「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2017年08月31日

たった1人で北アイルランド和平をひっくり返していたかもしれないテロリストが英軍内に浸透していた件

英軍に、今なお武装闘争を信じて活動を続けているアイリッシュ・リパブリカニズム信奉者が浸透していた、ということになる。それも単なる「英軍」ではない。海兵隊だ。軍隊でのエリート集団に非主流派リパブリカンのテロリストが入り込んでいたのだ。唖然とするよりないよね。

テロリストの名前はキアラン・マックスウェル。30代に入ったばかりでFBなども普通に使っている「いまどき」の若者だ。FBには軍隊での訓練中に笑顔を見せる写真などがアップされていた。



2016年に発覚したこの事件の判決が出たのが、今からちょうど1ヶ月前の2017年7月31日だった。そのときからずっとブログに書こうとしていたのだが、どうにもまとまらずにずっと下書きのままになっていた。判決から1ヶ月になるし、そのタイミングでUTVのドキュメンタリーも出たので、もう無理にでも公開しておこうと思う。以下、事件発覚時までさかのぼってみていくので、記述はとっちらかったものになるかもしれない。

これは「ディシデント・リパブリカン組織のやったこと」というより、「ディシデント・リパブリカン組織に参加する個人のやったこと」だ。そしてその個人は、もしも何も発覚せずに活動を続けていたら、たった1人でも北アイルランド和平プロセスをひっくり返していたかもしれない。大げさに煽るのではなく、彼、キアラン・マックスウェルのやっていたことは、本当にそういう重大性を持っていた。

判決を受けて、英国政府の北アイルランド担当大臣は、この件を解決に導いた捜査当局に敬意を表し、「人命を救ったことは間違いない」と評価し、「この個人(被告)がなそうとしていた害は、(禁固18年と保護観察5年の計23年という)量刑を見れば、いかほどの規模になろうとしていたかがわかる」と述べている(原文は下記)。



本来ならば、判決のあったタイミングで北アイルランド自治政府の2トップ(ファーストミニスター&副ファーストミニスター)からも自治政府の司法大臣や各党の警察担当者からもコメントが出るところだが、あいにく北アイルランドの自治議会・自治政府は、今年1月に瓦解して以来、ストップしたままだ。その自治のシステムを再起動させる話し合いも、7月のプロテスタントのパレード・シーズンを前に決裂し、そのまま夏休みに入っていた。北アイルランドの政治家たちは、この厄介なテロ事案について、特に発言する必要に迫られることなく過ごしているということになる。

ただ、仮に、キアラン・マックスウェルの判決が出たときに自治システムが通常通りに稼動していたとしても、政治的にはさしておおごとにはならなかっただろう。「IRA」という看板につい目を奪われて、「シン・フェインの身内」と思ってしまうかもしれないが(実際、そのように位置づけてわめきたてているロイヤリスト過激派もいる)、今「IRA」という看板で武装活動を続けているのは、北アイルランド紛争期に「IRA」だったProvisional IRAではない。Provisional IRAの方針に反対し、離反していった分派組織だ。キアラン・マックスウェルが関わっていたContinuity IRAは、そういった「非主流派リパブリカン武装組織 (dissident Republicans)」の主要組織のひとつだが、そういった非主流派のことは、ユニオニストだけでなく、シン・フェイン(リパブリカンの主流派)も厳しく非難している。実際、「厳しく非難」などという言葉では生温いほどだ――2009年3月、時代遅れの「武力至上主義」を貫こうとして警官を撃ち殺した非主流派に対し、故マーティン・マクギネスが発した言葉は、これ以上厳しい非難の言葉はないというくらいに厳しいものだった。
http://www.irishnews.com/news/2017/01/21/news/widow-of-murdered-officer-stephen-carroll-hails-mcguinness-for-denouncing-traitors--895619/
Mr McGuinness, speaking as deputy first minister, received a death threat after branding the killers "traitors".

He said: "These people, they are traitors to the island of Ireland. They have betrayed the political desires, hopes and aspirations of all of the people who live on this island."


