「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2018年05月09日

「ずっと一緒にいようねと言ったのに」という歌で、アイルランドがユーロヴィジョンに勝ち残る。

何年ぶりだろうか。毎年恒例、広域欧州+αの国別対抗歌合戦ユーロヴィジョン・ソング・コンテスト (#Eurovison) のセミ・ファイナル(と呼ばれる予選ラウンド)を、アイルランド(以下「あたしのアイルランド」)が勝ち抜けて、5月12日(日本時間では13日未明あたり)に行われるグランド・ファイナルにコマを進めた。

今年のあたしのアイルランドの代表はRyan O'Shaughnessyというアコギ1本持って歌うシンガー・ソングライターで、曲はTogether. 歌詞はこちら(折りたたまれているのをクリックで表示させてください)。



※なお、Ryan O'Shaughnessyには「ライアン・オショーネシー」というカタカナが当てられているし、そう聞こえる場合もあるのだが、本人の発音(リンク先冒頭)ではghを発音していて「オショーフネシー」というように聞こえる。この辺はアイルランド島の中でも地域差などがあるのかもしれない。

「何年ぶりだろうか」と思って検索すると、すぐにIreland in the Eurovision Song Contestというページが見つかるのが、英語圏の情報の分厚さである。前回、あたしのアイルランドがグランド・ファイナルに進んだのは2013年、Ryan Dolanという歌手の "Only Love Survives" という曲だ(曲名自体がものすごいユーロヴィジョン的)。



そうそう、思い出した。ライアン・ドーランは北アイルランド出身でアイルランド代表として出場し、曲は記憶に残らないようなベタなEDMっぽいものだが、ステージには筋肉を「惜しげもなく披露する」系の打楽器奏者がいて(確か日本の和太鼓が取り入れられていたんじゃなかったか)、バウロン(周りにシャンシャン鳴るのがついていない巨大タンバリンみたいな打楽器。日本では「ボドラン」という名前で知られているが、「ボドラン」はアイルランド語を綴りどおりに読むという無茶をしたための誤読によるカタカナ語)を持ってステージを駆け回ってオーディエンスを魅了したにもかかわらず、グランド・ファイナルで最下位という結果に終わったのだ。ビデオはこちら。そのときTwitterではNIのリストもユーロヴィジョン一色で、結果が出たときには「ユーロヴィジョンで上半身裸の細マッチョイケメンがペアでお尻ふりふりして踊っても、最下位なのか」というため息に包まれ、「ジェドワードを出せ!」といった怒号が飛び交い、『可愛いお馬ちゃん』のGIFが投げられていた。

それ以来、グランド・ファイナルに出てないのか……5年ぶり……。真顔になっちゃう。 (・_・)

その間、あたしのアイルランドが本気を出さなかったわけではない。2013年の失意の後もやれることはすべてやってきた。2016年には世界的に顔も名前も知られている元Westlifeのニッキー・バーンを送り込んだ(ステージ慣れっぷりが際立つ映像)。曲も悪くなかったのに、セミ・ファイナルで脱落した。ネットには「だからジェドワードを出せとあれほど」という嘆きがあふれた。

それでもあたしのアイルランドはジェドワードは出さなかった。ジェドワードはステージに立つ代わりに舞台裏のレポートをしていた(彼らのTwitterアカウントがなぜかサスペンドされているので具体的に確認ができないのだが、あの落ち着きのない双子が楽屋盛り上げ隊となってツイートしていたのがこの5年間での出来事であったことは間違いない)。2017年は、悪くはないにせよぱっとしないラヴソングで普通に脱落した。

などと書いていると、まるでこの国別対抗歌合戦において楽曲が重要であるかのように聞こえてしまうかもしれないが、重要なのは「国別」のほうで、曲は二の次、加えて曲自体よりステージのギミックやパフォーマーの衣装やダンスの比重が重い……というのがユーロヴィジョンの基本だった。そう、2017年までは。

それまでの優勝者も「よい曲に優れた歌唱」だったことは確かであるにせよ(例えばコンチータ・ウルスト)、2017年に優勝したポルトガル(初)のサルバドール・ソブラルは、本当に「音楽だけ」だった。音楽以外には何も関心を引く要素がなかったのだ。派手なステージングなし、音数に物をいわせる派手なアレンジなし、サイズの合っていないスーツを着て髪の毛は寝起きで洗面所に立つ痩せた大学生といった風情の彼は、優勝者としてのスピーチで「速さだけで中身のない使い捨ての音楽の中で人々が生きているこの時代、私が優勝したことは音楽の勝利、何か意味のある音楽を作っている人たちの勝利です。音楽は派手なばかりの花火ではなく、人間の感情です。これを取り戻していきましょう」と英語で語った。だが、司会・進行や参加者のコメントから参加曲の歌詞まで、ほぼすべてが英語で埋め尽くされているユーロヴィジョンというイベントで、優勝曲、Amar pelos doisの歌詞は英語ですらない(ポルトガル語)。でも言葉がわからなくても、この曲が伝えたいことはわかる。それも、前年の優勝国ウクライナとは異なり、ニュースや歴史書を参照する必要があるようなメッセージ(「人間としての悲嘆」ではあるのだが)が込められているわけでもない。まさかユーロヴィジョンを見てて、こんな純粋に音楽として感動するという経験をするとは思っていなかったので、私は若干戸惑ったほどだ。



今年のあたしのアイルランドの代表、ライアン・オショーネシーは、昨年のサルバドール・ソブラルのスピーチに心から共感していたに違いない。検索したらこんな発言が出てきた。
He said: “It was a song-writing competition for decades but it has become more about the performance.

