「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2016年08月06日

「あの戦争」は過去のひとつの戦争であり、もう終わったものだ。でも「戦争」は終わってなんかいない。核兵器も。

「毎年、8月になると戦争戦争と騒ぎ出す」と人は言う。私は「そうか?」と思う。なぜなら、私の見ている世界は、少なくとも2001年9月以降は、何月だろうとどの季節だろうと、「戦争」であふれかえっているからだ。一見「戦争」とは無縁そうな、大いに話題になっている「楽しいゲーム」に関しても、日本語圏でも取りざたされている「祈りの場」の尊重というような「過去の、終わった戦争」に関するニュースだけでなく、地雷原の話は出てくるし、現に戦火の中にいる子供たちへの視線の必要性を訴えるキャンペーンのことも出てくる。だが「毎年、8月になると……」論の人には、その人の文脈があるわけで、はあ、そういうものかもしれないですね、と黙って聞いておく。聞いているうちにその人の文脈がわかってくる。そのことで、私はそう発言する人の文脈を、多少なりとも(ただの「知識」としてであっても)共有できていると思う。これは、多くの言語コミュニケーション(音声であれ、文字であれ)に伴うプロセスのひとつだ。「はぁ? 8月だけとか、どこを見てたらそんなネボけたことを言えるんっすか」と全否定してかかることもできるのだろうが、そこから生じるのはコミュニケーション・ブレイクダウンでしかないだろう。

ともあれ、そういう時期(時季)になり、日本語圏でぱっと目に付く範囲で「あの戦争」への言及が増えてきた。これから15日まで、それが続く。

普段は気の向いたときにしか見ないYahoo! Japanのトップページを、7月26日の相模原での凄惨にして陰惨極まる大量殺人事件後は、日に何度か見るようになっているのだが、8月6日の朝、少しスクロール・ダウンしたところに、「未来に残す 戦争の記憶」というバナーがあることに気づいた。「ウォー・アーカイヴ」とあるそのURLを見てみると、「戦後70年」、つまり2015年(昨年)作成されたページで、その後も更新が続けられている。



今、この「アーカイブ」のトップにあるのは、7月28日の青森空襲についてのページだ。
http://wararchive.yahoo.co.jp/airraid/detail/15/

1945年7月28日夜、62機のB-29爆撃機が青森市を襲いわずか1時間余りの空襲で、1,000人を超す犠牲者が出ました。

前日に空襲を警告するビラが撒かれたにもかかわらず、消火の人手がなくなることを恐れた行政当局が避難を禁じたことと、投下された焼夷弾に燃え広がりやすい「黄燐」が混ぜられていたことで被害が拡大しました。


2016年6月に行なわれたインタビューで、この空襲で叔母とその幼い子供たちを亡くした(殺された)82歳の富岡せつさんという女性が、次のようなことを語っている。

8万発を超える爆弾が投下されたという同空襲はわずか1時間あまりの出来事だった。しかし、黄燐(おうりん)が入れられた新型の焼夷弾は瞬時に燃え広がり、街は炎に包まれた。

猛烈な熱さと、喉が焼けるような煙―。「熱すぎて、息を吸うと煙が通った所が分かるんです」


さらに続く。

戦況の悪化に伴い、小学生は同年春ごろから順次疎開を開始していた。当時富岡さんは小学校6年生。母や妹、弟らとともに親戚を頼って木造町(現・つがる市)に身を寄せていた。

しかし、7月14、15両日に青森―函館間を結んでいた青函連絡船全12隻が連合軍の攻撃で走行不能になり、乗客や乗組員ら424人が死亡。動揺した市民が市街地から避難を始めると、青森市は消化の人手が足りなくなることを恐れ、「28日までに戻らなければ配給を停止する」と発表した。

当時、食料や物資は配給制で、それなしには生活は成り立たなかった。富岡さんの叔母も、子どもたちのミルクの配給を受けるため、28日昼に富岡さんを伴い市内に戻ったばかりだった。