マクギネスはそれまでにも何度もディシデンツから脅迫を受けていたのだが、この発言のあとはますます深刻な脅威にさらされることとなっていた。ネット上には今も、自分たちを「アイルランドにとっての裏切り者」呼ばわりしたマクギネスに対するディシデンツの反発・中傷・脅迫の言葉が残っている(新聞記事の一部として、あるいは彼ら自身のブログやYouTubeなどに)。

閑話休題。

事件が発覚したのは2016年3月だった。その後容疑者が逮捕・起訴され、最初の報道から約1年4ヶ月後の2017年7月に裁判が終わり、禁固18年という刑が言い渡され、事件の全貌が明らかになったのだが、当初は軍人が絡んでいるなどということは誰も思いもしなかっただろう。私もだ。

■発端〜武器庫の発見
1916年のイースター蜂起から100年という記念の年である2016年の3月、北アイルランドの自然公園(Carnfunnock Country Park)内、雑木林みたいなところの地面に掘られた穴に、ガチでやばいものがいろいろ蓄えられているのが発見された。発見は(垂れ込みなどによるものではなく)偶然で、通りすがりの人が異状に気がついて警察に通報した、と報じられていた。

北アイルランドには、周知の通り、今でも活動を続けている武装組織がいくつか(いくつも)ある。往時に比べれば規模は小さいし、社会における広範な支援もないが、紛争終結後の武装解除最終期限を過ぎても、武装を放棄していない集団が複数ある。また、かつての紛争期に密かに作られた「武器庫」がそのまま忘れ去られていたケースもある(そういうのが発見され、70年代のソ連製のRPGが出てきたりとかしたことも実際にある)。だから最初に「武器庫発見」のニュースの見出しを見たときは「紛争期の遺物かなあ」と私は思った。紛争期どころか、ひょっとしたら100年前の異物かもしれない、とも。

しかし、記事を読んでみたら明らかにそうではなかった。この脅威は現在のものだった。

Weapons cache found in Carnfunnock country park, Co Antrim
Sunday 6 March 2016 14.42 GMT
https://www.theguardian.com/uk-news/2016/mar/06/weapons-cache-found-in-carnfunnock-country-park-co-antrim

A weapons haul has been discovered in a forest park in Northern Ireland.

Bomb-making parts and explosives believed to have been amassed by potential terrorists were recovered from Carnfunnock country park, near Larne, Co Antrim.

The discovery came after a member of the public reported a suspicious object to police on Saturday afternoon. A number of small plastic barrels were subsequently found buried in a wooded area.

Police said the barrels contained a significant number of bomb-making components, including partially constructed devices and a small quantity of explosives.

Police Service of Northern Ireland (PSNI) DCI Gillian Kearney said it was unclear which terror group the items belonged to. “All of these items will be subjected to a detailed forensic examination,” she said. ...


この時点では、北アイルランド警察(PSNI)の担当者が、「これらの武器類がどのテロ集団に属しているのかは不明」であると述べている。武器庫発見を奉じる記事には、上に引用した部分のあとで、「最近あったケース」としてディシデント・リパブリカン(リパブリカンの主流、つまりProvisional IRAの政治路線・和平路線・停戦に反対し、今なお武装闘争至上主義をとっている非主流派のリパブリカン武装組織)による刑務所職員への攻撃(乗用車に取り付けられた爆発物が起爆し、職員が重傷を負った)が言及されている。つまりディシデンツの関連をにおわせる記事ではあるが、断定はされていない。このときには既に、捜査当局は見つかった武器・爆発物の特徴などからだいたいの目星はつけていただろうと思うが、記事を読んでいるだけの私たち一般人にはわからない状態だった。通常であれば、確かに、ああいうものを溜め込んでいる(それも林の中に埋めている)のはディシデント・リパブリカンだと思うだろう。しかし、発見された場所は、リパブリカン武装組織の活動域では全然なさそうではないか。

