「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2019年02月05日

妄想に規定された、Brexitをめぐる風景(2019年1月以降現在までのざっくりとしたまとめと、覚え書き)

私の見るパソコンの画面の中で、妄想が現実を侵食している。その「妄想」は何も新しいものではない。過去にも見かけはしている。そのときはドン引きしつつ「あー、はいはい」と流したりしていたものだ。しかし、最近――英国会下院でのテリーザ・メイの "meaningful vote" 以降は目に見えて――ドン引きしながらも生温かく見守ることができるという限界を超えている。目にしたら「何これ!」と叫んでしまう。あるいは見なかったことにしてそっ閉じして、その後は近寄らないようにしてしまう。(それがどういうののことかは本稿もっと下の方に書いてある。)

2019年1月15日の "meaningful vote" でメイがEUとの間に取り付けてきた合意(協定)案が歴史的大敗北を喫して以降、Brexit(ブレグジット)をめぐる英国内の論点としては、選択肢は「Brexitしない(英国がArticle 50の発動を一方的に取り消す)」、「期限日(3月29日)の延期」、「合意なし(no-deal)のBrexit」、「再度のレファレンダム(People's Vote)」、そして「メイが持ってきて否決された合意案の修正」の5つになっている。

「Brexitしない」という選択肢は、事実上、理論上のものにすぎない。与党保守党のみならず、最大野党(the Official Opposition)の労働党もEUからの離脱は実行する構えだからだ(2018年12月の時点で、労働党のジェレミー・コービン党首は「総選挙をやって政権交代しても、Brexitは実行する」と明言している)。

同じ理由で、「再度のレファレンダム(People's Vote)」もほぼ可能性はない。2018年10月には、ロンドンでPeople's Voteを求めるデモが、すさまじい規模で行なわれたし、それは日本語圏でもニュースになっていたが、何十万人もが街頭に出たからといって、それがウエストミンスターの議事堂内で討議されることにはならない。労働党は、かなりの数の議員たちがPeople's Voteを支持していても、党執行部は「断固Brexitを推進」の方針を貫いている。そもそも、再度レファレンダムを行なったところで、Brexitしない(EUに残留する)という結論が出るという保証もない(世論調査では「今実施すればEU残留になる」という結果が出ているとたびたび報じられているし、1月以降は企業が次々と英国から出て行くというニュースが続いているので、論理上は「こんなことになるならEUに残留したほうがまし」と考える人が増えていると考えることはできるが、「もうここまできているのだから」と考える人も増えているかもしれない。そもそも「事前の世論調査」があてにならないことは、近年の選挙結果が示している通り)。

というわけで、現時点で現実味のある選択肢として残っているのは、「期限日(3月29日)の延期」、「合意なし(no-deal)のBrexit」、「メイが持ってきて否決された合意案の修正」の3つと言えよう。

そのうち、現政権がやろうとしているのは、「メイが持ってきて否決された合意案の修正」である(当たり前といえば当たり前だが)。その「修正」を要求しているのは、保守党内のBrexit過激派(昔は「欧州懐疑派 Eurosceptics」と呼ばれていた人たちが、今は「Brexit過激派」になっていると思ってだいたいよさそうだ)で、どこをどう修正しろと言っているかというと、例の「バックストップ」である。つまり「バックストップを除去せよ」と。

日本語圏ではこの「バックストップ」問題は主に関税同盟(CU)に関する経済問題として取り上げられているらしいが(日本語報道はほとんど見てないので勘違いしてたら失礼)、実際のところ、コンスティテューショナル・プロブレムってやつで、つまりは19世紀終盤からずっと「英国の政治リーダーの誰も解決できない」と言われている「アイルランド問題」である。この件、書いてると多分1週間くらいかかるので、ここではツイートの貼り付けだけ。明日(2月5日)が山場になりそうではある。関心がある人はアイルランドの報道(アイリッシュ・タイムズとかRTEとか)をウォッチしてるといいと思う。



It’s also hard to explain why the Brexit backstop – an insurance policy proposed between the EU and the UK to avoid a hard border, and extended to the whole of the UK at the latter’s insistence – is so critical. As the business editor of the largest media group in Ireland, I can give you chapter and verse about the economic threats a hard or no-deal Brexit poses for the Irish, Northern Irish and British economies. But you know about those already.

The reality is that no amount of economic modelling can capture the unquantifiable human and psychological costs of the return of a hard border. Many argue that technological solutions – drones and suchlike – will do the trick. This is farcical: you only eliminate physical checks between two territories separated by a border when they share a customs union and have broad regulatory alignment. Everything else is infrastructure.