……

前日の27日には、空襲を予告するビラが米軍機から市街地に撒かれていた。一部市民はそのことを知っていたが、ビラは憲兵や警察によって回収され、内容も口外することは許されず、多くの市民が避難することなく28日を迎えた。


このような「空襲(今の用語では『空爆』)などの大規模攻撃をこの一帯に対して行なうので、一般市民は退避しなさい」というビラまきは、今も行なわれている。例えば、今年5月、イラクのファルージャに対するイラク政府の攻撃(対イスイス団)のときのこの報道。ただし、「ビラは憲兵や警察によって回収され、内容も口外することは許されず」ということは、このときは報告されていない。

Iraq's government has airdropped leaflets and broadcast advisories to residents to flee through "safe corridors" established by the military to camps outside the city, or wave white flags over their homes if they are trapped.

http://edition.cnn.com/2016/05/26/middleeast/iraq-karma-falluja/


※CNNじゃなくても、ほかのメディアでも、記事は探せばある。だが、これは本題ではないので、そこにかける時間は今はない。CNNの記事を参照していると「CNNを鵜呑みにするバカ」と罵倒されるかもしれないが、罵倒したい人はどうぞお好きに。

この「攻撃前の警告のビラ」について英語圏で検索してたら、71年前の原爆投下を警告するビラについてのPBSのページが出てきた。「ハリー・トルーマンの時代」という特集の一部である、そのビラの文面がそのまま掲示されているだけのシンプルなページだ。

TO THE JAPANESE PEOPLE:
America asks that you take immediate heed of what we say on this leaflet.

We are in possession of the most destructive explosive ever devised by man. A single one of our newly developed atomic bombs is actually the equivalent in explosive power to what 2000 of our giant B-29s can carry on a single mission. This awful fact is one for you to ponder and we solemnly assure you it is grimly accurate.

We have just begun to use this weapon against your homeland. If you still have any doubt, make inquiry as to what happened to Hiroshima when just one atomic bomb fell on that city.

Before using this bomb to destroy every resource of the military by which they are prolonging this useless war, we ask that you now petition the Emperor to end the war. Our president has outlined for you the thirteen consequences of an honorable surrender. We urge that you accept these consequences and begin the work of building a new, better and peace-loving Japan.

You should take steps now to cease military resistance. Otherwise, we shall resolutely employ this bomb and all our other superior weapons to promptly and forcefully end the war.

EVACUATE YOUR CITIES.


PBSのページにはもう1種類の文面が掲示されているので直接ごらんいただきたい

この文面の前に、PBSは "Leaflets dropped on cities in Japan warning civilians about the atomic bomb, dropped c. August 6, 1945" というキャプションを添えている。この文自体に、それ自体で十分な明瞭性・厳密性が欠けていることに気づくだろう。すなわち、"the atomic bomb, dropped c. August 6, 1945" というのは、このページの作成者(後世の人)が後世わかっている事実に基づいて書いたことに過ぎず、実際には「8月6日に投下された原爆(について警告するビラ)」というより、「8月6日に投下されることになる原爆(について警告するビラ)」という意味だろうか。それとも、当時現実に、このビラにおいて、米軍は日本のシヴィリアン(民間人、一般市民)に対し「これからこのような強烈な破壊力を有する爆弾を投下する」と警告していたのだろうか。あるいは「先日(広島に)投下したような強烈な破壊力を有する爆弾を、もっとたくさん投下する」と警告していたのだろうか。

答えはビラの文面を読めばわかる。"We have just begun to use this weapon against your homeland. If you still have any doubt, make inquiry as to what happened to Hiroshima when just one atomic bomb fell on that city." とはっきり書かれているのだから。

