というわけで本題。
10年ほど前に「ポスト・ロック post rock」という「音楽のジャンル」の命名によって新たなマーケットが開けたように、「ポスト事実(脱事実、事実以後) post-truth」という概念が広く共有されることで、この「恐ろしい美」(イエイツ)の時代に、新たな共有スペースができるかもしれない。「かもしれない」と書いたが、それはmayよりももっと薄く遠い可能性だ。それを濃い可能性にするために、やっていかねばならないこと(英語でいうjob)が山ほどあるというのが現状だろう。
6月の英国でのEUレファレンダム(Brexit)も、11月の米大統領選も、民主的手続きにのっとった投票によって勝った側は、デマや陰謀論をばらまきまくって感情を煽るという手法をとっていた。それも「裏でコソコソ小細工」とかいうレベルではなく、正面から堂々とやった。Brexitに至ってはありえないほどめちゃくちゃな嘘まで使われた(「EUに流れている巨額の金をNHSに回そう」論など。今思うと、日本での「霞ヶ関埋蔵金」とちょっと似てたかも)。「文明化された社会の理性ある人々(国民)」なら信用できると判断せず、投票先から外すはずのデマゴーグは、しかし、最終的に勝利を収めた。「文明化された」云々ってのは、たぶん想像の産物でしかなかったのだろう(2016年に関するベネディクト・アンダーソンの分析を読みたかった)。というか私の目には、「イラク戦争という大嘘を推進したエスタブリッシュメント(政治家であれメディアであれ)」に対する不信が大爆発して、ストーンズのPaint It Blackばりに「全部嘘で塗り尽くしてしまえ!」という感情的ムーヴメントが起きているように見える「どうせ全部嘘だったのだから」と。(イラク戦争は、そのくらい、深い傷となっている。そのことを誰がどのように認めるか……11月の米大統領選前の共和党の「重鎮たち」に関する報道を見て、めったなことでは死なないはずの希望が死んでいくのを私は感じたけどね。)
I look inside myself and see my heart is black
I see my red door, I must have it painted black
Maybe then I'll fade away and not have to face the facts
It's not easy facing up when your whole world is black
かくして、デマや陰謀論、裏づけのないただの印象論の類を「とりあうべきではない(とりあう必要はない)」と扱ってきた文明社会のエスタブリッシュメント(彼らは常に「歴史の正しい側」にいた。「過ち」をおかすのは、ナチス・ドイツであれソ連であれ、彼ら以外の誰かだった)が、その「フフン」という態度を一変させ、「デマ検証」のような(彼らにとっては)ハンパな仕事に乗り出している。1月12日にはついにBBCが本気出すってよということが伝えられた(詳細後述)。

ソーシャル・ネット上では何年も前から「ファクトチェック」系のアカウントは存在していた。アイルランド共和国(まさかと思うような誤解が日本語圏でちょっと流行っているようなので一応書いておくが、アイルランド共和国はナショナリズムゆえにアイルランド語を掲げてはいるが、実際に日常の生活や政治の場で使われている言語は英語であり、アイルランドは英語圏である)の首都ダブリンで立ち上げられたベンチャーのStoryful(2013年12月によりによってNews Corpに買収されたが)は、特にTwitter上に流れている情報が事実であるかガセかについてのチェックを行なうなどするファクトチェック専門の会社で、「中の人」たちは(2000年代のアイルランドの不況で縮小された大手メディアを去った)ジャーナリストなど経験豊富な「裏取りの専門家」たちだ。クライアントは基本的に大手メディアで、Storyfulのおかげで「釣られずに済んだ」メディアも多くあるだろう(以前、何のときだったか、BBC NewsがStoryfulのチェックについて大きく書いてたことがあった……あれかな、欧州の活動家気取りのアーティストが「シリア内戦についてのニセ映像」を「意識啓発のため」とかいって流したときかな)。今はTwitterでは「今日のニュース」のフィードと、ほのぼの系動物映像などを流しているが(Storyfulはソーシャル・メディア・ユーザーの映像のライセンシングも行なっている)、以前はTwitterで直接debunkingを行なっていた時期もある。
Storyfulについては、以前書いたものがある(2015年6月)。
「ソーシャルメディアによる新しいニュース」のひとつの到達点、YTNewswireとStoryful
https://matome.naver.jp/odai/2143473987594182801
創業メンバーのマーク・リトルさん(元RTE)は次のように語っている。
When I became a reporter, almost 20 years ago, my job was to dig up scarce, precious facts and deliver them to a passive audience. Today, scarcity has been replaced by an unimaginable surplus and that audience is actively building its own newsroom. That’s the insight that drove me to create Storyful, the first news agency for the social media age.