As a journalist, I have been staggered by the scale and speed at which dangerous stereotypes and vituperative tropes – in some cases barely concealed racism – surrounding Ireland’s supposed intransigence have resurfaced in the UK’s political and media discourse. This process has been accompanied by astonishment in some quarters that Ireland, arguably England’s oldest colony, is a saboteur, reprobate or badly behaved underling for refusing to fall into line with the UK’s demands, if we knew what they were. When the BBC’s John Humphrys, one of the most prominent public broadcasters in Britain, asked Ireland’s Europe minister, Helen McEntee, why “Dublin” didn’t just leave the EU and “throw in their lot with this country”, Ireland uttered a collective gasp of incredulity verging on despair. What’s more alarming is that Anglo-Irish political relations, having warmed to a zenith of sorts in recent years, have plunged into a rapid freeze in a matter of months.

https://www.theguardian.com/commentisfree/2019/jan/31/ireland-hard-border-brexit-backstop-good-friday-agreement








※WA = Withdrawal Agreement

保守党内でメイに対し「バックストップを取り除け」と圧力をかけているBrexit過激派が推進しようとしている(あるいは「〜も辞さない」という態度を示している)選択肢が、「合意なし(no-deal)のBrexit」である。

メイとしては党内の主導権をBrexit過激派に渡せば自分は失脚するわけだ。だから、自分で作った合意に自分でダメ出しして(その合意を一緒に作ったEU側からの信頼を全部捨てて)、党内過激派の要求どおりの修正を加えることは、「合意なし」ということになって(既にボロボロで、なぜもっているのかわからないくらいの)自分の政権基盤が崩れ去るよりは、よいのだろう。

メイのこの態度は、批判的な立場から、英国政治ではめっちゃ「痛い」言葉であるappease (appeasement) という言葉を使って描写されたりもしている。


「期限日(3月29日)の延期」は、「Article 50の撤回」も「第二のレファレンダム」もできないならば……という一種の抵抗であるように私には見えるが、6月くらいまで延期される可能性は現時点で十分にあるとしても、何ら根本的解決にはならないし、今はそれを(そんなことを)本気で考える局面ではないという雰囲気が感じられる。よくわからないけど。

個人的に、私がBrexitで影響をこうむる立場だったら、間違いなく「Article 50の撤回」を求めていたと思うし、「People's Voteのデモ」にも参加していたと思うが、残念ながら、日々流れてくるニュースには、その方向への風は感じられない。

Brexitに関して、私が見ている英国のニュースは、「Brexit反対」のスタンスであるガーディアンだけと言ってよい状態なのだが(BBC NewsはもろにBrexit推進でしかも過激派推しだし、ニュースの映像で報道機関として信用するのはどうなのというくらいひどい加工をしていることがわかったので、BrexitのニュースはBBCでは見ないようになっている)、そのガーディアンでも、「Article 50の撤回」や「People's Voteの実施」へのムードの高まりは感じられない。

いや、1月15日の "meaningful vote" までは、「People's Voteの実施」への熱意は、少しはあったと思う。しかしあの採決のあと、労働党が「解散総選挙」を(本気でかどうかはわからないが)もくろんで国会で「内閣不信任案」を提出したことで、労働党内の「People's Vote派」も勢いを失ったように見える(私の勘違いかもしれないが。なお、その内閣不信任案は国会でわずか19票差で否決された。メイの合意案に反対票を投じた保守党議員やDUPも、メイを首相にしておくことには賛成したわけだ。わけがわからない。さらにいえば、その一月前の12月には、保守党内での「メイ党首の信任・不信任」の投票が行われ、メイはかなり余裕のない感じで乗り切っている)。

さらにログを見返すと、その後にも「Brexit支持者」が追い詰められてより必死になったのはこのタイミングかと思われることがあった。実業界の「EU離脱」推進旗振り役、掃除機のダイソンが本社を英国外(シンガポール)に移すと発表したことだ。「ただし単なる経営判断で、Brexitとは無関係」と当人は主張しているが、それを本心から真に受ける英国人はあまりいないだろう。




この日、「脱英国」を明らかにしたのはダイソンだけではなかった。ビジネスの拠点移転だけでなく、Brexitの扇動者たちが次々と、資産をEU圏内に移したり家族にEUのパスポートを取ったり、EU居住権を申請したりしているということが箇条書きにされて回っていた。












「戦争のアナロジー」はただ「勇猛果敢に敵に挑むのだ!」といった調子の言説だけではない。実際に、「Brexitしたら食糧難になるので今のうちに買いだめを」とかいったことが、今年に入ってからますます現実味を帯びて、真面目に語られるようになっている。まるで戦時下のように。



そういう中で、マージナルなアンダーグラウンドから、メインストリームに出てきた極右の妄想の言説がある。(これが本稿冒頭で述べたことだ。)

それはかつてネットの片隅でなら――例えば2006年のサッカーW杯(ドイツ大会)のときに、当時盛んに使われていたSNSサイト、MySpaceや、報道記事・ブログ記事についてるコメント欄の書き込みで、あるいは「すとーむなんちゃら」系の掲示板でなら――見かけた、というような言説だ。つまり、逆に言えば、そういうところに行かなければ見なかったような。それは、2016年のEUレファレンダム直前の時期に、(あとからわかったことだがロシアの工作の力もあって)あまりにも広範にネット上に巻き散らかされていたEU嫌悪の「デマ」(2016年秋の米大統領選挙以降の言葉では「フェイクニュース」)を、さらに一段階掘り下げたところに横たわっているヘドロめいたぐちゃぐちゃしたものだ。




