「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2016年07月09日

米国では、複数の「黒人」が警察に殺された今週を締めくくるのは、ダラスでの警官銃撃・殺害という流血だ。

もう、あまりに流血ばかりだ。

米テキサス州ダラスで、大変なことが起きた。ダラスでは1年前、2015年の6月にも警察署をガンマンが襲撃し、車で逃げ回り、最終的には警察の銃撃で死亡するということがあったが、今回の事件はそんな無茶苦茶な事件をも軽くしのいでいる。

8日(金)、カルト集団イスイス団を脱会した人のインタビューを日本語化して連続投稿していたときに、画面上に #Dallas というハッシュタグを見かけた。連続投稿の作業が終わってからそのハッシュタグを見てみると、すでに3人が死亡していた。




死者はその後も増加し、24時間後には5人が死亡している。負傷者は7人。銃撃者が撃ったのは警官で、負傷者の中には一般人が1人いるが(子供をかばって覆いかぶさった女性。脚に被弾したが命に別状はない)、生命を奪われたのはみな、警官である。

すでに大きく報じられている通り、銃撃者は警官を殺すことを目的としていた(詳細後述)。

この日、全米の各都市で、米国で今週連続して起きた「警察による黒人殺し」への抗議行動が行われていた。ダラスでも行われたそのデモに、いわば便乗するようにして、銃撃者は警官を標的とした。

ここではっきりさせておかなければならないのは、警官に対する銃撃は、抗議デモの中から行われたのでは*ない*ということだ。特に日本語では、ひとつには最初の情報が(微妙に)変わってもそのまま使われ続ける傾向があるために、また文字数制限に合わせるための編集作業(文の書き換えの作業)で、その作業の担当者が英語を参照しない場合やそもそも理解しない場合には元の英語の情報とは離れた文意になってしまうことがあるために、情報が微妙に正しくなくなってしまうことがままある。ただ、今回のダラスのケースでは、私も最初のころは英語圏のツイートで「デモ(隊の中)から銃撃」という調子のものを見たので、英語でも最初期の情報が不正確だったのだろう。

その点については、非常に早い段階で、現場にいた人が状況をはっきりさせるための説明をFacebookに投稿していた(それがキャプチャ画像としてTwitterにも流れてきていた)。




"Any news headlines you are reading right now are NOT VALID" 「現在、皆さんが読んでいるニュースの見出しは、どれも、有効ではありません」, "the gunshots did not come from someone in the demonstration" 「銃撃はデモ隊の中にいた人から来たのではありません」, "They came from above, in a parking garage" 「銃撃は上方から、駐車場の中から来ました」。デモ隊の人々は、自分たちが銃撃対象になっていると思ったという。しかし実際には、標的は警官隊だった。そして警官隊が撃たれたということから、「警官と敵対している側、すなわちBlack Lives Matter (BLM) のデモ隊が撃った(のだろう)」と短絡して、思い込みで「デモ隊の中から発砲」と断言してしまう人も出た。だが事実は、デモ隊とは別に、銃撃者がいた。

デモが行われている大通りに面した高い建物に潜んでいた銃撃者は、デモの警備・誘導の任に当たっていた警官を狙撃した(実際に英語で "snipe," "sniper" と表現されていた)。事態が進行中の間(まだ銃撃者が動いていた間)に、Twitterにはさまざまな人がさまざまなことを書き込んでいたが、デモで警官が大勢出てくるのを狙ったのだろうということで、最悪のことを予想していた人もいた(最悪のこと=オーランドのゲイ・クラブ銃撃、あるいはバングラデシュのダッカのカフェ襲撃と同じ背景の攻撃)。だが結果的には、それは杞憂だった。かといってこの現実が「最悪」でないとは思わない。







無差別銃乱射の犯人が、自宅を爆発物(ボム)製造の場としていたということは珍しくはないかもしれない。たとえば映画館銃乱射事件のジェイムズ・ホームズがそうだ。だがホームズには特に思想的な動機があったわけではなく、「テロリスト」というより「凶悪な大量殺人者」だ。ダラス警官銃撃の容疑者はそうではない。思想による暴力、思想による標的の選定……そういう人が白人優越主義の側にいるなら、誰も驚きはしないだろう。「極右思想+銃+ボム」はありふれた組み合わせだ。しかし、いわゆる「エスニック・マイノリティ」の側に「思想+銃+ボム」があるというのは、ブラックパンサーなどのことを知ってはいても、いざ、現実のニュースで出てくると、まあ、「うはぁ」とは思う。「人種戦争 race war」か、と。





この衝撃に、「こういうときはニュース速報より、自分に力を与えてくれる言葉を読みたくなる」ということをツイートしていたBoing BoingのXeniは、この言葉を持ち出している。









正直、「アメリカの警察のレイシズム」という問題について、私は個別のニュースを細かく(Twitterなどで)追うほどの関心は持っていない上に、今週は英国でBrexit関連の余波(保守党党首選、UKIPファラージの党首辞任など)とチルコット報告書という大きなトピックがあり、さらにラマダンの終わりにカルト集団のイスイス団が暴虐の限りを尽くしていて、米国の「警察による黒人殺し」のことは、BBCなどのがっさりした記事でさえもチェックできていない(していない)。ただ、ヘッドラインとリード文だけは見たので、ミネソタ州ルイジアナ州で何があったのかは知ってはいた(ルイジアナ州のほうは、「黒人殺し」があった町がバトン・ルージュなので、またもや服部君の事件を思い出さずにはいられなかった)。そしてそれら、ヘッドラインとリード文だけでもオナカイッパイになるような今週の「黒人殺し」については、ダラスの事件が起きてから、日本語化されているWIREDの記事を読んで、その内容に震撼している。