武器庫があった地域のラーン Larneという町は、北アイルランドの東海岸に面している。北アイルランドでは、東側は大まかに、「プロテスタント」のエリアだ(スコットランドと近いため、歴史的にそういう傾向があった)。人口構成を見ると、既に全体ではプロテスタントとカトリックの比率がほぼ半々になってきている北アイルランド(2011年のセンサスで、41.5%がプロテスタント、41%がカトリック。残りはキリスト教以外の宗教や信仰なし、無神論)において、ラーンは今でも「プロテスタントが7割程度、カトリックが3割未満」となっている(2011年のセンサスで、68.16%がプロテスタント、24.87%がカトリック)。それに、ラーンといえば1914年4月にオリジナルUVFが武器を密かに北アイルランドに運び込んだときの拠点だし、そのずっと後、1969年以降の北アイルランド紛争の文脈においては、ロイヤリスト武装組織のUDAとUVFの活動拠点で、そのためにIRA(Provisional IRA)が標的としてきた町だ。何より現在では(2007年以降)、UDAの本体(ベルファストの司令部)から離れて独自に運営するUDAサウス・イースト・アントリム・ブリゲードの拠点である(UDAのこの分派はかなり暴力的で、私のTwitterのログでの検索結果で2014年のところにある暴力的事件のUDAはこの分派)。つまり一言でいうと、リパブリカン武装組織とはめっちゃ縁遠い。

だからニュースの第一報を読んで、仮にこの武器庫がディシデント・リパブリカンのものであるとして、どうしてラーンに、というのが大きな疑問だった。アーマーとかならわかる(実際にアーマーでは2016年8月に大きな武器庫が見つかっている)。しかし、ラーン?

そのまま2ヶ月ほどが経過し、次に見た記事は、また「ラーンの林の中の武器庫」が見つかったことと、そこから何が出てきたのかを詳しく述べていた。このときに私がTwitterでフォローしている北アイルランド界隈は、多少ざわついた。めったなことではざわつかない人たちがざわついた。出てきたものがシャレにならないからね。装甲貫通ロケット弾、クレイモア対人地雷、パイプボム、爆薬などなど……。

Antrim weapons cache is most significant arms find in years, says PSNI
Tuesday 17 May 2016 17.34 BST
https://www.theguardian.com/uk-news/2016/may/17/antrim-weapons-cache-is-most-significant-arms-find-in-years-says-psni
The discovery at the weekend of a secret arsenal containing an armour-piercing rocket, landmines and components for a large number of bombs has been described by the Police Service of Northern Ireland as the most significant arms find in years.

The cache discovered in a forest park near Larne in County Antrim includes two Claymore anti-personnel mines, pipe bombs, explosives, ammunition, command wire to trigger explosives, components for bombs and magazines and ammunition for explosives.

It is believed the haul was buried in Capanagh Forest by republican dissidents.

...

The PSNI said the arms and explosives hide was uncovered by members of the public walking in the forest on Saturday. However, security sources cast doubt on this, saying the weapons, explosives and ammunition would have been buried in deep hides on the forest floor. They indicated that the discovery of the haul, which also included a home-made rocket described by the PSNI as an “explosive formed projectile” or EFP, was a result of intelligence.

Det Supt Kevin Geddes, from the serious crime branch, said the PSNI was investigating a possible link between the latest find and the discovery of another cache of bomb-making materials in a nearby country park near Larne.

...

“We are investigating a link to a previous find of munitions at Carnfunnock Country Park in the Larne area last March when bombmaking components and explosives were uncovered. There are links in terms of the general location and the manner and method of storage and packaging of these munitions.”


つまり、この時点で、ラーンの辺りの「武器庫」(あるいは「爆発物製造拠点」かもしれないが…… cache of bomb-making materialsがあるような場所なので)は1ヶ所ではないという事実が判明した。

また、当初の「通りすがりの人が偶然、異状に気づいて通報した」という警察の説明も、現場の様子(地中に深く掘られた穴に埋められていたという事実)から、疑問が呈されている。つまり「通りすがりの人が気づいたのではなく、(組織内部からの)情報によるものではないか」との疑問だ。

このころ、ブリテンにおけるディシデント・リパブリカンによるテロの脅威レベルが、moderateからsubstantialに引き上げられている(2016年5月11日報道)。その引き上げは、おそらく、ディシデンツが何を蓄えていて、どの程度攻撃準備ができているかを把握したことに基づくものだろう。

この「第2の発見」についてのBBC記事:



■容疑者の逮捕
この「ラーンの武器庫」に関連して、容疑者が逮捕されたというニュースがあったのは案外早かった。2016年8月下旬のことだ。

最初はTwitterのTrendsに、"Northern Ireland-related" という不思議なフレーズがあったことで気づいたのだが、それがあの「ラーンの武器庫」に関連しての逮捕であるということは、30分ほどはわからなかった。












