「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2019年07月20日

卑劣で理不尽極まりなく、無差別的な、不意打ちの大量殺人であっても、それは必ずしも「テロ」ではない。

18日に起きた京都のアニメーション・スタジオへの放火事件、あまりにも凄惨で、失われたものがあまりにも大きく、本当に言葉もない。このような暴力で大切なご家族・ご友人・同僚を奪われた方々の心中はいかばかりか。34人もの尊い人命、その人々の人生と未来、その人々の持っていた技能やセンスばかりでなく、スタジオに蓄積されてきたこれまでの仕事の成果物も失われたと一夜明けた19日の会見でスタジオの社長が述べておられる(いかなる思いか)。

人々が普通に仕事してる仕事場が、持参したガソリン(それも大量のガソリン)を撒いていきなり火をつけてしまえるような人物に急襲され、完全に破壊された。その事実を前に、この件に関するどのような情報を目にしても、「…………」としか反応できない。(まだ逮捕されておらず「被疑者」になっていないにも関わらず放火したと考えられる人物の名前が警察から明らかにされ、マスコミ各社の「独自取材」っていうんでしたっけ、とにかくそういうので「近所の人の話」なども出てきているが。)

私はアニメは別に見ないし、このスタジオの作品も見たことがなく(ネットでよく言及されているから名前と絵柄だけ知ってるものはいくつかあるにせよ)、したがって個人的なショックというものはほとんどない。個人的につながりを感じないので、「一般のニュース」として「ひどい」と思っているが、自分の中で何かが壊れたというような感覚はない(そういう点では、2005年7月7日のロンドンでの公共交通機関爆破テロのほうがよほど個人的なショックが大きかった。ロンドンの地下鉄はなじみ深いものだし、爆破された30番のバスは使ってたことがあるのだ)。それでも、というかそれだからこそ、ある日、仕事場が突然ガソリン撒かれて火をつけられるなんて、それだけで、というかそれ自体、ひどすぎると思う。その仕事場が、世界的にも有名な映像スタジオであろうとも、他の何かであろうとも。

オフィスや店舗などにガソリンなどを撒いて火をつけるという事件は、ここ日本で何度か起きてきたということは、私はもちろん知っている。まだ消防隊が現場にいたころのNHKの報道記事では2000年の神戸のテレクラ放火(火炎瓶なので中身は灯油かもしれないしガソリンかもしれないし、ほかの燃料かもしれないが)や、2004年の埼玉県でのドンキ連続放火(これはガソリンよりは扱いやすい灯油が使われていた)、2008年の大阪での個室ビデオ放火(これは突然、手持ちの荷物の紙類を燃やし始めたということで、ガソリンなど燃料の準備はなかったようだが)と、出火原因がいまだに不明で、放火であるとの事実も確定していない事件だが2001年の東京・新宿歌舞伎町の雑居ビル火災への言及がある。

ひどい被害を出した放火事件といえば、ほかにも、2000年、栃木県宇都宮市の宝石店が放火された事件や、2001年、青森県弘前市の消費者金融オフィスが放火された事件や、2003年、名古屋の軽急便オフィスでの立てこもり・放火事件あたりがすぐに思いつく。これらの事件のときに、テレビのニュースなどではガソリン火災のすさまじさが報道されていたし、特に2003年の事件は社会に与えた衝撃が大きく、ガソリン販売のルールが少し(だけ)厳しくなった(ウィキペディアより引用すると、「この事件以降、ガソリンスタンドのポリ容器等でのガソリン販売の禁止が徹底され、法規制が強化された」)。

これらの事件は、きわめて陰惨な事件ではあったが、金品の強盗目的だったり(宇都宮、弘前)、会社のあこぎなやり方に怒りを抱えた配達ドライバーだったり(名古屋)と、なぜそこをガソリンのような強力なものを使って襲うのかということについて、納得できるかできないかは別の話として、かなりはっきりした理由があった。一応理屈は通っていたが、その上で「ひどいことをしやがる」という事件だった。

しかし、京都のアニメーション・スタジオの事件では、そこがどうにもわからない。「ひどいことを……またどうしてこんなひどいことを」と問うてみたところで、その「どうして」が、ネットで流通している憶測・噂で言われている内容は「は?」としか言いようのないもので、たとえその憶測が当たっていたとしても、そんなことでガソリンを撒いて火をつけるという行為に出るなんて信じられない。確定情報が出るのを待とうにも、当人も重いやけどで入院していて警察の取り調べは行われていないので「確定情報」が出ない。

