「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2019年06月16日

「バスで血まみれになってる私の姿をご覧になったかと思いますが、そんなあなたも、ホモフォビアというものすべてについてちゃんと怒ってくれているのでしょうか」

今月7日、女性2人が血だらけでロンドンのバスの中に座っているというショッキングな写真がTwitterにどっと流れてきた。日本語圏でも話題になっていたから、見た人も多いだろう。

07june2019.jpg私が見た画面では多くが報道記事のフィードで、写真はTwitter Cardで表示されるようになっていたのだが、中にはローカルに保存した写真を単独でツイートして、自分の言葉を添えたものもあったかもしれない。

ショッキングだったのは写真だけではなかった。彼女たちはカップル(同性カップル)で、5月30日にロンドンのカムデンのバスの中で「今ここでキスしてみろよ」などと男たちに絡まれ、それを拒んだら、こういうふうになるまで殴られたという。あのカムデンでこんなことが起きるなんて!

あまりに痛々しい写真で、写真を「さらす」ようなことも殴られた彼女たちが気の毒な気がしたが、記事のメモということでGuardianのフィードとMetroの記事のツイートを何件かRetweetした。

その後、警察が動いて加害者が特定され(ロンドンのバスの中は、IRAが暴れていたころからの「テロ対策」でカメラが設置されている)、翌日には5人が逮捕されていた。5人ともティーンエイジャーだ。

2人の女性のうち髪の色が濃いのはメラニアさんという方で、姓も職業も報道されていたが、もう1人の金髪の女性は「クリス」というファーストネームしか報道されていなかった。

さて、6月16日のガーディアンのトップページに「バスで血まみれになってる私の姿をご覧になったかと思いますが、そんなあなたも、ホモフォビアというものすべてについてちゃんと怒ってくれているのでしょうか」(超訳)という見出しが出ていた。筆者名はひとこと「クリス」。スーダンやらイランやらで10日近く前のロンドンでの出来事のことは正直忘れかけていたが、ああ、あのカムデンで殴られた人かと思い、記事を読んでみたら、これはすごい。低気圧だの暑さだのでダルさMAXなのだが、思わず超訳に着手するレベルだった。

You saw me covered in blood on a bus. But do you get outraged about all homophobia?
Chris
https://www.theguardian.com/commentisfree/2019/jun/14/homophobic-attack-bus-outrage-media-white

【以下、超訳(原文の文意をゆがめてはいないつもりですが、読解を間違えていたらすみません)】

6月7日のこと。あなた知り合いでしたっけみたいな人たちから突然、続々と連絡が来た。曰く「あれ、見ました?」

善意しかないのはわかってんだけど、「あれ、見ました?」って、何で聞くの。全世界的にヘッドラインを賑わせた例の写真なら、撮影直後に見てますけど。

写真を撮られたとき、私はひたすら泣いていた。頭が痛みでガンガンしていた。隣にいるのは私の彼女、メラニア・ゲイモナト博士で、彼女は私より落ち着いていたけれど、シャツの前は滴り落ちる血で赤く染まっていた。警察を待っている間、まずはバスの床に散っている自分たちの血の痕を撮影し、最後にまだ血が止まっていない自分たちの顔を撮影した。自分たちの顔――白くて女性的で、髪もきれいに整えられた顔――が全世界で拡散されるのを、リアルタイムで見ていた。私はネットに自分をさらしていないので、メラニアは私の名前や背景情報を守ってくれた。(注: メラニアさんの簡単なプロフィールは、事件後の報道記事に出ている。ウルグアイ出身で医師の資格を持っていて……etc)

正確性に疑問ありまくりの、やたらと刺激的な調子のヘッドラインを最初に見たときは、ゲタゲタと笑ってしまった。「キスを拒んだレズビアン、殴打される」って。そもそも私はレズビアンではなくバイセクシャルだ。まあそんなことはどうでもいい。

あのとき実際に何がどうなったか、アドレナリンのせいでよく覚えていない。頭にくることに、正確なところどんなふうに始まったのか、覚えていない。私の怒りは今も収まっていないが、それはバスにいた阿呆どもに対するものではない。殴られてひどいことになってる私の顔が、さくっとページビュー稼げる素材として軽く扱われたことに怒りを覚えているのだ。

