「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2018年10月21日

10年以上前に書いた文と、トラックバックと、はてなダイアリーについて: 「検証可能」ではなくなるということ

『新潮45』の廃刊を受けて、高橋源一郎さんが書いた文章が、先日、はてなブックマークでおおいに話題になっていた。現時点(10月21日夜)でブクマ数1200件を超えている。

その文章は、どうか各自ご自身で読んで、感想があれば(私にぶつけずに)ご自身でアウトプットして消化していただきたいのだが、私自身は非常にひっかかるものを感じながら読んだし、一読して違和感以外の何ものでもないもの(なのに、別の何かに偽装されているもの)を喉元に詰まらされた感じがした。口に入れれば口の中の水分を全部持っていくカステラ的なおやつを、お茶も水もなく出されて、「どう、美味しいでしょう」という圧力を感じているという感覚だ。これは「志の高い若者が挫折し、ダークサイドに落ちた」という《物語》なのか? Facebookに就職したニック・クレッグのように? (クレッグのことはまた改めて書く)

中でも、最も大きな「?」が頭の上に浮かんだ箇所がここだ。

「LGBTという概念について私は詳細を知らないし、馬鹿らしくて詳細など知るつもりもないが、性の平等化を盾にとったポストマルクス主義の変種に違いあるまい」というのも類を見ない発想だ。他の雑誌でも「詳細を知らないが」と前置きして書いているのを見かけるので、あえて「知らない」ままで書くのがお好きな方のようだ。おそらく、その方がフレッシュな気持ちで書けるからだろう。とにかく、小川さんに「事実と違う」と指摘するのは意味がないのではあるまいか。だって「知らない」っていってるんだから。しかし、これ、いい作戦かもしれない。おれも、「詳細を知らないし、馬鹿らしくて詳細を知るつもりもない」と前置きして書くことにしようかな。それで文句をつけられたら、「おれの文章をきちんと読め! 知らないっていってるだろ」といえばいいわけだ。でも、それでは、「新潮45」を読むような善男善女の読者はびっくりしたと思う。ふつうは、ある程度、意味を知って書いているはず、と思いこんでいるからね。

--- 高橋源一郎、『「文藝評論家」小川榮太郎氏の全著作を読んでおれは泣いた』
http://kangaeruhito.jp/articles/-/2641


ブコメに書いたんだけど、「『……性の平等化を盾にとったポストマルクス主義の変種に違いあるまい』というのも類を見ない発想だ」というところで「?」となった。その「類」、けっこうよく見るんですけど……っていう感じ。それもネット上の特殊なところで見るわけではなく、書店の書棚なんかで。

高橋さんのこの記述自体が、この記述において述べられている「詳細を知らないし、馬鹿らしくて詳細を知るつもりもない」的な開き直りの構造になっているから、意図的なことなのかもしれないなと思うけれども、ともあれ、問題はLGBTQなどの用語で表されている「性的アイデンティティの多様化」(というか「男か女かの二分法を超えたアイデンティティ」)について、「マルクス主義がぁぁぁ」「サヨクがぁぁぁ」と叫んで「伝統の解体」だの「社会の破壊」だのをもくろむ陰謀だと主張する向きは、かなり前から、けっこうそこらへんにごろごろしているということだ(私個人が直接観測できる範囲では、LGBTQについて「伝統の解体」だの「社会の破壊」だのという結論を自分の中で導き出し終わっている人が、「では、それはなぜなのか」という理由を求めていった先が「サヨクがぁぁ」言説だった、ということがある。そういう場合は左翼でない/右翼の/マルクス主義の影響を受けていないゲイライツ活動家の実例をひとつふたつ示せば話は終わると思うが)。

そういうトンデモな主張について、私は以前このブログで書いている。私のそのブログ記事の前段階にあったのは、荻上チキさんの「トラカレ」の記事で、今回、高橋さんの文章に対するはてブのコメント欄には、それが読めるURLを貼っておいた。

"「性の平等化を盾にとったポストマルクス主義の変種に違いあるまい」というのも類を見ない発想"。類けっこう見る気がするんですけど。「ポスト」でなく「ネオ」とあるもので http://seijotcp.hatenablog.com/entry/20061119/p3 参照
http://b.hatena.ne.jp/nofrills/20181020#bookmark-372909946


この記事は、今でも、「フランクフルト学派」でウェブ検索すると、上位に表示されていると思う。

フランクフルター陰謀論2.0(ウソ)
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20061119/p3

