「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2019年04月14日

東京では、まだ桜が咲いている。

4月13日の今日も、東京のこのあたりの住宅街の中では、まだ桜(ソメイヨシノ)が咲いている。

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1本の木に、葉っぱだけになった枝(それも、葉っぱがもうかなり大きく育っている)と、「満開」状態の花だけの枝が同居しているものもある。下の方の枝は葉桜、上の方は花。背景には半月。

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Weather Newsに、「今年の東京の桜、ちょっと変?暖冬と季節外れの寒さで"マダラ咲き"に」という記事が出ている。いわく、上野公園の桜が満開だった期間は、過去5年(2014年から18年)平均は5.4日だったが、2019年は10日もあり、2014年以降で最長だったという。この理由について、日本花の会樹木医の和田博幸さんが「この冬は暖冬で休眠打破がしっかり行われないため目覚めが悪かった上に、開花後は季節外れの低温となってしまったため開花が一気には進まず、マダラ咲きを助長」したと考えられると説明している。

確かに今年は「マダラ咲き」だった。上述したように、1本の木の中で極端に状態が違っているのは満開になったあとだけではなく、咲くのもじわじわ、じわじわという感じで時間がかかっていた(下の方の枝が満開になったあとも、上の方はつぼみのままだった)。

とはいえ、すでにとっくに全部散ってしまっているような木もある。だがそれは一日中交通量が多い道路沿いだったり、商業地区だったりして、気温が安定して高そうな場所だ。

でも、3月の終わりに散歩に出たときには、かなり大規模な桜並木になっている場所で、日当たりなど特に条件に違いはなさそうなのに、「この木はもう満開に近くて、その隣の木はまだ2分咲きくらい」ということになっていた。


今年、最初に「桜開花」で写真をアップしたのが3月22日だったのだが:



もうそれから3週間経過している。


この現実に、「桜はパッと咲いてパッと散るのがいいねぇ」なんていう類型的な思考は通用しなくなってておもしろい。休みの日の公園の桜の大木の下で、3週間連続で、人々がお弁当を広げているのだから。

同時に私は、桜がパッと咲いてパッと散るのは、そういう植物だからではなく、そういう条件があったから(そしてそういう条件が整っているのが通例だったから)ということを初めて知らされて、何か感動している。実際、いつまでもダラダラと咲き続けているソメイヨシノなんて初めて見るのだし。

もう八重桜も咲き始めた。ツツジもハナミズキも咲き始めている。

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そしてまだ、ソメイヨシノが咲いている。ハナミズキとソメイヨシノの花期がカブるなんて。

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こんなことでも、しっかりと確認できる形で記録しておかないと、ぼや〜っとしたイメージだけを残して記憶からは消えていってしまう。そして記録がないと、誰かにこれを伝えても「証拠がないから嘘」呼ばわりされるだろうし、「東京で3週間も桜が咲いていたなんてデマを流すのはいい加減にしてくださいw」みたいなのが将来湧いてこないとも限らない。

※以上、Flickrを使わなくなったので、こちらにアップした写真。このページの写真は クリエイティブ・コモンズ 表示 - 非営利 - 継承 4.0 国際 ライセンスの下に提供されています。画像をクリック/タップして表示されるフルサイズの画像をお手元にダウンロードしてご利用ください。使用カメラはRicoh CX5で、撮影モードはオート、ホワイトバランスとかもだいたいオート。

*Pictures taken by nofrills, CC BY-NC-SA 4.0. If you are not for profit, feel free to use full-size images that are available by clicking on each picture.

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス




※この記事は

2019年04月14日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 00:02 | 雑多に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