「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2017年11月19日

シン・フェイン党首、ジェリー・アダムズの引退

2ヶ月以上前に告知され、「ついに」と思ったことではあるが、実際にそれがニュースとなって流れてくると、改めて「ついに」と思う(人間は繰り返しの生物だとこういうときに思う)。なるべく使いたくないと思う程度に陳腐な表現だが、「ひとつの時代の終わり (the end of an era)」だ。

11月18日(土)、ダブリンで開催されていたシン・フェインの年次党大会(Ard Fheis)をしめくくる党首スピーチで、ジェリー・アダムズは1983年に党首に選ばれてからこれまでの34年間を振り返り、そしてこう述べた。
We have also recast Sinn Féin into an effective all-Ireland republican party, with clear policy and political objectives, and the means to achieve them through democratic and peaceful forms of struggle where none existed before.

Republicanism has never been stronger. This is our time. We will grow even stronger in the future. But leadership means knowing when it is time for change. That time is now.

I will not be standing for the Dáil in the next election.

Neither will my friend and comrade Martin Ferris. I want to thank Martin, Marie and their clann for years of service to the Republic.

This is also my last Ard Fheis as Uachtarán Shinn Féin*.

I will ask the incoming Ard Chomhairle to agree a date in 2018 for a special Ard Fheis to elect our next Uachtarán.

http://www.sinnfein.ie/contents/47265
*Uachtarán Shinn Féin = 「シン・フェインのリーダー(党首)」の意味


※テキストは↑の党のサイトにあるが、アダムズのスピーチは音声で聞きたいという方には党が配信したビデオがFBにある。YouTubeのほうには現時点では、細かく区切られていない2時間ほどのビデオがアップされている。アダムズのスピーチの部分を頭出ししたのが下記。



1983年といえば日本は中曽根内閣(第一次)だ。今、世界的に大注目のジンバブエのロバート・ムガベが大統領になった(というか自身を大統領にした)のが1987年。アダムズはその前から、シン・フェインのトップをやってきたわけだ。冷静に考えれば気が遠くなるようなことだが、あまりにも「シン・フェインといえばこの人」という存在になりすぎているし、正直、シン・フェインを率いるのがジェリー・アダムズでなくなるなどということは想像の範囲外だという人もいるかもしれない。しかし時間は流れるわけで、現在69歳のアダムズは今年を最後に、党代表の座を退き、この何年後かに予定されているアイルランド共和国議会(下院)の選挙にも立候補しない。なお、一緒に引退することが公表されたマーティン・フェリスはアダムズより4歳ほど若いが、非常に端的に言えば、北アイルランド紛争期の「IRAの大物」だ(詳細はリンク先、ウィキペディア参照)。

このことが――そして、今年3月にマーティン・マクギネスが亡くなったことが――意味するのは、「リパブリカン・ムーヴメントにおけるIRA (Provisional IRA) の時代の終わり」だ。アダムズは、本人とその取り巻きだけが認めていないのだが、IRAの最高幹部(のひとり)だった。アダムズとは、それぞれが結婚した相手よりも長い付き合いだった故マーティン・マクギネスについては今更何かを説明するまでもない。そして、2002年にアイルランド共和国で国会議員となったIRAの闘士、マーティン・フェリスの引退。北アイルランドでもこれから、現在政治家になっている「IRAの闘士たち」の引退が続くことだろう。

アダムズの引退の意味については、下記に貼り付けるガーディアンの記事(ヘンリー・マクドナルド)が詳しく、なおかつわかりやすい。アダムズは党首の座を退いても影響力は維持していくと見られており、それはアイルランド(特に北アイルランド)流に読み解くとすれば、1年後も He hasn't gone away, you know! ということになっているという意味だろう。







シン・フェインのこの党大会についてのツイートと、アダムズのスピーチのころの人々の反応(私のTwitterのNIのリスト)は、下記で一覧できるようにまとめておいた。同じタイミングでサッカーがあり(北アイルランドにサポが多いマンチェスター・ユナイテッドの試合があった)、ベルファスト出身ボクサーのカール・フランプトンの試合があったので、そういった「土曜日らしい土曜日」の感じのツイートも、あまりに話題から外れていないものはそのまま残してあるため、いわゆる「(コンパクトな)まとめ」にはなっていないし、元からそうするつもりはない。そのときにどういう言葉が行き交っていたか、一部だけでも書きとめておくのが目的だ。
https://chirpstory.com/li/375212

