「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2018年07月08日

"Football is coming home" というお歌と、「イングランド」の包括性

イングランドがスウェーデンを破り、準決勝にコマを進めた。テキスト実況でしか見ていない(映像を見ていない)ので「快進撃」という表現が果たして妥当なのかどうかよくわからないが、ワールドカップでイングランドの「お通夜」を見ることなく「お祭り騒ぎ」を見る、ということが続いていること自体、感慨深いことだ。

特に準々決勝でのスウェーデンとの試合があった今日は土曜日で、Twitterには「結婚式だというのに誰もが気もそぞろ」という報告あちらこちらから上がっている

始まるまでは、あんなに盛り上がってなかったのに。

今回のワールドカップ、事前の盛り上がりがなかったのは、直前での監督解任という異様なことが起きていた日本だけではない。イングランド――というか、UKの一般メディアでも、事前にはあまり関心が払われていなかったのではないかと思う。開催地がロシアであること、そして2018年3月のソールズベリーでの化学兵器による襲撃事件などもあって、ロシアに対する英国の感情は、控え目に言っても「とても悪い」ということも作用しているだろう。大会開幕前によくありがちな「開催地のトラベルガイド」のような記事も見なかったし、逆に「こんなことで開幕できるのか」的な煽り記事(2010年南ア大会のときが本当にひどかった)もずいぶん前にならあったかな、という感じ。

それどころか、開幕直前に愛国タブロイドThe Sunが、ラヒーム・スターリングが右脚に入れたタトゥーを「問題視」するとかいうわけのわからないことをしていて、リネカーさんが「大会前にプレイヤーの気持ちを折ろうとするメディアの奇習」といったことをTwitterで述べていたくらいだ(この「報道」は逆に、スターリング本人にそのタトゥーの理由を説明する機会を与えることとなったのだが。ちなみに彼のタトゥーはM16機関銃で、それを入れた理由は、彼が子供のころに銃で殺された父親のことを踏まえて、「俺は銃は持たない。俺には右脚があるから」ということを表現するため)。

しかし開幕してみれば、ガレス・サウスゲイト率いるイングランドは快進撃で、試合のあった日はほぼ必ず、♪It's coming home, it's coming home... のお歌が(ヴァーチャル空間に)響き渡るという様相だ。



この曲は元々、1996年――1966年にイングランドがワールドカップを手にしてから30年後――の欧州選手権(EURO)イングランド大会のときに、イングランドの公式応援歌としてリリースされた。いろんな意味で「イングランドらしい」曲だ。

The song's intro included samples of pessimism from football pundits:
"I think it's bad news for the English game." (Alan Hansen)
"We're not creative enough; we're not positive enough." (Trevor Brooking)
"We'll go on getting bad results." (Jimmy Hill)
https://en.wikipedia.org/wiki/Three_Lions


上記ビデオはそのバージョンではなく、2年後の1998年、ワールドカップのフランス大会のときに非公式の応援歌としてリリースされたときのものである(歌詞も異なる)。ビデオの最初の方で使われている試合の映像は、1996年EUROのセミファイナルでドイツとのPK戦でイングランドの敗退が決まったときのもの。蹴ったボールがキーパーに止められているのは、現在のイングランド監督であるサウスゲイトである。固い表情をして戻っていくサウスゲイトをチームのみんなが勇気付けるようにして迎える映像に、♪We still believe it's coming home, Football's coming home♪ という歌が重なる。「それでもまだ信じている、戻ってくると、フットボールは故郷に戻ってくると」

Tears for heroes dressed in grey
No plans for final day
Stay in bed, drift away
It could have been all
Songs in the street
It was nearly complete
It was nearly so sweet
And now I'm singing
Three lions on a shirt
Jules remains still gleaming
No more years of hurt
No more need for dreaming
https://www.youtube.com/watch?v=oyoy2_7FegI


20年後の2018年、この歌詞が物悲しい自虐としてではなく、大真面目な可能性として歌われている。

そしてこのThree Lionsという歌の「中の人」はこの笑顔だ。



デイヴィッド・バディエルはケンブリッジ大出身で、イングランドで有名なコメディアンだが、生まれたのはアメリカ。子供のころに英国に渡った――ばかりでなく、お父さんはウェールズ出身だったということを今ウィキペディアを見て初めて知った。両親ともにジューイッシュ(彼のTwitterのbio欄に「ジューイッシュ」とあるのは、Twitterで数年前に極右が大暴れしたときにジューイッシュの人たちの間で「私はユダヤ人ですが何か」ということを示すという動きが起きたときからのものだと記憶している)。

