「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2016年07月24日

ミュンヘン銃撃事件: ブレイヴィクを崇めていた18歳の銃撃犯は、「テロリスト」ではないのか、という問い。

ミュンヘンのショッピングセンターでの銃撃事件の発生から24時間以上が経過し、詳細が明らかになってきている。この事件については1つ前のエントリでも書いたが、実は、それはまだ書こうとしていたことの半分だ。残り半分と、もろもろアップデート分をここに書こうと思う。

この事件は、当初、「またイスイス団のテロか」と思われたので(現地警察も「テロである」と宣言し、非常事態宣言を出していたのだが)国外の大手報道機関のイスイス団を専門とする記者がドイツに派遣されるなど、各報道機関が「イスイス団のテロ」であることを前提として報道していたし、ドイツの政治家も、外国の政治家も、「テロ」のときの対応をし、そういう場合の言葉を発していた(例えば米オバマ大統領や、アイルランド共和国のマイケル・D・ヒギンズ大統領)。しかし結局のところミュンヘン警察は、「イスラム過激派(ジハディスト)のテロではなかった(関連は認められなかった)」と結論した。

「イスラム過激派」とは関係なかったとしてもなお、動機が解明されていない以上は、厳密にいえば、「テロである可能性」は残っている――「イスラム過激主義」以外にもテロの動機はいくらでもあるからだ。それに、「テロ」は定義次第だ(アメリカなどは「自軍が外国を占領しているときの自軍、つまり占領軍に対する現地の人々の武力抵抗」を「テロ」と呼んで恥じない)。;-P

でも、英国の報道機関の記事を見ている限り、あの銃乱射は、単なる――「単なる」とかいうとまた言葉尻をとらえて「不謹慎だ」と絡んでくる人がいるかもしれないが――「卑劣な無差別攻撃」であり、「テロ」ではないとほぼ断言されている状態だ。豪州の司法長官は「攻撃があれば何でもかんでもテロテロテロテロと言い立てるのはいかがなものか」といった発言をしている。個人的にも、日本でときどき発生する「通り魔殺人事件」が「テロ」ではなく殺人、傷害といった「刑法犯罪」であるのと同じく、鬱積を募らせた個人の暴力の爆発は、「テロ」ではないと思う。

英語圏で話がややこしくなるのは、ひとつには、「テロ」イコール「卑劣な無差別攻撃」という言い換え(セット思考)があるからかもしれない(実際には、テロリストは無差別ではなく標的を定めた攻撃(暗殺、誘拐など)も頻繁に行なってきたのだが)。Twitterなどを見ていると、「無差別」な攻撃というだけで「テロ」と呼ぶ条件を満たしているかのような発言を見ることが多いように思う(「IRAのテロ」のころはそんなでもなかったような気がするが、そのころアメリカでは「テロはわが国では起こらない」ことになってた)。また、日本語で俗に「無差別」とか「不意打ち」の攻撃を「テロ」と呼ぶが、そのような性質のものをすべて本当に「テロリズム」として扱っていたら、あれも「テロ」、これも「テロ」ということになってしまい、意味がなくなる。(秋葉原の通り魔事件を、その意味で「テロ」と呼んだ人もいたが、そこまで拡大解釈が許されたら、議論は成立しなくなるだろう。)

ともあれ、英語圏のジャーナリストなどが(警察が「テロではない」と結論している)ミュンヘンの銃撃事件を「テロではない」と断言することにためらいを覚えているように見えたのは、おそらく、ミュンヘンの18歳の銃撃犯と、5年前の同じ日にノルウェーで大量殺人を起こした極右テロリストのアンネシュ・ブレイビクとの「つながり link」を考えなければならなかったからだろう。つまり、「テロリストのシンパ」は「テロリスト」なのではないか、ということだが。

