「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2019年11月23日

「ハロルド・ウィルソンは欧州について中立だった」という言説

twittertrends-23nov2019-haroldwilson.png11月23日の晩(日本時間)、Twitterの画面を見てみたらなぜかHarold WilsonがTrendsに入っていた。選挙絡みだろうということはわかったのだが、それ以上はわからないので、「何だろう?」と頭の上に「?」を浮かべた状態でTrendsをチェックしてみた。

そしたら「ほへー」と驚くことになった。

「エビデンス」云々の話としても、これはとても興味深いと思う。

ハロルド・ウィルソンは、1960年代と70年代に二度にわたって英国の首相を務めた政治家。私は気づいたときには「ウィルソン労働党内閣」というセットフレーズが頭に入っていたのだが、いつそんなセットフレーズを頭に入れたのかは記憶していない。大学に入る前だったが、高校の世界史でそんなの習わないし、何だろうね、ほんと。ともあれ、詳細はウィキペディアを参照。
https://en.wikipedia.org/wiki/Harold_Wilson

ウィルソンが率いた労働党は、1964年にアレック・ダグラス=ヒュームの保守党を破って政権をとったが、1970年にテッド・ヒースの保守党に敗れて政権を失った。その後、1974年3月の総選挙でどの政党も過半数を取らないというhung parliamentの結果が出たときに、ウィルソンの労働党はどの党とも連立しないで(できずに)minority governmentとなり、同年10月に改めて選挙を実施してわずか3議席の差で過半数を得て労働党政権を率いたが、1976年に突然引退。当時は明かされていなかったが、そのときすでにアルツハイマー病で、記憶力と集中力がひどく減退するという症状が出ていたようだ。ウィルソンのあと、労働党党首に選ばれたのはジェイムズ・キャラハンで、キャラハン政権下で英国政治は激動の時代を迎え、最終的にはいわゆる "winter of discontent" のあと、1979年に提出された不信任案がわずか1票差で可決されたために議会の解散と総選挙が行われ、そして首相となったのがマーガレット・サッチャーだった。(この段落は早口で読む)

そのウィルソンが首相として対応した最大の問題が(北アイルランド問題は別として)、英国は欧州経済共同体(EEC)に留まるべきかどうかという問題だった。2010年代のEU離脱論が保守党の中から出てきた議論である一方で、1970年代のそれは労働党の中から出てきたものだった(労働党には根強い欧州懐疑主義がある。そのことは、現首相のボリス・ジョンソンも著作の中でしっかり検討している)。

英国がEECに加盟したのは1973年、保守党ヒース政権のときのことだ(60年代は、「フランスのNON」が英国のEEC加盟の道を閉ざしていたが、「NONしか言わないフランス人」ことシャルル・ドゴールが死去して事態が動いた……というのが英国の歴史観である)。しかしその「保守党による政策」には労働党の党員・支持者からかなりの反発があった。ウィルソン労働党が1974年に政権に返り咲いたとき、その問題に直面しないわけにはいかなかった。そしてウィルソン首相、キャラハン外相らは次のように行動する(太字は引用者による)。

Following Wilson's return to power, the renegotiations with Britain's fellow EC members were carried out by Wilson himself in tandem with Foreign Secretary James Callaghan, and they toured the capital cities of Europe meeting their European counterparts. The discussions focused primarily on Britain's net budgetary contribution to the EC. As a small agricultural producer heavily dependent on imports, Britain suffered doubly from the dominance of:

(i) agricultural spending in the EC budget,
(ii) agricultural import taxes as a source of EC revenues.

During the renegotiations, other EEC members conceded, as a partial offset, the establishment of a significant European Regional Development Fund (ERDF), from which it was clearly agreed that Britain would be a major net beneficiary.

