「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2018年10月23日

「反・西洋」という密かな熱狂が、邪悪な殺人を正当化するために利用されているかもしれない。

いわゆる「欧米」圏の外での出来事について、「欧米」が批判するなり非難するなりする場合、「欧米が欧米の価値観を押し付けようとして騒いでいるだけだ」ということにしてしまえば、静かであってほしい界隈は静かになる、というのがある。(ここで私が曖昧にぼやーっと書いている理由は察していただきたい。)

私が鮮明に記憶している例は、ずーっと前、10年以上前ではないかと思うが、中央アジアやイエメンでの若年女子と、中年・老年男性の強制結婚という「習慣」について、「人権上の問題であると言う者は、『普遍的人権』という『欧米』の価値観を押し付けようとしているだけだ」という反発があったこと。あと、インドの「ブライド・バーニング」についても、パキスタンの「名誉殺人」についても、スーダンやコンゴでの「性奴隷」についても、そのような「これはこの土地の習慣だ」論を見たことがある。(それらはたまたま被害者と位置づけられる側が女性で、フェミニズム方面での指摘が盛んだったのだが、被害者は女性とは限らない。例えば性暴力は男性にも向けられている。)

実際、イスイス団が特にヤジディの女性たちにめちゃくちゃひどいことをしまくりながら世界的規模で蛮行を先導/煽動したことで、全世界が「暴力反対」みたいなムードに傾いていなかったら、たぶん今でもこのような人権侵害について「この土地のやり方」云々が主張され、それが受け入れられていたのではないかと思う。その意味でも、今年のノーベル平和賞で性暴力に対する活動をしてきたヤジディの活動家、ナディア・ムラドさんと、とコンゴ(DRC)の医師、ドニ・ムクウェゲさんが受賞者となったことには大きな意義があると思うが、それですら、「ノーベル賞なんて欧米の云々」という発言を生じさせるだけの界隈もあるだろう。

そもそもその「欧米」とは厳密に何なのか、ということはひとまず措いておこう。通例、日本語で「欧米」といえば英語のthe Westのことなので、そう考えておく。

そのthe Westに対する反感、というかthe Westを敵視する主義主張のことを、Occidentalism(オクシデンタリズム)という。下記引用の (i) の意味。

Occidentalism refers to and identifies representations of the Western world (the Occident) in two ways:
(i) as dehumanizing stereotypes of the Western world ...
(ii) as ideological representations of the West ...

https://en.wikipedia.org/wiki/Occidentalism
※引用に際して読みやすくなるよう書式に手を加えた。


2006年と少し前の本だが、イアン・ブルマの本が新書になっている(アヴィシャイ・マルガリートとの共著)。

反西洋思想 (新潮新書)
反西洋思想 (新潮新書)


オクシデンタリズムは「欧米」の中に生じることもある。例えば、昨今の新自由主義社会での格差拡大などを身近に見て「西洋的な価値基準が絶対的に善というわけではない」と考えるところから、自分が属し、根ざしている社会そのものに疑問を抱くということがある。非常に大雑把にいえば、そういったベースの上では、「西洋でないもの」は「とりあえず無条件で受け入れるべきもの」となるし、「西洋的なもの」は「とりあえず否定すべきもの」となる。G7のような場についての報道で、日本の首相は(西洋の首相ではないということだけで)とりあえず無条件で肯定的な光のもとに置かれる、という状況は確実に存在する。たとえトランプとマブダチであることをアピールしまくっているような人物であっても、トランプが厳しく批判されている場面で「中立の人物」として解説される、といったことが実際にある(今年のG7サミットでのメルケルとトランプの写真についてるキャプションで見た。どのメディアで見たのかを忘れてしまったので、ソースが今探し出せないのだが……)。

マーティン・スコセッシの映画『沈黙』は、私が見た限り英語圏の一般メディアでは「よくわからないけど仏教を貶めてない?」という方向で不評だったのだが、それは「日本」という「非西洋」の残虐性がそのままむき出しに描かれていたためだったようだ。英語圏の人たちは、研究者やよほどのオタクでもない限り、日本にキリスト教徒迫害の史実があることなど知らないから、あの映画が「仏教批判」に見えるのだろう。そしてもちろん、「スコセッシの宗教臭い映画」を「見る価値なし」と一蹴する彼ら・彼女らは、あの映画が日本人作家である遠藤周作の小説をほとんどそのまんま映像化したものであることを知らない。

沈黙 -サイレンス-(字幕版)
沈黙 -サイレンス-(字幕版)

