「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2019年02月07日

リーアム・ニーソンの発言の炎上、そしてウィンストン・チャーチル――あるいは「誰の人種主義がどのように、どこまで、人種主義と認められるのか」。

(Twitterだけで終わらせようかと思ったけど、ジョン・バーンズがウィンストン・チャーチルを持ち出してきたのは記録しておくべきだと思い、ブログを書いている。)

映画俳優が不用意な発言をして炎上しているだけだったら、見出しを見るだけで終わっていただろう。だが今回炎上しているのはリーアム・ニーソンだ。しかも炎上の中身が「人種差別」。

リーアム・ニーソンについては、日本では特に「ハリウッド俳優」と見なされているし、「米俳優」と呼ばれることもあるが(実際、米国在住だし米市民権は持っているはず)、出身は北アイルランドである。それも、プロテスタントが多数の地域に暮らすカトリック、という立場にあった人だ。北アイルランド紛争下で個人を常に「集団の一員」と見なすのが当たり前という環境の中に身を置いて、それを体験している人が、今ここで「人種差別」で炎上しているというのはどういうことなのか――記事を読まずにはいられなかった。そして読んで、唖然とした。

私が読んだのは、英国の通信社Press Association(日本で言えば「共同通信」のようなところ)の記事である。これをただの「芸能人の問題発言」とはとらえていなさそうな媒体だからという理由でベルファスト・テレグラフを見に行ったのだが、中身はPAだった。

Liam Neeson: I walked streets hoping to kill black person after friend was raped
The actor has said he wanted revenge for the attack.
February 4 2019
https://www.belfasttelegraph.co.uk/entertainment/film-tv/liam-neeson-i-walked-streets-hoping-to-kill-black-person-after-friend-was-raped-37781066.html

PAの記事は、別の媒体(英インディペンデント……あとでリンク)の記事内容をかいつまんでまとめたような記事で、どういう発言があったのか、それがどういう文脈でなされたのかはよくわかる。

いわく、公開を間近に控えた新作映画(またいつもの復讐もの)の主人公の行動について、インディペンデントのインタビュアーが質問したのに対し、ニーソンは「実際にあったことです」と前置きして、自分の体験を語った。発言内容は、次のようなものだ。
「以前のことですが、自分が遠方に行っている間に、友人がレイプされまして。旅から戻ってきてからそういうことがあったのを知ったのです。レイプという状況に、本人は見事に、それは見事に対処していたのですが、私はといえば……まずは彼女に、犯人は誰なのかわかるかと訊いたのですが、わからないと。そこで何色だったのかと (What colour were they?)。彼女の答えでは黒人だと」

「私はコッシュ(棍棒)を持って街を歩き回りました。誰かがちょっかいを出してくるのを待って――こんなことを言うのは、恥ずかしいことなのですが――。1週間くらい、そうしてましたね。黒人のクソ野郎がパブから出てきて、私に言いがかりをつけてきてくれるんじゃないかって思いながら。そういうことになれば、そいつを殺せる、と」

「1週間か、1週間半か、そのくらいずっとその調子でした。彼女に行き先を尋ねられれば『ちょっと散歩にね』と答えていましたよ。『何、どうしたの?』『いや、別に何ともない』というやり取りもありました」

「恐ろしいことでした。今思い返せば、自分がそんなことをしたとは、実に恐ろしい。今まで誰にも明かしたことのない話ですよ。それを(よりによって)ジャーナリストにこうして語っている。実にとんでもないことです (God forbid.)」

「ひどい体験でしたが、そこから私は学んだのです。最終的には『おまえは何をしてるとんだ』思って」

「私はああいう社会の出身で――紛争期の北アイルランドで育ちまして、ハンストで死んだ人たちも数人知ってますし、紛争に深く絡め取られていった知り合いも何人もいます。復讐の必要性というものは、私は理解している。けれどもそれは、さらなる復讐を呼ぶだけです。さらなる人殺しがまた人殺しに。北アイルランドは、それを証明しています。世界中で起きているそういうこと、そういう暴力がその証明です。しかし、初期衝動的に(復讐が)必要だと感じることは、私は(身をもって)理解しています」