URLからわかる通り、2006年(12年前!)のものだ。

そして、このURL(d.hatena.ne.jp)、つまり「はてなダイアリー」は、もうすぐ終了する。

2019年春「はてなダイアリー」終了のお知らせと「はてなブログ」への移行のお願い - はてなダイアリー日記
http://d.hatena.ne.jp/hatenadiary/20180830/blog_unify

「はてなダイアリー」(d.hatena.ne.jp)を使っていた荻上さんの「トラカレ」 http://d.hatena.ne.jp/seijotcp は、「はてなブログ」(hatenablog.com などのドメイン)のサービスが開始されたあとで「はてなブログ」に移り、「荻上式BLOG」 http://seijotcp.hatenablog.com/ と改称して過去ログを全部移行した上で、新たな更新も続けられている。更新頻度はかつてのそれよりずっと少なくなっているが、「頻度」という点では「いちいちブログに書かずにTwitterを使う」といったアウトプット手段の多様化の影響を受けているのは荻上さんだけではない(私もそうだし)。

「はてなブログ」が始まったのは2011年11月(ベータ版)で、一般に開放されたのは2013年1月だった。そして、この後発のブログサービスでは、最初からトラックバックという機能が削られていた。これは「はてなブログ」が始まったときに、はてなユーザーの間で大変な異論の大合唱を引き起こした。

「はてなブログ」開始時の、当時のはてなの「中の人」、近藤淳也氏のダイアリー/ブログより:
(このくらいのものは、「近藤淳也」という個人名を覚えていればすぐに検索で探し出せるが、そういう糸口がなければ探し出せないだろう)
はてなブログにはトラックバックを組み込みませんでした。しかしベータ版開始以降、一度も「トラックバック機能を付けて欲しい」という要望をもらっていません。ブログから、「コミュニケーションツール」としてのニーズが消えてきている事をよく表しています。

……
コミュニケーションツールの分離によって、ブログの役割が、より明確になりました。
まとまった量の文章や写真を表現するためのツールになりました。
改めて、その役割が明らかになりました。

今なら、よりシンプルにブログを作る事ができます。
はてなブログは、新しいブログのニーズに沿った、シンプルなブログになりました。

http://jkondo.hatenablog.com/entry/2011/11/19/114109


「コミュニケーションツール」、つまり「やり取りの場」としてのブログ(はてなでは「ダイアリー」)を全否定し、その術を取っ払うところから始まったのが「はてなブログ」だった。

これは、「トラックバック」という機能により、自分のサイトで誰かの記事に言及したときにいちいち先方の掲示板なりコメント欄なりメールなりで「私はあなたのかくかくしかじかの記事に言及しました。今後も情報・意見を交換し、議論を深めていきましょう」といった連絡をしなくても、単に1行のURLをぺたっと貼り付けて「投稿」ボタンを押すだけでその連絡まで完了するようになったことで、ネット上に書かれたもの(文章)でしか《つながり》を持てなかった相手との《つながり》がより簡単に持てるようになるという、いわゆる「Web 2.0」の時代から、それ以前の、「自分で書いたテクストは自分がアップしたその場に固定され、閉じた状態でインターネットという情報の海を漂う」という時代への逆戻りだった。《つながり》が欲しければ、Twitterを使えばいいじゃない、っていう時代だったのだ。

私も個人的には、そのときは「そうかもね」程度には思っていたけれど(2011年といえば、トラックバックがほとんど使われなくなったあとだった)、それでも、「ブログのことはブログで完結してほしい」と思っていた。ブログとTwitterとは用途が別なので、ブログに書いたことでTwitterで延々と粘着されるとかいうのは、ちょっとかんべんしてほしかったのだ(ならばブログのコメント欄を開ければいいじゃないと思われるかもしれないが、そうすると今度は「荒らし」や「スパム」という古典的な敵が湧いて出てくる)。

ともあれ、あとから見れば「はてなブログ」が2011年の時点でトラックバックを廃止していたことは、時代の先を行っていたといえることだった。今、あちこちに氾濫しているWordpressを利用した「ブログ」というかサイト(WordpressがCMSとして使われているサイト)にはそもそも「トラックバック」などないし、これを書いているSeesaaブログでも、2017年夏にトラックバックは廃止された

しかし2000年代、「Web 2.0」の時代、「トラックバック」は確実に、「ブログ(はてなではダイアリー)の一部」だった。誰かがブログに書いた記事を受けて、誰によってどのような議論が展開されたかは、トラックバックを見なければ正確にはわからない(コメント欄も有用だが、他人のコメント欄に書くより自分のブログに書いてトラバを飛ばしておくという形で議論が行なわれていたのも確かだ)。

