「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2019年01月20日

北アイルランド、デリーで自動車爆弾が爆発した。The New IRAと見られる。

「久しぶり。でもあのまま消えててくれて、よかったのよ?」的なニュース。デリーの中心部でカーボムが爆発した。場所はビショップ・ストリートの裁判所前(ビショップス・ゲートのすぐ内側)。爆発があったのは19日(土)の午後8時過ぎ。

「友人の家に行ってて、外に出たら異様なことになってる」という人の映像レポートがYouTubeにアップされていた。何が起きたのかがまだよくわかっていない段階、「第一報」の段階で、警察の封鎖のテープが張られる直前だ。



15分前にサマリタンズに予告があり、その前に警察が不審車両に気付いて一帯のレストランやバー、ホテルなどアコモデーションや家屋などから人々を退避させており、大きな爆弾だったわりには、負傷者は出ていないし、近隣の建物に特に大きな被害が出たという様子も伝わってきていない。警察の人も脅威を過大評価はしていない。




久しぶりだったせいか、日本語圏でも共同通信記事として配信されている(中身は「BBCなどが報じた」の形式だが)。

そして、久しぶりだったせいか、ことのほか、私個人がショックを受けている。記録をとっておくために、何度も繰り返し同じ写真を見てしまったのがよくなかったのだろう。全然ショッキングな写真ではない。「道路の向こうの方で何かが燃えている」だけの写真や「夜になって暗い街が警察に封鎖され、誰もいない」という写真だ。しかしそこに見えているものに、自分の頭の中で勝手にいろいろ補ってしまい、自分が(何度も)遭遇したボム・スケアを思い出して――それも生々しく――気分が悪くなってきた。すぐにおさまったけど。

自分が管理するTwitterの北アイルランド(NI)のリストを見て、記録しておくべきと感じたものは、記録してある。下記。

北アイルランド、デリーで自動車爆弾が爆発(2019年1月19日)
https://matome.naver.jp/odai/2154796398782735701

試行錯誤して何とか制限字数(150字)に落とし込んだリード文:
北アイルランド紛争期に最もひどい暴力が見られ、和平合意後も和平に反対する武装勢力の活動が見られる都市のひとつ、デリー(ロンドンデリー)中心部で、かなり大きなカーボムが爆発しました。事前に警察に予告があり人的被害はありませんでしたが、彼らの活動はまだ続いているということが見せつけられました。


guardian20jan2019.png  bbcnews20jan2019.png

周知の通り、Brexitに関するメイ内閣のPlan Bの公表日が21日(月)に迫り、Twitter上でもマスコミでも議論がますますヒートアップしている。そんな中で、焦点となっているアイリッシュ・ボーダーの地域(デリー市はフォイル川の西岸。爆発現場となった市街地から少し西に行けばアイルランド共和国のドニゴール州との境界線がある)で起きたこの爆弾事件は、メインランド(ブリテン島)のメディア――もっとはっきり言えばイングランドのメディア――でもトップページで取り上げられていて(上図)、北アイルランド脳の私は「MI5がテロ警戒を強めると騒いでいる中でもなく、人的被害がないボムとしては注目度が高い」と思ったのだが、北アイルランドからは「Brexitのこの文脈があってもほぼスルーですか、そうですか」的な声が出ていた。

確かに、バランスがおかしい。

今回のデリーのボムはテロリズムだ。明白なテロリズム。The New IRAと呼ばれる武装組織(元Real IRAが再編したもの)とつながりがある(が、公的には「別個の組織ですよ」と言い張っている)政治集団が、Twitterで「事実上の犯行声明」と言えるものを出している(それも上記NAVERまとめに入れてある。個別にブログに貼り付ける気にはとうていなれない)。そしてこの集団、マジで激ヤバの集団である。1998年のオマー爆弾事件(刑事ではまともに裁判できず、民事で人命についての損害賠償命令が出ている)も、今年でもう10年になる2009年の英軍基地襲撃(裁判がポシャって、その後動きなし。未解決)も、この集団だ。でも、英国のナショナル・メディアはまるで注目しようとしていない。

北アイルランドも、アイリッシュ・ボーダーも、イングランドにとってはそんな程度の存在に過ぎないのだろう。(その「注目のなさ」は、テロリストたちに宣伝の機会を与えないという形でも作用しているにせよ。)

パロディ・アカウントの「アイリッシュ・ボーダー」がこんなことを言ってた。苦笑するよりない。




昨日だっけな、おとといだっけな、イングランドのジャーナリストが「DUPなんて知らなかったあのころに戻りたい」的なことを(冗談交じりに)言ってるのも見た。誰かが画像として貼り付けていたのが回覧されていた……今、探してみても見つけられないのだが。

それにしても、デリーはこういうので有名になりつつあるのにな。



(笑)


※この記事は

2019年01月20日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:59 | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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