しかし、このビラの投下は、なぜか、広島への原爆投下を正当化する証拠としてアメリカでは利用されていた。「無差別攻撃を意図していたのではない。民間人には退避を勧告していたのだ。退避しなかったのは、退避しなかった者たちの責任だ」という(最近ではガザ攻撃とかでよく聞く)理屈だ。そういった「神話化」についても、英語圏でちょっと検索するだけでどかどかと記事が出てくるだろう。例えば2005年、原爆投下から60年の節目でのLAタイムズ掲載論説記事など。

この論説記事は、さらに10年前(原爆投下50周年の1995年)に開催された米国立スミソニアン博物館の「エノラ・ゲイ展」のナラティヴに極めて批判的な記事だが、「退避を勧告する特別なビラを撒いたこと」についての「真っ赤な嘘」が、1995年にも繰り返されていると指摘している。

The Enola Gay exhibit also repeated such outright lies as the assertion that "special leaflets were dropped on Japanese cities" warning civilians to evacuate. The fact is that atomic bomb warning leaflets were dropped on Japanese cities, but only after Hiroshima and Nagasaki had been destroyed.

The hard truth is that the atomic bombings were unnecessary. A million lives were not saved. Indeed, McGeorge Bundy, the man who first popularized this figure, later confessed that he had pulled it out of thin air in order to justify the bombings in a 1947 Harper's magazine essay he had ghostwritten for Secretary of War Henry L. Stimson.

http://articles.latimes.com/2005/aug/05/opinion/oe-bird5


この「ビラまき」が広島・長崎への原爆投下の前だったのか、後だったのかは、PBSのような大手がどーんと公開しているビラの文面を読めば誰にでもわかることだと思うのだが、「はっきり書かれていないのでよくわかりません」みたいな質問は定番なようだ。

そのような混乱が見られる理由は、7月28日の青森空襲の前に撒かれていたのと同じような「空襲を警告するビラ」と、PBSのサイトが文面を紹介している「既に投下された原爆の威力についてのビラ」の2種類が存在していて、混同されていることだろう(上掲のanswers.yahooの回答もそう述べている)。

だが、はっきり区別して語ろうと思えば語れるわけで(例えば「投下前のビラ pre A-bombing leaflet」といったネーミングはできるし、できたはずだ)、それをはっきり区別していないということ自体が、「アメリカの歴史」における原爆投下の語り方を示している。

なお第二次大戦での日本に対する「空襲予告ビラ」が有効なものであったという語りは、ざっと見た限りでは、確認できない。しかし「攻撃を予告する(不意打ちしない)」という形式は、「その形式さえ守られていれば人道的」みたいな神話・物語として今も存続している。上でイラク軍の「ファルージャ奪還」作戦でのビラについて少し触れたが、ガザ地区でイスラエルが行ない(2014年)、対イスイス団攻撃で米軍も借用している「警告爆撃 roof knocking」という形の「形式的攻撃予告」もある。(ガザなんか始終爆撃されてたわけで、何が「警告爆撃」で何が「近隣への着弾」だか、地下室や建物の内奥に身を潜めている人に区別できるはずがないじゃない、っていうことは、国連は一応指摘していた。まあ、それが攻撃において目的を邪魔しないのであれば、たぶん「軍事的には〜〜」云々の方面では、そういう指摘は聞くだけ聞いといて無視することだろう。法的拘束力を持たせない限りは。)

さて、今日になって、ニューズウィーク日本版の2016年5月31日号に掲載された記事が、ウェブにアップされていたので読んだ。ハリー・トルーマンの孫のダニエルさんに、ニューヨーク支局の小暮聡子記者がインタビューした記事だ。ウェブで前編4ページ、後編5ページとかなり分量がある記事で、内容も詰まっているので、読むにはそれなりに時間がかかるが、今日、「広島原爆記念日」に読むものを探している人には、ぜひ読んでいただきたいと思う記事だ。

今朝、要点をメモりながらTwitterにフィードしたので、それを貼り付けておく。ここにある断片だけでは絶対に文脈がわからないので、エンベッドしてあるツイート内に入れてあるURLから、必ず元記事をご参照いただきたい。