そのように、「トラックバック」が不可欠な一部であった「はてなダイアリー」は、2019年春に終了となり、その後は「はてなブログ」に自動移行される(強制移住させられる、と言いたいところだが)。

はてなダイアリー終了の際、すべての投稿データをはてなブログに自動移行します - はてなダイアリー日記
http://d.hatena.ne.jp/hatenadiary/20181004/1538636539

自動移行により、既に著者がいなくなってしまった「はてなダイアリー」(例えばid:Projectitohなど)のテクスト群が、ネット上から消滅することなく引き続き読める状態が維持されるということは非常に喜ばしいが、同時に、それらのテクストの一部を構成していた「他のブログからのトラックバック」が消えてしまう。

そして、私が2006年11月19日に書いた当ブログの記事から、荻上さんの「トラカレ」の2006年11月19日の記事に飛ばしたトラバは、もう見ることができない。私がトラバを飛ばしたという事実さえ、他人にとっては「検証不可能」なことになってしまっている。

かろうじて、自分で手元にダウンロードしてある自分のブログのログ(バックアップ・ファイル)にはそれが記録されているはずだが、トラバ機能が廃止されたあとの現在のSeesaaブログの管理画面では確認できない。バックアップ・ファイルはただのテキストファイルだから、捏造されたものではないということは証明しづらい(証明できないといってもよいくらいに)。つまり、誰でも確認できる客観的な証拠がないのだ。

それはたいしたことではないかもしれない。なるほど、確かに私のトラバの使い方では、トラバの部分がごっそり消えたところでたいしたことではない。元々、他人と何か議論しながら何かを深めていくというスタイルのブログではなく、単なるニュースのメモだから、書いたトピックに進展があったときに、自分の記事に自分でトラバを飛ばすという使い方がメインで、他所とのトラバのやり取りは多いほうではなかった。だが今回、ふとしたことで古いエントリ(2006年)を見返すことになり、そしてそのエントリから「はてなダイアリー」から「はてなブログ」に移行した言及先を見ることになり、その結果、「トラックバックという歴史」に改めて思いをはせることになった。

いずれにせよウェブ検索すれば何かでてくるんではと人は言うかもしれない。ウェブ検索はそんなに親切じゃない。いつまでもあると思うな検索結果。検索結果は、その時、そのタイミングに世間一般がどういう関心を寄せていたかに依存する。先週交通事故を起こした芸能人について今日検索して、その交通事故のことではなくリリースされたシングル曲について調べたければ、その芸能人の名前だけではなくシングル曲の曲名を入れなければ、まともな検索結果は出てこない。ではその曲名を忘れてしまった場合は? その曲がリリースされた直後だったら、あるいは事故のことが忘れ去られたあとだったら、名前さえ入れればその曲についての記述ばかりたくさん上がってきただろうけれど。(現実には、今のネットはもっとひどくて、ニュースに出た人名を検索すれば「○○の嫁(旦那)は? 出身校は?」とかいった下品で下世話な「まとめ記事」が、クリック数を目当てに、雨後のたけのこというより空き地のネコジャラシのごとく、一帯を埋め尽くしている。ネコジャラシなら猫が喜ぶし、非常時には食えるらしいけど、ああいう「まとめ記事」はそれほどの役にも立たない。)




私は英語に関するちょっとオタクっぽい話題などははてなダイアリーで書いていたのだが(このブログに書くか、はてなダイアリーに書くかの境界線はあいまいだったけど)、はてなが極めて不誠実な形でウェブビーコンを仕込んでいたことに立腹したときに自分のダイアリーを非公開にしていて(そしてその後、移転するつもりだった)、それっきりになっている。先日、はてなからの告知があったあとで「はてなブログ」で提供されているドメインのひとつを選択して(はてなブログを私が使わなかった大きな理由はドメイン名がださいからだった……英語使いとして、hateblo = hate bloなんて、とうてい使えるものではない。今回はhatenadiaryというドメインが選べたのでそれを使うことにした)、ログを移行するところまでは終了させた。手順ははてなのくせにわかりやすいヘルプ(笑)にある通りで、キーボードを使う必要なく、クリックだけで完了した。はてなダイアリーのほうの管理ページもまだ閲覧はできていて、トラックバックのリストも確認できる。

はてなダイアリーのログはDLできているので、トラバ一覧を参照しながら、記録しておくべきものは手作業でコピペしようと思っている。件数が少ないから(今確認できるだけで60件しかなく、うちかなりの分量がTwitterでの言及のログだ)、手作業でなんとかなる。問題は、そのままはてなブログに置いておくか、こちらに統合するかだ。統合しちゃったほうが楽は楽だよね、管理が一元化できて。