あまりにもひどい事件だし、いわゆる「ネット民」にはとてもなじみ深い企業が標的にされたことでネットでの関心も極めて高く、そういう「人々の関心の高さ」をカネに変える仕組みがすっかり出来上がっているネットでは、関心を持った人がクリック/タップしたり、人に伝えたり(シェアしたり)したくなるような文(「記事」と呼びたくないし「文章」でさえないようなもの)を毎日脈絡なくアップロードしているたくさんのブログが、放火犯と思われる人物(法的にまだ「被疑者」ではないので、ここでは「容疑者」とは呼ばないが、要はその立場にある人物)の名前が19日に警察によって明らかにされるずっと前から、ネット上のどこかで誰かがどういう根拠で述べて(書いて)いるのかわからないようなことを(おそらく単にクリック目当てで)「まとめ」るなどしていて、すごいカオスになっていたそうだが、私は個人的にはそういうのは見ていない。ただ、Yahoo! Japanのトップページに出るようなヘッドラインは見ていたし、はてブのトップページも見ていて、放火犯と思われる人物は関東在住で、攻撃されたスタジオとの間には接点らしい接点がないようだ、ということはわかった(もしも接点があったのなら何よりまず「放火したのは元従業員」などといったような情報が出回っただろうが、逆に「元従業員ではない」という情報が出回っていた)。

関東地方在住の人物が、個人的に関係などない京都の会社に、ガソリン持ってカチコミに行くという時点で、全然わからない。

とはいえ、自身も大やけどを負って、現場の近隣住民の方に助けられ、その後警察に取り押さえられたというこの人物が、個人的に何か一方的な恨みを抱いていた(逆恨みしていた)ようなことを口走っていたということは、わりと早い段階でその住民の方が語っていた。ということは、いわゆる「通り魔」のようなことではなく、このスタジオを襲うと決めたうえで実行された放火であることは確かなのだろう。

しかし、噂されるその犯行理由(噂の段階のものを「理由」と呼ぶことは適切でないような気がしてならないのだが、ほかに言葉が見当たらない)は、「建物にガソリンを撒いて火をつける」という行動につながり得るとは思われず、これまでにあった「ガソリンを撒いて火をつける」という事件よりも、ずっとずっと、理不尽に感じられる。

この理不尽さは、死傷者が約70人(うち死者が34人)という被害の大きさ、それも全員が「非武装の民間人」どころか「いつものように職場で仕事をしていた映像制作者たち」というまったく無防備な人々であったこと、その人々が所属するスタジオが到底攻撃されるいわれなどなさそうな作品を作ってきたスタジオであったこと、そして攻撃が突然行われたことと重なって、今回の事件は「卑劣で理不尽極まりなく、無差別的な、不意打ちの大量殺人」として、私を含めて大勢の人々をショックで打ちのめす。

なぜこんなことが。

こんなことがあってよいはずがない。

そのショックは瞬時に「怒り」に結晶する。そしてオンラインで事件について何かを述べる(語る)人々は感情を高ぶらせていくし、高ぶらせた感情を「ネット上の誰か」たちと共有する。何かを述べることよりも、感情を共有することのほうが、この場合、目的になっているのだろう。

そして多くの人々が、この卑劣で理不尽極まりなく、無差別的な、不意打ちの大量殺人について言う。「これはテロだ」と。最大限に非難するつもりで。

しかし、現状分かっていることから判断して、これは「テロ」ではない。なぜならば、ある攻撃が「卑劣」であるかどうか、「理不尽」であるかどうか、「無差別的」であるかどうか、「不意打ち」であるかどうか、「大量殺人」であるかどうかは、「テロ」を決定づけないからだ。

「テロ」を決めるのは動機だ。攻撃手法ではない。「無差別的に一気に大勢殺すこと」でもない。動機があっての「テロ」だ。

確かに「テロ」の定義には統一されたものはなく、定義はいろいろありうるが、最大公約数的なものはある。その最大公約数的なものの一例として、英国の情報機関MI5のサイトに挙げられている「テロリズム」の定義を見てみよう。(なお、英国は2000年代以降に活発化したイスラム過激派のテロ、ここ数年警戒が強められている極右過激派のテロ以前に、1970年ごろからずっと北アイルランド関連のテロを自国内に抱えており、2001年9月11日を境にいきなりテロテロと騒ぎ出した米国とは国民の意識も異なる。)
https://www.mi5.gov.uk/terrorism


What is terrorism?
Terrorist groups use violence and threats of violence to publicise their causes and as a means to achieve their goals. They often aim to influence or exert pressure on governments and government policies but reject democratic processes, or even democracy itself.