「ほぼ20年前、私が記者になったころのジャーナリストの仕事といえば、数少なく貴重なファクトを掘り出し、それをただ待っているだけの視聴者に届けることだった。こんにちでは、そのころの数の少なさは想像がつかないくらいの数量にとって代わられ、視聴者は積極的に、自分自身のニュースルームを構築している。そのことから、Storyfulという取り組みを始めてみようと動き出した。つまり、ソーシャルメディア時代のための最初のニュース・エージェンシー(通信社)を」
https://matome.naver.jp/odai/2143473987594182801/2143475586200000003
上記NAVERまとめのページ(他人の書いたものの抜粋&寄せ集めではなく、半分以上は私が書いてる)の2ページ目以降は、2015年6月(そのころ、まだpost-truthなどという言葉は目にしなかった)にGoogle/YouTubeが積極的に関わって始められた「ユーザーがネットにアップするコンテンツをめぐるファクトチェック」の取り組みについて、記録している。
あのころ想定もしていなかったであろう「ニセ情報、ニセのニュース」が、しかし、2016年にはネットに氾濫し(マケドニアのティーンエイジャーが広告収入目当てででっち上げのニュースサイトを英語で運用するようになるなどという、いわば「ノー・ボーダーのデマ」を、誰が想像していただろう)、「ファクトチェック」も守備範囲を変更し、「裏方」の立場でいることをやめて表に出てくるようになっている。
Storyful自身、また新たな取り組みを開始していることが、12日付のBloombergで報じられているが(これ、とてもよい記事なのでご一読を):
Storyful's extension, Verify, and its team of journalists aid in the fight against viral hoaxes. @bw @gauveyherberthttps://t.co/n1TDm7PKl4
— Storyful (@Storyful) January 13, 2017
ここで報じられているVerifyのような、偽ニュースを偽ニュースと指摘するアシスタントとして動作してくれるブラウザの拡張機能(アドオン、エクステンション)は、他にもある。米大手新聞、ワシントン・ポストが提供している「トランプのツイートにツッコミ入れるよ」という拡張、RealDonaldContext (Chrome, Firefoxに対応) はその一例だ。

※画像 via Mashableの解説記事(ほかにもWaPo提供の拡張の実例たくさん紹介されてて、コンパクトでわかりやすいので読んでみてください)
私もこの拡張はFirefoxに入れているが、そもそもドナルド・トランプのTwitterアカウントは表示させるどころか視界に入れないようにしているので、威力・効果のほどを実感する機会もない。
まあ、これでも日本語圏では「イバンカさん、かわいい💓」とか言ってるのが持て囃されるのだろうけれども。
さて、というわけで12日のBBCに関する報道である。
BBC sets up team to debunk fake news
Thursday 12 January 2017 19.12 GMT
https://www.theguardian.com/media/2017/jan/12/bbc-sets-up-team-to-debunk-fake-news
The BBC is to assemble a team to fact check and debunk deliberately misleading and false stories masquerading as real news.
Amid growing concern among politicians and news organisations about the impact of false information online, news chief James Harding told staff on Thursday that the BBC would be “weighing in on the battle over lies, distortions and exaggerations”.
The plans will see the corporation’s Reality Check series become permanent, backed by a dedicated team targeting false stories or facts being shared widely on social media.
“The BBC can’t edit the internet, but we won’t stand aside either,” Harding said. “We will fact check the most popular outliers on Facebook, Instagram and other social media.
“We are working with Facebook, in particular, to see how we can be most effective. Where we see deliberately misleading stories masquerading as news, we’ll publish a Reality Check that says so.
“And we want Reality Check to be more than a public service, we want it to be hugely popular. We will aim to use styles and formats – online, on TV and on radio – that ensure the facts are more fascinating and grabby than the falsehoods.”
...