18歳の銃撃犯はブレイヴィクに非常に高い関心を抱いていて、ミュンヘン警察が記者会見で "obvious link" か "apparent link" がある、ということを述べたようだ(これはlost in translationを呼ぶよね)。BBCはここに注目してセンセーショナルに「ブレイヴィク」という名前を見出しにして、トップニュースとして扱っていた。(ブレイヴィクが大喜びしているだろうし、どこかにいるかもしれない「予備軍」みたいな人が「これか!」と思っているだろう。)

bbcnews23july2016b.png


だがミュンヘンの銃撃犯とブレイヴィクとでは、大きな違いがあるのではないか。

テロリストは、「恐怖」をばらまくために「街中での無差別殺人」をすることがある(一例として、今年1月のイスタンブールの観光客が集まる場所での自爆があげられる)。しかし2011年7月22日にアンネシュ・ブレイヴィクのやったことは、「街中での無差別殺人」ではなかった。オスロ市街のカーボムでは政府庁舎を標的とし、ウトヤ島での銃撃は労働党青年部のサマーキャンプ参加者を襲撃した。政治的な目的のために標的を選び、絞って行なわれたブレイヴィクの攻撃はまさに「政治的動機」によるものであり、それは「政治的暴力 political violence」にほかならない。つまり「テロ(テロリズム)」だ。だから、「ブレイヴィクはテロリストである」と結論される。

その「テロリストのブレイヴィク」の(イっちゃってる)政治的理念(左翼への敵対心・「ユーラビア」脅威論)に共感し、その大量殺人の手法を学び取ろうとする者は、「ブレイヴィクというテロリストのシンパ」だ。

しかし、その「テロリストのブレイヴィク」の殺人の手法やテクニック(だけ)を賞賛する者はどうか。殺人の動機(政治的動機)によって彼は「テロリスト」と位置づけられるが、単に手法やテクニカルな面だけを見る場合、彼は「大量殺人者」である。

ミュンヘンの銃撃犯は、ブレイヴィクの何を賞賛していたのだろう。現時点で私が見た英語の報道記事には書かれていないので、わからない。

わからないけれど、Ali David Sonboly(またはDavid Ali Sonbloy)という名前のイラン系ドイツ人の18歳男子が、ブレイヴィクの「白人優越思想」、「ユーラビア脅威論」にかぶれていたとは、少々考えづらい。




この「容疑者の名前」が、これまた話を混乱させていたので、話が少しわき道にそれるけれど、少し書いておきたい。

ドイツでは事件・事故のとき、個人名が一部しか出されないことが多い。そういう法律があるそうで、フランクフルト空港で米軍兵士を銃撃した事件の容疑者も、起訴されるまでは現地報道は「ファーストネームすべて・ファミリーネームのイニシャル」の形式だった(以前、調べものをしたときに気づいた)。「アンゲラ・メルケル」という名前の人なら、「アンゲラ・M」と報道されるわけだ。

今回は、銃撃者が死亡したという事実が警察によって確定されてもしばらく、銃撃犯(容疑者)の名前は出てこなかった。一方で、ネットでは例によって「ネット探偵」たちが「犯人特定」を開始した。その痕跡がTwitterでも確認できる。



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※via https://twitter.com/zeroguccy/status/756660618992779264

この画像でキャプチャされているのは、銃撃犯が乗っ取った(ハッキングした)というFBアカウント。若い女性のページで、彼女(になりすました銃撃犯)が投稿した「4時にマクドナルドの前に来てくれた人にいいものあげる」というメッセージを見た子供たち(彼女の友人たちか)が多く、撃たれて死傷した。

事件後だと思うが、その女性のページへのリプライで、ルークという人が「やったのが誰か知ってる。Ali Sonbloyという奴だ。警察にはもう届けた」と発言し、これが「銃撃犯の名前はAli Sonbloyだ」というネット上の《通説》の根拠になった。

(ルークという人のアカウントもハッキングされてるかもしれないし、どこの誰かわかんない人のネットの書き込みは、こんな重大な事態では根拠になんかならないじゃん、というツッコミをしたい方もいると思います。私も同意します。でも、「ネット上の特定」はそんなものです)

一方で、警察は銃撃容疑者の名前を、"David S" と説明していた。事件発生を受けて現地に飛んだNYTのRukmini Callimachi記者のツイート。




記者は近所の聞き込みで、容疑者の普段使っている名前がAli Sonbolyだったことを確認する。




この一連のツイートに対し、「Ali Sonbolyだろ」と思ってる人が、失礼なリプを飛ばしている。






ほか、「Ali Sonbolyでしょう」というリプは多くつけられている。




下記のOld Holborn氏(知ってる人は知ってるアカウント)は、「ネット探偵ごっこ」がすぎたか、ドイツ語と英語を行き来しているうちにわけがわからなくなったかで、事実の確認が甘いようだ。






(案の定「マスコミがー」といういつものアレをおっぱじめやがって、おっぺけぺーな奴だ)