なお、アダムズのスピーチがニュースになったころ、Twitterはこういうことになっていたようだ。






これらがTrendsに入るのとほぼ同じタイミングで、ベルファスト・アリーナで行われたカール・フランプトンの試合(メイン・イベントの前の3試合もアイリッシュのボクサーをずらりとそろえていた)の結果が出ていた。判定でフランプトンが勝った試合で、その話題でTwitterはかなり賑わっていた様子なのだが、それとは別に、あるいはそれをそっちのけで「IRAがー」「アダムズがー」と言っていた人たちが、一定数いたということだ。

彼らは過去に生きている。過去を語ることで生きている人々だ。その彼らが、ジェリー・アダムズという「過去を体現する者」を失ったとき、何がどう出てくるのだろう。まあ、そのときには彼らの声は無視できるレベルで小さいのだろうが。

シン・フェインの党大会で、アダムズのスピーチが終わったあとにみんなで合唱しているのは、この曲。トラディショナルな曲に、パドレイグ・ピアースがアイルランド語で詩をつけており、それが1916年イースター蜂起のときにアイリッシュ・ヴォランティアーズ(アイルランド義勇軍)の義勇兵たちによってよく歌われていた。ケン・ローチの映画『麦の穂をゆらす風』でも、行軍中のユニットがこの歌を歌っている場面がある。下記はThe Dublinersによる演奏のビデオだが、ほかにも多くの演者のビデオがYouTubeなどで見つかる。歌詞はアイルランド語だが、ウィキペディアに英語の対訳がある



「外国人を追い出せ」、つまりアイルランドを支配している英国人を追い出せという歌詞で締めくくられるこの曲を、シン・フェインがジェリー・アダムズを送り出す音楽として選択した理由は、私にはわからない。

アダムズのスピーチでは、「ユニオニスト」という語が複数回にわたって出てきた。それも「敵対する相手」としてではなく「社会の中でともに暮らす隣人」として。「過去には誤った政策をとったが、今ではもうそういうことはなくなった社会の別の側の人々として。
I told the 1983 Ard Fheis, that: ‘Sinn Féin’s policies are not just pleasant aims for some future hoped for united Ireland but are tough practical policies which can give leadership now and provide results.’

I reiterated our goals – the unity of the people and the end of partition.

This had to, and has to, include our unionist neighbours, who, I told the Ard Fheis, have every right to a full and equal involvement in the shaping of the future of this island.’


Today, over half a million people vote for Sinn Féin.

The perpetual unionist majority built into the gerrymandered northern state is gone.

(↑お茶ふいた。今年3月の、非常にinterestingな結果になった北アイルランド自治議会選挙のこと)

Those of us who want a United Ireland must articulate that view clearly, and in the context of the Good Friday Agreement.

And we have to persuade our unionist neighbours to support a new and agreed Ireland in which Orange and Green can live together in prosperity and harmony.

We have much in common.

An agreed Ireland has to guarantee unionists their rights.

The future is for the people to decide - peacefully and democratically.




日本時間で19日(日)の昼過ぎに取得した各報道機関サイトでの報じ方。

英BBC Newsのトップページ、キャプチャ画像右下に、写真なし・文字だけで出ている。
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BBC NewsのUK面とNorthern Ireland面。UK面のトップは行方不明の若い女性についての報道(事件性があると考えられる)。2番目がアダムズ引退だ。
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ガーディアンはInternational版、UK版とも、下のほうにひっそりと。
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ベルファスト・テレグラフは、日曜日(安息日)だし、チェックした時点では更新なし。「これからスピーチする」という段階でトップニュースになっていた状態のままだ。
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アイルランドのRTE。
rte19nov2017-min.png

アイリッシュ・タイムズ。みっちり取材してる。
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アイリッシュ・インディペンデント。
indyie19nov2017-min.png

※この記事は

2017年11月19日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:00 | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