとしている2010年代後半に、「闘士たち」(別の立場から見れば「テロリスト」)のイメージからの脱却をはかっている(そういうタイミングでああいうことをしてしまうジェリー・ケリーさんは、永遠に紫色のシャツしか着れないようにされてしまうべきだ)。そういう「イメージの転換」は、2017年1月にマーティン・マクギネスが北アイルランド自治政府の副ファースト・ミニスターを退いたころから具体化されてきた。2月にマクギネスの後任として北部(一般的な用語でいえば「北アイルランド」)のシン・フェインのリーダーとなったのはミシェル・オニールという40歳の女性政治家だったし、そのころから「北アイルランド紛争」世代のベテランのリパブリカンの引退が目立つようになってきた。アダムズ&マクギネスのもと、「アーマライトと投票箱」の方針を推し進め、1994年のIRAの停戦を経て1998年の和平合意後は「投票箱」のみをとるようになってきたリパブリカン・ムーヴメントが、いよいよ、今も残っている「アーマライト」の影を消していくようになるのだろう。それを「世代交代」という形で進めていった先にシン・フェインが描いているのは、メアリ・ルーの演説にも明らかだったし、最近のアイルランド共和国のメディアでもよく目にするようになったが、「シン・フェインの政権参加」だ。(アイルランド共和国は二大政党制ではなく、2つの大きな政党だけでは議会の過半数が取れないので常にどこかと連立するのが基本。今のFGの政権は議会の多数が取れていない状態で運営されているが。)

Gettyの写真で、アダムズ&マクギネス体制からマクドナルド&オニールへの引き継ぎがわかる写真を集めてみた。1枚目は1985年の党大会(アダムズが党首になって2年後)、2枚目は1998年8月15日のオマー爆弾事件(IRAの分派がやった爆弾テロ)直後の囲み取材、3枚目以降は次世代リーダーたちとの写真。マクドナルドもオニールも、アダムズ&マクギネスに直接指導を受けた愛弟子だ。

Embed from Getty Images

「紛争」世代のパット・ドハーティのツイート。アダムズ自身がRTしている。写真3枚目の集合写真は、マクギネス家の人たちとの写真。



アダムズは引退しても党への影響力は保持するだろうと言われている。だが、表に出てくることは、今のアイルランド共和国下院議員の任期を終えたら、なくなるだろう。DUPのイアン・ペイズリーがそうだったように。ピーター・ロビンソンがそうであるように(ロビンソンは今では選挙の開票日にしか出てこなくなっている。心臓を悪くした後に引退したのだが、TVニュースに出てくるときはとても元気そうだ)。

シン・フェインに関するニュースからアダムズが消えるということは、今はまだ想像ができない。

なお、引退したあとに、アダムズとIRAの件が明らかにされるなどという可能性は、ないと思う。アダムズが公言しているようなカトリックの信仰の持ち主だったら神様にどう見えるかは気にしているのかもしれないが、少なくとも「歴史」は気にしていない。トニー・ブレアなんかとは全然違っている。








その "truth" は、あなたが真実を語らない限り、誰も得られないんですよ。

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この写真↓、すっごくいい写真だよね。もちろん、メディアのカメラにこういう写真を撮らせているのだけれども。
Embed from Getty Images



ところで、元々ジャーナリストだったスリラー作家、スティーヴン・レザーが、まだ「北アイルランド紛争」が終わっていなかった時期に書いた小説『チャイナマン』にゆるく基づいた映画The Foreignerが、2017年に公開される予定で製作されることになったとき、主人公が忍び寄っていく「IRAのリーダー」(映画では登場人物のバックグラウンドが全然別なものに変更されているので「アイルランド政府の役人」なのだそうだが)の造形のモデルとして、ピアース・ブロスナンはジェリー・アダムズを参照していた。小説では「チャイナマン」と呼ばれる主人公が迫っていくのは確かにIRAなのだが、映画化されたものではUDIなる架空の組織だそうで(Uで始めているということは、北アイルランドに関するお約束として、ユニオニスト側なのだが)、詳細はどういうことになっているのか、映画を見るまではわからない(日本公開されないのかな)。



4102445021チャイナマン (新潮文庫)
スティーヴン レザー Stephen Leather
新潮社 1996-10

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※この記事は

2018年02月12日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 02:03 | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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