英語圏では、デイリー・テレグラフ、デイリー・ミラーなどがAli Sonbolyという名前をTwitterフィードで報じていた。BBCは、上で見たとおり、Davidという名前をフィードしている。








実際には、「Davidというのは嘘で、本当はAliという名前だ」という「あれかこれか」の二元論信者はバカを見たかたちで、彼の名前は、Ali David Sonboly(またはDavid Ali Sonboly)だった。だから報道では(警察発表に準じて)David Sとするところがあり、独自取材でAli Sonbloyと打ったところもあったのだろう。










こんな次第で、ネット上の人々が、「Aliなんていう名前か、イスラムめ!」と騒ごうという欲望と(Aliがシーア派に多い名前で、シーア派はイスイス団などジハディストの暴力の対象となる側だということを、騒ぐ彼らはたぶん知らない)、「『イスラムのテロ』ではなく極右テロに触発されてるじゃないか!」と叫ぼうという意思とでまたもや二元論の状況に陥っているなか、彼とブレイヴィクについても徐々に報じられるようになっていた。最初に報じられたのが、ブレイヴィクを偶像化していたことだ。



Ali David Sonbolyは引っ込み思案で友達が少なかったといわれているが、そりゃ、ブレイヴィクの顔写真をプロフィール写真にしているような人と仲良くしようと思う人は少ないだろう。あるいは、友達から仲間外れにされた彼が「世をすねたキャラクター」としてあの大量殺人犯をプロフ写真にしたのだろう? 若いときのそういうトンチキでイカレた「反体制気取り」はありがちといえばありがちだが(チェ・ゲバラを鼻で笑い、チャーリー・マンソンを崇拝してみせる、的なことは、けっこうありふれている)、ほかの人と良好な関係を築こうという人にはありえないような選択だ。

ここでデイリー・テレグラフの記事を見てみよう。彼が家族と暮らすアパートメントは、ミュンヘンの富裕層が多い地域にぽっかりと浮かぶ貧困エリアにあるそうだ。

In a raid on his family apartment in an affluent suburb of Munich, police discovered extremist material linked to mass shootings, including the attack by Anders Behring Breivik, the white supremacist who murdered 77 people in Norway in 2011.

The massacre in Munich took place on the fifth anniversary of the Norway attacks and Sonboly had recently changed a profile picture on an online messaging service to one of Breivik.

http://www.telegraph.co.uk/news/2016/07/23/munich-shooting-german-iranian-gunman-targeted-children-outside/


ブレイヴィクについてかなりたっぷりと文字数をかけている。過去記事へのリンクもはってある。

英語圏では「ブレイヴィク」はキャッチーでセンセーショナルなので注目されたかもしれないが、現地ではそんなのきっとこちらのほうが関心を集めているだろう――銃撃犯は、2009年に16人の学生が殺されたバヴァリア州学校銃撃事件に関連する文書も集めていた。デイリー・テレグラフでは「一応言及だけしといた」的な扱いだが(過去記事へのリンクもない。報道していなかったのかサイトの改編でリンクが失効したのかはわからない)。

Sonboly also had documents relating to a gun attack on a school in Bavaria in 2009 in which 16 teenagers were killed as well as a book called Why Kids Kill: Inside The Minds of School Shooters.

http://www.telegraph.co.uk/news/2016/07/23/munich-shooting-german-iranian-gunman-targeted-children-outside/


ダヴィド・アリ・ソンボリが銃を持っていった先が、彼の「恨み」の場である学校だったら、事件はこんなに大きく報道されなかっただろう。ショッピングセンター&ファストフード店での無差別的銃乱射だったからこそ(そして銃撃者が発砲して現場から逃げるという行動を取ったからこそ)、交通機関が全面的にストップするような影響を与え、世界的にトップニュースになった。でも「いじめられていた生徒が学校で……」ということでは、国内ではトップニュースになっても、国際ニュースではそんなに大きな扱いにはならなかっただろう。

彼は「何者か」になろうとして、ああいうことをしたのだ、と誰かが書いていた。

さて、ここでまた新たな疑問が出てくる。彼の銃撃は「無差別」だったのかどうか。

FBの他人のアカウントを乗っ取って、なりすましで「4時にマクドナルド前に来てね」と投稿して人を集めていたのだから、完全に「不特定多数」というよりある程度絞り込んだ人たちを銃撃するつもりだったことは間違いなかろう。それは被害者の年齢を見てもすぐにわかる。

