「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2019年01月29日

英語の実例を淡々とメモるだけのブログを始めました。

このブログでも時々やっていたし、以前は「はてなダイアリー」(現在は非公開)で時々書いていたのだが、日々ニュースを読んでいるときに「学校で習ったような英文法や熟語の実例」とか、「習わなかったものの実例」とか、「イレギュラーな表現の実例」といったものを、私はネットを使うようになってから、間歇的にではあるが、ネット上で記録している。

今回、「はてなダイアリー」がサービス終了となるので、昔のログを移転かたがた、それをブログとして復活させようかとも思ったのだが、それより、長く中断していたことだしここですっぱりと新しいものをアップしていったほうがよいかなと思い、新規にブログのスペースを確保した。最初はWordPressでも借りようかと考えていたのだが、結局新規で登録したりするのが面倒で、今もっているはてなのIDでもう1つ別のブログを開設することにした。

URLは下記。
https://hoarding-examples.hatenablog.jp/

現状、毎日1記事のペースで更新している(更新ペースはそのうちに落ちるかもしれない)。100件か200件くらい実例がたまったら、いったん更新は停止するかもしれないが、現状では未定。

記事は下記のような感じ。

h-e-blog.png

まずタイトルでそこに含まれている文法項目を羅列し、参照する「実例」(誰かのツイートだったり報道記事だったり)を埋め込んで、(多くの場合「続きを読む」の下に)その「実例」に出てくる文法項目を解説している。解説はある程度勉強している高校2年生が読んでわかるように書いている(学習参考書のような感じ)。広く一般に英語をブラッシュアップしたい人だけでなく、受験生・高校生、特にいわゆる「難関校」の受験を考えていて、分量のある英文を正確に速く読む練習をしたいという方に参考にしていただけると、とても嬉しい。

各記事の末尾には「英文法」といったらこれ、という文法書を毎回しつこく埋め込んでいるが、それは私がその文法書をよく参照しているからである。

また、標題に列挙してある文法項目それぞれを「カテゴリー」にしてあるので(seesaaブログやBloggerでいう「タグ」)、もう少し数がたまってきたら、その「カテゴリー」が真価を発揮してくれるだろうと思う。ちなみに現時点でも「仮定法」は何とか形になっているので、関心がある方は参照していただきたい。



解説は、正直、それほど時間をかけて厳密に書いているわけではないので、かなり大雑把で荒いところもあるかと思う。また、私の能力不足・知識不足ゆえに「それをそう説明するのはどうかな」と思われるような記述も出てくると思われる。そういった点についてのご指摘は、ブログのコメント欄をあけてあるので、そちらにお願いできればと思う(ただし、コメント投稿にははてなIDが必要となる。「誰でも投稿可能」にしてしまうとスパム対策に時間を取られることになるのは目に見えているので、この点はご容赦いただきたい)。

なお、ブログのアイコン的に使っている写真は、近場にいるなじみの猫さんである(彼はカメラを嫌がらない)。CC BY-SA 2.0

neko.jpg

以下、そちらのブログについてのTwitterのログ:










このあとしばらくフィードしていなくて……






※この記事は

2019年01月29日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 02:00 | 英語/実例 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