「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2016年10月03日

コロンビアの「歴史的和平合意」は、レファレンダムで僅差で否決された。

今日は、「コロンビア和平が成立した。今年のノーベル平和賞は確実だろう」と書いて、関連のニュース系フィードをクリッピングするつもりだったが、予想外の結果が出た。しかも、ここ数年で「僅差で決まった」と描写されたレファレンダムや選挙の中でもとりわけ「僅差」度が高い。

BBC Newsは既にトップニュースからは落ちているが(「賛成」で決まっていたらたぶん延々とトップニュースにしていたはずだ)、ガーディアンのインターナショナル版では今もトップニュースだ。



Colombia referendum: voters reject peace deal with Farc guerrillas
Sibylla Brodzinsky in Bogotá
Monday 3 October 2016 12.10 BST
https://www.theguardian.com/world/2016/oct/02/colombia-referendum-rejects-peace-deal-with-farc

President Juan Manuel Santos fails to win approval as voters balk at an agreement that included amnesty for war crimes


ガーディアン記事は、この和平を進めたサントス大統領が当選した2014年の選挙での投票状況と今回のレファレンダムでの投票状況のマップを並べて比較している。

Santos, who watched the results come in at the presidential palace in Bogotá, said he would send his negotiators back to Havana to meet with Farc leaders on Monday. “I will not give up,” he said in a televised address. “I will continue seeking peace until the last day of my presidency.”

He added that the bilateral ceasefire that has been in place since 29 August would continue.


(これは「エクストリーム交渉」のフラグ……ついに北アイルランドに強敵出現か)

日本のメディアの報道の例:
コロンビア和平、国民投票で「反対」が勝利
朝日新聞デジタル 10月3日(月)8時3分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161003-00000010-asahi-int&pos=4
or http://www.asahi.com/articles/ASJB32J25JB3UHBI00D.html

選管当局によると、開票率99・59%で、和平合意の内容に「反対」は50・23%、「賛成」は49・76%だった。


事前の世論調査では「反対」は4割弱だと言われていた(上記朝日記事にもあるが、英語圏の報道でも見た)。

コロンビア和平のプロセスは、北アイルランド和平をひな型のひとつとして進められてきた。北アイルランドの当事者(IRAおよびシン・フェインも、ロイヤリストの側も、また武装主義を拒否してきた政治家たちも)がコロンビアに行ってパネル・ディスカッションを行なったりしている。

その北アイルランド和平では、IRAおよびシン・フェインが1980年代半ば以降取ってきた「機関銃と投票箱 (Armalite and ballot box)」の方針が、追認・支持されたのかどうか、ということが、和平合意(1998年4月、ベルファスト合意、別名「グッドフライデー合意 GFA」)後のピース・プロセスにおいて、多かれ少なかれ、常に議論の対象となってきた。GFAは政治家たちの間で署名された後、北アイルランドとアイルランド共和国(アイルランド島全島)でのレファレンダムで人々の(ここで「国民の」と表記できないのがアイルランド)信を問い、北では「賛成」が71.1%、「反対」が28.9%という結果を得、共和国では「賛成」が94.39%、「反対」が5.61%とすさまじい結果となった(出典はウィキペディア。共和国は、「アイルランド」の領土を定めた憲法の改正が必要となったので、それを国民投票にかけた)。

しかしこのように「賛成」が圧倒的に支持されたGFAでも、「武装組織のやったことについては、事実上、『免罪』される(ことになるのではないか)」という点での反発はかなり大きかった。北アイルランドでは、「そういう話をする以前に、とにかく武装行動の停止と北アイルランドの脱軍事化が必要だ」ということで圧倒的多数の人々の意見の一致をみた。