このようにgroupを前提とする定義になっているが(つまり、「テロ」を構成するためには「組織性」が必要ということ)、それはここでは二の次だ。テロリストの目的(テロ行為の動機)は、"to publicise their causes and as a means to achieve their goals" つまり「彼らの信じる大義を広く世間に知らしめるため、また彼らの目的を達成するための手段として」。「手段として」ということは、あるテロ行為そのものが目的になっていないということである。例えばイツハク・ラビンの暗殺は、ラビンを殺すことが目的だったのではなく、ラビンが進めようとしていた政策を止めることが目的だった。

逆に考えれば、仮に政治家が殺害されたとしても、それが「個人的怨恨によるもの」や「闇組織とのトラブルによるもの」だった場合は、「テロ」ではなく一般の「犯罪」ということになる。2000年代、紛争が終わったあとの北アイルランドでロイヤリスト武装組織、つまり「テロ組織」として指定されている組織の内紛で、幹部クラスの武装組織メンバーが何人か殺害されたのだが、それら「テロ組織による武力行使」は「テロ terrorism」ではなく「犯罪 crime」として扱われていた。政治的な目的によるものではなかったからだ。

MI5の定義に戻ろう。「テロ組織は自分たちの大義を広く知らせるため、また彼らの目的を達するための手段として暴力を用いる」。そして、"They often aim to influence or exert pressure on governments and government policies but reject democratic processes, or even democracy itself." つまり「彼らはおうおうにして、政府および政府の政策に影響を及ぼし、またはプレッシャーをかけようとするが、民主的手続きは拒絶することが多く、民主主義そのものを拒絶することもある」。

これを一言でいうと「政治的暴力 political violence」となるだろう。(なお、英語でのこういう「政治的 political」は、日本語圏で人々が想像することの多いような「特定政党の支持」だとか「革命思想への共感」だとかいったことに限られない。政党にこだわらず何らかの政策の実現(もしくは撤廃)を求めて声をあげるといった行為もpoliticalだし、現状維持を求めるのもpoliticalなことだ。)

今回の放火事件には、そういった背景が感じられない。放火犯と考えられる人物は「パクりやがって」と口にしていたそうだが、それはたぶん「自分のアイデアを盗まれた(パクられた)」ということだろう。そのような事実があるかないかはまた別途検証が必要だが、そのような動機で起こされた事件は、どれほど陰惨な結果になろうとも、「テロ」にはならない。一方的とはいえ、個人的な恨みで引き起こされた事件は「テロ」にはならない。

アニメスタジオへの襲撃が「テロ」になるとしたら、例えば「アニメは社会悪である」と主張する人物なり組織なりが、その主張を広めるために襲撃を行う、といった場合だ。そこでは襲撃のあとで「犯行声明」的なものが出されるだろうし、「マニフェスト」的なものも前もって用意されているかもしれない。今回はそういうものは出てきていないし、出てくる気配もない。

ノルウェーで「ローンウルフ」の攻撃者が、首都の政府機関をカーボムで爆破し、労働党青年部のサマーキャンプを銃で襲撃した事件が、組織性がないにもかかわらず「テロ」なのは、攻撃者が自分の思想を人に知らせようとしてやったことだからだ。あの事件は殺戮そのものが目的だったわけではない。実行者はひどい事件を起こして話題になり、自分がそれを起こした思想に注目させたかったのである。

一方で、米ラスベガスである人物が、音楽イベントに集まった群衆を標的に、ホテルの上の方の階から銃を乱射して無差別的に大勢を殺した事件は、「現代の米国で最大」と言われるほどの死者数を出しながら、銃撃者が何も語らず死んでいる上に、実際に何か思想的・政治的な背景は見つからず、「テロ」とは扱われていない。発生当初は「あえてあの種類の音楽の聴衆を狙い、社会に恐怖を撒き散らすことが目的だったのでは」などという憶測もあったが、結局そのような背景は見つかっていない。あの大量殺人は「おそろしい犯罪」ではあるが「テロ」ではないのだ。

