「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2018年01月17日

【訃報】ドロレス・オリオーダン(ザ・クランベリーズ)――そしてZombieという曲

15日(日本時間では16日早朝)、各メディアでその「急死」が報じられた。最新の報道では「疑わしい死ではない(事件性はない)」と報じられているが、死因などはまだ明らかになっていない。何よりもまだ、身体が暖かいような段階で、そのようなことは取り沙汰/詮索すべきことでもない。一般人にとって重要なのは、彼女は死んでしまったという事実だけだ。彼女のあの声は二度と発せられることがない。

ドロレス・オリオーダン (Dolores O'Riordan). 1971年9月生まれ。まだわずか46歳だった。

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1990年代、「グランジ」がメインストリームの音楽になり、あのガサついた音に対抗するかのように「ブリットポップ」がもてはやされ、スウェーデンのポップが流行し、ほか非ロック系ポップソングがラジオや商店のBGM(有線放送)で流れてきていた時期に、日本では「アイルランド音楽」が大きく注目されたことがあった。それもザ・ダブリナーズとかザ・ポーグスとかではなく、女性が歌うものだ。エンヤのCDは売れまくり、雑誌には大きな広告が出ていて、街のあちこちに大きな看板が出ていた。「おしゃれ」さや「癒し系」を演出したい店は店内でエンヤのCDをかけていたし、CMでも使われていたから、エンヤの信じがたいほど透明な声は、文字通り毎日耳にしていた。シネイド・オコーナー(当時の表記ではシンニード・オコーナー)の顔と名前が一致しない人は「リアルタイムの洋楽」に関心のない人に限られていただろう。ドロレス・オリオーダンが「紅一点のヴォーカル」だったバンド、ザ・クランベリーズもそういう中でヒットした。当時、いろいろとロック〜フォーク系の女性ヴォーカルものが売れていたから(スザンヌ・ヴェガとかマジー・スターとか)、そういう流れもあったかもしれない。

ザ・クランベリーズのファーストに入っていたDreamsという曲は、「生茶」というペットボトルのお茶のCMに使われたから、聞き覚えのある人は多いだろう。(確か松嶋奈々子だったと思うので、90年代というより00年代に近いほうだろうか……今調べてみたら発売は2000年だそうだ。)



そしてこの声。一度聞いたら忘れられないようなこの声の持ち主が、2018年1月15日に、レコーディングのために訪れていたロンドンのホテルで、まだ46歳という年齢で、死んでしまったのだ。















私が見る画面の中では、アイルランドの「北」も「南」も、この突然の訃報を大きく伝えていた。

2018年の今は、「そんなの、当たり前じゃないか」と思われるかもしれない。

しかし、1980年代〜1990年代を知っている立場では、「南(アイルランド)の歌手」が北アイルランドの「プロテスタント」系のメディア(ベルファストのニューズレターなど)で抵抗なく取り上げられるということは、やはり例外的な事象に見える。そのくらい、北アイルランドの「プロテスタント」の防御心は強い(いわゆる「包囲の心理」)。

ドロレス・オリオーダンがそういう存在であることには、彼女が単に売れっ子だったこと、ロックスターだったことばかりでなく、彼女が書いたある曲が大きく寄与しているだろう。



Another head hangs lowly
Child is slowly taken
And the violence caused such silence
Who are we mistaken?

また誰かが頭を低く垂れている
ゆっくりと、子供が運び去られる
暴力がこんな沈黙を引き起こした
私たちは何に間違われているのだろう
But you see, it's not me
It's not my family
In your head, in your head, they are fightin'
With their tanks, and their bombs
And their bombs, and their guns
In your head, in your head, they are cryin'

でもね、私じゃないんだ
うちの家族でもない
あなたの頭の中、あなたの頭の中で彼らは戦っている
彼らの戦車で、彼らの爆弾で、
彼らの爆弾で、彼らの銃で
あなたの頭の中、あなたの頭の中で彼らは泣いている
In your head, in your head
Zombie, zombie, zombie-ie-ie
What's in your head, in your head?
Zombie, zombie, zombie-ie-ie, oh

あなたの頭の中、あなたの頭の中で
ゾンビ、ゾンビ、ゾンビだ
あなたの頭の中にあるのは何? あなたの頭の中に
ゾンビ、ゾンビ、ゾンビ



(このビデオは、バンドの公式チャンネルがYouTubeにアップしている「別バージョン」)

ビデオに出てくる廃墟のような建物は、火炎瓶(「ファイアーボム」という)で焼き討ちにあったか何かした建物だろう。撮影が行われたのはセットではなく、実際の北アイルランドのどこかの街角だ(武装した兵士は俳優が演じているかもしれないが、あとは本物である)。駆け回る子供たちは、「プロテスタント」なのか「カトリック」なのか……「北アイルランド紛争」を語るナラティヴを内面化していると、どうしてもそんなことを考えてしまうビデオだ。「プロテスタントであれカトリックであれ、子供たち」なのだが。(そして見ていくと、この「別バージョン」では "答え" が示されている。実際にMTVなどで流れていたバージョン――上のほうのツイートに入っている――とは違って。)