しかしながら、和平プロセスにおいて "peace before justice" と称されたGFAの特性は、その後もずっと長く問題を残し続けている。「過去 past」をどうするか、という問題は、今なお、決着がつきそうな感じはしない。和平合意から18年が経過し、表面的にはすっかり「普通の政治体制(と、ごくわずかな『反体制派』の武装活動)」になった2016年も、現在進行形だ(なので現在完了進行形である)。北アイルランド紛争においては「武装組織」は、大きく分けて3派ある。リパブリカンとロイヤリストと英軍だ。そのうち、リパブリカンとロイヤリストは2000年代後半から対話・交流のプロセスを進めている。微妙なのは、特に民間人に対する暴力を行使したケースにおける英軍で、訴追を求める人々と、「国家の暴力装置」を守ることを最優先とする英国政府の間での、傍目にはわかりづらい綱引きが続いている。

そのように「決着」にはまだ遠いけれども、北アイルランドはもう二度と、かつてのような「武装闘争」/「テロリズム」の支配する社会に戻ることはない。意見の違いはあれど、その意思は社会全体で共通している。それを共有せず、今なお「武装闘争」に理を見出している勢力は「ディシデンツ dissidents」と扱われている(「そんなかっこいいものじゃない」という声もあるが)。「和平」路線というか「和平」の状態を転覆させることを目的とする彼らディシデンツの活動は、決して甘く見ることはできない性質のものだ。それでももう、彼らがメインストリームになることは、まず、ない。

北アイルランドはそのような「武装活動の停止」を何より優先したのだ。そこで「清濁併せ飲む」というか、「濁をも飲んでるのに、清だけを飲んでるふりをする」、あるいは場合によっては「少量の清を飲みつつ、大量の濁を飲む」ような態度が広く受け入れられたのは、プラグマティズムの現れなのかもしれないが、とにかく、ウォッチャーとしては年月を重ねるごとに、「アイルランドと英国だから成功したんじゃね?」と思えてくる。ばかげたステレオタイプなのではないかとも思うが、Brexitをめぐって「そんなん、絶対に欧州大陸では通用しないから」っていう話が北アイルランドの人から出てくるのを見るに、「現実には存在しないステレオタイプ」とは言い切れない何かが「英国式」のやり方にはある。(そして私はそれが好きなのだが……。)

ともあれ、北アイルランドでシン・フェインが「まともな政党」となり、その後アイルランド共和国でも「投票してもいいかなと思える政党」となったようなプロセスは、コロンビアでは受け入れられなかった、ということだろう。僅差で。

あと、「これからは武器に訴えるのではなく言葉だけでやっていく」というFARCリーダーの言葉が、どの程度信用されたか、という問題もあると思う。

“The Farc reiterates its disposition to use only words as a weapon to build toward the future,” said Londono, who is known by his nom de guerre, Timochenko. “To the Colombian people who dream of peace, count on us, peace will triumph.”

https://www.theguardian.com/world/2016/oct/02/colombia-referendum-rejects-peace-deal-with-farc


いずれにせよ、「和平合意は『賛成』多数との世論調査結果」という話が流れ始める前、「レファレンダムの結果がどう出るかは予測できない」という話だった今年8月下旬の英語圏の報道記事(ただの「出来事の報告」ではなく、背景の分析なども含め、日本の新聞記事の3倍くらいの文章量で書かれているような記事)を見返してみると、何か出てくるかもしれない。スペイン語が読める人ならインプットはもっとたくさんあるだろう(仲介したキューバの報道記事も含めて)。

気になるのは、「歴史的合意」のときに米国の影が薄かったこと(ジョン・ケリーはセレモニーに行っていたのに、肝心の一番の見せ場の写真には姿がなかった)、そして(というかそれ以前に)コロンビア内戦は単に「共産主義ゲリラの反政府武装闘争」であったのではないという側面の扱い……これがまったくスルーされているように見えるのだが、私のインプットが英語に限られているからだろうか。コロンビア内戦は、「防共」という目的で米国(特にCIA)が介入し、「反共主義の民兵集団」が現場で暴力を行使してもいた。2007年のガーディアン記事(今回の報道と同じ記者が書いている)などを参照。
https://www.theguardian.com/world/2007/jan/18/colombia.sibyllabrodzinsky

※書きかけ。このあと、「歴史的合意」の署名時の非常にセレモニアルな様子など、記録されているものをまとめて貼り付けます。

※この記事は

2016年10月03日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:58 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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