「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2018年08月26日

教皇のアイルランド訪問とシリア難民: 2年前、全然英語ができなかった少女が、8万人の前で語るとき

フランシスコ教皇は難民に関して活発に動いてこられた方だ。2016年4月には、シリアをはじめ中近東から中央アジアにかけての地域から脱出してきた人々がトルコからヨーロッパに入る入り口となっていたギリシャのレスボス島を訪問し、難民として収容されていた人々と握手をし、肩に手をかけ、話に耳を傾ける(必要に応じてそれぞれの言語の通訳者を介して)という活動を行ない、帰りの飛行機にシリア難民12人を乗せていき、「ヨーロッパはもっと難民を受け入れるべきである」ということを、言葉ではなく行動で示していた。

このレスボス島訪問の少し前にキリスト教の東西の教会の対話が行われ、訪問は「東」の教会のトップと一緒に行われたということも、特筆に価するだろう。特に今回のアイルランド訪問で、プレスビテリアン、メソジストなどプロテスタントの教派のトップがダブリン城(「城」という名称だが、機能としては「会館」である)でのイベントへの招待を受けるという形で、教派の垣根が取り払われたことを見ると、フランシスコさんはのちのちまで語り継がれる存在になるだろうけど、その注目ポイントの一つは「宗派間の対話の促進」に置かれるだろうと思ったりもする。

閑話休題。ここで書いておきたいのは難民のことだ。

今回のアイルランド訪問に際し、空港に到着した教皇はサイモン・コヴニー外務大臣とそのご家族をはじめとするアイルランドの人々の出迎えを受けたあと、大統領官邸でのレセプションを受けた。

ちなみに大統領はあの見た目がかわいいマイケル・D・ヒギンズ大統領だが、この方もフランシスコ教皇と共通する部分の多い人道主義者である。下記のスライドショーはGetty Imagesでエンベッドできるようになっている写真から5点選んだが、お2人が並ぶとまるで映画に出てくる「善の長老たち」みたいだ。

Embed from Getty Images

ともあれ、アイルランドに外国の国家元首などが訪問するとこのように大統領官邸でレセプションがあり、そこではアイルランドの軍隊(といってもアイルランドは中立国だし、戦闘機など攻撃能力は持っていない。国連PKOで活躍している)を前に閲兵が行われるのだが、今回の教皇訪問ではその軍隊が陸軍ではなく海軍だった。上記スライドショーの2枚目から4枚目で確認できる通りである。

ここで海軍を持ってきたのは、「難民」が理由だという。アイリッシュ・タイムズの記事より:
He was greeted by the President Michael D Higgins and his wife Sabina in front of a guard of honour made up of members of the Irish naval service. They were chosen to reflect the importance of the naval service in the ongoing Mediterranean operation aimed at disrupting the activities of people smugglers and assisting migrants to prevent loss of life at sea.

https://www.irishtimes.com/news/social-affairs/religion-and-beliefs/papal-visit/syrian-family-of-asylum-seekers-meet-pope-francis-at-%C3%A1ras-an-uachtar%C3%A1in-1.3607785

つまり、アフリカ北岸から欧州を目指して地中海を渡ろうとする人々が海に飲まれて犠牲となることを防ぐための活動において海軍が重要な役割を果たすので、海軍が選ばれたというのだ。アイルランドの大統領は儀礼的な存在で政治には関与しないが、ヒギンズ大統領はこうすることで海軍を讃えると同時に、教皇と世界に対し、「やれることをやっていきましょう」というメッセージを送っているのだろう。

そして、大統領官邸でのレセプションではゲストが記念植樹をするのが慣わしなのだが(アイリッシュ・タイムズ記事によると、1853年から続いているのだとか)、その植樹のセレモニーにたずさわっていたのが、シリアから逃れてきたハッスーンさんたちの家族だった。

一家は男性2人、女性2人と幼い子供3人の7人。一番下の子は1歳だという。










大統領府のツイートによると、一家は医療を受けるために受け入れられているとのこと。生きるために、アイルランドに来た人たちだ。

そして大統領官邸のこのレセプションには、キャサリン・ザッポウン児童・青少年問題担当大臣の姿もあった。上にエンベッドしたGettyのスライドショーの5枚目で教皇の手をとっている女性だ。

