「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2016年06月19日

ひとつの歌がボーダーを越えていき、「対立」、「敵意」、「他所者foreignという感覚」は過去のものになりつつあるようだ。



フランスで開催中の欧州選手権(Euro 2016)で、"Will Grigg's on fire" という応援歌が歌われている。Will Griggは、今大会でEuro初出場となった北アイルランド代表 (Green and White Army: GAWA) のプレイヤーだが(ただしここまで出場はなし)、彼にこの歌を捧げたのは代表サポではなく、彼が普段プレイしているウィガン・アスレティックのサポーターである。

wilgriggsonfire.pngこの応援歌の誕生の経緯は、今年5月のデイリー・テレグラフのこの記事などに詳しい(歌詞もこの記事に埋め込まれているビデオを参照。一部をキャプチャした画像が右図)。ちなみにウィガンは2015−16年シーズンはイングランドのリーグ・ワン(3部)だったが、ウィル・グリッグの活躍で、来期からチャンピオンシップ(2部)に昇格する。"Will Grigg's on Fire" は、チームのエースに捧げる応援歌で、これが今年、イングランドでチームの枠を超えてめっちゃ流行ったという。

サッカーの選手応援歌はポップソングなど多くの人が知ってる歌の替え歌であることが多いのだが、"Will Grigg's on Fire" も、90年代後半にヒットしたポップソング、"Freed from Desire" の替え歌である(Desire → on fire)。元曲のYouTubeのページのコメント欄には替え歌の歌詞ががんがん投稿され、 "Most infectious footy chant ever..." などと言われており、完全に「フットボール・チャント」扱いである。この応援歌を思いついたウィガンのサポの人は、来期のシーズン・チケットをクラブからプレゼントされたという。実にいい話だ。

wilgriggsonfire2.pngその応援歌が、Euro開幕にともない、「北アイルランド代表サポが歌ってる歌」として欧州大陸に渡った。替え歌の元となった曲がキャッチーで覚えやすくアッパーなメロディなので耳にとまりやすいのだろうし、歌詞の "Will Grigg's on Fire. Your defence is terrified" の人名の部分を入れ替えれば、アタッカーなら誰の応援歌にもなるという汎用性の高さもあるためだろう、北アイルランド以外のサポーターたちも注目する応援歌となった。元曲のYouTubeページのコメント欄には、ドイツの人やアルバニアの人が「北アイルランド・サポのおかげでこのページにたどりつきました」と投稿している。

アイルランド(共和国)代表 (Boys in Green: Come on, youをつけてCOYBIG) のサポが、スタジアムで歌って騒いで試合を盛り上げ、試合会場の外では誰とでも仲良く陽気に歌って踊って楽しく過ごすということは既に広く知れ渡っているが、今大会は彼らに加えて「もうひとつのアイルランド」が歌って騒いで陽気に踊って楽しく過ごしており、実にほほえましい。が、その「もうひとつのアイルランド」は、最近まで、コミュニティの内部で政治的主義主張に基づいて殺し合いをしていた。その事実は、この様子を見ているほとんど誰もがおそらく知っている。

それを思うとき、今回Euroに出場したことで北アイルランドが成し遂げたのは、単にスポーツ上のことではないのだろうなあと思う。紛争中に代表チームが国際大会に出ることも意義深いことだが、「ポスト紛争」の社会、それもかなり成功している「ポスト紛争」の社会(「紛争」によるコミュニティの分断、亀裂が、無理をせず修復されうるように修復されつつある)の代表が出てくるということは、こういうことなのかもしれない。私もそれなりに長く生きているので、「新たに独立を勝ち取った国」の国際大会初出場は何度か見ていて、それなりに感銘は受けているが(1998年W杯のクロアチアなど)、北アイルランド代表の「国際舞台デビュー」は、個人的に、感銘を受けるとかいう次元ではない。ぴょんこぴょんこダンスに加わりたいレベルだ。









「小さな地震が観測されたが、ボムではなかった」――Mr Jのブラック・ユーモアに、10年ほど前、flickrで北アイルランドのフォトグラファーが「おい、ベルファストの市街地に日本人観光客がいるぞ」と写真を投稿し、北アイルランドのflickrユーザー(多くがSlugger O'Tooleの人たちや読者)が「うちの町に日本人観光客が来るとは」、「来てくれてありがとう」と言いあっていた光景を思い出す。

