「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2019年10月05日

パリ警視庁での衝撃的な事件について、英語圏ネット上極右界隈で言われていることのメモ

10月3日(木)、フランス、パリのシテ島にあるパリ警視庁で職員とみられる男が刃物で4人の職員を刺殺、その後本人も警察官に射殺されるという衝撃的な事件があった。殺された3人は情報部門職員、1人は人事部職員とのことで、容疑者を射殺したのは着任してまだ数日にしかならない若いインターンだったという。

事件の前日、フランスでは警官たちが、いわゆる「ブラックな」労働環境に抗議してデモを行っていたが、3日の事件は、警察からの公式のステートメントがまだ出てなくてもろもろ不明だった段階でも、デモと関係があるということは言われていなかった。実際にデモとは無関係だったようだ。

衝撃的な事件の後、しばらくは(フランスの事件報道ではよくある)情報錯綜と情報統制の奇妙な共存が続いていたようだが、日本時間で土曜日になって、「予備捜査の結果、容疑者が過激思想に傾倒していた可能性があることが示された」という報道がなされている。このAFP以外の報道記事を見ると、仕事で過激派の情報に接していたということだ。一方で、自宅の捜索では過激化の兆候は一切見つからなかったという。職場で過激化されていたと仮定して、自宅には過激化を示すものは何もなかったとすると、自宅には職場のものは一切、情報の一片たりとも持ち帰っていなかったのだろう。

そういうこと(職場と自宅とは完全に別にすること)が要求される仕事だったのだろう。

――ここで私はおまじないのマニキュアを塗る。15歳女子を装ってネットでイスイス団の人員と接触し、彼らのリクルート(人員募集)活動がどのように行われるかを身体を張って報告したフランスのジャーナリスト、アンナ・エレル(仮名)の本にマニキュアのことが書いてあって(「15歳女子」を自分の元に来させようとするイスイス団の男は、Skypeの画面で彼女が爪を塗っていることに気づき、そのようなことはしてはならないというくだらない教義を言って聞かせる。ああいうくだらない教義は、カルト教団が声をかけた人物がその思想を本当に信じたかどうかを試す試金石として用いられるものとして典型的だ。日常の中のほんの小さな、くだらないことを変えさせることで「自分は生まれ変わった、別の人間になった」と思わせていく)、それを読んで以来、私はずっとそっち系の情報に接するとき(この指先でそのことについて書くとき)、発色のよいマニキュアを遠慮なく塗っている。あたかも指先にこれがあれば、ああいうのが浸透してくることが防げる、といわんばかりに遠慮なく。

ジハーディストのベールをかぶった私
ジハーディストのベールをかぶった私

さて、本題。パリでの事件について。


発生当日からの報道記事のツイート。















さて、Twitterでは「容疑者が叫んだ言葉」がまことしやかにささやかれているが、実際にはそれを聞いたはずの人は全員死んでいるので(容疑者は、同じ部屋にいた3人の同僚を全員刺殺した)、何もわからない、ということが上記ガーディアン記事に書かれている。



容疑者の妻は、凶行の前の晩、夫の行動が「通常ではなかった」ということを語っている。


ここまで、TwitterにフィードしていないBBC記事などもあわせ、報道にあった内容を改めてまとめると、パリ警視庁で情報部職員3人(いずれも男性)と人事部職員1人(女性)を刺し殺した容疑者は45歳のコンピューター・サイエンティスト。パリ警視庁に勤めて16年(15年とも20年とも言われているが、内務大臣の確定発言では、実際には「16年」ということらしい。フランス流の事件直後のごちゃごちゃした報道では15年も20年も誤差の範囲内だ)。2003年(つまり入庁以来ずっと)からテクノロジー部門に配属。聴覚障碍があり、18か月前にイスラム教に改宗したという報道がなされている(とBBCが報じている)。また、容疑者は最近職場で女性の同僚と話をしなくなっていたという報道もある(とBBCが報じている)。一方でフランス政府のスポークスウーマンは、容疑者が攻撃を行う前に過激化されていた(過激思想に染まっていた)と示すものは何もないとしている。「テロではない」という公式見解は、少なくとも金曜日までは保たれている。凶器の刃物は「キッチンナイフ」とか「セラミック製のナイフ」と描写されているが、容疑者が当日持ち込んだものなのかどうかはわかっていない(ひょっとしたら元々施設内にあったのかもしれない……そんなことは警察はとっくに事実を確認しているはずだが、容疑者が持ち込んだのか、元々建物内にあったのかどうかは公表されていない)。

