「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2019年11月30日

ロンドン・ブリッジでまたテロ攻撃――テロリストとして有罪になっている人物が、なぜまたテロを起こせたのか

11月29日(金)の23時台、Twitter経由でロンドン・ブリッジで何かが起きているということに気づいた。現地では14時台だ。最初はよくある鉄道トラブルかなと思った。英国は米国の感謝祭は存在しないが、それにまつわる商業行事のブラック・フライデーのセールだけはここ数年で輸入されているので、その関係のイベントかなとも思った。しかし実際に起きていたのはそういうことではなかった――一帯は封鎖されており、銃声があったという。

ロンドン・ブリッジでは以前にもテロ攻撃があった。2017年6月3日、橋を北から南に進んでいく車が歩道の歩行者の中に突っ込み、テムズ川の南岸に渡り切ったところで車を捨てた犯行グループ3人が、今度は刃物を用いて、バラ・マーケット (Borough Market: 大量生産でない加工品やオーガニックの野菜などで有名な食品の市場だが、敷地内にレストランやパブもたくさん入っている) にいた一般の人々を次々と襲った。8人を殺し、48人を負傷させた容疑者3人は、そのすぐ先で警察に撃たれて死んだ。イスイス団に触発されての凶行だった。
https://en.wikipedia.org/wiki/2017_London_Bridge_attack

英国では事件・事故などで亡くなった人の死亡原因の特定のために、inquest (死因審問)と呼ばれる法的手続きが取られるが、2017年6月のバラ・マーケットでのテロのインクエストは、今年5月から7月に行われたところだった(このインクエストの結論は特に驚くべきものはなかったので、Twitterなどでメモることもしてないと思う)。
https://en.wikipedia.org/wiki/2017_London_Bridge_attack#Inquest

あのテロに影響を受けた何百人という人々は、インクエストの報道を見てまた「あの日」のことを思い出していたに違いない。

それから4か月ほどで、また同じロンドン・ブリッジで、何百人――いや、ひょっとしたら何千人の規模で、「あの日、自分はそこにいた」と回想することになる人々が増えた。平日の昼間に、道路の通行止めや駅の封鎖などで交通網にも広く影響が出たから、間接的に影響を受けた人は何万人の単位になるだろう。Twitterでフォローしている方の中にも、ご家族の誰かが発砲音を聞いた人や、交通の混乱に巻き込まれた人がいる。この

今回のテロ攻撃は、29日(金)午後2時前に、ロンドン・ブリッジの北側にあるフィッシュモンガーズ・ホールのあたりで起きた。この建物は魚屋のギルドの建物で、ルーツは中世にあるが現在の建物は19世紀半ばに建設されたものである。第二次大戦でのロンドン空襲で損傷して修復され、現在はGrade IIに指定されている(文化財の指定を受けている)。外観はあまり派手ではないが、中は壮麗で、イベント会場として貸し出されるなどしている。
https://www.squaremeal.co.uk/event-party-venues/fishmongers-hall_275

29日(金)は、この建物で、ケンブリッジ大学のコンファレンスが行われていた。分野は犯罪学だが、テーマは "Learning Together", 犯罪を犯した人と一般社会の関係を「学び」によって再構築していこうという取り組みである。"Learning Together" という取り組みは、ケンブリッジ大だけでなく英国の多数の大学が参加して進めていて、今はちょっと重いようだけど取り組みをまとめたウェブサイトもある。
https://www.learningtogethernetwork.co.uk/

このコンファレンスに招かれていた元服役囚が、今回の事件を起こした。現時点で報道されていることをまとめたウィキペディアには次のように記載されている(事件が進展中の段階ではこんなにすっきりまとまった情報は出ていなかったということは強調しておきたいが):
A man attending the event, and wearing a fake suicide vest, threatened to blow up the hall. He began stabbing people inside the building. He subsequently began stabbing pedestrians at the north side of the bridge. Several people fought back, including one who grabbed a narwhal tusk from the wall inside Fishmongers' Hall to use against him as a weapon.

