「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2019年03月09日

今週(2019年3月3〜9日)の北アイルランドからのニュース (1): ディシデンツ周り(英軍基地襲撃・警官銃撃から10年、ロンドンの爆発物)

今週(3月3日から9日)は北アイルランド方面が騒がしかった。それも、昨今の主要な関心事であるBrexitとはほぼ関係のないことで。

まず、何もなくても「今週はこういう週」ということがわかっていたのは、2009年3月の2つのテロ事件から10年を迎える、ということだった。

1件は2009年3月7日夜のアントリム州英軍基地襲撃。マセリーン基地(駐屯地)でアフガニスタンに向けて出発する直前にちょっと時間があったのでピザを頼み、配達を受け取りに出た20代初めの兵士(非武装)2人が、基地の外にいた銃撃犯に撃ち殺された事件で、未解決だ。これはReal IRAが犯行を認めていて、2人が起訴されて裁判が行なわれたが、1人は無罪となり、ここで有罪になったもう1人も控訴審で無罪となった。ちなみに2人とも銃撃の実行犯として起訴されたわけではなく、つまり、英軍兵士を基地の入り口で銃撃した当人を、当局は起訴に持ち込むことすらできていない。

もう1件は同年3月9日のクレイガヴォン警官襲撃。通報を受けて駆けつけた警官を銃撃者が待ち伏せして殺すという陰惨極まりない事件で、こちらはContinuity IRAだった(この事件でCIRAの存在を知った人も多かったかもしれない)。この事件では2人が起訴されて2人とも有罪になって、現在刑務所の中にいるが、彼らの支援者というか「反英」な人々が何かと賑やかである。

今これを書いているとき、今日は3月9日で、私は今日は定点観測ということでBBC News NIのページを開きっぱなしにしているが、クレイガヴォンの事件についての「あれから10年」の記事は見かけていない。7日のマセリーン基地襲撃事件については、未解決ということもあって「あれから10年」の記事を見たのだが。

そういうタイミングで、ロンドンの交通の要衝3箇所に郵便で爆発物が送られた。翌日にはスコットランドからも同様の報告が出た。

さらに、つい先日、パット・フィヌケン弁護士殺害事件についての司法の判断が出たばかりなのだが、来週は1972年1月30日デリーの「ブラディ・サンデー(血の日曜日)」で市民を撃ち殺した英軍兵士の訴追の可否をめぐる結論が出されることになっていて、英保守党の政治家たち何人かが「仕事をしただけの軍人を殺人罪に問うとは」というスタンスでわめき始めており、その中で現在の北アイルランド大臣カレン・ブラッドレーがかなりなトンデモであることが発覚(ブラディ・サンデーについては2010年に「撃ち殺された人々は全員無辜の市民」と結論したサヴィル卿の調査報告書が出たときに、当時の首相デイヴィッド・キャメロンが「英軍の行為に正当化の余地なし」と認めて謝罪をしているのだが、今の保守党の政治家たちはそれを無視している)、それと同時に、今週は1971年8月のバリーマーフィー事件(デリーのブラディ・サンデーの約半年前に、ベルファストで英軍が市民11人を撃ち殺した)のインクェストが始まっていて、非常につらい事件のディテールが改めて語られている(倒れた人を英軍は撃った、というような)。

これらのことを、大きく2つに分けて整理・記録しておこうと思う。まずこのエントリでは10年前のReal IRA, Continuity IRAと、今のNew IRA(元Real IRAなどが再編した集団)関連、ディシデント・リパブリカン関連のトピックを。

※なお、手紙爆弾については日本時間3月9日夜の時点でまだ犯行声明は出ていないし、誰がやったかはわからないとすべきだろうが、アイルランド警察がディシデンツの線で捜査しているとのことで、「ディシデンツであるだろう」と考えている。

ロンドンの空港2ヵ所(ヒースロー、ロンドン・シティ両空港)と鉄道駅1ヵ所(ウォータールー)で、封筒に入った爆発物が見つかった、1つは起爆はしたが封筒を焦がしただけでけが人はなかった、という報道を見たとき、瞬間的に「こりゃディシデンツだな」と思ったのは、私の思考パターンが「北アイルランド脳の恐怖」に陥っているからではなかろう。送られたのが1ヵ所なら職場の恨みとか愉快犯とかいうふうに考えられるが、3ヵ所同時で、しかも場所がねー。90年代の記憶が蘇る。そういえば映画『シャドー・ダンサー』でコレットがボムをしかけたのは何駅だっけ。ウォータールーだったか。