The new emphasis on tackling false information is part of the BBC’s attempt to do more “slow news”, using in-depth analysis and expertise in a bid to help the public understand an especially tumultuous period in the UK’s history.
The plans also include establishing an expertise network drawing on staff across the BBC, creating an “intelligence unit” within the World Service, which has received £290m to expand its reach into new languages, and putting more resources into data journalism. ...
先述のStoryfulのVerifyはイスイス団のプロパガンダの手法をみて開発されたようだが、BBCのこれは明らかに、米大統領選挙に際してFacebookでアホみたいに拡散されていたらしい偽ニュース(見出しだけ見て「な、なんだってーっ!」と思う人がうんざりするほど出現するような)が直接的きっかけとなった動きである。私はFacebookは使っていないので、あの空間でどういうことが起きうるのか「実感」はできないのだが、特に「偽ニュース」に関しては大統領選挙後になって(ようやく……too lateですけどね)報道が為されるようになったので、どういうことが起きているか、だいたい把握はしている。
そして、そういうことが起きている背景というか土壌にあるのが、「大手メディアへの不信」だということも知っている。
特にBBCは難しい立場にあるメディアだ。12月下旬に「日本の首相が現職として初めてパールハーバーを訪問する」という誤情報(「現職として初めて」の部分が事実に照らして不正確)が日本語圏でも英語圏でも流れたが、BBCは訪問当日にどかーんと、米政権側のプロパガンダをそのまま流していた。それだって「偽ニュース」だ。そうでしょ?



それに、英語圏の大手メディアでは、こんなのもあったばかりだ。(これについては別途書きたいとは思っているのだが……)
※以下、埋め込むツイートは全部でひとつのまとまりとしてごらんいただきたい。日付も見ながら。
(^^;) マジっすかこれ。Russian malware detected in US electricity utility – report https://t.co/0ZsiisN2WB ロイター記事(元はWaPo報道)。
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) December 31, 2016
続報。US-Russia tensions rise as malware found at Vermont electric utility https://t.co/iYwPyZJ4Iv 31 December 2016 ※日本時間では1月1日になってからの記事
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) January 1, 2017
うわ…How The WashingtonPost's Defense Of Its Russian Hacking Story Unraveled Thru Web Archiving https://t.co/cUWJcloFo2 こんなの正月三が日間にやられても追い切れない
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) January 5, 2017
大晦日にWaPoが「ヴァージニア州の電力会社のパソコンからロシアのマルウェアが発見された」と報じた件、ジャーナリズムのプロトコルにまるで則っておらず、そこをForbesに突っ込まれるとWaPo編集はすぐばれるような嘘をつき、そして即座に記事にされるという、ものすごい自滅。
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) January 5, 2017
この件でWaPoがやったことは、明らかに「ホンモノ」系の情報操作で、それはおそろしいほどいろんな形をとってうちら一般人にダイレクトに働きかけるようになっていて、今日もまた私の見る画面内で炸裂している。
Brit spy behind Trump dirty dossier stood by explosive claims and described them as 'hair-raising' https://t.co/ZyLAFycxlS (ぽかーん)
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) January 14, 2017
(すげぇ……) pic.twitter.com/el92SUt5qF
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) January 14, 2017
(あとこの記事、読み終えたあとの「クレタ島」感もすごい)
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) January 14, 2017
(だってさあ、「5年前にドナルド・トランプがhad nothing to do with American politics」っての、一瞬で突っ込めるじゃん。あるいは2000年のこと https://t.co/8wQWnOyggn やBirther騒動のことは忘れたとでも? )
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) January 14, 2017
(例の「フェイクニュース」云々がスパイの世界のやり口をお茶の間にお届けするものであるということが、この記事を読むとよくわかるね)
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) January 14, 2017
そして、来週の今頃にはもう「大統領」と呼ばれるようになっているドナルド・トランプは、「大手報道機関は本当のことは伝えない」と叫び続けてきた人物だ。そしてトランプは、就任前の次期大統領としての大きな記者会見で、日本語圏でいうところの「マスゴミ」への攻撃を熱心に行なった。痛いところをついてきた(らしい)BuzzFeedも「ゴミカス」呼ばわりに等しい扱いをしたが、何より目立つのがCNNだ。
The decision to combat what has come to be called fake news comes at an especially sensitive time in the debate over the veracity of information online. Following reports concerning a document containing a number of serious and salacious allegations against Donald Trump, the US president-elect held a press conference in which he told a reporter from CNN “you are fake news”.