『沈黙』を「仏教批判映画」と位置づけた彼ら・彼女らの中にあるのは、「自分がよく知らないもの」に対する遠慮というか、ある意味での思慮深さと寛容だろう。そしてそういう思慮深さと寛容は、「僕は関係ないけど、あの人たちにも思想の自由・発言の権利はあると思うよ」「その発言の内容が変ならそれに対する批判が出てくるし、その発言はまともに受け取られることはないはずだ」といった形で、所謂「イスラム過激派」に場を与えたことは事実だ。少なくとも、(アメリカではどうか知らないが)イギリスではそうだった。

「いつだって社会のどこかにいる少数の変わった人たち」として、特に相手にせず、同時に排斥せずにいただけなのかもしれない。「他人のことに干渉しない」という態度、「他人のやることを制限しない」という民主的な精神は、ごくごく当たり前で、ありふれていて、何の注意も引かないようなものだ。ハイド・パークにスピーカーズ・コーナーがある国で、「イスラム過激派」もまた「言論の自由」を謳歌したというわけだ。

そして、ルートンでスティーヴン・ヤックスレイ=レノン(活動家名は「トミー・ロビンソン」)が立ち上げたEDLという集団は、彼らの町で自分たちの主張を声高に叫ぶようになったイスラム過激派に対するカウンター集団として始まった。

EDLの怒りと批判の矛先はイスラム過激派だけでなく、それを増長させた思慮深く寛容な「リベラル」(つまり「左翼 lefty」)にも向けられた。「イスラム過激派」はもちろん「反西洋」であるが、その彼らに反対する勢力もまた、「誰でも受け入れる寛容な社会」を「イスラム過激派の増長を招いた」ことで否定するという点で「反西洋」である。違いは、前者が「西洋的価値観の破壊」を理想としている一方で、後者は「西洋を守ること」を目的としているということだ。後者は、「この社会を守るために、この社会の一部を叩き潰す必要がある」と考えているわけで、前者と比べより複雑な存在である。

さて、他方で、もとより「非西洋」に属しているここ日本ではどうかというと、私も議論の当事者になった(させられた)が、「人権」を主張すると「西洋的価値観に染まっている」などとして批判されるということが実際に起きている。それも、いわゆる「右翼」の人が「日本をけなし、欧米をありがたがるのはけしからん」と言ってくるのとは違う方向性のことが(そういう方向性のものももちろんある)。「一般的なイスラムの言説」のふりをした「イスラム過激派の言説」というものがあって、それに対する批判を行なうと、「お前は西洋的価値観に……」云々と四方八方から叩かれるという状況は、実際にあった(その「叩き」の道具はハエタタキくらいの威力しかなかったかもしれないが、「叩き」は「叩き」だ)。これについて今改めて多くを説明することは、諸事情により差し控えさせていただくが、当ブログ内を掘ればいろいろ出てくることだ。

いや、当ブログなど無視してもよい。マララ・ユスフザイさんに対する銃撃事件について、「あの土地で親子してあんな活動をしてればそりゃ撃たれるよ」的な「撃たれた側に問題があった」論がこの日本語圏で展開されていたのだから、そっちを見てもらったほうがよいだろう。諸事情で証拠の提示(ソースのリンク)は控えるが、うまく検索すればそういう形での「現地の文化の尊重」論が見つかるはずだ。

ここまで長々と述べてきたようなことは、決して珍しいことではない。それほどに「反・欧米」は当たり前の感情(センティメント)だ。もっともっとカジュアルな場面では、私のように英語を(ある程度であっても)使える者は、それだけで「アメリカかぶれ」と指差されることがある。「英語を使う」=「頭の中がアメリカ人と同じ」という決め付けが、とてもカジュアルになされる。そもそも「英語」という言語は「アメリカ」の言語ではないのだが……とお茶飲みながら真顔で控え目に指摘したいところだが、オクシデンタリズムという密かな熱狂を前にそんな指摘をしたところで、無駄であろう。できることといえば、せいぜい、分かり合える人たちと愚痴をこぼしあうくらいだ。

オクシデンタリズムという密かな熱狂はとてもわかりやすく伝わりやすいので、言説としては使いまわしが利く。何かというと「欧米がー」「西洋的価値観がー」と反応しておけば、人々(のうちの一定数)は誘導されてくれる。「おっ、そうか」と思い、対象と心理的な距離を取るのだ、「あれは欧米のものであり、われわれのものとは違う」と。そして、「あれを根拠にこれを受け入れないあなたは、欧米かぶれだ」という批判が、かなりカジュアルになされる。

「西洋か、そうでないか」の "us vs them" 思考、この二元論は、印象操作、心理操作にもってこいだから、現在「欧米」で連日トップニュースとなっているあの件についても、日本語圏で導入されているようだ。ちなみにこういうののことを英語ではapologistと言う。