背筋が凍るようなその動画は、「何が起きているか見ていて」という嘆願の言葉から始まる。

ラヴィッシュ・レイノルズがそう嘆願したのは、ボーイフレンドのフィランド・キャスティルのためだった。キャスティルは、ミネソタ州ファイルコン・ハイツで7月7日(米国時間)、(バックライト不備で)職務質問を受けた後に警官から銃で撃たれて致命傷を負った(その後死亡)。

http://wired.jp/2016/07/09/philando-castile/


彼女は彼が撃たれて負った傷がそんなに深刻なものだとは最初は思っていなかった。だからこそ「ネットで中継」なんてことをしたのだろう。ブチ切れてわめきたてる警官が落ち着いたら病院に急いでいって手当てをしてもらい、それから「大変な目にあった」と彼がカメラに向かって語る映像をアップしよう……というふうに考えていたのではないか。何しろ職質を受けた理由が「バックライトの不備」だ。小さなこと、ほんの小さなことだ。それでこんなふうな目に遭わされるという現実。しかも加害者である警官は、制度上、同時に目撃者でもあり、撃たれた被害者は「警官が銃撃すべきと判断したような不審人物」である。被害者がとにかく圧倒的に弱い。そこに「公平」をもたらすものがあるとしたら「外部の目」で、彼女はそれを期待して映像をFBに流した。

「Facebookで広まってほしいと思いました。そうすれば、みんなが見ることができるからです」と、レイノルズは事件の後に語っている。「誰が正しくて誰が間違っているのか、人々に決めてもらいたいと思いました。皆さんに証言者になってもらいたかったのです」

http://wired.jp/2016/07/09/philando-castile/


ラヴィッシュ・レイノルズがFBに流した光景は、NYTの一面に掲載された。NPRの政治部Don Gonyea記者が次のようにツイートしている。





フィランド・キャスティルのハッシュタグ、#PhilandoCastileは、見始めたらどれだけ時間があっても足らないだろう。

幼い子供のいる彼は、殺されたのは33歳になる直前で:








学校のカフェテリアで働いていて、500人の生徒たちの名前と、食物アレルギーの有無を記憶していたという。








「ハッシュタグになる前はクールだった。職場はスクールだった。……」




フィランドを追悼するために州知事公邸の前に集まった人々。




国連からもメッセージが出ている(そして「口出しされて不快」とか言う人々がまたわんさか発言するのだろう)。






銃撃した警官の名前もわかっている。




ミネソタ州でフィランド・キャスティルが「ハッシュタグになる」2日前の7月5日に、ルイジアナ州でハッシュタグになったのがアルトン・スターリング #AltonSterlingだ。彼の場合、車のライトが壊れていたわけでもない。ただ、コンビニの前でCDを売っていただけだ。

……7月5日、ルイジアナ州バトン・ルージュでアルトン・スターリングが射殺された事件もまさにそうだ(銃を持った男がいるという知らせを受けた警察は、同氏を地面に押さえつけながら至近距離から銃撃。その様子は動画で撮影されて公開された。動画を見ると、当時スターリングは銃を身に着けていなかったことがわかったという。なお、米国では、警官に射殺される者の数は2015年1月から5月の間に385人と報道されている)。
http://wired.jp/2016/07/09/philando-castile/


彼を殺した警官は、どうもいわくつきだったようだ。




このニュースで、ビヨンセは、グラスゴー(スコットランド)でのコンサートにおいて警察の暴力による死者を追悼する時間をステージに組み込んだ。






アルトン・スターリングとフィランド・キャスティル。「ハッシュタグになった」2人の米国の市民は、2014年のファーガソンで巻き起こり、以後も警察の暴力で黒人が殺されるたびに街で唱えられてきた "Black Lives Matter" というスローガンを再び、メインの舞台に引き戻した。




そういう流れがあった(ことは把握はしていても、上述したとおり、注目はしていなかった)ところに起きたのが、8日のダラスの事件である。






Twitterでは、イラクやシリアについて分析・解説などしている人たちも、ダラスの警官銃撃について話をしていた。この時点では銃撃者が誰なのか、どういう人物なのか、どういう背景があるのかもわかっていなかったが、「素人じゃないな」ということは誰の目にもはっきりわかるようだった。しかし米国では、銃を使う事件の当事者が「素人ではない」ことは珍しくなかろう。武器の入手が難しいわけでもない。





ルイジアナ州で警察に殺されたアルトン・スターリングさんのご家族は、ダラスでの警官銃撃を強く非難している。















これを「人種戦争」にしていこうという人々もいる

そうはさせないということを、特に他者に示す(デモンストレートする)つもりでなく、自然と示している人々もいる。




Hope not hate.







@reportedly のキュレーションが本領発揮しまくっていたので、アーカイヴした。(アメリカのことだけでなく、世界各地のことが同時に流れてきているので、かさが増えているが。)







書き始めたときに本題にするつもりだったパートにまだたどりつけていないのだが、アップロードしないと下書きフォルダで塩漬けにしてしまうので、とりあえずここで。

※この記事は

2016年07月09日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 16:15 | TrackBack(1) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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今度はバトンルージュ(米ルイジアナ州)で警官が銃撃され、右翼は勝手にBLMと関連付けて騒ぎ立てている。
Excerpt: 1つ前のエントリと同じ書き出しだが、すさまじい勢いで次から次へと大変なことが起きていて、何一つ追いついていない。今日はこうなっている。 Home - BBC News via kwout 17日(..
Weblog: tnfuk [today's news from uk+]
Tracked: 2016-07-18 09:13

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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