アイルランドでの同性結婚合法化(婚姻の平等の実現)を、「個人の生活スタイル」だの「趣味」だのといったものではなく「社会全体で実現に向けて議論すべきもの」とした人々のひとりが、彼女である。女性をパートナーとしカナダで結婚していた彼女は、その婚姻関係がアイルランドで認められないことについて法廷にうって出た――必ずしもロマンあふれる理由からではない。財産とか税金といった、極めて実務的なことが理由だ。「男女カップルでは認められている税控除が認められないのはおかしい」とか、「私が死んだあと、彼女に相続の権利がないなんて」とかいったことだ。最終的に婚姻の平等を実現させたレファレンダム(2015年)の実に9年前、2006年のことだった。
https://en.wikipedia.org/wiki/Same-sex_marriage_in_the_Republic_of_Ireland
https://en.wikipedia.org/wiki/Zappone_v._Revenue_Commissioners



レファレンダムの結果が出たあの日、結果が発表されたダブリン城で、彼女は長年のパートナー、アン・ルイーズ・ギリガンさんとともに喜びを爆発させていた。その写真は、全世界に配信された。

Embed from Getty Images

ダブリン生まれのギリガンさんは修道女になるために勉強を重ねた人だ。米国で勉強しているときにザッポウンさん(米国生まれで、1995年にアイルランドの市民権取得)と出会い、運命が変わった。アイルランドに戻ったあとは教育の専門家としてダブリンの若者たちの就職支援活動を行ない、成果を出していた。
https://en.wikipedia.org/wiki/Ann_Louise_Gilligan

ギリガンさんは2017年6月、脳出血を起こし、帰らぬ人となった。





ギリガンさんが急な病に倒れていなければ、大臣のパートナーとしてレセプションに出席していたかもしれないんだな、と思ったとき、またもや改めてアイルランドの変化の度合いに息を呑むことになった。

しかしまあ、教皇ご本人が同性愛者を排除しないという姿勢を明示してきたという流れはあるにせよ、すごくドラスティックなことじゃないですか、これは。首相(選挙で第一党となった政党のトップ……って書いて思い出したけど、今のアイルランドのこの政権、「選挙で第一党となった」といってもアレなんだった。その話は別の機会に)がゲイ男性で、大統領官邸のレセプションに出席した閣僚がゲイ女性。首相は動かせないとして、ザッポウン大臣は、レセプションに出席するメンバーに選ばないということもありえたはず。ヴァチカンに気を使うなら別の閣僚を出席させていたのではないか、と思うと、しびれる。

そして土曜日、大統領官邸でのレセプションから、ダブリン城でのスピーチを経て、1日の締めくくりに行われたクローク・パークでのイベント会場から、BBC News NIがこのようなツイートをしていた。



デリーの学校のリンゼイ先生が「うちの生徒がこんなに大勢の人の前で!」と興奮気味に話している映像だ。彼女の生徒はジャンダ・ハッサン。シリアからの難民だ。

リンゼイ先生いわく、「ジャンダが2年前にうちの学校に来たときには、英語は一言もできなかったんです。そのジャンダが、今日ここで、グローバル・ファミリーについての文章を読みあげるんです!」





先生のツイートより、ジャンダの雄姿:




クローク・パークでのイベントを締めくくったアンドレア・ボッチェリのステージの写真と、イベント後のジャンダたち生徒とリンゼイ先生。



シリアから脱出した難民の中にはキリスト教徒も多い。クローク・パークの群集の中には、そういった人もいたかもしれない。



「希望を、失わないでください」――ローマ教皇とコンスタンティノープル総主教のレスボス島訪問
https://matome.naver.jp/odai/2146080101371550601

アイルランド共和国の同性結婚合法化…「他の誰かの幸せ」と「国の制度」と「価値観」と。
https://matome.naver.jp/odai/2143256986079242401

※この記事は

2018年08月26日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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