だが、事件捜査は対テロ部門の担当となっている。






三重スパイ イスラム過激派を監視した男
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ジハーディ・ジョンの生涯
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さて、この事件、殺害された4人の警官のお名前はまだ報道で目にしていないのだが(私の見ている範囲は英語圏だけで、とても狭いことをお断りしておく)、容疑者の名前は木曜日のうちに報じられていた。ただし私が主に見ているガーディアンではMichael Hと「ファーストネームと、ファミリーネームの最初の1文字」という形である。BBCではフルネームが報じられているが、このようなバラつきがあるのは、フランスではこういう場合の名前の報道について特に統一的な指針がないということかもしれない(例えばドイツでは「ファーストネームと、ファミリーネームの最初の1文字」が法律で決まっているそうだが)。

そしてTwitter上の英語圏で、容疑者のフルネームを書いていたのは圧倒的にタブロイド報道で、特にデイリー・メイルの報道が目立った。私自身はメイルのフィードは目にしないようにミュートしてあるのだが(自分にとって最も主要なトピックであるBrexit関連ニュースでノイズが多くなりすぎるため)、誰かがメイルの記事のURLを入れてツイートしているものはミュートされず、そしてそれが、容疑者のフルネームの検索結果の画面に、やたらとたくさんあった。




こういったツイートのひとつを何気なく掘ってみたので、そのことをメモとして書いておこう。私には意味がわからないシンボリズムもいろいろ満載されている。こうやって書いておいて、いつか意味がわかったらそのときにまた書き足そう。

そのツイートとは、下記のものだ。容疑者名をTwitter検索したときに一番上に表示されていた。一番上に表示されていたのはおそらくそれなりにR/Tされてたりlikeされてたりするためだろうが、アカウント自体はショボい。ほんの数人しかフォロワーがいない。「ボット」の特徴ありすぎである。(画像は一部を加工。以下同じ)

frplattcktw02.png
※クリックで原寸表示。

ツイートに添えられている画像は、パリ警視庁の敷地内で撃ち殺された容疑者の躯をとらえた写真(たぶん、上空のヘリから撮影されたもの)で、英語圏ではデイリー・メイルやデイリー・ミラーが使っていたのをTwitterのフィードで見たのだが、改めてこの画像と同じもの(現場写真に容疑者の顔写真が乗せられているもの)を探そうとすると、Google画像検索に出てくるのは転載ばかりでオリジナルの画像が見つからない。TinEyeだと上に重ねられている容疑者の顔写真がないものしか見つからない。顔写真が乗っているバージョンは、報道写真ではよくありがちなものだから、フランス国内の報道機関がフィードした写真かもしれないが、デイリー・メイルがよくこういう画像をTwitterにフィードしているから、メイルのものかもしれない。そう思ってメイルのアカウント (@MailOnline, @DailyMailUKなど) をチェックするが、同一の画像は見当たらない。

おなじツイートをユーザーページで表示させた画面はこうなっている。

frplattcktw01.png
※クリックで原寸表示。

ツイート本文に書かれているのは、最近――というか、もうピークは数年前に過ぎてるか――流行りの「イスラム化される西洋の自滅」という、あまりに類型的な極右のトンデモ論、いわゆる「ユーラビア」論。「アラブ化されるヨーロッパの白人文化を守れ」という人種主義(ホワイト・ナショナリズム)。

(日本語圏でも新書などで少し流入していたが、このトンデモは日本で流行ったんだろうか?)

懐かしさを感じるレベルで類型的だったので、スルーするにはもったいないと思ってしまった。

このユーザーが名乗っている名前(アカウント名)は、ウェブ検索してもよくわからない。スペインにそういう固有名詞があるし、昔はイングランドでもその名前の男爵家があったそうだが、それ以上のことはわからない。

名前の後についている絵文字は、風になびく緑の葉と、茶色い落ち葉と、カエデの葉。最後のカエデの葉はカナダのシンボルであるが、それ以外は意味がわからない。

一方、@マークのあとの文字列(ユーザー名、ユーザーID)は、キャプチャ画像ではぼかしてあるが、フランス語である。こちらをウェブ検索すると、地名ばかり出てくる。これもよくわからない。

このアカウントが登録されたのはほんの数日前で、ツイート数はわずか19件、フォローしているのは12件、フォロワー数は4件。19件のツイートのうち、何かへのリプライではないツイートは3件、リツイートは2件、残りは英国の「リベラル」(←米語用法)に絡んでいっている発言である。ちなみにリツイート2件のうち1件はアン・クールター(コールターとも。15年くらい前に「アメリカの女版石原慎太郎」と誰かが評していたのがツボりまくって、以来女版石原慎太郎にしか見えない)、もう1件は「チャールズ・リンドバーグ」を名乗る#OpenBordersForIsraelの活動家(こちらはちょっと何が何なのかよくわからない)。その「リンドバーグ」のツイートは、IDFに対してあてこすった内容で、イスラエルの立場に立てば、控え目に言っても悪趣味としか言いようがないものだろう。