Several people were injured before members of the public restrained the attacker on the bridge. The police arrived shortly thereafter and surrounded the attacker, firing multiple shots. The attacker was shot by police and died at the scene.

https://en.wikipedia.org/wiki/2019_London_Bridge_attack


このようにして5人が刺され、うち2人が残念なことに亡くなった(現時点では男性1人、女性1人としか報じられていない)。

襲撃者はこのコンファレンスに「当事者」として招かれていたのだが、では彼はどのような罪で服役することになったのか。現地でも日付が30日になったころには、それが報じられていた。明らかになった事実に、私は言葉を失わざるをえない。

London Bridge: Attacker had been convicted of terror offence
https://www.bbc.com/news/uk-50610215


Usman Khan profile: terrorist who wanted to bomb London Stock Exchange
https://www.theguardian.com/uk-news/2019/nov/30/usman-khan-profile-terrorist-who-wanted-to-bomb-london-stock-exchange


襲撃者、ウスマン・カーンは28歳。2010年、19歳のときにロンドン証券取引所を爆破しようとした集団の一員として、2012年に有罪判決を受けていた。量刑は「もはや社会に危害を加えるおそれがなくなるまでは保釈なし」とされていたが、この条件は後に緩和され、2018年12月に仮釈放されて保護観察下に置かれていた。電子タグを常時着用することを条件とした仮釈放だ。
The Met has identified the London Bridge attacker as Usman Khan, a 28-year-old man released from prison on a licence (parole) in December 2018 after spending eight years in jail for terrorism offences.

... Khan was wearing an electronic tag

https://www.theguardian.com/uk-news/live/2019/nov/29/london-bridge-incident-police-city?page=with:block-5de1dc7f8f08cd6fe586e952#block-5de1dc7f8f08cd6fe586e952

Khan was originally classed as never to be released unless deemed no longer a threat but this condition was later lifted.

He was freed in licence in December 2018.

https://www.theguardian.com/uk-news/2019/nov/30/usman-khan-profile-terrorist-who-wanted-to-bomb-london-stock-exchange


2012年のこの判決について、うっすらと記憶にあったので(ロンドン証取はIRAが1990年にボムっているので「またか」と思ったことは確実)ログをあさってみたら、当時の記事が出てきた。

20120202news.png

※ガーディアン:
http://www.guardian.co.uk/uk/2012/feb/01/terror-plotters-mumbai-attacks-london
https://b.hatena.ne.jp/entry/78872089/comment/nofrills

BBC:
http://www.bbc.co.uk/news/uk-16833032
https://b.hatena.ne.jp/entry/78889425/comment/nofrills

これで思い出した。ロンドン拠点のイスラム過激派の男が主犯格で、2010年のクリスマス直前の時期に、ロンドンの有名施設を標的とした爆破計画を練っていた集団。かねてから当局が浸透していたので、計画は全部警察・情報機関に筒抜けで、何も起きないうちにパクられたというケースだ。

改めて記事を読み返すと、この集団の標的としてリストアップされていたのはロンドン証取(LSE)やビッグベン、ウエストミンスター・アベイ、米国大使館、ロンドン・アイなど。当時市長だったボリス・ジョンソン(現首相)の自宅も含まれていた。

この集団を触発したのは、AQAP(アラビア半島のアルカイダ)の指導者で、米国出身のアンワール・アル=アウラキだった。つまりイスイス団以前の反米・反西洋の暴力的イスラム主義の発想だ。

主犯格の東ロンドン拠点の過激派の人物は21歳。ほか、ロンドン、カーディフ、ストーク・オン・トレントの8人がこのグループを構成しており、彼らのテロ計画は殺戮を目的とするものではなく、有名施設を爆破することで社会に恐怖を与え、経済的に打撃を与えることだった……ずいぶん古典的だな(まるでIRAではないか)と思うのは、2014年にイスイス団がのしてきた後は、テロは殺戮を意図するものになっているからだろう。

これらの記事は有罪か無罪かが事実上決まった(被告が有罪を認めた)段階のもので、このときは量刑はまだ決まっていない。主犯格の2人は禁固と保護観察合わせて17年とか18年という可能性だとBBC記事にあるが、ほかの9人については量刑のことは書かれていないっぽい(私が見落としているだけかもしれないが)。

量刑について気になるのは、ガーディアンのこの記述だ。"Chowdhury and Rahman" は主犯格の2人のことである:
The nine had been due to face a five-month trial, but pleaded guilty as part of a Goodyear Direction, which allows a defendant to weigh up whether they should plead guilty depending on the sentences they are likely to face.

Chowdhury and Rahman could be out of prison in six years; they will be released automatically at the halfway point of their jail term and spend the remainder of time on licence. If they had gone to trial and been found guilty they would have been sentenced to about 20 years in jail.

https://www.theguardian.com/uk/2012/feb/01/terror-plotters-mumbai-attacks-london


今回、ロンドン・ブリッジで刃物で人を殺傷して警察に射殺されたウスマン・カーンは、2012年の判決のときにまだ20歳で、この集団の中でも一番年下だったという。

今回のテロ攻撃の後に出た記事から:
https://www.theguardian.com/uk-news/2019/nov/30/usman-khan-profile-terrorist-who-wanted-to-bomb-london-stock-exchange
Khan, at 19, was the youngest of the group. In his sentencing remarks Mr Justice Wilkie said Khan and two others were “more serious jihadis” than the others.