元軍人がIRAの活動に関わったケースは過去にもあったが(例えばドイツのオスナブリュックにある英軍基地への攻撃事件で、攻撃用に車を改造したのが元英軍人だった)、今回逮捕されたのは、現役の軍人だった。

さらに、最初に報じられた段階では単に「軍人 army personnel」というだけで詳細はわからなかったのだが、しばらくして報じられた驚愕の事実は、この「ラーンの武器庫」の容疑者が、厳しい選抜を経ないとなれない海兵隊員だということだった。英軍の「エリート」が、ディシデント・リパブリカンのために武器・弾薬の類を溜め込み、爆発物(パイプボム)を作っていたのだ。

これが国防筋にどのくらいの衝撃を与えたかは、想像に難くない(が、そういうことはまずもって細かく報道はされないだろう)。

■「テロリスト」の経歴
テロ容疑なので、容疑者のキアラン・マックスウェルの裁判は、ロンドンのオールド・ベイリー(中央刑事裁判所)で行なわれた。

現在31歳のマックスウェルは、Provisional IRAが最終的に停戦したとき(1997年7月)には10歳とか11歳とかいった年齢であり、「北アイルランド紛争」を直接的には知らない世代だ。しかし彼の上にも「紛争」は降りかかった。

1998年に和平合意(いわゆる「グッドフライデー合意」、略称GFA)が成立し、「北アイルランド紛争」が公的に終わったことで、即座に北アイルランドの社会が「平和」になったわけではない。武装勢力の組織的な活動はなくなったが、人々の間でのセクタリアン暴力は続いた(というか、今も完全にはなくなっていない)。2000年代はそういう時期だった(同時に、ロイヤリスト武装組織のUDAとUVFの抗争が激化して何人も死人が出ていたが、それらはもはや「テロリズム」扱いされることはなく「犯罪」扱いされていた)。

2002年、キアラン・マックスウェルは出身地ラーンで、ロイヤリストのモブに襲われた。ゴルフクラブで殴りかかられ、頭蓋骨を骨折する重傷を負わされた。彼に対する暴力はリパブリカンのメディア(というかシン・フェインの主流の機関紙)、An Phoblachtにも取り上げられた。

ただ「カトリック」であるというだけで、10代の少年がロイヤリスト(プロテスタント)にボコボコにされることは、当時、頻発していた。それはいわば平凡で当たり前であるかのようだった。流れを変えたのは、2006年5月、ラーンと同じアントリム州にあるバリミナの町で起きたマイケル・マカルヴィーン殺害事件。ピザを買いに行った帰りにロイヤリストのモブに襲撃され、撲殺された中学生、マイケル・「ミッキーボー」・マカルヴィーンの葬儀でセルティックのシャツとレンジャーズのシャツを着た同級生たちが棺を担う写真が大きく報道され、「こういうばかげた、無意味な暴力はもう終わりにしよう」という思いが北アイルランドという狭い地域を満たした。

だが、あの類のセクタリアン暴力のすべてがそのような悲しい死と涙と、「もうやめよう」という決意につながったわけではない。

暴力を加えられ、生き延びた者の中には、内面に御しがたいほどの怒りと恨みを抱えたまま行き続ける者もいる。キアラン・マックスウェルはおそらくそのひとりだ。

そういったことは、2017年7月末に判決が出たあと、各メディアで詳しく書かれているのだが:
http://www.bbc.com/news/uk-northern-ireland-40742236
http://www.independent.co.uk/news/uk/crime/ciaran-maxwell-former-royal-marine-bombs-irish-republicans-jailed-18-years-northern-ireland-a7869236.html
https://www.theguardian.com/uk-news/2017/jul/31/royal-marine-ciaran-maxwell-arms-irish-republican-attacks-jailed
http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/northern-ireland/royal-marine-bomb-maker-ciaran-maxwell-jailed-for-18-years-35984779.html