私がこのツイートで言っているのは、Yahoo! のリアルタイム検索か何かで、「話題になっているツイート」を見たときにちらっと見かけた言説のことだ。発言主が誰なのかは認識せず、発言のみを見てお茶ふいた。まずは「当該国では疑惑の人物はますます支持を集めているのではないか、なぜなら……」みたいなことが書かれていたのだと思うが、(私の目から見れば)支離滅裂だったので、論旨が正確に記憶できているという自信がない。続いて「欧米はこの件を『言論の自由』の問題だと言っているが、そうではない」とゴリ押しの主張をして、「反対派の粛清」を(「粛清」という言葉を使わずに)正当化していたので、私は思わず、最近見た真顔のコメディ映画を思い出してお茶をふいたのだ。




このツイートで述べている「英語圏のobit (= obituary)」として、ガーディアンのものを挙げておこう。読みやすかったので。

Jamal Khashoggi obituary
By Ian Black, Fri 19 Oct 2018 23.30 BST
https://www.theguardian.com/world/2018/oct/19/jamal-khashoggi-obituary

ジャマル・カショギ氏はサウジアラビア政権の批判者ではあったが、「欧米」(というか「英米」のことか?)のメディアの好むような「リベラルな改革派」ではなかったということは、はっきりと書かれている。(サウジアラビアには「欧米」好みの「リベラルな改革派」もいるが、それはカショギ氏ではない。)

そして、彼は好きで国外に出ているわけではなかった。サウジアラビアを愛してやまない愛国者だったのだ。

... He told friends that moving abroad had been the hardest decision of his life. “With each new critical article, the gap between him and the decision-makers in Riyadh widened,” commented a Gulf colleague who agreed with some of Khashoggi's views but feared he had gone too far in criticising the royal family.

Born in Medina, Jamal came from a well-known family of Turkish origin that had migrated to the western Hijaz region of the Arabian peninsula in Ottoman times. He was the son of Ahmad Khashoggi, the owner of a fabric shop, and his wife Esaaf (nee Daftar). The arms dealer Adnan Khashoggi was a relative. “Jamal used to talk about missing Eid in Medina,” an American friend recalled. “He had vivid memories of growing up there. He longed to be home, like any exile.”

Jamal went to school in Saudi Arabia before leaving for the US where, in 1982, he gained a BA in business administration at Indiana State University – providing the basis for the fluent English that enhanced his professional profile. His journalistic life proper began in 1986 on the English-language Arab News and the Arabic newspaper Okaz. He also wrote for the influential London-based Arabic dailies Al-Sharq al-Awsat and Al-Hayat.

He covered the Soviet war in Afghanistan and the rise of Osama bin Laden, whom he had known earlier, interviewing him both there and in Sudan. Like many of his countrymen, Khashoggi sympathised with the Saudi and CIA-backed mujahideen fighting the Red Army forces. Otherwise his own views were moderately Islamist – of the Muslim Brotherhood school. That was part of his ambivalent status within Saudi society and vis-a-vis the regime: he was too Islamist for secular-minded liberals but too liberal for traditional conservative Wahhabis.

In 1999-2000, he was the managing editor of Arab News and then editor of the Riyadh-based Al-Watan daily, but he was sacked after criticising the religious establishment. Still, his royal connections allowed him to serve as media adviser (2003-07) to Prince Turki al Faisal, the veteran head of the Saudi general intelligence service and, at that time, the kingdom's ambassador to London and then to Washington. In 2007, Khashoggi was reinstated as editor of Al-Watan, but he resigned in 2010 after a row over running another controversial opinion piece. ...


カショギ氏については、イスラエルのハアレツのこの記事もポイントが明確だと思う。つまりこの人、特に「欧米」ウケしそうな人ではないということだが。(「欧米」にしてみれば、「サウジアラビアの皇太子はリベラルな改革派です」と言い募ってくれるジャーナリストのほうが都合がよかったはずだ。リビアがああなる前のカダフィの次男についての英国での報道を参照すれば、産油国で独裁国家の若手指導者が「リベラルな改革派」として売り込めることがいかに双方にカネを産むかがわかるだろう。)

なお、カショギ氏の事件については、サウジアラビアの説明という点で紆余曲折の展開があったため、話がごちゃごちゃして非常にわかりづらくなっている。それをガーディアンのMartin Chulov記者が整理した記事が、21日(日)付けで出ている(日曜日なのでガーディアンではなくオブザーヴァーだが)。記事の後半に箇条書きのタイムラインがあるので、そこだけでも見ると、整理されるのではないかと思う。

Jamal Khashoggi: murder in the consulate
https://www.theguardian.com/world/2018/oct/21/death-of-dissident-jamal-khashoggi-mohammed-bin-salman

In the extraordinary 19 days since his disappearance and death, the fate of the 59-year old columnist and critic has steadily been pieced together. What happened inside the consulate walls has been traced to the doors of the Saudi royal court, sparked revulsion around the world, exposed the kingdom like no other event since the twin terror attacks of 9/11, and seen Washington and Riyadh shamelessly concoct a cover-up to protect their mutual interests and attempt to shield the powerful heir to the throne, Mohammed bin Salman.