バディエルとコンビを組んでいるフランク・スキナーは、本名はクリストファー・グレイアム・コリンズという。クリス・スキナーという芸人さんが先に活動していたので、お父さんのドミノ仲間の名前をそのまま芸名として使うようになったそうだが、本人、アイリッシュでカトリックだ(イングランドの労働者階級の集合住宅に生まれ育っている)。

また、Three Lionsの音楽面の屋台骨であるイアン・ブローディーは、今回ウィキペディアを初めて見て知ったのだが、ジューイッシュだそうだ(「イアン」だからスコットランド系だと思ってた)。

つまり、今大いに歌われている「イングランドの応援歌」の中の人たちは、ジューイッシュとアイリッシュ・カトリックなのだ。

そのことは、知っておいて&踏まえておいて、損はしないと思う。

考えてみれば、このinclusivenessが「イングランド」というものであるはずで、バディエル&スキナーとブローディーのこの態度は、90年代当時、「イングランドのサポーターは、白人優越主義の極右」というイメージがとても強かった(ために「イメージ」では終わっていなかった)中で、「『イングランド』という存在は、白人優越主義の極右が独占してよいものではない」というメッセージを発するものでもあっただろう。

2014年のスコットランド独立可否レファレンダム以降、日本語圏では中途半端に「反イングランド」を言うことが「反体制」でかっこいいことであるかのようなムードが高まっているように見えるのだが、それに乗りたい人もどうか、バディエル&スキナーとブローディーのような人たちのことを認識しておいてほしいと思う。

ロンドンのアイリッシュで、スパーズのガチのサポという昔の知り合いや、ジューイッシュでスパーズの(略)という知り合いが、今回の大会ではさぞや盛り上がっているだろうな……と思いつつ、私はまあ、ウェルベックがんばれよ、とつぶやいてお茶を飲み干して、お手軽にジントニックの缶をプシュっと開けるのだ。

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Twitterを見ていると、「スコットランドやアイルランドでは『反イングランド』が云々」という(日本語の)言葉も見かける。

しかし、「ファン」の反対は「アンチ」ではなく、「無関心」だ。愛の反対は無関心なのだから。

そして「ファン」であれ「アンチ」であれ、何らかの形で関心を示している人しかいない場では、「関心がない」ということが見えない。本当に関心がないときは "I don't care" とか "It doesn't bother me" といったことすら発言されないのだから。

そのことは認識しておいて損はしない。








※西ベルファストのこのパブ、こういう機会にこういうことやってなかったら「オーナー病気なの?」と思うようなパブだから、ジェイミーは別に気にしなくてもいいんでわ。。。と思うのだけど。それとも「旗」ジョークなのかな。



※この「中絶合法化デモ」、全アイルランド規模で行われていて、ダブリンではSFのメアリ・マクドナルド党首が壇上に上がらずにスピーチするなどしている様子がツイートされてきていた。

そもそも、最初の方で言及した「結婚式なのに気もそぞろ」という写真ツイートをしているのは、パディ・オコンネルさんというこってこてのアイリッシュの名前の人だ。


そのほか、結婚式百景。「こっそり見てる」という人たちは、ゴールが決まった瞬間に「っっしゃあ!」と声に出してしまったり、ガッツポーズを決めたりしてしまっていなかったのだろうか。






お天気でよかったね。「フットボール・ウィドウ」現象も完全に過去の話かな。


5日に発足70周年を迎えたNHS(国民健康保険)の病院での「おもてなし」。





イングランドの「快進撃」については、また時間作ってブログに書いておければいいなと思っている。サッカーの専門的なことではなく、「人々の熱 (football fever)」という点から。

何しろ、これだから。(ちなみにこの人はガチのガナサポ。)



(フィデル・カストロも野球の話となると大変なことになってましたよね、的な)

それどころか、機械まで……


※この記事は

2018年07月08日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 03:20 | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