私は、正当化することができないものを正当化する言説に寄り添うことを「中立」とは呼ばないと信じている。それは「無理を通している」ことにほかならない。原爆の投下は、広島市の平和宣言で何度も明確に言語化されているように「絶対悪」である。「残虐な行為はほかにもたくさんあった」ことは事実で、例えば日本軍による捕虜の虐待・拷問、人体実験の類も、都市そのものを標的にした大規模な空襲(「ゲルニカ」型の攻撃は、第二次大戦では日本もドイツも、イギリスもアメリカも行なった)もそうだ。だからといって、そのどれかがほかのどれかを相対化することはない。「絶対悪」は「絶対悪」だ。過去に人間によって行なわれた「絶対悪」の行為として、残る。おそらく、いつまでも残る。それゆえに、「精神的なトラウマ」を生じせしめ、「(過剰に)防御的な反応」を引き出すのだろう。

他者によるその人間的な反応に、人間はどう対応することができるのか。人間の集合体たる社会は、それをどう受け止めることができるのか。

「あれは戦争だった」という言葉を(あるいは「いいぐさ」を)、私は北アイルランド紛争でのめちゃくちゃな殺し合い(バルカン半島とかアフリカ諸国を見てる人からは「規模が小さい」とあしらわれるかもしれないが)に関して、何度か見ている。「あれは戦争だった」という言説を、許容されうるものとして獲得しようとする武装勢力の「戦後」の言葉は、十分な量ではないかもしれないが、かなり読んだ。前にそれについて書いたこともある。

北アイルランドは、現在、その局面の次に進んでいる。つまり、「つらいけど話をする uncomfortable converations」の局面に。武装勢力IRA (Provisional IRA) とつながりの深いシン・フェインの機関誌、An Phoblachtがその概念を掲げ、特集を組んでいる。初回は4年前、2012年の8月だ。
http://www.anphoblacht.com/uncomfortable-conversations/

ハリー・トルーマンの孫のダニエルさんも、そのような取り組みをご自身で行なっている。つまり、被爆地を実際に訪問し、被爆者の話を聞く。「平和宣言」で用いられている用語と概念を使えば、「被爆の実相を知る」ことに努めている。





そして「あれ」を直接的に、間接的に経験した人々個人の中で、それは幾重にも折りたたまれて沈殿する。時間的にはあとから経験したことが、記憶の中では先に立つこともあろう。





そして、記事の見出しにある「謝罪と責任の意味」がダイレクトに語られるのは、「後編」である。







こういったことは「オフィシャル・ストーリー」として、少なくとも日本では広く知られている(日本での文化的マナーというか、「ごめんなさいの一言くらい……」という社会的なプロトコルによる「謝罪を求める気持ち」はあるかもしれないが)。ダニエルさんは、ご自身でそのことを、現地で人の話を聞いて考えている。圧巻のくだりである。

しかし実は、このくだりでどうしても私にはわからないところがある。ひとつには、ダニエルさんのいう「公平に」の概念だ。「公平に」考えた末に、「戦争は絶対悪だ。戦争は、絶対に起こしてはならない」という結論に達する、というのは、私にはなじみのあるパターンなのだが、「あの戦争のすべての痛みを注意深く、公平に見よう」というのはどういうことなのか(単に英語の定冠詞なのかもしれないが)。「あの戦争」を特定して「公平に」と言う場合、それはどういうことなのか。




銃を持ち戦場で戦った兵士同士が、互いに「公平に」、軍人として敬意を払い合うということはある。そしてそれは、とても尊いことだ。だが、ただ殺されるよりなかった一般市民(民間人)の立場から、「公平に見る」とは、どのようなことか。

「一般市民(民間人)の立場」と特定するのは、あの広島に立ち、原爆資料館を訪れた人が、そうでない立場から「あの戦争」を考えることができるのか(いや、できはしまい)ということによる。