北アイルランドについては稿を改めて書こうと思っている(書く材料はある。書いてないだけで)。今はWill Grigg's on Fireのお歌のことだ。

で、北アイルランド代表があちこちで歌っているこの応援歌が、北アイルランドの外にも伝播している。





マルセイユでイングランド代表サポの一部が暴れ、警察が催涙ガスを使い、ロシアから来た150人の「よく訓練された well-trained」筋肉の塊が町でイングランド代表サポをボコり、スタジアム内でも狼藉の限り……というとんでもないことが起きているときに、北アイルランド代表にとって最初の試合だったポーランド戦の前に、ニースの町でNIサポが相手サポにお歌を教えているというあまりにかわいい光景は、現地、フランスのメディアも記事にしていた。





こういうのがあって、この歌がますます広まったのだろう。きっと地元テレビなんかでも「暴動」とは正反対の、本来あるべきサポーターの姿としてほほえましく取り上げられているだろう。(ちなみに、ポーランドのフーリガンというかウルトラは相当おっかないそうだ。「ロシアもすごいがポーランドもすごい」くらいに言われている。ポーランドはロシアやクロアチアとは違って、そういうのは国外に出していないようだが。)





これが、北アイルランドという「ネイション」の特殊性からいろいろと苦い関係にある圏の外だけなら、「Euroに新顔が登場して、楽しい歌を持ってきた」くらいのことだろうし、おもしろいけれど驚きは特にないかもしれない。

しかし、今回は本当に違う。こんなことが起きているというのは、一瞬、信じがたいことだ。











Shane LongはイングランドのサウサンプトンFC(プレミアリーグ)に所属するストライカーである。つまり、「Will Griggと所属チームが同じ」といった要因もない。上記のツイートは18日に行われたベルギーとの試合のときのもの。

アイルランド共和国のサポが、北アイルランドのサポの選手応援歌を拝借している。

応援歌が、南北のボーダーを越えている。

今回、モニターのこちら側でEuroの様子を眺めながら「おおお」と思っているのは、北アイルランドとアイルランドの関係だ。大会が始まる前は、正直、どちらも監督が「M・オニール」(北がマイケル・オニール、共和国がマーティン・オニール。直接の血縁関係はない)という共通点があるなあ、「オニール」は北アイルランド(というかアルスター)の名前だなあ、ということのほかは、特に何とも思っていなかった。

過去に何度か書いているが、北アイルランドにおいて、北アイルランド代表をサポートしているのはユニオニストときまっている(いた)。北アイルランドのナショナリスト(アイリッシュ・ナショナリスト)の間で「フットボール」といえば、サッカーではなくゲーリック・フットボールのことだと言われていたし、それを立証する実例も知っていた。そして、ナショナリストでサッカーが好きな人たちは、北アイルランド代表ではなくアイルランド共和国代表をサポートするものときまっている(いた)。

その文脈で発生したのが、Loughinislandでのハイツ・バー襲撃事件だ。この事件については過去に書いているし、今また出てきている書かねばならないことについてはまた稿を改めて書くが、1994年のFIFAワールドカップでのアイルランド対イタリアの試合を観戦しながら人々が楽しく過ごしていた小さな村のパブに、プロテスタント過激派が銃を乱射した事件で、「アイルランド共和国の試合を見ているカトリック」――攻撃者の側から「IRAおよびその仲間」というレッテルを貼られた人々――を標的にした無差別テロだった。

そういう経験がある社会なので、北アイルランドにおいては、「カトリック」の側には北アイルランド代表を応援することへの強い抵抗感やためらいがあるし、「プロテスタント」の側ではアイルランド共和国代表へのまなざしは決してあたたかくない。

北アイルランドのユニオニスト社会ではアイルランドの三色旗(トリコロール)が「外国の旗 foreign flag」、「IRAの旗」と呼ばれ、ナショナリスト社会ではアルスター旗(白地に赤の十字に、中央に王冠をかぶったダビデの星とアルスターの赤い手)は「わたしたちの旗ではない」と拒絶されてきた。

北アイルランド紛争の時代を見てきた人、また紛争から1998年の和平合意成立を経て「ピース・プロセス」が始まり、進展するという時期を見てきた人はほとんど、「三色旗を拒絶し、アルスター旗を掲げる側」か、「アルスター旗を拒絶し、三色旗を掲げる側」かのどちらかに自己を同一化させている。あるいは少なくとも足場を置いている。(紛争に接するとき、「不偏不党」は幻想となる。)

私自身は「三色旗を掲げる側」だった。「IRAの爆弾テロ」という脅威が日常の中に組み込まれていた時代のロンドンを知ってて、IRAのやっていることは理解できなかったし、IRAを支持して資金を提供している連中(北米の支援組織)のことは頭が○いと思っていたけれど、それでも、英国が北アイルランドでやってきたこと(1972年1月30日など)は間違っていると思っていたし、北アイルランド紛争は植民地主義とそれに対する抵抗のあらわれだと理解していたし、アイルランドは南も北もなく、島全体でひとつの国民国家になるのが「自然」だと信じていた(今もそうである)。

