こんなに早く、こんなエントリを書くことになろうとは。

1月の政界引退表明時のやつれ方が激烈だったので、引退の理由となった「健康状態の問題」は相当深刻なのだと察しがついた。しかしそれは、(本人の意思とは別なところで、アイリッシュ・タイムズのスクープによって)公にされた病名で、説明がつくことだった。あんな病気なのだから、あのくらいやつれて当然だ、と。それに写真や映像は照明によっていかようにもなる。
この人はファイターだから、戻ってくる。そう思っていた。何しろまだ60代だ。
3月2日の北アイルランド自治議会選挙のとき――この選挙について、驚くべきことに私はまだブログの記事を書いていないのだが(選挙後の膠着状態が続いているうちに、タイミングを完全に失った)、3日の開票で選挙結果(DUPのボロ負け、シン・フェインのバカ勝ち――しかし最終的にはわずか1議席の差でDUPが第一党の地位を保持したが、北アイルランドでユニオニスト/ロイヤリストの側の政党のマジョリティが破られ、ナショナリスト/リパブリカンの政党が議席数で並ぶ、などということは、まさに「歴史的」なことだった……その話はまたちゃんと書くよ)がだいたい出揃ったころ、Twitterにいるご兄弟が「マクギネス家、盛り上がってる人がいます!」と口々にツイートしている一方で、本人のアカウントは選挙当日の発言があったっきり沈黙していた。政界引退したあとは、新リーダーのミシェル・オニールにすべてを任せるということを印象付けるため、あえてツイートなどしないようにしているんじゃないかと考えたが、今思えば、それは多分私の側の「正常性バイアス」だった。病気の治療に専念するためという理由で政界引退した人だ、Twitterも静かにはなるだろう。ピーター・ロビンソンなんぞ、完全に姿を消してしまっているわけで(Twitterのアカウントも「DUP党首」だったので、後任のアーリーン・フォスターに譲ってしまった)。だから発言がないのも、もっともなこと、正常なことなのだ。そう思っていた。
どうしても気になってTwitterをチェックしたのは、3月20日のことだった。1993年3月20日、IRAのボムがイングランドの小都市ウォリントンの商店街の鉄製ゴミ箱の中で爆発し、買い物に来ていた人々を無差別的に殺傷した。このボムで殺されたのは2人の子供たち(幼児と中学生)で、IRAの「武装闘争至上主義」は内部からも揺らぐことになったのだが、その後、停戦が成立し、最終的に1998年4月の和平合意(グッドフライデー合意、ベルファスト合意)への流れをシン・フェインのチーフ・ネゴシエーターとして仕切ったマーティン・マクギネスと、ウォリントンで中学生の息子を殺されたコリン・パリーさんは、以後………どうにも要領を得た文章が書けない点はご容赦いただきたい。「意識の流れ」みたいになっていて、それが今できる精一杯のことだ………
ともあれ、マクギネスとパリーさんは直接対面し、「和平」と「和解と赦し(表記基準次第で『許し』)」という重いテーマに真正面から向き合うという活動を公開の場で行なってきた。そして3月20日の記念日に、パリーさんの立ち上げたNGO「ピースセンター」のツイッター・アカウントはいつも通りの「紛争と和平、和解と赦し」に関するニュースのフィードと、記念日の追悼行事(黙祷)についての告知のフィードを流していたが、マクギネスのアカウントは沈黙していた。コリン・パリーさんの個人アカウントは元々まれにしか発言がないのだが、そのときに見たものをRTしたのが3月20日のことだった。

この3月、1993年のボムで殺されたティム・パリーは、生きていれば、36歳の誕生日を迎えてから半年ほどになっていた。2月、コリン・パリーさんは実業界(IRAのボムの影響を受けまくった人たちは含まれているだろうか)の人々を前に、息子を失ったパリーさんが、ピース・センターを立ち上げるに至ったことの背景を語っていた。そして2月下旬、北アイルランドでまた警察官がディシデント・リパブリカンのボムの標的にされたとき(攻撃は失敗したが)、マーティン・マクギネスはそれを強く非難していた。
Those responsible for today's bomb explosion at the home of a Derry Police Officer live on planet hate.Their opposition to Peace is futile.
— Martin McGuinness (@M_McGuinness_SF) February 22, 2017
「今日、デリーの警官の自宅に爆発物を設置して爆発させた者たちは、憎しみの星の住民である。和平に対する彼らの反対は、無駄だ」
このあと、自治議会選挙当日に「すべての人にとっての敬意と平等」という表現を使って、シン・フェインへの投票を呼びかけている。これは、党の選挙キャンペーンそのままの用語法・フレーズなのだが、北アイルランドの政治の文脈では「婚姻の平等」という一大政策課題(北アイルランドは、プロテスタントの側の保守性の強さがあり、ブリテン島とアイルランド島で唯一「婚姻の平等」、すなわち「同性結婚」が認められていない)についてのメッセージと解釈されるし、そして1998年のGFA以後、いまだに何も解決していなくて今また政治の前面に出てきている「言語法」(アイルランド語の地位)についてのメッセージでもある。「恐怖の政治ではなく、希望の政治を」というスローガンは、米大統領選挙で流行ったものだが、DUPがトランプ流をどんどん取り入れるなか(何かと言うと「フェイクニュース!」と連発するなど……まったく実にひどいことになっているのだが)、シン・フェインが「希望」を強調することは、選挙キャンペーンとしては自然なものだ。
This election is about equality and respect for all our people and integrity in the institutions. Vote SF for the politics of hope not fear.