ただし「テロ」と「犯罪」は互いに完全に排他的なものとは限らない。その境界線はときにはぼやける。

米チャールストンで、白人優越主義に染まった白人が、黒人教会を襲って9人を撃ち殺した事件は、銃撃者が社会に変化(人種主義者の考える「人種戦争」)を起こそうとして起こした政治的な殺人事件であり、「テロ」と位置付けられうるし、同時に「憎悪犯罪 hate crime」でもある。ユダヤ教徒に脅しをかけようとしてシナゴーグにの壁にスワスティカ(ハーケンクロイツ)を書くのは「憎悪犯罪」だが、「テロ」につながっていく可能性がとても高いものでもある。


今回の京都の事件は、まだどういう動機なのかはわかっていないが、「テロ」ならば犯行直後には判明しているであろう「政治的な動機」の類は、少なくとも、見当たらない。

だから、これは「テロ」とは呼べないだろう。

――本文は以上である。「飯テロ」なる謎な用語(「不意打ち」という意味なら、日本語には「奇襲」という表現があるんですがね)までもがすっかり定着している中、Twitterにもはてなブックマークのコメントにも今回の事件について「テロ」という言葉があふれている中で、何人かがそのことを指摘していた。私もその指摘をしたら、存外反応があったので、ここに改めてブログの記事としておくことにした。

私自身、事件のあまりのひどさに打ちのめされている。こんなことがあってよいはずがない。未来のある人々が、その人々が築いてきたもの、これから築き上げられるはずだったものが、報道されている範囲で判断すれば「こんなわけのわからない逆恨み」で一気に奪われてしまった。基本的にアニメという表現方法で作られた映像作品を見ることがほとんどないので、京都アニメーションが手掛けてきた作品も「ネットでよく話題になってたから、題名と絵柄は知ってる」という程度だから、「おまえなんか、何も語れる立場にないくせに」とおしかりを受けるかもしれない。そして、ネット上でのそうした敵意・悪意がどのようなものに結びつきうるかを考えたとき、黙ってた方がいいんじゃないかなと思ったりもする。しかし、そうすることはきっと、今、感情的になった人々によって俗に「テロ」と言われている暴力を、本当の「テロ」、定義されているような「テロ」に変えてしまう。というのは、「おしかりを受けるかもしれないから黙っていよう」というのは、個人個人では小さな判断ではあっても、大勢の集合体としての社会では決して小さなものでは終わらず、民主主義の最も大切な土台である「言論」に、とてつもなく大きな影響を及ぼすからだ。そのような「言論」の制限(自主制限、自主検閲)そのものを目的とした恫喝や脅迫は、「テロ組織による政治的暴力」とはまた別のレイヤーで、社会を変質させ変容させうる。それもまた、「恐怖による支配」という意味では「テロ」なのではないか。

そう思ったので、本稿を書いた。あまり厳密な文ではないので、「テロリズム」について厳密に考えたくなった方は、書物や論考などどんどんソースに当たっていっていただきたいと思う。ウィキペディア英語版はよい入口となる。



はてブから「テロではない」のコメントを手動抽出。「ここまでくればこれはもうテロ」的な感情の共有の大合唱の前では小さな声だが:
Re: アニメ会社で放火 33人の死亡確認 36人けが 消防 | NHKニュース
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20190718/k10011996791000.html

※はてブのブコメで「テロ」を検索してざーっとみると、例によって「攻撃」を「テロ」と呼ぶ日本語しぐさの影響のような気もする。「自爆攻撃」が「自爆テロ」という奇妙な四字熟語になり、戦場で敵兵に対して自爆攻撃を行った事案まで、行為者次第で「自爆テロ」と呼ばれるのが日本語圏(パレスチナ、ガザ地区に侵入したイスラエル軍とハマス武装部門との戦闘について私が遭遇した事例)。

アニメ会社で放火 33人の死亡確認 36人けが 消防 | NHKニュース

テロリズムは政治的な目的の実現のための暴力なので、単なる無差別殺人はテロではない。

2019/07/18 12:22

なお、↓下記の「組織的」の部分については、いわゆる「ローンウルフ」による政治的暴力の続発の中で、見直されつつはある。ただし上で見たMI5の定義のように、今も「組織性」は前提に組み込まれてはいる。
アニメ会社で放火 33人の死亡確認 36人けが 消防 | NHKニュース

語義確認。>テロ「特定の政治的目的を達成するため,広く市民に恐怖をいだかせることを企図した組織的な暴力の行使」https://kotobank.jp/word/%E3%83%86%E3%83%AD%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0-102010

2019/07/18 14:05

アニメ会社で放火 33人の死亡確認 36人けが 消防 | NHKニュース

痛ましい事件だし被害はできるだけ小さくあって欲しいけど、これは「テロ(政治目的の暴力事件)」ではないだろう。セキュリティと就業環境が被害を拡大した悪質な殺人事件であって、断じてテロではない。言葉は選ぼう