一読して、「何と正直な」と感嘆しつつ、呆れかえってしまった。こういうことを、新作映画のプロモーションで、インタビュアーに喋るということの意味がわからなかった。しかもその新作映画が、またいつもの「復讐劇」なんでしょ。私は常々「あの路線つまんないし、リーアム・ニーソンの無駄遣いだからやめれば」と思っているのだが、「復讐」をドラマチックでロマンチックな、一種の「男のロマン」に仕立て上げるお芝居をしながら「復讐はよくない」と言ったところで、説得力ないじゃんね。しかも北アイルランドのベルファストでは、紛争が終わって20年経過してもいまだに、現実にパラミリタリー絡みの殺人事件が発生して、家族が「報復はやめてください」と訴える、ということが起きているのだ。

例えば『スリー・ビルボード』みたいにして「復讐」を描いた作品のプロモーションなら、ニーソンの発言の意義も一応わかると思うけど、事実上シリーズ化している「リーアム・ニーソン主演の復讐もの」にそういうの期待できるかっていうと……。

というわけで「炎上」を知って上記のPA記事を読んだあとの私のツイートはこう↓だった。


だが、ニーソンの発言の問題点、というかニーソンの発言が炎上した理由は、その「復讐の必要性」云々にあったわけではない。

この時点ではまだ私はニーソン発言の全容を把握していなかったので――自分が読んだのがPAの要約記事で、「もっと長い記事から要点を書き抜いたものでしかなく、ここに書かれている発言がすべてではないだろう」と思ったのだが、そのタイミングではBrexit関連のニュースがまたすごい話になってて、「俳優の問題発言」にはさして興味は持てなかった――、何か言えるのは全文を確認してからだなと思って、その場は流してしまっていた。

それでも、PAの記事には「おいおい」と思わされるようなディテールが入っていたから、これで炎上しないほうがおかしいだろうとは思っていた。具体的には次の箇所だ(強調は引用者)。
“But my immediate reaction was... I asked, did she know who it was? No. What colour were they? She said it was a black person.

“I went up and down areas with a cosh, hoping I’d be approached by somebody – I’m ashamed to say that – and I did it for maybe a week, hoping some black bastard would come out of a pub and have a go at me about something, you know? So that I could kill him.

https://www.belfasttelegraph.co.uk/entertainment/film-tv/liam-neeson-i-walked-streets-hoping-to-kill-black-person-after-friend-was-raped-37781066.html


つまり、ニーソンは人を「色」でくくり、その初期衝動において、大切な友人をレイプした加害者本人への「復讐」を望んだのではなく、加害者と同じグループに属する不特定の人(some black bastard)を「殺してやろう」とまで考えていた。2019年にそんなことを聞かされれば、「マジありえない」って反応になるのも当然だろう。

なお、PAの記事の元になったインディペンデントの独占インタビューは下記で:
Liam Neeson interview: Rape, race and how I learnt revenge doesn’t work
https://www.independent.co.uk/arts-entertainment/films/features/liam-neeson-interview-rape-race-black-man-revenge-taken-cold-pursuit-a8760896.html

この部分のテクストは次のようになっている。
“But my immediate reaction was...” There’s a pause. “I asked, did she know who it was? No. What colour were they? She said it was a black person.

“I went up and down areas with a cosh, hoping I’d be approached by somebody – I’m ashamed to say that – and I did it for maybe a week, hoping some [Neeson gestures air quotes with his fingers] ‘black bastard’ would come out of a pub and have a go at me about something, you know? So that I could,” another pause, “kill him.”

Neeson clearly knows what he’s saying, and how shocking it is, how appalling. ...