...

Wilkie said Khan and his co-accused Nazam Hussain and Mohammed Shahjahan were planning to fund and establish the terrorist training school, with Khan and Hussain planning to leave the UK in January 2011 to train.

In a July 2013 report the independent reviewer of terrorism wrote that Khan was one of one of three men from Stoke who had travelled to Pakistan’s federally administered tribal areas (Fata) and planned to fund, construct and take part in a terrorist training camp in Kashmir, with a view to carrying out terrorist acts in the future.


ウスマン・カーンは、2010年当時のような大掛かりな計画(この手の計画そのものは極右過激派なんかも立てていて、荒唐無稽なものではない)は結局実行に移さなかった(移せなかった)。その代わり、1人で刃物を持って凶行に及んだのだ。「更生した犯罪者」として大学の研究者たちが集まったイベントに招かれて。





このような場での攻撃だったので、最初に攻撃者を阻止しようとしたのは元犯罪者だった。また、この会場には壁にイッカクの角が飾られていたようで(魚屋さんのギルドのホールだから、山で狩猟する人の家に鹿の頭がかかっているような感じで海関係のものが飾ってあったのだろうか)、そのイッカクの角をもぎ取ってひっつかんで追いかけた人もいたそうだ。橋の上で消火器を噴射した人もいた。








ちなみに、ウスマン・カーンの属していたグループがテロ攻撃計画を練っていた2010年秋〜冬は、同年5月に行われた総選挙で労働党が負け、なおかつ保守党も過半数を取らないハング・パーラメントという結果で、デイヴィッド・キャメロンの保守党とニック・クレッグのLibDemsの連立政権だった。2012年の判決時も同じ。

だから今回は「労働党が犯罪に甘いから」云々の大合唱は生じていない。

その代わり、ひどいデマがSNSでばらまかれた。ちょっと確認すればデマとわかることだが、確認せずに拡散する人は多いものだし、それにこのケースでは「ジェレミー・コービンがTwitterでこんなことを言っているぞ」というデマが、別のプラットフォーム(WhatsApp)でばらまかれていた。

こういうデマの手法は、日本でも取られうると思う。例えば「野党政治家がこんなとんでもない発言をツイートをしている」というスクショ(偽造)が、真偽を確認するには別のアプリを立ち上げたり別のサイトにアクセスしてログインするなどする必要があるTwitter以外の場所(例えばLINEやら5chやら)で広められる、ということは、警戒しておいていいかもしれない。



※ @deletedbyMPs は、国会議員(下院議員)がいったん投稿したあとに削除したツイートを記録するアカウント。いろいろあったけど稼働中。選挙されて国会議員という職にある「公人」は、このくらい、発言に責任を持つものである。






それから、その反対側、コービン支持陣営の左翼の陰謀論者たちの世界ではこういう話になっていたそうだ(「芸能人の逮捕は政権にとって都合の悪い話を埋没させるため」的な陰謀論だが、輪をかけてたちが悪い):




あと、容疑者が取り押さえられ、警官の発砲を受けている場所のほんの何メートルか向こうを、現場に向かって歩いている人が撮影していた映像で、容疑者から奪った刃物(すごくでかい。柳刃包丁みたいなの)を下向きに持ってこちらに走ってきていたスーツにネクタイの男性は、下記デイリー・ミラー一面 (via https://twitter.com/hendopolis/status/1200531794711523329 ) によると警察官だったそうだ(民間人ではない)。

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この卑劣な攻撃で2人も殺されてしまった。ここしばらく「イスイス団は退潮、西洋諸国ではもはや差し迫った脅威ではない」みたいな話ばかりなので忘れてしまいそうだが、イスラム過激派のテロは組織に依存していないし(「ローン・ウルフ」が可能。英国が国としての「テロ対策」の基本に置いてきたアイリッシュのテロリズム――軍隊的な組織を構築していた――とは違う)、破壊というより殺戮が目的になってしまえば特別な武器も必要ない(ウリッチで殺された英軍人のリー・リグビーさんは大型の刃物で殺された。2017年のロンドン橋のテロは、人々をはねるために普通のヴァンが用いられた)。このような凶行を引き起こすのが思想と信念である以上、「こうすれば再発は防げる」という秘策などないのかもしれない。

それにしても、こういうことが常態化している今の世の中においてすら、「更生した元服役囚」のイベントでこんなことが行われるというのは、本当に悪夢のようである。

今回のテロリストは、たったひとりで、実にいろんなことをぶっ壊した。それも総選挙直前に。



ロンドンのサディク・カーン市長はいつも通り、とても明確。



テレグラフがこのフィード:




※この記事は

2019年11月30日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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