翌日のアイルランドでの報道によると、この切手は大切な人へのカードや結婚式の招待状を送るときに用いられる切手だそうだ。ボム入り封筒はアイルランド共和国から差し出されていたとのことで、アイルランドの警察が捜査を支援している。




爆発物はこんなふうな封筒だった。外は白いビニール素材の封筒で、その中にクラフト紙の緩衝材入り封筒が入っていて、その中身が爆発物。




……というわけで初期段階では治安当局は、少なくともジャーナリストに語れる部分では「誰がやったのかわからない」という立場を取っていた。



















そしてロンドンでの3ヵ所の翌日のニュースで……



スコットランドは北アイルランド紛争の時代に標的にはならなかった。グラスゴーのサッカーのダービー(セルティック対レンジャーズ)は北アイルランド紛争での緑とオレンジの対立とは切っても切れない縁だし、スコットランドではオレンジ・オーダーの活動もあるのだが、IRAやINLAが攻撃対象としたのはイングランド内の施設だった。だからこのボムの件は、私にはわけがわからない。RBSに送りつけられたのは「反資本主義」かもしれないが(ディシデント・リパブリカンはイデオロギー的には極左でもある)。


そして3月7日、英軍基地襲撃から10年ということで出ていた記事や10周年のツイート。この件について、ナショナリストの発言は私は見なかった。ツイートしていたのはユニオニストかアライアンスの人(アライアンスもユニオニストなんだけど)、それとメディアの人。







2009年に殺害された2人の英兵のうち、1人のご家族(お母さん)が今年初めてメディアの取材にこたえた。もう1人のお母さんは息子を殺され失意のうちに亡くなったという。(ウォリントン爆弾事件を思い出す。あれはPIRAの犯行だったが、PIRAの中の過激派がやったものだ。だからといってPIRAが免責されることはないのだが。)











そういうタイミングで、ダブリンのディシデントのリーダーのひとりが、ガーディアンのインタビューに応じた記事が出た。ロンドンの郵便爆弾の前に取材が行なわれたという。記事添付の写真を見ると、インタビューは普通のカフェで行なわれており、ディシデントのリーダーは見た目では「過激派」とは全然思えないような穏やかそうな中年男性だ。









(「リスボン条約のときのアイルランドでのレファレンダム」を思い出していただけるとわりとピンときやすいのではと)

あ、あと3日になる前だけど、武器庫が発見されたりもしてたんだ。次のエントリ書いてて思い出した。
読みづらいかもしれないけど、via Twilog: https://twilog.org/nofrills/date-190302/asc でソース貼り付けます。

Terrorist arsenal found near Border was 'to be used to exploit Brexit problems' www.independent.ie/irish-news/ter… March 2 2019 UKというかブリテンの媒体で大騒ぎになってても当然の内容なのだが、見てないな……。


posted at 16:40:26


'The find was made in a wooded area, close to 2 similar hides uncovered in searches last mth & about 2km from Omeath, Co Louth. The latest cache contained a quarter kilo of Semtex and a detonator, 2 rifles incl a Steyr assault weapon & around 300 rounds of assorted ammunition'


posted at 16:40:26


Steyrはアイルランド軍が使ってる。en.wikipedia.org/wiki/Steyr_AUG… "Standard service rifle of the Irish Defence Forces. The Army Ranger Wing special forces uses the Steyr AUG A2 and A3"


posted at 16:43:35


BBCは細部の情報のないごく短い記事だけ出てた。BBC News - Explosives and firearms found in Co Louth www.bbc.com/news/world-eur… アイルランド警察のステートメントの一部をそのまま掲載しているだけという感じ。


posted at 16:46:43


ガーディアンは記事なしか。発見された爆薬の名称で「この1週間内」に絞ってサイト内検索したが、記事が出てこない。


posted at 16:52:17


アイリッシュ・タイムズ。More dissident Republican-linked arms and explosives found in Co Louth www.irishtimes.com/news/crime-and… 長くて状況・文脈には詳しいが(特に2月上旬の森の中での発見の件)、具体的な情報には乏しい。爆薬の名称は出てくるが、銃の名称は出てこない。


posted at 17:02:37


ベルファスト・テレグラフはトップページを見たが記事が見当たらない。目視だから見落としの可能性もあるが。


posted at 17:02:37



このあと、今週も1件武器庫が出てきてた。




※この記事は

2019年03月09日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:08 | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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