https://www.theguardian.com/media/2017/jan/12/bbc-sets-up-team-to-debunk-fake-news
(私もよく怒鳴り込まれるのだが、"あっち" 系の活動家やシンパってなぜか、CNNを目のかたきにして叫びまわるんだよね。私、CNNのフィードなんてほとんど見てないんだけど、なぜか「CNNを真に受けるバカ」呼ばわりされたりしてね……)
トランプはこれからもこういう態度を取り続けるだろうし、こういう発言をやめないだろう。何度も繰り返し、繰り返し、それは口にされるだろう。しばらくしたら、日本語圏でいう「国際テロ組織アルカイダ」、「イスラム原理主義組織ハマス」、「内部告発サイト、ウィキリークス」のようなセットフレーズ的なものに聞こえてくるかもしれない。そうなると、それを見ている(見ざるを得ない)側としては、大手報道機関の報道を見るときに「私が見ているこれは、果たして『本当(事実、真実)』なのだろうか」という不確かさに常に付きまとわれることになる。いわゆる「陰謀論厨」の人たちが体験している世界の感じが、もれなくみなさんにプレゼントされるわけだ。
こういうふうに不確かさに包まれるときに、黒く塗ってしまうとか、不確かさの余地のないこと(例えば「イヴァンカさん、かわいい」)だけを考えるとかいった方向に、多くの人が流れるだろう。たぶん私もそのひとりだ。
流れつつ、流されつつ、それでも少しは抵抗するだろう。
BBCといえば、年末にこんなことがあった。
(?_?) #mediablackout
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) December 30, 2016
存在しもしないニュースが報じられていないことは、「メディア・ブラックアウト」とは言わないんだけど。 pic.twitter.com/LyfbnkoHm2
発端はこれなのかな。完全な個人アカウントで、何も根拠が示されていないのだけど、ここから「ひょっとして」とか「可能性は否定できない」的に膨れ上がって、Trendsのトップになったのだろうか。 pic.twitter.com/2KwdG3ntDR
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) December 30, 2016
これ、少し見てみたら、下記のようなことだった。
There are fake BBC Twitter accounts claiming that Queen Elizabeth has died. It’s a hoax. Pls don’t RT them. pic.twitter.com/w5gXACf1I1
— Craig Silverman (@CraigSilverman) December 29, 2016
つまり、BBC News (UK) という真正な情報源を名乗って作られた偽アカウント(正しい情報源のアカウント名は@BBCNews)が、根拠のない話をSNSに投稿した、というわけだ。それがTwitterでTrendsのトップに来るくらいにバイラルした。
偽アカウントだということは、見れば1秒もかからずにわかるくらい明白なのに。
でもそこから(偽であることが一目でわかるアカウント名抜きで)広まった情報そのものは、爆発的に広まったのだ。What ifと言いながら。


根拠がいやというほどあることが「フェイクだ」と否定され(例: 東アレッポなどシリアで反体制派が押さえている地域に対する、政権側やその支援者による空爆・無差別的攻撃の実施)、根拠など何もないことが「可能性は否定できない」的にTwitterだけで話題になり注目を集めるのか。
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) December 30, 2016
「誰も本気にはしていない」にせよ「疑心暗鬼」にはなるよね(「可能性は否定できない」と言われたら、反論はできないから)。そうやって「空気」が醸成される。「ムード」が決定付けられる。「傾き」が決まる。「何が事実かを決めるのは権力者」とかいう言説が居場所をますます広げ、強固なものにする
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) December 30, 2016
とても危険ですね。そしてとても不気味。ここしばらくネット見るのをやめてた時間で陰謀論についての本を読んでたんですけど、やはり陰謀論は「ネタ」として笑いものにしていれば消えてなくなるようなものじゃないんですよね。
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) December 30, 2016
https://t.co/BiBGckv9nj この新書とか読んでました。(幻冬舎新書には、同じようなタイトルでこれとは別に、「陰謀論」の普及のための活動をしている人の著書もあるので、間違えないようご注意を)
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) December 30, 2016
※この記事は
2017年01月14日
にアップロードしました。
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