このインタビュー記事はとても長くて全文は読める気がしないのだが、大筋をまとめた記事には、次のような説明がある。
Neeson shared the personal story after being asked to give more insight into his Cold Pursuit character Nels Coxman’s need for revenge after his son is killed by a drug gang.

“I think audience members live to see that,” Neeson said of onscreen violence. “They can kind of live vicariously through it. People say, ‘Yeah but violence in films makes people want to go out and kill people.’ I don’t believe that at all.

https://www.independent.co.uk/arts-entertainment/films/news/liam-neeson-rape-black-man-attack-cosh-cold-pursuit-sexual-assault-interview-a8760866.html

つまり、新作映画でニーソンが演じた人物(麻薬犯罪組織メンバーに息子を殺され、復讐に立ち上がる父親)について質問されたのに応じて、上記の「復讐の必要性の衝動を私は身をもって知っている」という発言が出てきた、ということだ。

「復讐したい」云々も問題発言ではあるが、「人は誰も復讐心というものを抱くのだ。しかしそれはより多くの死をもたらすだけで無益だ」という《物語》の一部で、そのコンテクストでは問題にはならないだろう。しかし、「炎上」した発言に含まれるもうひとつの問題点は、どういうコンテクストに置いてみたところで、ダメである。だって特定の人が特定の加害者にレイプされたからといって、「誰でもいいから偶然、店から出てきた黒人」を殴り殺そうとするのだとしたら、それは「復讐」ですらないのだから。Twitterで炎上していたのは、その点だった。たとえばロンドンの小説家、Sunny Singhさんは次のように連投している。

彼女のいう "(he) doesn’t care about the raped friend" というのは、テクストから読み取れないと私は思う(そこまで読み取ってしまうこと自体に問題があると私は思うが、私はネイティヴ英語話者ではないので、そういう感覚が「正しい」のかどうかはわからない)。ここではニーソンは、「しばらく前に起きたこと」での「自分の心理」について一人称で語っているわけで、「自分の心理」以外のことはテクストに現れていない。

そのこと自体が――他人の身の上に起きた「悲劇」について、自身を「主人公」にした語りができてしまうということが――問題だというのは、Singhさんはこのあとの連投で詳しく述べている。



"Neeson is not a fucking cop!" という問題点はその通り(ただしそこを突っ込んでいたらニーソンの「復讐もの」の類型である "I'm gonna find you, and kill you" の世界観にも突っ込みを入れざるをえないのだが……仮に「友人がレイプされたので武器を持って街をうろつく」ということがずっと昔の、若気の至り的な時代のことで、ニーソンはそれを恥ずかしく思っているとして、その後、今になって「復讐もの」をやり続けているのは何なのだろう)。ニーソンが「復讐心」ゆえにやろうとしたこと、武器を持って街をうろつき回るということは、かの「自警団」と同じだろう。

それは、単に「初期衝動として復讐心を抱く」ということからは、飛躍している。映画の中で「犯罪組織に大切な家族を殺された父親」が「犯罪組織」そのものに立ち向かえば「復讐劇」という物語になるのかもしれないが、「誰か個人に大切な家族を殺された父親」が「その個人の属する社会的集団」そのものを敵としたら、それは「復讐劇」にすらならない。ただの憎悪劇、差別劇だ。

この非難は辛辣だ。つまり「大切な友人を守れなかった俺」が「彼女を襲ったのと同じ黒人を、誰でもいいから痛めつけてやる」とまで思いつめた挙句、ふと我に帰ってそのようなことは思いとどまった、つまり「怒りをコントロールした」という美談を仕立て上げ、それを映画を売るために語っている、と。

他にも厳しい批判をしっかり語っているTwittererがいる。「ナイジェリアン・ブリティッシュ」と自身のプロフィールに書いているレイフ(ラルフ)・レナード(レオナード)さんだ。




「レイシズムは何もないところに存在するのではないし、『邪悪な』人だけが抱くものというわけでもない。だからこそ、根本的な問いをもっとしていかねばならない。つまり、これらのレイシストな感情を抱く人々は、その考えをどこから得たのか、ということだ」というラルフ・レナードさんの指摘は、とても重要な指摘だ。