銃撃事件で殺された9人のうち、1人は40代の女性(母親か)だが、ほかの8人は全員20歳以下だった。同世代かその下の「学生たち」を、彼は標的にしていたのだ。

Police said on Saturday that two victims were 13, three were 14, one was 17 and another was 19. The remaining two were 20 and 45. Six were male and three were female.

https://www.theguardian.com/world/2016/jul/23/victims-of-munich-shooting-were-predominately-teenagers


容疑者(加害者)は18歳なので、5人はかなり年下(13歳と14歳)、2人はほぼ同い年(17歳と19歳)という年齢構成になる。ほかにも27人が銃撃で負傷して病院で手当を受けており(うち10人は重篤な容態にあるという)、それら負傷者の年齢構成などはわからない。

そして、被害者の年齢構成以上に目を引くのは、民族的な構成だ。ミュンヘンは大都会で「移民」も多いし、政変・内戦を逃れてきた「難民」も多く暮らしている。「怠け者が他人の金で楽をしたいので難民になるのだ」とかいう、聞いてるこっちの鼻から脳みそが溶けて垂れ流しになってしまいそうなユルい言説を信じている人が、怠惰さゆえに知ろうともしない事実として、欧州各国には、1990年代のバルカンの紛争(旧ユーゴスラヴィア解体)で難民となった人が多く暮らしているということがある。最近の「難民危機」のずっと前からそうだった。

ミュンヘンの事件での被害者の民族的な内訳は:
Three of the dead were from Kosovo, three were Turkish and one was Greek, their respective government officials said.

https://www.theguardian.com/world/2016/jul/23/victims-of-munich-shooting-were-predominately-teenagers


つまり、9人の死者のうち、3人がコソヴォの人(民族的にはアルバニア人。高い確率でイスラム教徒だろう)、3人がトルコ人(高い確率でイスラム教徒だろう)、1人はギリシャ人。残り2人は記事に書かれていないのでわからない。が、銃撃者が他人のFBを乗っ取って、なりすましのメッセージでおびき出した人たち(乗っ取られたFBユーザーの友達)を銃撃した事件で30人ほどが銃弾で怪我をする距離にいて、そのうち少なくとも6人が、高い確率でイスラム教徒であるような「移民」であるということは、確実にわかる。

その「移民」たちは、故意に集められたのだろうか。

だとしたら、銃撃者はガチで「白人優越主義」のテロリストであるブレイヴィクの、いわばワナビーだったということを意味するのではないか。(ブレイヴィクの攻撃を受けたのは「有色人種」であるというより、「白人の純血性を損なう計画を実行している左翼」だったが。)自分自身が「白人」ではないということは、その場合、彼自身にとって何を意味するか。

In the footage, which was posted on Twitter, an unseen man can be heard shouting abuse at another man, who is clad all in black and pacing on the top floor of an empty car park.

The man who filmed the clip can be heard telling other people with him that the man in the car park has a gun, to which the man purported to be shooter responds: “Fucking Turks!”

An English transcript of the exchange has been posted online, in which the unseen man reportedly shouts: “He has loaded his gun. Get the cops here”, to which the man presumed to be the shooter shouts back: “I am German!”

...

The shooter then demanded that the man stop filming the exchange. Instead, the man shouted back: “A asshole is what you are, what the fuck are you doing?” The shooter replied: “Yeah what, I was born here,” and said he grew up in Germany.

The man then started shooting, forcing the witness on the balcony to take cover...

https://www.theguardian.com/world/2016/jul/23/i-am-german-munich-gunman-took-part-in-shouting-match-during-attack


銃撃者自身も「イラン系ドイツ人」であり、「移民」と呼ばれてきただろう。しかし彼は、90年代に亡命してきたイラン人のもとにドイツで生まれ育ったドイツ人だ(イランの国籍も持っているにしても、彼は生まれも育ちもドイツだ)。年齢を考えれば1997年か98年生まれだが、その世代の彼が物心ついたときには、世界はすでに「ベルリンの壁崩壊」だとか「冷戦終結」だとか「ドイツ再統一」だとかではなく、「アルカイダのテロ」後の時代になっていた。