リムリック出身のアイルランド人である彼女が、この曲の中で「ゾンビ」と糾弾しているのは、「武装闘争」を繰り広げる「アイリッシュ・リパブリカン」たちだ。



Another mother's breakin'
Heart is takin' over
When the violence causes silence
We must be mistaken

またひとり、母親の心が打ち砕かれ
(人々を)飲み込んでいく
暴力が沈黙を引き起こしているとき
私たちは間違っているにちがいない
It's the same old theme
Since nineteen-sixteen
In your head, in your head, they're still fightin'
With their tanks, and their bombs
And their bombs, and their guns
In your head, in your head, they are dyin'

昔と変わらぬ同じ主題
1916年以来
あなたの頭の中、頭の中で彼らはまだ戦っている
彼らの戦車で、彼らの爆弾で、
彼らの爆弾で、彼らの銃で
あなたの頭の中、あなたの頭の中で彼らは死んでいる
In your head, in your head
Zombie, zombie, zombie-ie-ie
What's in your head, in your head?
Zombie, zombie, zombie-ie-ie, oh

あなたの頭の中、あなたの頭の中で
ゾンビ、ゾンビ、ゾンビだ
あなたの頭の中にあるのは何? あなたの頭の中に
ゾンビ、ゾンビ、ゾンビ


ドロレスにこの曲を書かせたのは、「彼らの爆弾」のひとつだった。

1993年3月20日、土曜日。マンチェスターとリヴァプールの中間にある、エヴァトンFC寄りの街、ウォリントンの商店街のゴミ箱に仕掛けられていた爆弾が爆発した。現場は歩行者専用道路で、軍や政府機関の車両が通るのを狙ったとかいうことはありえない。単に、地方都市の商店街が標的とされたのだ。それも土曜日に。

ゴミ箱はイングランドによくある鋳鉄製で、中で爆発物が爆発すると破片となって周囲に飛散し、それが凶器となって人を傷つける。そしてこのボムは、12歳の男の子と3歳の男の子を殺した。爆弾を作って設置したのはIRA(Provisional IRA)。

その12歳の男の子、ティム・パリーさんのご両親は、その後、「平和」のための活動に取り組んだ。自分たちの場所で、マーティン・マクギネスに語らせることもした。そういったことは既に書いているので下記を参照されたい。

「和解と赦し」――20年前、商店街のゴミ箱に設置されたIRAのボムは、子供たちを殺した。
https://matome.naver.jp/odai/2136343869722454301

現在も「ウォリントン平和センター」で、北アイルランド紛争に限らず「暴力」というものに向かい合っているコリン・パリーさんは、ドロレス・オリオーダンの訃報をうけて、コメントを出し、インタビューを受けるなどしている。今の今まで、『ゾンビ』というあの曲の元となったのが自分の息子を殺したボムだったということを知らなかったという。





曲のリリースは1994年。12歳の息子を失ってからパリーさんご夫妻が音楽なんか聞く気になれていなかったとしても、あの曲は大ヒットしているので、どこか街角で耳にしたり、カーラジオから流れてきていたりしていただろう。そして耳にすれば、あの歌詞は必ず頭に飛び込んできただろう。しかしそれが自分の息子を殺したボムがきっかけになって書かれた歌詞であることに気づかなかったとしたら、それは、当時「彼らの爆弾、彼らの銃」があまりに当たり前だったということを意味するのではないか。

実際、私もロンドンで「都心部から離れた住宅街の商店街のゴミ箱に仕掛けられた爆弾が爆発し、IRAが声明を出した」という事例はじかに知っているし(数駅先での出来事だった。拙著に少し言及してあるが)、『地球の歩き方』とかに載っていないような地方都市(つまり「経済標的」になりうるような場所ではないところ)で「ボム・スケア」に遭遇したこともある。それは本当に、日常茶飯事だったのだ。

1993年に子供2人を殺したIRAは、そういう「過激な」活動への支持をどんどん失い、より政治的な道をとるべきという方針に転換する。それが1994年の停戦につながった原動力だ。(1994年停戦については以前書いているので当ブログ内検索を。)

そうして紆余曲折がありつつも1998年のベルファスト合意(グッドフライデー合意)で「和平・平和」は現実となり、北アイルランド紛争は過去のものとなった。

それでも、かつてReal IRAと呼ばれていた勢力(現在のいわゆるNew IRA)をはじめ、暴力を続けることにしか道はないと考える勢力は残っているので、完全には暴力は終わっていない。だからZombieの歌は(悲しいことに)ずっとリアルなものであり続けている。

しかしそれでも、そういうゾンビたちは消え行く存在だ。

そういう時代に、和平合意前にこの曲を作り、力強く「暴力反対」を歌った人が、突然、死んでしまった。

悲しくてならない。

悲しくてならないが、彼女は拍手で見送ろう。拍手と大合唱で。






※この記事は

2018年01月17日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 13:59 | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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