  「誰にやられたんだ」
  「誰なのかはわからない」
  「どんな奴だった」
  「背が高くて、黒っぽい服を着ていた」

というやり取りではなく、

  「誰にやられたんだ」
  「誰なのかはわからない」
  「肌の色は」
  「黒人だ」

というやり取りが、別におかしなところはないように見えてしまうとしたら、やはりそれはおかしい、ということだ。

「肌の色は」「黒人だ」が、犯人の多くある特徴のひとつとして位置づけられるのではなく、主人公を復讐に駆り立てる決定的な特徴として機能しているとしたらその物語はおかしいということ、さらにはその「復讐」が「特定の個人」にではなく「犯人と同じ黒人」に向けられるという発想がおかしいということについて、そういう感情を抱いてしまったリーアム・ニーソン自身がどのように、また、どのくらい考えているのかは、私が読んだ範囲ではわからないけれども(読んでいないどこかに書いてあるのかもしれない)、少なくとも彼はそのときに自分のとった行動について恥じており、今まで誰にも言わずにきたということだから、その「黒人なら誰でも復讐対象」という発想についても「おかしな発想だ」と考えているのだろうとは思う。

さて、リーアム・ニーソンの発言がこのように炎上して、見物人がどんどん増えたところで、さらに議論の材料を提供してくれたのが、元プロ・サッカー選手のジョン・バーンズである(彼は歌というかラップでも有名。例えば、"Catch me if you can, cause I'm the England man, and what you're looking at is the master plan" って)。80年代から90年代の、白人がほとんどだったころのイングランド代表で長くプレイしていた黒人プレイヤーだ。彼の名前はUKでのTrendsの一番上に、何時間も載っていた。キャプチャ取っておけばよかったかも。

リーアム・ニーソンの炎上後に、Sky Newsでコメンテーターとしてインタビューを受けたバーンズは、「本題に入る前に、ちょっといいですか」と前置きして、「リーアム・ニーソンは表彰されてしかるべき」と語り始める。この内容が、すごかったのでおおいに話題になった。Sky Newsが自身のチャンネルにクリップをアップしているので、7分ほど時間がある方は見てみていただきたい。



※とても聞き取りやすいし、精度がまあまあの自動生成の字幕も出てくるように設定されているが、最初の1分半くらいの文字起こしがBalls.ieにあったのでそれもご参照のほど。
https://www.balls.ie/the-news/john-barnes-defends-liam-neeson-over-interview-which-was-spun-405502
(文字起こしにある部分のあと1分半から2分半くらいまでは、番組キャスターに聞き返されたので同じ内容を繰り返している。)

バーンズの話が佳境に入るのは2分35秒くらいからだ。ここがすばらしい。"We are all unconscious racists" (3分20秒ごろ)というのがバーンズの議論の核で、「人種差別的な考えをしてしまっている自分がいる」ことを認めた人を「差別主義者だ」と叩いていては、「すべての人が差別をしている」という重要な事実が認められず、「差別は悪いことです」という綺麗事だけの世界になってしまう。そこでは「差別」はますます、埋もれていく。そういう問題意識をバーンズは抱いていて、それゆえに「自分は差別的な発想に基づいて行動していたことを認め、恥じ入っていると告白したリーアム・ニーソンは、表彰されてしかるべき」と主張している。

そしてさらに、4分20秒ごろから後が「言った……!」という場面だ。
"So let's take down that statue of Winston Churchill, who is a white supremacist and a mass murderer."
「(ニーソンの映画をボイコットするとかいうのなら)ウィンストン・チャーチルの銅像も引き倒しましょうよ。チャーチルは白人優越主義者で大量殺人者なんですから」


