「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2017年06月15日

トラックバック機能提供終了のお知らせ(Seesaaブログ全体)

Seesaaブログの運営さんで、標題のような告知が出ている。

【Seesaaブログ】トラックバック機能提供終了のお知らせ

……

トラックバック機能について、送受信ともに2017年7月中をめどに終了とさせていただきます。……

なお送受信については上記の通り機能終了いたしますが、これにより既存のトラックバックが消去されるものではありません。ブログおよびマイブログ内にて引き続き表示されます。……

http://info.seesaa.net/article/450858434.html


かつて、「ブログ」がまだ普及過程にあったころ(そのころは略さずに「ウェブログ」と呼ばれていたっけ)、日本語圏ではそれ以前にかなり一般化していた「ウェブ日記」と、新顔の「ウェブログ」はどこが違うのかという説明がなされるときに必ず注目されていたのが、「トラックバック機能の有無」だった。大まかに、「ウェブログにはトラックバックという機能があって、それによって他のブログとゆるくつながることができます」といった説明。(「はてなダイアリ」はこの思想を相当先取りしていて、ダイアリの本文中のワードで他のダイアリとゆるくつながることができていたのだが、いかんせん、日本語の自然言語処理では、うちのように「外国」の用語が多いと、いわゆる「誤爆」が多くて……「リパブリカン」が「パブリカ」という車の名前としてヒットしてしまうのをいちいち外さなければならなかったりして、大変に面倒だった。)

トラックバックは、先方のコメント欄にわざわざ投稿するなどしなくても、「あなたの記事に言及しました」とか、「同じ話題で私も書きました」とか、「翻訳の続きやっときました」とかいうことがサクっと連絡できる便利なツールだ。「あなたの書いていることに異論があるのですが、あなたのところのコメント欄を長々と占領することになるのはアレなので、私は私でブログに書きました」といった議論のためにも使われうるし、「みなさんのご意見を募集します。各自ブログに意見を書いて、このエントリにトラバ(トラックバック)を飛ばしてください」といった形での議論も、トラバの機能があればこそ可能になる類のことだ。

尤も、私がそのような目的でトラバを使っていたのはたぶん10年くらい前までで、現在では自分のブログ内にしかトラバは飛ばしていない。自ブログ内でのトラバは、例えば「総選挙の日程が発表になった」というエントリに、後日書いた「選挙運動ではこんなことが争点となっている」とか「選挙結果はこうだった」というエントリを表示させるため(つまり「アップデート」のため)に使っている。例えば下記は、マーティン・マクギネスの政界引退についてのエントリに飛ばしたトラバだ。後任が決まったことについて書いた記事と、そして訃報についての記事を、ここにリンクしてあるわけだ。

tbss.png


リンクなんかはってあっても誰も読みゃしないのは、10年以上ブログというものを使ってきて知っている。自分がこれを使ってるのは、単に自分のために過ぎない。「あれについて書いたはずだが」的な探し物をするには、キーワード検索ができるだけでは足りないのだ。

で、こういうふうに使えるのは地味に便利なので、トラックバック機能提供が停止されたら面倒だな……と思っている。同じようなことを実現しようとするなら、上の例を引けば、いちいち「総選挙の日程発表」のエントリを開いて、「選挙の争点について書きました。URLは……」、「選挙の投開票が終わり、結果はこうだったという記事を書きました。URLは……」と追記しなければならない。トラバならPingを飛ばすようURLを所定の欄にコピペするだけで済むのだが。

そういう追記の手間を最小化するにはコメント欄を開ければよいのだろうが、今更コメ欄というのもピンとこない。ブログ主の追記専用の1行コメント欄みたいなふうに使えれば、コメ欄管理のストレスはなくなるのだが、そういう方向性も、もう今からは現実的ではない。

まあ、これもひとつの「時代の流れ」なのだろう。何年か前にはてなが「はてなダイアリ」とは別に「はてなブログ」の提供を始めた際、トラバを最初から削除したことでずいぶんユーザーの反発があったと記憶しているが(私がはてなブログを使っていないのは、その理由もあるが、URLにいちいち「はて」と読ませるhate「ヘイト」が入っていて、英語系としては至極やりづらいためだ)、ついにSeesaaのようなブログでもトラバが終焉を迎えるわけだ。

ところで、2017年の今、Googleで「トラックバック」を検索すると、IT用語解説などに混じって、いわゆる「プロブロガー」的な、「稼ぐ」だの「SEO」だのといった文脈での説明が上位に表示されていて時代の流れを感じる。日本語圏では、ブログ自体がそういう存在になってしまっているからね。

※この記事は

2017年06月15日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