In the subsequent referendum campaign, rather than the normal British tradition of "collective responsibility", under which the government takes a policy position which all cabinet members are required to support publicly, members of the Government were free to present their views on either side of the question. The electorate voted on 5 June 1975 to continue membership, by a substantial majority.

https://en.wikipedia.org/wiki/Harold_Wilson#External_affairs


つまり、欧州側と交渉して約束を取り付けたあと、英国でレファレンダム(国民投票)を実施し、そして「欧州の共同体に英国は残留する」という結論を得たわけだ(2016年にキャメロンがしたことも、基本的にはこの型で、そのときは「1975年と同じように、英国は残留するだろう」と思われていた)。そのレファレンダムの際、上の引用部分で太字で示したように、ウィルソンは労働党の人々に対して党議拘束をかけなかった。それが一種のプロトタイプになっている。


今回のBrexitの議論に際し、労働党のジェレミー・コービン党首は「離脱する」という意思は示しながらも、それ以外の選択肢(例えば「第二のレファレンダム」という選択肢)についてずっと曖昧な態度を取り続けてきた。それは、「保守党が離脱を推進するのだから、労働党は離脱に反対している」と決めてかかっている人には意外なことかもしれないが、英国政治ヲチャには何ら驚きではなかっただろう。個人的には、驚きではなかったが、めっちゃイライラした。今もイライラしている。何しろ、かのEU離脱可否レファレンダムは違法行為満載のめちゃくちゃなものだったのだから、EU離脱が望ましいと考えるかどうかとは別に、無効にしてやり直してしかるべきもので、労働党が追及すべきはその道だったと私は考えているからである。

ともあれ、そんなこんなでのらりくらりとここまで来たのだが……あれ、そういえば私、「なぜ・どういう経緯で英国は総選挙することになったか」を書いてないね。それを書かないとね……、ここに来てテレビというステージでの各党党首の発言(討論)が行われるようになった段階で、さらにまた労働党ジェレミー・コービン党首の秘技、「言語明瞭、意味明瞭、でも何も言わない」が炸裂しているという。

「ハロルド・ウィルソン」という名前がTwitterでTrendsに入ってるのはそのせいだ。

General election 2019: Jeremy Corbyn to remain neutral in any new Brexit vote
https://www.bbc.com/news/election-2019-50511329

Jeremy Corbyn has said he would remain neutral in a future Brexit referendum if Labour wins power.

He told a BBC Question Time leaders' special he would not campaign for Leave or Remain so it would allow him, as prime minister, to "credibly" carry out what the voters then decide.

Prime Minister Boris Johnson later asked how Mr Corbyn could be "indifferent" on such a vital issue.

But Mr Johnson faced questions of his own about whether he could be trusted.

※引用文中、太字は本筋には関係ないのだが、引用者による。 (・_・)


BBC Question Timeでの党首討論のは、スタジオにオーディエンスを入れて、オーディエンスからの質問も入れて進められるのだが、今回のその討論でオーディエンスから「ウィルソンは欧州に関して中立だった」という発言があったようだ。しかし実際には、ウィルソン自身は「欧州共同体の一員であること」を支持しており、それを証明する文書類もいろいろある。







だが、人々が記憶しているのは「ウィルソンは欧州支持だった」ということではなく、「ウィルソンは中立だった(党首として党議拘束をかけなかった)」ということのようだ。




これは "neutral" という単語の持つ強い力ゆえかもしれないし、もっと平凡な「自分にとっての記憶」の事例かもしれない。ほぼ確実なのは、マスコミがウィルソンの態度について「中立」と書き立て、そのような印象付けを強く行ったのであろう、ということだが(実際、党議拘束をかけないということは党首として「中立」な態度であるわけで、嘘ではない)、いずれにせよ、興味深いことだ。

そして平凡な警句だが、「事実は見える通りとは限らない (the truth is not always what it seems)」ということを改めて思う。



この件、正確を期してこれ以上にソースを確認したりしているとたぶん何時間あっても書き終わらないので、以上、ざっくりとメモだけ。

※この記事は

2019年11月23日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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