スタジオのキャスターは、顔は映っていないがここで目をぱちくりさせていたことだろう。音声的に妙な空白があったりする。



バーンズの発言は次のように続く。「チャーチルは英雄だと言いますが、少数民族に毒ガスを使うべきと考えていた人物ですよ(注: クルド人やアフガニスタン人に使おうと考えていたし、ボルシェヴィキにも使おうとしてたんですな)。そういう人物が英雄で、リーアム・ニーソンが過去の自分の行為の間違いを認めるといっせいに叩きが始まる」
"How is Churchill a hero when he spoke about... he believes in gassing the lesser races. But he's a hero. And when Liam Neeson comes out and he admits that he was wrong in what he did, whereas Winston Churchill would never admit he was wrong, never, and if he was alive now he would still believe in the superiority of the Aryan race.

"But Liam Neeson - someone who admits that, after a week and a half of thinking what he thought, that he was wrong, which is fine as far as I'm concerned - we're now pillorying him."

https://news.sky.com/story/john-barnes-liam-neeson-deserves-a-medal-for-race-admission-11628709


Twitterでバーンズの名前がずっとTrendsにあったのは、私の見る限り、人々が「その通り」「よく言った」と口々に讃えていたりしたからだった。











また、ジョン・バーンズは元リヴァプールだが、エバトンのサポも大喝采している。



一方で、例の業界人はいつもの調子。もちろん、下記のように的確なツッコミを受けている。(「チャーチルがそうだとは知らなかった」ってBBCの簡単なまとめすら読んでないらしいけど、この人、昔、タブロイドとはいえ新聞の編集長だったんだよ。よく務まったな……っていうか、この調子で「ウケること」だけ考えてたから、とんでもないガセねたつかまされたのか。)



なお、バーンズの「リーアム・ニーソンは間違いを認めた立派な人だ」という見解には、下記のような反論もある。



あと、バーンズについて心配なのは、これですよね。



Twitterにはむろん次のような人もいて――というか私のフィルターバブルの外ではこういう意見の方が多いんだろうと思うけど――、こちら系の過激派(ジョー・コックス議員を殺した男や、フィンズベリー・パーク・モスクに車で突撃して男性を殺した男のような過激派)がどういうことをやりかねないかを考えると、ぞっとする(これも「恐怖による支配」だろう。2016年以前のイングランドについて、自分はそんなことを考えたことがあっただろうか)。



とりあえず私は、レンタル期限が迫ってきているニーソン主演の映画を見なければ。
ザ・シークレットマン(字幕版)
ザ・シークレットマン(字幕版)



これを書いて整理している間に、問題の新作映画のプレミア上映イベントが中止になったというニュースがあり、ニーソンが米国のTVに出て、英インディペンデントでの発言について説明・弁明している。問題のレイプが起きたのは「しばらく前」というより「ずっと前」のことのようだ(英語ではどちらもsomeという語を使って表しうる)。英語では過去形はただの過去形でしかなく、「しばらく前」(例えば先月)なのか「ずっと前」(例えば30年前)なのかはっきりしないままで「過去にこのようなことがあった」ということだけが伝わってしまうことがままあるのだが(その曖昧さが原因での誤読も発生しうる)、ニーソンはインタビュー時にもっと気をつけるべきだったのではないかとも思う。しかしなぜあんなことをしゃべりたくなったのだろう。







米ABCの番組のクリップ。スタジオの観客がニーソンを見る目はとても冷たいが、コメント欄にさまざまな意見が寄せられている。"This isn't racism. It's an overreaction and a loss of self control" と言う黒人青年、「自分も奴隷ものの映画を見た帰りに白人を見るとぶちのめしたくなる。人間とはそういうものでは」と言う黒人の人、「そもそもあの発言に差別は無関係」、「メディアが話題づくりをしただけ」、などなど……
https://www.youtube.com/watch?v=Zb8KEpkCdRo