「ボット」の特徴、ありすぎである。

それにしてもこのアカウント、適当に作った「キリスト教文化が好きなだけの普通のカナダ人」みたいなプロフィールとは異なり、何か意味ありげな古い画像がちりばめられているので、それも気になる。

まずはアカウントのアバター(日本語では「アイコン」)。古い(19世紀より前と思われる)肖像画だが、誰の肖像画だろうか。これはChromeを使い、単に右クリック→[新しいタブで表示]にしてURLを取得し、Google画像検索に投げると、調べがつく。得られた結果はAlexander von Humboldtで、フンボルトペンギンのフンボルトさんじゃないっすか。18世紀から19世紀の博物学者・探検家で地理学者。出身はプロイセン。

ただし、このアカウントがアバターとして使っている肖像画は、ウィキペディアやウィキメディアでは出てこない。画像検索の結果見つけたDW記事(下記)によると、"A 34-year-old Alexander von Humboldt by Auguste Desnoyers after a drawing by French artist Francois Gerard, 1805" とのことで、ここらへんの欧州の国境を越えたつながりって興味深いですよねー、という方向に関心が向いてしまうとまた脱線して先に進めないのでそれはそれとして。
https://www.dw.com/en/cultivating-a-prodigy-learning-to-be-alexander-von-humboldt/a-46693495

このフンボルトさんが、現在「西洋の自滅」云々言ってる界隈とどういう関係があるのかは私にはわからないし、ウィキペディアやDWの記事をざっと見ても見当もつかない。

続いて、アカウントのヘッダー画像だが、これはサクッと右クリックでは個別に表示させることができない。ChromeでF12→右側の画面で [Sources] → [Top] → [pbs.twimg.com] と進んで、profile bannersとあるものを探してそれをクリックし、Copy image URLすれば画像のURLが得られるので、これをGoogle画像検索に投げる。

と、どういうわけかこの画像検索の結果はスペイン語ばかりなのだが、それはおそらくこの原画がスペイン語で書かれているとか、この原画を所蔵している博物館がスペインにあるといった事情だろう(確認はしていない)。

ヘッダー画像に使われているのと同一と思われる画像は「他のサイズ」は見つからなかった。トリミングされていない状態のが下記に見つかったが(スペイン語のページ)、大きさはずっと小さい。
https://www.viajesapie.com/blog/viajes-de-papel-la-invencin-de-la-naturaleza-de-andrea-wulf

色が違うのはウィキメディアにもアップされていて:
https://es.wikipedia.org/wiki/Archivo:Humboldt1805-chimborazo.jpg

英語版ウィキペディアの History of biology のページでも使われている。ここで(自分に楽にわかる言語で)この図がフンボルトさん作成の図だということが確認できた。
https://en.wikipedia.org/wiki/History_of_biology
In the course of his travels, Alexander von Humboldt mapped the distribution of plants across landscapes and recorded a variety of physical conditions such as pressure and temperature.


で?

おそらく「ボット」(それもいわゆる「ロシアン・ボット」)と思われるTwitterアカウントが、カナダのシンボルのメイプルリーフや、ドイツ出身の探検家・地理学者フンボルトのイメージをちりばめて、アン・クールターの発言をリツイートしていて、「リンドバーグ」のいかれた悪趣味のツイートをリツイートしていて、「ユーラビア」論にかぶれた言説を吹聴しているからといって、何がわかっただろう?

特に、何も。

だが、これが事実の細部なのだ。目の前で現に起きていることの細部。

あれ書かなきゃ、これも書かなきゃということが山積しているときに、こんなことを書いているのは、第一に、このトピックなら2時間もあれば書き終わるだろうと思ったからだが(Brexit関連のや北アイルランド関連のは書き終わる気がしない)、書いておかないと今見てるものを忘れることは確実だからだ。
















本稿、もちろん2時間なんかじゃ書きあがらなかった。パリの事件は、おそらくネット上の極右が利用しまくれるような事件だろう。それを思うと、頭が重くなる。

殺害された4人の警官のご家族に、しっかりとした支えがありますよう。容疑者を撃ち殺したインターンの警官にも、しっかりとした支えがありますよう。夫が突然凶行に走り、頭を撃ち抜かれて殺されるという形で夫を失った人が、自分を責めすぎず、周りから支えられていますよう。

※この記事は

2019年10月05日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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