今は裁判当時の記事のフィードを振り返っておこう。


キアラン・マックスウェルは逮捕から10日ほど経過して起訴された。




マックスウェルの裁判がありつつも、北アイルランドではディシデンツの活動が継続していた。






そして、マックスウェルが起訴されたあともまだ、新たに武器庫が発見されていた。


いったいどんだけ溜め込んでいたのだろう。

■審理の開始
キアラン・マックスウェルの裁判で、審理が開始されたのは2017年2月だった。被告が有罪を認めている罪状の一覧が2月3日付で出ているが、そこには3つの罪状が並んでいる。1つ目の罪状は、「2011年1月1日から2016年8月24日までの期間において、他者がテロ行為を行なうのを支援する目的で、次の活動を行なった」として爆発物に関するマニュアルの提供、武器弾薬類の入手・製造、北アイルランド警察のパスカードや制服の入手、武器庫を作っての武器の備蓄といったことで、これがsection 5 Terrorism Act 2006違反。メインの罪状だ。2つ目は「2016年8月24日に禁止薬物(主にカナビス)を、他者への譲渡目的で所持していた」ことで、これはsection 5(3) and (4) of the Misuse of Drugs Act 1971違反(カナビスを栽培していた)。そして3つ目は「2015年11月1日から2016年8月24日の間に、詐欺行為で用いるため銀行カードの画像などを所持していた」ことで、これhじゃsection 6 Fraud Act 2006違反。いずれもエリートの軍人が手を染めていた犯罪としてはアゴが外れるようなものだが、1つ目の罪状のすさまじさに、残り2つは「微罪」扱いだ。

彼が武器を蓄えていたのは北アイルランドだけではなかった。イングランドでも見つかった。それも1箇所ではない。「複数箇所」という表現でも足りない。判決後の報道によると武器庫はイングランドと北アイルランドで、全部で8箇所もあった。イングランドでリパブリカンの作戦が展開される可能性というのは、絵空事ではなく、テロ警戒レベルの引き上げも順当なことなのだ。









■組織的背景
裁判が進んでから(というか終わったときに)わかったのだが、マックスウェルには「組織的背景」があった。ばりばりにあった。本人は言い逃れしようとしていたが(法廷はその言い分を認めなかった)、彼が働いていたのはContinuity IRA (CIRA) のためだった。

CIRAは1980年代にPIRAから分派した組織だ。分派の理由は、PIRAが支持するシン・フェインがジェリー・アダムズ&マーティン・マクギネスの代になって、それまでの方針を覆し、南(アイルランド共和国)の国会の議席についてのabstentionism(議会非出席主義)を放棄したことだ。abstentionismを貫くべきと考えた勢力(要するに守旧派)はシン・フェインと袂を分かち、「リパブリカン・シン・フェイン (RSF)」という政党を作った。このときRSFがSFから分かれるのと同時に、CIRAがPIRAから分かれたのである。
https://en.wikipedia.org/wiki/Abstentionism#In_the_southern_state

CIRAが武装活動を開始したのは、PIRAが停戦中の1994年12月だったようだ。このときは小さな爆弾で、特に大ごとにもなっていなかったらしい。組織が本格的に名乗りを上げたのは、やはりPIRA停戦中の1996年1月。その1ヵ月後に(おそらくCIRAの望み通り)PIRAはドックランズ爆弾事件で停戦を破棄して武装闘争に戻るのだが(理由は、ジョン・メイジャー政権下で交渉が進められていないことだった)、翌1997年の5月には英総選挙で労働党が政権を奪取したことで北アイルランドにとっても潮目が変わりPIRAは再び停戦(これがPIRAにとっての最終的停戦となった)、一方でCIRAは爆弾闘争を続けていた。1998年和平合意(グッドフライデー合意)には反対した彼らは、合意後もそのまま北アイルランドにおいて爆弾闘争を行なっていたが、その組織名は北アイルランドの外には知られていなかった。彼らと同様に和平路線に反対して1997年から98年にかけてPIRAから分派したReal IRAは、1998年8月15日のオマー爆弾事件で世界的に有名になり、「真のIRA」という和訳名まで与えられているが、CIRAの爆弾はRIRAの爆弾のようなめちゃくちゃな被害をもたらしていなかったから、北アイルランドの外では知られていなかったのだ。そのCIRAが世界的に知られることになったのは2009年3月、クレイガヴォンで警官を撃ち殺したときのことだ(この事件では2人が有罪判決を受けている)。
https://en.wikipedia.org/wiki/Timeline_of_Continuity_IRA_actions