その世界の中で、Davidという名前を持つイラン系の彼が何を経験したのか……英語で私が見ている範囲では「学校では常にいじめられていた」、「友達はほとんどいなかった」といったこと以外には、まだ特に何も語られていない。きっと取材は行なわれているだろう。そして、少し時間が経過したときに記事やドキュメンタリーとしてまとめられるだろう。

事態の全容がわからないときに、すでにわかっている断片だけで勝手に全体像を描いてしまうのは、危険なことだ。明らかになるべきことが明らかになるのを待たねばならない。

だけど、「今わかっていること、今書かれていることはすべてではない」ということは、改めて強調しておいてよいと思う。

なお、銃撃容疑者は、事を起こす前に、学校で「お前ら全員ぶっ殺す」的なことを言っていたという。



だが、それは聞き流されたようだ。

彼はもうすでに精神科の診療を受けていた。「心のケア」を受けながら、コロンバイン高校など学校での銃撃事件について米国の心理学者の書いた本を読み、彼はどんどん「過激化」していったわけだ。どこからか銃と銃弾を入手し、ブレイヴィクの顔写真をプロフ写真にするまでに。

その「過激化」の過程に、「過激な宗教指導者」は関わっていないだろうけれども。

どこかで止まれなかったのかな、と思う。

と同時に、彼のようにまではなっていないけれども、同じような道をたどっている人は、ほかにもいるのではないか、とも思う。もしそういう人がいたら、(「イスラミストのテロ」と当初思われ、そのような対応が取られたために)「学校でいじめられていた子が学校で銃撃した」ような事件よりはるかに大きな注目を集めたこの事件について知ることで、立ち止まってほしいと思う。







ちなみにブレイヴィクも「精神的に問題がある」とされていた。それは普通に見れば「そりゃそうだろう」という話に過ぎない。あんなふうに大量に人を殺せる奴の精神が「まとも」であるはずがないのだから。

しかし司法においては、それは「刑事責任能力の有無」に直結する。「精神異常」が認められれば、「刑事責任能力を問えない」ことになり、したがって「有罪」にできない。ブレイヴィクの裁判では実際に一度は「精神異常」の結論が出たが、それが見直されて「刑事責任あり」ということになって、最終的に「終身刑」という判決を受けた。

その後、ノルウェーの非常に徹底した「人権・人道」の原則にのっとって、あの大量殺人者が収監されている刑務所で「自分が人間らしく生きること」を追求していることは、既報どおりである。(この問題は、私には難しすぎて、考えられない。)



それにしても、今日の日本での新聞報道(1紙しか見ていないが)には驚愕した。「移民だから」ああいうことをした、というトーンで貫かれていた。

締め切り時間の都合で「イスラム過激派のテロか」といわれていたときに書いた記事を、あとから判明した「テロではなかった」という文脈にあてはめようとしても無理だった、ということだったのかもしれないが、銃撃犯が「俺はドイツ人だ!」などと叫び、「外国人」を侮蔑するような言葉を使っていたことはかなり初期の段階で報道されていたはずだ。「移民が〜〜〜」みたいな語りは、最初からありえないと思うのだが。

2005年7月7日のロンドン公共交通機関爆破テロのときも、現地報道ではそんなトーンはまったくないのに、日本の報道は「貧しい移民の子供が〜〜〜」という話にしていて、呆れ返ったことがある(当時、ブログにも書いた)。実際には、7月7日の自爆攻撃の中心人物は「成功して安定した暮らしをしている移民の家の子」で、いい仕事(学校で子供に教える仕事)についていたし、もう1人も「成功した移民の家の子」で、働いて家計を助ける必要のない立場(大学で運動生理学を学ぶスポーツマン)だった。日本の報道ではそういうことが全然見えなかった。代わりに語られていたのは、「差別されている移民が世の中を恨んで……」云々の《わかりやすい物語》だった。

現実を無視してそういう《物語》を語ることは、「移民は差別されているので、何をしても成功しない」と主張して人々の共感を買おうとしているイスラム過激派を利するのだが。

(今年5月のロンドン市長選挙でサディク・カーンが勝ったことは、そのような《物語》を信じる人を減らす、という意味で、非常に大きなことだった。ただしカーンの市長当選以前にも、「成功したムスリムの政治家」は何人かいたのだが……カーン自身、市長になる前は国会議員だったのだし、その前は弁護士だ)

※この記事は

2016年07月24日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:51 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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