ジョン・バーンズは翌日もさらにニーソンの発言の意図は「復讐は何も生まない」ということにあると述べている。(でもそれなら、あんな「実話」を持ち出す必要はなかったんじゃないかと私は思っている。そもそもそういいながら「復讐の鬼」の映画に次々と主演し、「復讐」の物語化を促進しているのは何なのか、と。それに、ニーソンにはFive Minutes Of Heavenという「復讐もの」の作品もある。ただし復讐する側ではなくされる側としての出演だが。)




人種主義についての議論は広がっている。




ジョン・バンヴィルも出てきた(バンヴィルの作品がニーソン主演で映画化される)。ほかで見られる「魔女狩り witch hunt」という言葉遣い(バーンズも使っていた)よりも、バンヴィルの使っている「ピューリタニズム」のほうが私にはしっくり来る。

John Banville defends Liam Neeson against ‘frightening new puritanism’
https://www.irishtimes.com/culture/film/john-banville-defends-liam-neeson-against-frightening-new-puritanism-1.3784533

The Irish novelist John Banville has defended Liam Neeson following criticism of the actor for comments relating to the rape of a friend 40 years ago.

“I can’t see what the fuss is about frankly,” the Man Booker-winning author told The Irish Times.

Speaking to the London Independent, Neeson explained that, following his friend’s rape, he took a cosh and walked out hoping that any random “black b**tard” would engage with him so that he could “kill him” in revenge. The Independent subsequently published audio of the interview online.

The comments have generated front-page news stories throughout the world. Neeson is due to star as Philip Marlowe in an upcoming film of Banville’s The Black-Eyed Blonde, a variation on Raymond Chandler written under the pseudonym Benjamin Black.

“I listened to the recording of the interview he gave to the journalist, who shouldn’t of course have made her tape public. I thought that was a bit of a betrayal,” Banville said. “I cannot see what the fuss was about. It seems to me people are not reading what the man said: ‘I had this urge. I shouldn’t have done it. I am ashamed of it. I shouldn’t even be saying this to a journalist.’ He was indiscrete to say the least.”

... “We all have primitive urges,” said Banville, a former literary editor of The Irish Times who won the Booker Prize in 2005 for his novel The Sea.

“He was foolish. He should have known better. He is a public man. He shouldn’t be using language like that. But he said he was ashamed. Nobody seems to have picked up on that. He was ashamed to have the urge to kill somebody at random. Frankly, I have often had the urge to kill somebody at random. We all have. I have no doubts we all have. This new puritanism that is stalking the world I find very frightening.”



ニーソン自身の過去の発言の発掘も行なわれている。インディペンデントはこの「おいしいネタ」をしゃぶりつくすつもりだろう。



ニーソンが押さえ込んだような「衝動」は、もちろんニーソンだけのものではなく、社会のどこにでも存在している。そしてその「衝動」は実際に、人を殺している――黒人を殺している。



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1つ前のエントリでティモシー・スナイダーの『暴政』を参照したんだけど、個人的にあの本にイマイチ乗れないのは、「ホロコーストを行なったヒトラーという絶対悪に断固として対峙した英雄チャーチル」という《物語》が(とても雑に)要約してあって、その上で、チャーチルが礼賛されてる点。とてもじゃないけど、21世紀もそろそろ20年目になろうかというころになされる「歴史」についての語りとは思えないんすよね。

世界には『暴政』のもとに置かれる人々は現大統領のもとのアメリカ人のほかにもものすごく大勢いて、その中にはチャーチルによる暴力にさらされた国民たちも大勢いる。そのことを前提にしていない記述は、果たしてどのくらい一般性を持ちうるのか、と。まあ、元々アメリカ人のためにアメリカ人教授が書いたものだから、そのへんは問題にならないのかも。

第一次大戦から帰還し、失業状態にあった元英軍兵士たちをアイルランドにやったのはチャーチル。「警察予備隊」として再編された彼らは「ブラック&タンズ」として知られ、アイルランドの一般の人たちにとてつもない暴力を加えた。
https://en.wikipedia.org/wiki/Black_and_Tans

※この記事は

2019年02月07日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