しかし、上述したように、このCIRAとキアラン・マックスウェルとがつながっていたことが一般に明らかになったのは、判決が出てマックスウェルが収監されたあとのことで、審理が進められる間はそういった「組織的背景」のことは不明だった。だから私は、上に埋め込んだツイートにあるように "組織的背景があるのかどうかと、標的がわからない。単独(「ローン・ウルフ」)のリパブリカンというのも想像しがたいが、セクタリアン暴力がきっかけでも、個人的復讐なら「テロ」は構成しない" と書いた(2017年2月)。

実際にはその "「ローン・ウルフ」のリパブリカン" なる者の存在も、2017年前半に行なわれた別の裁判に関して報じられているのだが、そいつは「リパブリカンのテロリスト」というよりも「リパブリカニズムを利用して他人を搾取した詐欺師」で、本当に「自分ひとりで過激派として武装闘争を続けている人物」というわけではない。その話は、書くとしたらまた機会を改めよう。

何が言いたいかというと、要するに、逮捕の時点から「テロ法」が適用されているキアラン・マックスウェルについては、最初から「組織的背景がある」ということを前提しておくべきだったということだ。

これは、英国の「テロ法」に関して全般的に(アイリッシュ・リパブリカニズムに限らず、他の過激主義についても)留意しておくべき一般事項である。(アイルランド共和国にも、英国の「テロ法」に相当する法律があるので、同じようにとらえておきたい。アイルランド共和国でのディシデント・リパブリカンの活動は完全にギャング化していて、北アイルランドやブリテンでの活動とは違う様相を呈しており、本当にわけがわからないのだが。)

ここで、裁判が始まった2月上旬時点でのガーディアンのまとめを見ておこう。この時点では、「テロ法」適用の組織的背景について、「いわゆるNew IRA」(元々Real IRAとして知られていた集団が、2012年に他の小集団と合流して再編した組織)という見方がなされていたようだ(警察も検察も、そういった重要情報の核心はマスコミにも流していないということになる)。




さらに同じタイミングで出ていたBBCの記事より。




キアラン・マックスウェルの身の上に、過去、どんなことが起きたのかが明らかになったのも、この時点でのことだ。






ここで当局者が "a bit of lone wolf" と言っているのは、「単独で行動していた」というより「群れの一員というようには見えないように行動していた」ということだろう。彼はイングランドに住みながら頻繁に北アイルランドとの間を往復して武器を運んでいた。ブリテン出身の軍人が頻繁に北アイルランドに行けばあからさまにおかしいと思われるだろうが、北アイルランド出身の彼なら疑われない。しかも彼のルーツがある場所はラーンであって、サウス・アーマーではない。「親や地元をとても大切に思っている青年」という印象を与えはするだろうが、それを怪しく思う人もいないのだろう。(これが、「ノーザン・アイリッシュの軍人と北アイルランド」ではなく「エイジアン・ブリティッシュの軍人とパキスタン」だったら、即座にフラグが立ってMIなんとかの監視対象にされるかもしれないが。)

■裁判の進展
以上は2月上旬、審理が始まったときの報道のメモで、このあとしばらく、BBCやBTやガーディアンなど大手メディアでのこの裁判についての報道は見当たらなくなっていた。キアラン・マックスウェルの名前を再び報道で見るようになったのは、7月下旬のことだった。



この時点では「12箇所」で驚いているが、判決が出たあと、最終的に明らかになった数値はすさまじいものだ。"After his arrest last year, police found 43 weapons hides", つまり「43箇所」。全部の場所と、それぞれの場所に何があるかを記録し、記憶しておくだけでも大変なことだと妙な感心をせずにはいられない数値だ。

さらに、これらの隠し場所から出てきたものが、どんどんアレゲになる。この人物、阻止されずそのまま活動を続けていたとしたら、たった一人で北アイルランドの和平プロセスをひっくり返すだけの仕事を準備しきっていたかもしれない。大げさに言うのではなく、本当に――北アイルランド和平は、そのくらいに脆弱なものなのだ。




「Wi-Fiパスワードが例のあれ」ってのはこれね。こんなパスワード設定しといて「私はアイリッシュ・リパブリカンのシンパではありません」と言うことはできないだろうというようなワードで、なぜそこで「ペットの名前」など平凡なものを使わなかったのかというあたりに、キアラン・マックスウェルの非合理的な闇の深さが現れているように思う。