“Around 2001 things started to change. Really different songs were being entered. Things got weird.

“In my view a song needs to have meaning behind it. A lot of songs these days don’t really have that. You’ve got to feel something – it can’t just be about the pyrotechnics and the show.”

...

Bookies Paddy Power have given him odds of 100/1 for the win but he’s hoping to do as well as last year’s champion Salvador Sobral.

Ryan said: “Last year’s winning song was actually real and honest. Salvador taught us it can still be a song contest. That inspired me.

“My song is about how love can happen to you at any stage in your life…I want my song to help people get through tough times.

https://www.dailystar.co.uk/showbiz-tv/hot-tv/696138/Eurovision-song-contest-Jedward-Ryan-O-Shaughnessy-X-Factor


というわけで、ユーロヴィジョンというこのイベントが、この調子で「シンプル」志向を強めていくのなら、ひょっとしてひょっとしたら、2019年はあたしのアイルランドが開催国になっているかもしれない。

と思ったところではたと気づいた。

ポルトガルで開催される今年のユーロヴィジョンのスローガンは、All Aboardだ。そして、ユーロヴィジョンとは切っても切れない関係にある現実の政治の世界では、「全員、乗って」と言われても「NO!」と叫んで出て行くのがいる。英国である。その英国は、今欧州連合(EU)離脱に関してEUとの間でかなりもめている。

英国目線でいえば、「離婚手続きをさくっと進められない」状態だが、その原因は「アイルランドががたがたぬかすから」である。あくまで英国目線では。

しかしそれは、20年前の1998年に英国がアイルランド共和国とともに主導したグッドフライデー合意でのアイルランド島内の「ボーダー」の位置づけと、BrexitによるCU (Customs Union) 離脱という英国単独の選択が矛盾してしまうことが原因である。

英国ではしばらく前から、保守系メディアで「アイルランドの悪魔化」が行われている。「悪いのはアイルランド」、「アイルランドが悪い」、「アイルランドのくせに生意気な」という印象を醸成するための情宣だ。先日などは、アイルランドのレオ・ヴァラドカー首相(アイルランド人とインド人を両親に持つ)の発言について、英国の上院議員から「典型的インド人」という発言が出た(発言主はブリテンの人ではなく北アイルランドの人で、UUPのベテラン。なお、この発言にはUUP内部からも「人種主義」という批判が出ている。発言主は「半分インド人である人についてインド人といって何が悪い」と開き直っている)。

アイルランドは、英国という強大な相手に対してがんばっているし、EUもアイルランドの側にいるのだが、英国は英国だ……という中で、ユーロヴィジョンが行われ、あたしのアイルランド代表がグランド・ファイナルにコマを進めた。

ライアン・オショーネシーのシンプルな楽曲は、広く一般的に「愛し合っていた2人の破局」の歌だが、"How could true love look me in the eye and lie" とか、 "I'll forever wonder why" とか、行間を読もうと思えばがんがん読めてしまう情勢がここにある。

そして、ステージで仲睦まじく踊っている2人は、アイルランド島のボーダーの南側では同性カップルについても婚姻の平等が実現されているということを、改めて思わせる。ボーダーの北側ではそれが実現されていないのは、なぜか? テリーザ・メイが政権運営のために手を組んでいるDUPという宗教保守勢力が「同性愛は罪である」という考えを変えようとしないからではないか?

おお、アイルランド。おお、あたしのアイルランド。

各国が持っている12ポイントの行方や、いかに……!

すでにライアンは意気軒昂! "Eurovision singer Ryan O'Shaughnessy: 'We have been the underdogs since we came here ...I hope RTE can afford it'" と発言!

(・_・)

というわけで、グランド・ファイナルは5月12日(日本では13日になる頃から)。みなさん、下記サイト経由でネットのストリームにアクセスして見守りましょう。ポップコーンも忘れずに!
https://eurovision.tv/

成分調達しとかなかん。
GUINNESS ギネス ラバーコースター ギネスビール

セミ・ファイナルでのライアンのステージ:


このステージの脇にある橋が、どう見てもダブリンのハーフペニー橋をかたどって作ったステージセットに見えるのだけど、このあとの場面で司会進行の人がこの橋の上にいたので、ステージ全体で使う何かなのかな……。12日(13日)のお楽しみ。

セミ・ファイナルはもう1組あって、それは現地10日(日本では11日未明)に行われます。顔ぶれは下記:
https://eurovision.tv/event/lisbon-2018/second-semi-final/participants

セミ・ファイナル1組目のダイジェスト:


エストニアの小林幸子っぷりに全部持ってかれるので注意。あと、花火エフェクト多いよね。ポルトガルは消防法が少しゆるいとかそういうことかも。

なお、昨年優勝者のサルバドール・ソブハルは、ユーロヴィジョンのときから今にも倒れそうな人だったのだけど、昨年10月に活動休止せざるを得ないほどに体調を崩し、今年1月に心臓移植手術を受けて、しばらくは安静にしていなければならないみたい。なので、ユーロヴィジョンで毎年行われる前回優勝者によるステージは、今年はどうなるのかな……。
https://en.wikipedia.org/wiki/Salvador_Sobral#Health




追記:



※この記事は

2018年05月09日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:00 | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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