「残念ながら、あなたがたの選んだ政府があのような戦争を起こしたので、あなたがたの町を焼き尽くす焼夷弾の雨を降らせます/既に広島を壊滅させた新型爆弾を使います(から、民間人は速やかに退避してください)」と述べた上でアメリカが行なったことを、「公平に」見るとは、いったいどのようなことか。

これは、「ハマスの味方」を殺すことは正当化されるというイスラエルの言い分をどう見るかということと、ぴったり重なっている。あるいは(オバマ政権になってからめっきり使われなくなった用語だが)アフガニスタンやイラク、現在はシリアで頻発している「コラテラル・ダメージ」について……特にシリアについては、「コラテラル・ダメージ」を生じさせている武力行使者としては「アメリカ」はたぶん3番手で、1番と2番はシリアのアサド政権とロシアだ。つまり「イスラエルがー」とか「アメリカがー」という話では、まったくない(のだが、実際には「アメリカがー」と叫んでれば満足する人々の声が大変に大きい。英国のStop the War Coalitionの体たらくを参照)。

そしてもうひとつ、ダニエルさんのインタビューを読んでわからなくなったのが、「過ち」のことだ。





「安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから」
"Let all the souls here rest in peace. For we shall not repeat the evil."

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*Pic by Sébastien Bertrand on flickr (CC BY 2.0)

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*Pic by Chris Gladis on flickr (CC BY-ND 2.0)

私はこの「過ち」を "the evil" と訳出することには、何と言うか、「うほぅ」という立場である(遠まわしすぎてわかりづらいと思うけど)。だが、この "the evil" という概念は、広島の平和宣言で毎年言語化されている「絶対悪」という概念のことだ。それは「誰が行為者であろうと、絶対的に悪」という行為で、その行為者(この場合はアメリカ)を責めることはしないということも表している。





長い記事をずうっと読んできて、そして最後に釈然としないのは、私がこのことについて、対立はしないまでも一致しない2つの《語り》(ナラティヴ)の一方の中の住人だからだろう。それだからこそ、対話が必要となる。文脈を共有しようと努めることが必要となる。報道機関には、ダニエルさんの取り組みについて、また伝えてほしいと思う。

なお、ニューズウィーク日本版のこの記事は、「後編」の4ページ目、「インタビューを終えると」のあとの小暮記者の地の文が、また圧巻である。

「ネタバレ」はしたくないので、各自、お読みいただきたい。

さて、今日の広島の平和記念式典は、毎年のように、広島市のサイトでストリームされるのを見ていた。昨年と今年の大きな違いとしては、5月のG7外相会合の広島市での開催と、「広島宣言」の採択、そして米オバマ大統領の広島訪問ということがあるのだが、それ以上に、G7の一国として「核兵器廃絶への決意」とやらを示したはずの英国が、広島が否定している核抑止力を相変わらず信じ続け、戦略核ミサイル「トライデント」の更新は英国会下院でめっちゃ圧倒的な差でYesということになった。(この件、日本語でウェブ検索すると「議論が白熱」とか「反対集会」の話しか上位に表示されないのだが……もうけっこう前だから、浸透はしてそうなものなんだけど。「みんな」が聞きたい話ではないから関心が低いのかな。)

よって、個人的に「広島宣言」後もG7の中で「核抑止力」神話が生きているということが「ことあげ」されるかどうかに注意していた。

が、1時間ほどの中継を見た限りでは、マイクを使ってしゃべる人はみな、そんなことは起きていないかのようだった。「広島宣言をひとつの達成点とし、そこから出発しよう」という認識。

いいのかな、これで、と思った。本当に、心からそう思った。「外交」の言葉でしか語れないとはいえ。その中で心に残った言葉が、広島県知事の「挨拶」の中にあったが。































広島県知事のオバマ大統領広島訪問時のツイート(FBからのフィード):




※このあと、今日のそのほかのツイートと、「ヒロシマ・アーカイブ」「ナガサキ・アーカイブ」について書いたものをつなげる。今はとりあえず書きかけでアップ。

※この記事は

2016年08月06日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 22:52 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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