なので、アルスター旗を見ると「ドキッ」とするのが基本だ。

それが、今のEUROで打ち消されつつあるように感じている。




Twitterなどを見ていても、北アイルランドでは、サッカーのアイルランド(共和国)代表は無視するのがこれまで当たり前だった(アイルランド代表の試合があっても、誰も話題にしていなかった)。それが、今回はムードが違うし、言葉としてあらわれているものも違う。2015年10月に北アイルランドが予選突破し、アイルランド共和国がプレーオフ出場を決めたときに始まっていたことが、順調に進展している。

2015年10月:





2016年6月(@Irelandのアカウントはアイルランド共和国の一般の人が週代わりで「中の人」になるアカウント。今は225週目でクレアさんという女性が担当している):






無視していない。お互いの存在を認めている。お互いのためのスペースを作っている。COYBIGとGAWAが目と目を見交わしている。

ラグビー代表が全アイルランドで1つになった経緯を私は見ていないので詳しくは知らないのだけれど、こういう流れが続いていけば、サッカーも全アイルランドで代表が1つになる日がくるのではないかと思う。

なお、北アイルランド代表はユニオニストで、試合開始前のアンセムはGSTQなのだが(イングランドと同じ)、変更したほうがいいという意見も出てきている。(・_・)





では、本稿の締めくくりは北アイルランド代表サポによるお歌で。ウクライナとの試合のときのビデオ。





3試合目でウィル・グリッグを見ることができるかどうか? (ここまで出場なし)

ちなみに3試合目の相手はドイツです。

#DareToDream



ところでアイルランド共和国対ベルギーの試合が行われていた間に、NIのリストに流れてきてたツイート。

jamieireland.png


ジェイミーが、アイルランド共和国の試合見てたの? (・_・)

※ジェイミー・ブライソンは、例のベルファストの「旗騒動」の発起人・企画者にして最大の煽動活動家。

元々この人、サッカー好きなんだよね。アイルランド共和国代表はイングランドのプレミアリーグ所属の人たちがほとんどなので、ふだん試合をチェックしてるチームのプレイヤーがいたりするかもしれない。ただし毎度毎度、GSTQやらレッドポピーやら、国旗国歌系のシンボリズムに関して全面的な拒絶を示し、イングランドのナショナリストから「クズ」呼ばわりされるジェイムズ・マクレーンのようなプレイヤーもアイルランド代表にはいるわけで、ロイヤリストの中でも極端で過激な立場に立つジェイミーがアイルランドの試合を見ているというのは、まあスポーツマンということなのかもしれないけど、やはり、意外だ。(それを、ブライアン・ジョン・スペンサーとの口げんかで表明しているというのも「おっ」という感じ。)

それとジェイミーは、今回、最初の試合(対ポーランド)のチケットが入手できていたようで、ニースのスタジアムからセルフィをツイートするなどしていて、「何だ、この人、普通のことできるんじゃん」という感覚に襲われた。




なお、今回、マーティン・マクギネス(元々サッカー好き)は昨年10月と同じく、北アイルランド代表もアイルランド代表も(テレビで)試合を見ている。ジェリー・アダムズは「フットボール観戦、楽しかったなあ」と発言している(彼のいうフットボールはゲーリック・フットボール。サッカーはつまらないんだと言ってましたね)。

ファースト・ミニスターのアーリーン・フォスターは最初の試合のときにフランスに飛んでってたし、今はDUPのイアン・ペイズリー(・ジュニア)がフランスからツイートしてたりする。



ここ1週間、あまりにも多くの深刻なことが起こりすぎていて、ブログが書けていない。ただのブログとはいえ、一応、他人様が読むことを前提とした文章は、それなりに構成を考えたりして書いているのだが、考えても着地点が見つからないようなトピックだったり、考えている間に明らかな事実が出てきて、想定していた着地点では何ともならないということになったり、単に衝撃が大きすぎて自分からは何も書けず、他人の言葉の記録だけで手一杯になったりしている。

そういうわけで、ブログに書いていること(書けていること)が自分の中で最重要のトピックというわけではない、ということを述べておきたい。

といって、アイルランドと北アイルランドについての本稿が、重要でないことについて書いたものだという意味ではない。これは、意識・認識という点で極めて大きな変化だ。でも、当ブログでは、北アイルランドだけに限っても、もっと重要なこと(例えばウィリアム・プラム・スミスの急死とか、ハイツ・バー銃撃事件の報告書とか)が書けていない。

※この記事は

2016年06月19日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 06:54 | TrackBack(0) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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