数日間にわたって、私たちの血まみれの顔写真は、人々の野次馬根性を満足させ、ニューズ・コーポレーションやシンクレア・ブロードキャスト・グループなど、私自身の価値観とは相容れない価値観を持っている企業を潤した。私の許可も撮らずに私の顔を掲載したメディアの多くは、人種差別・女性嫌悪(女性蔑視)・外国人嫌悪の発言の場やそういった考えを持っている政治家たちを支持している。同性愛に反対し、人種差別的で植民地主義的な政策に賛成してきた政治リーダーが、長いキャリアにいよいよ終止符を打つことになるという日に私たちに対して「お気の毒なことでした」と表明して見せた(注: 7日に保守党党首を退いたテリーザ・メイのこと)。セレブのみなさんが私たちのあの写真をインスタにアップし、政治家たちがとりあえず一応的な態度で記事のフィードをリツイートし、BuzzFeedのリスティクルではアイテム化された。メディアの大騒ぎはひたすらばかばかしく中身などなかったが、メラニアは時の人になったことを利用して、あの暴力の中に埋め込まれていた女性嫌悪を明らかにし、こんにちのヘイト・クライム発生率を話題にした。彼女の行動をきっかけに、世界じゅうのクィアたちが自分たちの身に起きたひどい出来事を語りだした。

ところで、うんざりするほど何度も聞かされたのが、「こんなことが今どき起きるなんて……2019年だというのに」という発言だ。正直、何言ってんすか、と思う。この攻撃も、その後のメディアの大騒ぎも、2019年の現在、普通のことだ。私の出身地である米国でも、ここ英国でも、肌に色がある人々、先住民族の人々、トランスジェンダーの人々、障碍のある人々、クィアの人々、貧しい人々、女性たちや外国出身者(順不同)の身体は、これまで常にかっこうの標的だったし、今も現にそうであり続けている。

実に多くの人々に、私たちの金儲け主義で白人優越主義で父権主義的なシステムが強いている暴力や抑圧の多くを、私が受けずに済んできたのは、白人で、健康状態もよく、教育も受けられた私が有している特権のせいに過ぎない。それは私の人格の本質とはまるで関係のないことだ。

マスコミであれほど取り上げられたことも、警察がすばやく動いたことも、私たちの肌の色と無縁ではない。ブルネットの美女と金髪の美女がひどい目にあわされたことについてのネットでのあまりに過大な反応もそうだ。私の顔のコモディティ化と過度な利用は、常に迫害されているのに私たちのときのような怒りを引き起こすことにはならないような被害者たちを放置したうえで、成り立っていることだ。

私たちが殴られたことに対する尋常ではない大きな反応を、普通のことにしていってほしい。誰が殴られても、同じようにわーわーと大騒ぎすべきだ。このエネルギーを増幅し、まとめあげて、2019年に起きた1件の暴行事件のずっと前から、はっきり見てわかる形になっている不平等を現状として維持し続けてきた議員や政府当局、企業の責任を追及していくようにしてほしい。

レインボーを掲げた金儲け主義にお金を落とすことはもうやめよう。肌の色のある人々が主導する組織が正義を求めて戦っているのだから、お金はそちらに落とそう。私はthe Astraea Lesbian Foundation for Justice, Trans Women of Color Collective and Transgender Legal Defense and Education Fundに寄付をした。2人の見目麗しい、白人の、シスジェンダーの女性2人の写真を見て初めてプライド(ゲイ・プライド・パレード)について投稿せざるをえない気持ちになったのなら、その理由を問うてほしい。


Muhlaysia BookerDana Martin, Chanel Scurlockの名前を知り、この人たちに何が起きたのかを知ってほしい。私が顔面を殴られるずっと前から、私たちの政治的、経済的、社会的構造によって周辺に追いやられているコミュニティの基本的な権利と安全のために声を上げている人々を、もっと目立つ存在にしていってほしい。リーダーとしてふさわしい人々を見つけるには、調べものも必要だし、リアル世界での行動も必要だ。今日のヘッドラインにはそれが欠けていることが多い。自分たちのため、互いのために立ち上がり、反撃していかねばならない。



※この記事は

2019年06月16日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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