「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2016年07月23日

ミュンヘンの銃撃事件は、「テロ」なんかじゃなかった。



「イスラムのテロ」だという声が上がった。「白人優越主義者・ネオナチのテロ」だという声が上がった。

「ニース、ヴュルツブルクと来て、これだ」という感情の吐露のようなことが言われた。「そういえば今日は、5年前にノルウェーでブレイヴィクが大量殺人をおかしてから5年目だ」という指摘があった(誰が忘れようか、7月22日という日付を)。

「犯人は『アッラー・アクバル』と叫んでいた」という目撃者の話がCNNで報道された。銃を持っている犯人を撮影した映像の中で、「犯人は『俺はドイツ生まれのドイツ人だ』と叫んでいる」という報告が相次いだ。

「情報が混乱しているな」、「どっちなんだ」と多くの人が思っただろう。「どちらかは、誤認か聞き間違いだろう」と思った人も少なくなかっただろう。

正直、私は「情報が混乱している」と思った。犯人が単独でしゃべっている映像で「俺はドイツ生まれのドイツ人だ」と言っているのなら、「アッラー・アクバル」は銃撃に巻き込まれた群集の中から上がった叫びではないのか(英語なら「オーマイガッ」だ)。

違っていた。「俺はドイツ生まれのドイツ人だ」も、「アッラー・アクバル」も、銃撃犯の言葉だった――ということだろう。



ドイツのミュンヘンで痛ましい事件が起きた。警察は当初「テロ」と宣言していた。しかしそれは間違っていた。初期の混乱した状況の中で、混乱した目撃者の証言を元に事態を最大限に深刻に見積もっていたので、まったく見当はずれの見立てをしていたのである。それは人命を最優先にしたためなので、批判されることはないだろう。私もそのこと自体に、批判すべき点があるとは思わない。

でも警察が「テロだ」と言っていたあいだ、ずっと、Twitterのような個人の発言の場では、イスラモフォビアがぶちまけられていた。「イスラムに決まってるだろ」というろくに根拠のない決め付け(根拠となりうるのは、CNNだけが報道している「目撃者証言」のみ)が横行していた。(→キャプチャ1キャプチャ2

全体の経緯は下記に記録をとってある(英語情報だけだが)。

ミュンヘン銃撃事件、情報はどう流れたか(現地2016年7月22日)※最終的に「テロ」ではないとの結論
http://matome.naver.jp/odai/2146923417885619401


しかし実際には、ミュンヘンでの銃乱射は、現在の報道が正しければ、「学校でいじめられていた子供が、鬱積を募らせて爆発した」ような事件だった。銃撃を行なった少年がどうやって拳銃なんか手に入れたのか、といった疑問点は多くあるが、政治的暴力、つまり「テロ」なんかじゃなかった。

Classmates of Sonboly told the Guardian he had been bullied at school, while neighbours described him as shy and lazy. “At school, Ali was often bullied by others and really unpopular,” one classmate said. “He was a bit chubby, and he was either by himself or together with one or two people, but he seemed to have hardly any friends.

“Yesterday at noon, I came home and I saw Ali here in the entrance of our building, he was still delivering newspapers the day of the shooting. It was strange though because he usually at least says hi to me because I do know him, but when I greeted him, he didn’t say a word to me and seemed strange and withdrawn.”

...

Stephan Baumanns, owner of the Treemans bakery and coffee shop below Sonboly’s apartment, said: “I saw [Sonboly] every once in a while pass by, he was a very shy guy and tall, about 6ft 2in (1.88m). He wasn’t very sporty, rather a little chubby.

“He seemed like a lazy guy. He had a job distributing a free newspaper, Münchener Wochenblatt, but I often saw him rather than deliver them, throw them all away into the garbage bin.”

https://www.theguardian.com/world/2016/jul/23/munich-shooting-teenage-gunman-researched-killing-sprees-no-isis-links


「グレて犯罪に走る」ようなタイプ(例えばストックホルムの銃撃犯のような)ではなく、太っていてどんくさくて、いじめられっ子で、配達すべき新聞をゴミ箱に捨ててしまうような18歳の少年。

家にはアメリカのスクール・シューティング(コロンバイン高校、ヴァージニア工科大学など)を分析した本(のドイツ語翻訳版)があったという。

しかし、「ニュースの消費者」たちは、私も含め、「イスラム(スンニ派の過激派)のテロ」か、「極右のテロ」かのどちらかだろうと考えていた。

今回、問われたのは、私たちの間ですっかり当たり前になっている「あれと、これ/あれか、これか」の硬直した二元論だった。この世の中には、「イスラムのテロ」と「白人優越主義者のテロ」のほかにも、銃を使った通りすがりの無差別大量殺人の動機がありうる。そういう当たり前のことが見えなくなっている。

でも、銃規制が甘い国ならまだわかるけど、まさか、ドイツでこんなことが……という思いである。

その衝撃というか、いわば「なーんだ、テロじゃなかったのか」という気持ちと、「10代の子供が、10代の子供たちを大勢殺して自殺するなんて」ということのショックとが、胸の中でまとまらず、着地点も見出せていないというのに、もう次の「大規模なテロ」のニュースだ。今度は本当に「テロ」で、イスイス団が犯行声明を出している。








気分が悪い。胃がむかむかする。

※この記事は

2016年07月23日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:57 | TrackBack(1) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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ミュンヘン銃撃事件: ブレイヴィクを崇めていた18歳の銃撃犯は、「テロリスト」ではないのか、という問い。
Excerpt: ミュンヘンのショッピングセンターでの銃撃事件の発生から24時間以上が経過し、詳細が明らかになってきている。この事件については1つ前のエントリでも書いたが、実は、それはまだ書こうとしていたことの半分だ。..
Weblog: tnfuk [today's news from uk+]
Tracked: 2016-07-24 23:51

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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