2019/07/18 14:13

アニメ会社で放火 33人の死亡確認 36人けが 消防 | NHKニュース

テロとは主として政治的宗教的な主張を伴うものだと定義されるから、動機もわからんうちからテロ認定するのは明確に間違いだと言っておく。たくさん殺される≠テロ。

2019/07/18 14:40

アニメ会社で放火 33人の死亡確認 36人けが 消防 | NHKニュース

憤りを感じる。関係無いが政治的な目的の暴力を「テロ」というので、今回の事件が政治目的でなければテロではない。一括りにするのはやめよう。

2019/07/18 15:53

アニメ会社で放火 33人の死亡確認 36人けが 消防 | NHKニュース

こういう政治的な目的の有無が不明確な事件をテロと呼ぶのはやめたほうがいいと思う

2019/07/18 17:11

アニメ会社で放火 33人の死亡確認 36人けが 消防 | NHKニュース

既に別コメにもあるけど政治的意図がないものはテロとは呼ばない。相模原や登戸と同じで、憎しみの矛先が企業に向いたタイプだと思う。

2019/07/18 19:08

アニメ会社で放火 33人の死亡確認 36人けが 消防 | NHKニュース

あまりに痛ましくひどい事件だが、「テロ」ではないだろう。既に何人にも指摘されているが「(突発的な)無差別的大量殺人」は「テロ」とイコールではない。加害者に政治的な意図があった様子は今のところうかがえない

2019/07/18 19:34

アニメ会社で放火 33人の死亡確認 36人けが 消防 | NHKニュース

メッセージ性が無く現時点でテロリズムとは言えない。そもそも動機が不明。

2019/07/18 21:53

アニメ会社で放火 33人の死亡確認 36人けが 消防 | NHKニュース

関係ないけどブコメ見てると「テロ」って言葉がいつの間にか無差別殺人や世間を騒がす大きな犯罪全般を指すようになっちゃってるのな。本来はそれプラス宗教や政治的メッセージが必要

2019/07/18 21:21


そろそろ時間がないので、以下は私の発言のみ:
Re: 元科学捜査官「ガソリンで短時間に高温か 逃げるのは困難」 | NHKニュース
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20190718/k10011997831000.html

元科学捜査官「ガソリンで短時間に高温か 逃げるのは困難」 | NHKニュース

つ 名古屋軽急便オフィス立てこもり事件/だから「テロ」は攻撃手法のことではないし「無差別的に一気に大勢殺すこと」でもないと何度言えば…… See https://en.wikipedia.org/wiki/Terrorism

2019/07/19 01:48

Terrorism is, in the broadest sense, the use of intentionally indiscriminate violence as a means to create terror among masses of people; or fear to achieve a religious or political aim.[1] It is used in this regard primarily to refer to violence during peacetime or in context of war against non-combatants (mostly civilians and neutral military personnel).

https://en.wikipedia.org/wiki/Terrorism





そうそう、本稿を書きながら「通り魔」という日本語ではありふれた言葉(「津波」や「過労死」のように英語圏にも伝わっていておかしくない言葉だが、基本的に英語圏では「日本は安全」神話が信じられていて、「通り魔」は英語圏では通じない)を知ったのはいつだっただろうと、ウィキペディア日本版の「無差別殺人事件」のリストを手掛かりに記憶をたどってみた。1980年の夏休みには、東京の新宿駅の西口にある路線バスのターミナル(当時は都庁はまだ有楽町にあったので、新宿の広がり方は今とは違っていたが、西口のバスターミナルのあたりは今とだいたい同じだった)に停車して発車時刻を待っていた路線バスに、ガソリン入りのバケツと火のついた新聞紙が突然投げ込まれるというあまりに理不尽で凄惨な事件があった。バスの中にいた30人のうち、6人が亡くなり、14人が負傷した。私は当時子供で、「理不尽」という言葉もたぶん知らなかったが、「犯人とは何も関係なくたって、こういうふうに人が殺されることがある」ということはこの事件で把握したんだったと思う。その翌年に深川通り魔事件があって、ニュースで繰り返される「とーりま」、つまり「通り魔」という言葉を覚えた。あと、車に入れるガソリンというものが、理科室で使うアルコールランプなんかとは全然違う、おっかないものであるということは、バス放火事件のときに知ったんだったと思う。


※この記事は

2019年07月20日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 08:00 | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