同様の「まとめ」を、カナダのCBSがニュース番組でやっている。読むより映像のほうが早く理解できるという人はこちらを。(途中から元大使をスタジオに招いて話を聞いたり、サウジ政権のネット工作員の活動を紹介したりしているので、クリップ全体は長くなっている。)



さて、サウジアラビア国内で絶大な人気があるというMbSが、こんなことで支持を失うとは考えられない、というのは、確かにそうかもしれない。しかしそのことが、「MbSは善玉、彼を批判するのは西洋の価値観を押し付けようとする悪玉」というストーリーを、サウジアラビア国外でお膳立てしてしまうのは、どう考えてもおかしなことだ。

おかしなことなのだが、「反・欧米」のベースがあれば、かなり簡単になされうる。(なされうるのだからなされるだろう。サウジのモハメド・ビン・サルマン王子の「改革路線」に安定しててもらいたい人たちはいくらでもいるのだから。)

実際には「反・欧米」だけで語れるような単純な話ではないにせよ(何しろ、KSAとトルコが当事国だ)、その「反・欧米」というベースはそれ自体が重要なわけではなく、その上に「カショギ氏は消されて当然だ」「サウジ政府は何も間違ったことはしていない」というストーリーを組み立てられればいいだけだ。

無理筋にもほどがあると思えるかもしれないが、これまでさんざん無理を通してきたわけで、このくらい何ともないと当事者は思っているだろう。

というか、まさかたった一人の死がこんなに大騒ぎを引き起こすとは、想定していなかったに違いない。

カショギ氏の失踪と殺害の判明というニュースは、タイミング的には、MbSが主催する「砂漠のダボス」ことThe Future Investment Initiative (FII) 開催が迫るなかで発覚した。

Saudi summit begins despite calls for a boycott
https://www.bbc.com/news/business-45944854

10月23日に始まったこの投資会議は、世界の大企業や政府の要人を招いていたが、カショギ氏の事件が発覚して以降、離脱が相次いだ。最終的には何人が出席することになるのか、主催者が発表を拒んでいる状態だそうだ。



このように世界的企業が次々と出席を取りやめていく中、日本のあの企業は存在感を示していた。


しかしこれも、最終的にはこうなったようだ。

ソフトバンクCOO、サウジの投資会議を欠席へ=通信社
10/22(月) 19:56配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181022-00000086-reut-bus_all
ブルームバーグは関係者の話として、ソフトバンクグループ<9984.T>のマルセロ・クラウレ最高執行責任者(COO)がサウジアラビアで開かれる投資会議を欠席すると報じた。


こんなニュースもある。

<サウジ記者死亡>ソフトバンク株低迷 ファンド共同出資
10/22(月) 20:59配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181022-00000085-mai-brf
サウジアラビア政府を批判してきた記者、ジャマル・カショギ氏の死亡事件を受け、ソフトバンクグループの株価が大幅に下落している。事件への関与が疑われるサウジ政府は、同社が運営する巨大ファンドに共同出資しており、投資家が先行き不透明感を敬遠しているためだ。

ファンドは、IT企業などに投資する10兆円規模の「ソフトバンク・ビジョン・ファンド」。サウジ政府で実権を握るムハンマド皇太子が提唱する「脱石油依存」の経済構造改革と、モノのインターネット(IoT)など最先端分野へ積極投資したいソフトバンクの思惑が一致し、サウジの政府系ファンドの出資が決まった。……

国内証券のアナリストは「投資家は(ソフトバンクの孫正義社長と関係を築いてきた)ムハンマド皇太子が失脚し、ファンドが頓挫するリスクを懸念している」と指摘する。……


銀行ではこんなのが。

三菱UFJ頭取 サウジ会議参加を取りやめ
10/22(月) 14:02配信
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20181022-00000035-nnn-bus_all
三菱UFJ銀行は、サウジアラビアで開催される国際的な投資会議「未来投資イニシアチブ」への三毛頭取の参加を取りやめたことを明らかにした。理由については「総合的判断」としていて代理として吉川副頭取を派遣する。

この国際会議を巡っては、トルコで起きたサウジアラビア人記者死亡事件の影響で、欧米の金融機関のトップなどが相次いで参加をとりやめていたが、日本企業のトップの不参加を明らかにしたのは初めて。


※日テレのこのニュースが配信された時点では既に「記者死亡事件」は「記者殺害事件」であることをKSAが認めていたのではないかと思うが、日本語圏のニュースになるまでには翻訳などのタイムラグがあるので、間に合っていないのだろう。

※この記事は

2018年10月23日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 16:00 | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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