追記@10月26日

追記するのが遅くなってしまったが、「はてダといえば」という存在のひとりであるNATROM先生(id:NATROM)がはてなダイアリーからはてなブログに以降されたというエントリを、23日付けで立てていらした。

20181023
はてなブログに移行しました。そして新装版『「ニセ医学」に騙されないために』が出ます!
http://natrom.hatenablog.com/entry/2018/10/23/120000

「はてなダイアリーはダム底に沈む運命の限界集落」という秀逸な比喩(h/t id:kanose)に笑ったが、その限界集落から移転した先も既にかなりアレげなことになっていて、いつもコメント欄が活発なNATROM先生のダイアリ/ブログの移転後最初のコメントが「ルイヴィトンバック (sic)」がどうたらというスパムというエモい展開になっている。

ともあれ、コメントはダイアリー本文と一緒に移転してきたが、トラバは明示的にかえりみられることもなく、ダム底に沈むままにしてこられたようだ。NATROM先生のところははてなの機能であるIDの言及トラバ(誰かが自分のIDをはてなのサービス内で書くと、自分のダイアリーにトラバが飛んでくるというもの。数行上でやっているようにダイアリーの記事内で誰かのIDを書けば、それだけで相手に「言及しました」と伝えられるようになっていた)がとても多かったような気がするが、それらに関してはちょうど、引っ越すときにずっと昔の年賀状を処分するようなものかもしれない。

NATROM先生は2000年ごろにYahoo!のIDを取得し、当時主な議論の場であったというYahoo!の掲示板を使うようになり(私はそこには出入りしていなかったのでよく知らない。そういうものがあったことは知ってるし、覗いてみたことくらいはある)、まとまった文章は個人サイトにアップしていたが、2004年7月にはてなダイアリーを使い始めた、という。私もまさに2004年7月に、HTMLファイル書いてFTPして……ってのがめんどくなって、当時出始めのブログ(北国TV)を使うようになったので(ただし私がはてなIDを使うようになったのは2006年のはず)、時期的にはだいたい同じで、ネット体験も基本的にはほぼ重なっていると思われる(ただし観測範囲と行動範囲はまるで違う)。今後も、そういう「世代」の人たちの「脱ダム」(懐かしい)……もとい、「脱ダイアリー」は続くことだろう。

そしてあとに置いていかれるのは、トラバという時代の記録物だ。

一方、NATROM先生が2014年に出した書籍は、2017年(確か)の版元の倒産により入手不能になっていたのだが、来月、「新装版」として別の出版社から出るということで、こちらはダム底に沈められることなく世の中に引き続き出回っていきそうで何よりである。

新装版「ニセ医学」に騙されないために ~科学的根拠をもとに解説
新装版「ニセ医学」に騙されないために ~科学的根拠をもとに解説

さらに追記。

本稿、じわじわとブクマ数が伸びている。といっても現時点で6件。はてなでの知り合いの方が多いようだ(ありがとうございます。いかがお過ごしですか)。
http://b.hatena.ne.jp/entry/nofrills.seesaa.net/article/old-blog-entries-and-trackbacks.html

本ブログは「はてなブックマークのコメント一覧」というものを表示させないように設定してあるが、少し前までは、そのように設定してあってもブログ主にはコメント一覧が見えるようになっていた。今はその機能がはてブから削られてしまっているので、私も、どなたがブクマしてくださっているのかを把握できないことが多くなった。

私は、まあ、それはそれでいいかなと思っているが、ひょっとしたら「反応がない」「無視されている」とお怒りの方もおられるかもしれない。その場合、申し訳ないです。でも当方にコントロールできる範囲でのことではないので、何卒お許しください。

で、そのブクマのページの下部に、「関連記事」っつって自動で挿入されている部分があるのだが、これが……まあ、見てくださいよ。

b-.hatena-entry-old-blog-entries-and-trackbacks.png

id:jkondoのはこれ:
http://jkondo.hatenablog.com/entry/20050624/1119567895
http://b.hatena.ne.jp/entry/jkondo.hatenablog.com/entry/20050624/1119567895

そしてekkenさんのはこれ:
http://ekken.blog1.fc2.com/blog-entry-12.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/ekken.blog1.fc2.com/blog-entry-12.html

(ekkenさんとはすれ違ったことはあるけど、直接のやり取りはなかったんじゃないかな……と思う。)

※この記事は

2018年10月21日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 22:30 | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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