■何とか言いぬけようとした被告
2月に審理が始まった時点で、上述した「3つの罪状」で有罪を認めていた被告だが、審理終盤になって「テロ法」に違反するような行為をはたらいたことについて、「本心からではなかった。リパブリカンが怖くてやった」と言いぬけようとしたと報じられた。





報道されている被告の言い分を読んでいろいろ考えてみたが、私の頭では彼の言い分が正しい(彼が真実を語っている)と信じるにたる根拠は、何も思いつくことができなかった。仮に「幼馴染の親友がCIRAのメンバーになっていて、マックスウェルが軍人となったあとで活動に巻き込んだ」などというストーリーを考えてみたところで、小説か映画のあらすじのようにしかならない。現実味がなさすぎる。

とはいえ、この件、最初から現実味などカケラもないのだが。

■判決
判決が出たのは、2017年7月31日だった。「判決」といっても、審理開始時に被告が有罪を認めていたので、ポイントは量刑だけだ。上述のように、「本心から暴力的リパブリカンを支持していたわけではない」と主張したことは、被告が何とか情状酌量の余地を見つけてもらおうとしたということを意味するのだが、それが認められたら量刑は比較的軽いものとなるだろう。

だが実際に出たのは、「禁固18年に加え、釈放後の保護観察5年」という重い判決だった。

A former Royal Marine from County Antrim who made bombs for dissident republicans has been sentenced to 18 years in prison.

...

On Monday, an Old Bailey judge told Maxwell he must serve a further five years on licence after his release.

http://www.bbc.com/news/uk-northern-ireland-40774233







キアラン・マックスウェルは、traitorだ。それも、おそらくは英軍に加わる前から、あらかじめtraitorだったのだ――このことは、パソコンの画面のこちら側の私に、深々とした闇として迫ってきた。


On Friday, the court heard that Maxwell faked his support for the dissident republicans' cause as he was "frozen" with fear, and that he believes old connections now wish him and his family serious ill.

...

Maxwell grew up as a Catholic in the County Antrim town and later moved to England, having enlisted in the Royal Marines in 2010.

He lived in Exminster in Devon, and was based with 40 Commando in Taunton, Somerset. He never served in Northern Ireland.

...

It was heard that when Maxwell applied to the Royal Marines in 2009, he said he had "no beliefs" on an application form.

The judge said there was "insufficient evidence" to suggest a sinister motivation for joining the Marines.

http://www.bbc.com/news/uk-northern-ireland-40774233


つまり、2009年に海兵隊に応募したときの書類で「信条なし」と書いていたキアラン・マックスウェルが、最初からテロ活動を行なうつもりで海兵隊に入ろうとしたのかどうかは「証拠不十分」で結論が出せないということだ。

それは裏返せば、「海兵隊に入ったときはテロ活動を行なうつもりではなかった」ということが立証できなかったということでもある。

■判決から1ヶ月経過し、UTVがドキュメンタリー番組を制作
さて、判決が出てから1ヵ月後、8月31日に北アイルランドのTV局UTV(現在はITV傘下)の "Up Close" という番組枠で、キアラン・マックスウェルと現在のディシデント・リパブリカンについてのドキュメンタリーが放映された。ウェブで誰でも見ることができる(英国内からの接続でなくてもOK)。ただしBrightcoveなので要Flash。長さは約45分。「まるでスパイ小説のようですが、今日の番組でお伝えすることには、一切、フィクションの要素はありません」と導入部で述べるレポーターは、シャロン・オニール記者。アイリッシュ・ナショナリズムの研究者として有名なエイモン・フェニックス博士や、元軍人といった人々の解説も要所要所に入っている。

Up Close - Marine Maxwell the Traitor
http://www.itv.com/utvprogrammes/utv-up-close/up-close-marine-maxwell-the-traitor

この番組について、この記事内に書いておきたかったのだが、いいかげん長くなっているし、この先もまだまだ長いので、Seesaaブログの文字数上限に達してしまう可能性があるため、項を改めることとしたい。

→書きました。
http://nofrills.seesaa.net/article/royal-marine-and-dissident-republican-larne.html
暴力と憎悪の連鎖、そしてテロリズム……非主流派リパブリカンに武器・爆薬を流すなどしていた英軍兵士の件(UTVのドキュメンタリー)

※この記事は

2017年08月31日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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