— Martin McGuinness (@M_McGuinness_SF) March 1, 2017
つまり、「平常運転」だと思っていた。
発言がないことは、政界引退をした人なのだから、当たり前だと思っていた。だって、ピーター・ロビンソンだってそうじゃないか。かのイアン・ペイズリーでさえ、引退後は公的な発言はほとんどなかった。
実際、この時点では「平常運転」だったのかもしれない。私にはわからない。
■メディアの報道 (訃報が流れたときの各サイトのトップページのアーカイヴ):
- Derry Journal:
https://archive.is/FAVMX
※デリーは前日に、サッカーのデリー・シティFCのキャプテン(27歳)が自宅で急死という大変に悲劇的なことがあったばかり(前日の試合前に具合が悪いと言っていたともいうので、サッカー選手で時々起きるような「見過ごされてきた心臓病」かもしれない)。
- The Belfast Telegraph:
https://archive.is/CFhiJ ※画像欠落あり。
- BBC Northern Ireland:
https://archive.is/RZnhz
- BBC UK:
https://archive.is/gCSwI
- BBC News (全体のトップ):
https://archive.is/HSAmc
- The Guardian (UK Edition):
https://archive.is/90GbP
- RTE:
https://archive.is/YcAII
- The Irish Times:
https://archive.is/keXKU
■現地報道のフィード、ラジオの実況など:
https://chirpstory.com/li/350872
※私の「北アイルランド」のリストより。最初の1ページの前半は「普段のニュース」をいくつか……Brexit, ここ数日トップニュースだったアイルランドの沿岸警備隊のヘリコプター遭難、デリー・シティFCの主将の急死、チャック・ベリーのエピソード(何気にすごい!)、「言語法」などについてのシン・フェインの政治家たちの発言など。そのあと速報が入って、一気にその話ばかりになった。「話」っていうか、見出しのフィードだけ。みな、言葉を失っていた状態。
でもね、大手報道機関のオビチュアリが出るのが、早かったんだよね。予定稿があったっていうこと。
そりゃ、病名がわかった時点で難しい病気だということから、報道機関は淡々とそのような準備はするだろうけどさ。それにしても、早かった。
つい1週間くらい前だったかな、「北アイルランド」のリストに、「健康状態について勝手な憶測はやめていただきたい」とマクギネスが苦情を言っているという記事のフィードが流れてきていたので、ああ、とは思ったけれども、でもね、早すぎる。2ヶ月前までストーモントの議会のあのごっちゃごちゃの中に身を置いて仕切ってたじゃないっすか。
マーティン・マクギネスは、Twitterによく自分が撮影した自然や風景の写真をアップしていた。弟さんが芸術家で、構図のポイントとかをアドバイスしてもらっていたのかもしれないが、写真がどんどんよくなっていっていた。ピーター・ロビンソンとFMDFMとして投資促進のために日本に来たときには、ホテルからの眺めやビル街の朝日(か夕日)、「おもてなし」で訪れた日本庭園(浜離宮だったかな)の写真をツイートしていた。そのとき、木の下のベンチに座ってお弁当を食べてる日本人の通訳者さんを、たぶん隠し撮りした写真もあった。その写真を見たときに、「あ、この人、ほんとに《人間》を見てるな」っていうのが感じられて、何ていうのかな、「IRAのテロの被害者」たちが正当性を背負った上で叫ぶような「凶悪な人間がちょっと大人しくしているだけだ、本来なら改悛の気持ちのひとつでも見せるべきところでそうしないのだから」という見方は、それはそれとしてひとつありなのかもしれないけれど(芥川の『藪の中』的な意味でね)、それでも違うんじゃないかなと思った。だって「私は後悔しない」っていうのは、「我らこそ正当な国家であり、IRAの武力は正当な武力(国家の暴力)だ」というアイリッシュ・リパブリカンの《物語》の根幹に関わるものだから。
それに、マーティン・マクギネスは「凶悪な人間が大人しくして政治家になった」わけではないと思う。そもそもなぜ彼が銃を手にしたのかということのほうが、疑問に思えてくるような人物像を感じさせる。家がゴリゴリのリパブリカンの家だったというわけではない(西ベルファストのジェリー・アダムズの家はそうだったのだが)。1960年代終わりに、元から「プロテスタント独裁」の政治だった北アイルランドの情勢が徐々に「ロイヤリスト&警察対ナショナリスト」の構図になっていく状況下で、ボグサイドの20歳くらいのマクギネス青年は、肉屋の店員として働いていた。彼は15歳で働き始め、公民権運動の学生たちが議論している場所に、出前のハンバーガーを届けに行っていたような青年だ。(ソースはピーター・テイラーの本)
そこに深く関わっているのが、当時の北アイルランドでの「カトリック」差別(二級市民扱い)で、その差別構造の撤廃を求めたのが、デリーとベルファストで盛り上がった公民権運動だ。だからマクギネスが(例えば同じデリーのエイモン・マッカンのように)公民権運動の活動家になったというのなら何のヒネリもないのだが、そこで彼は、まださほど勢いのなかったIRAに入ったのだ。
それについては既に説明はなされているが、「リパブリカンのナラティヴ」があるのでどうにもわかりづらい部分がある。そこ、ぶっちゃけどうだったんすかね……という話を誰かが聞ける可能性も、たとえ微粒子レベルであっても存在はしていたのだ。
その可能性が、永遠に、失われた。
His funeral mass will be held at St Columba's Church, Long Tower in Derry, at 12pm on Thursday followed by burial afterwards in The City Cemetery.
http://www.rte.ie/news/2017/0321/861287-martin-mcguinness-death/
※この記事は
2017年03月21日
にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。
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