ここで「ドイツ脅威論」(ドイツが英国にとっての脅威である、という論)を、「チュートン人(の)」というそれもんの言葉を使って吹聴しているのはマーク・フランソワ Mark Francois下院議員。1965年ロンドン生まれだから、デイヴィッド・キャメロンやボリス・ジョンソンとほぼ同世代だ。つまりそこそこ若い。2001年の総選挙の際に、引退する議員のあとを受ける新人として、エセックス州の保守党の安全区から立候補して当選し、その後選挙区の区割り変更も経ながらずっと当選し続けている。キャメロン政権下の2012年以降は、閣外大臣(ミニスター)として政権で重要な役割を果たし続けている政治家でもある。そういう人が、一昔前なら「極右の掲示板のような場所でなら使われているかもね」という言葉遣いを、BBCニュースでしている。言葉遣いだけでなく発言内容もすごいので、コメディの台本か、と思ってしまう。

下記はマーク・フランソワ議員の発言の数日前に私がネットで見かけたものについてのメモだ。





Heroic Failure: Brexit and the Politics of Pain
Heroic Failure: Brexit and the Politics of Pain


もちろん、フランソワ議員による「ドイツは脅威」という主旨の発言には非難の声が上がっている。例えばあるスコットランドの政治家は、ダンケルク作戦に参加し負傷した父親のことを語った上で、次のように述べている
The reality is we’re trying to do something to change a system which is immensely complicated, immensely complex, and by doing so with an extraordinary carelessness and xenophobia as we saw in Mark Francois’ remarks.

https://www.belfasttelegraph.co.uk/news/uk/mark-francois-remarks-were-obscene-wrong-and-should-be-condemned-37751705.html


このような非難の声に接して、私は安心する。しかし現実には、これと同時に、このような記事になっていない声があるのだ――フランソワ議員の「ドイツ脅威論」言説に賛同する声が。その声がどのくらいのものかはわからない。100人かもしれない。10人かもしれない。けど、そういった「記事になっていない声」が存在しているということは、無視できない。

そしてさらにBBC Newsがこういうことをやっている。定時ニュースの締めくくり、その日のまとめで「テリーザ・メイ首相は再交渉のためブリュッセルに行った」というメインのニュースを繰り返す際に、「戦争」の映像を重ねたのだ。



これについて、BBC Newsの中の人(エディター)は「ミスだった」と述べている。


これについて、BBCは(40年も前にモンティ・パイソンでおちょくられていたような)謝罪もしていないようだ。




そしてイングランドが敵視しているのは、ドイツだけではない。ルース・ダドリー・エドワーズのこういうのはいつものことだが(この人の発言は視界に入れないのが一番だし、北アイルランドの人たちも無視しているのだが、ときどき視界に入ってくるので困る)、それにしてもひどい。


そして、この馬鹿げた発言に対する下記のまぜっかえしは痛快だが:


イングランド(の一部)におけるこの「アイルランドのくせに生意気だ」というムードは、残念ながら本物である。責めたければ、北アイルランドのことをまったく考慮に入れずにあまりに大雑把なレファレンダムを実施したデイヴィッド・キャメロンを責めろと思うけどね。アイルランドの与党はアイルランドの与党としてすべきことをしているだけだ。そもそもFGは「統一アイルランド」を目指す政党だ(結党時United Irelandと名乗ってたんじゃなかったっけ)。英国のユニオンを自国の統一より優先している党ではない(「FGは」というより「FGも」だろう。アイルランドには、英国のユニオンを優先する英国寄りの党は、いるとしても弱小政党しかないんじゃないか)。


そして、そういうムードが全体を覆いつくし、おそらく「妄想が現実を支配する」域にまで達しているであろう界隈は、私の観測範囲には入ってきていない。入ってこない。さすがに、そこまで電波浴をしている趣味はないから近づかないのだ。

だが、そういうのを「電波浴」と片付けられるのかどうかを、私は知らない。ここでもまた、メインストリームの政治家がこうなのだから。



「チュートン人がー」発言のマーク・フランソワにせよ、「アイルランドがー」発言のドミニク・ラーブにせよ、そういう本を書いたり、そういうサイトを運営したりしているわけではないから、脅威論・陰謀論の類を広めることそのものが目的というわけではないだろう。彼ら政治家にとって、こういう言説には利用価値があるから利用しているのだろう(利用価値がなければ、たとえ個人的信念であるにしても、こういう形で公言はしないだろう)。

極端な、あるいはアングラな言説が表に出てくるときというのは、そういう言説の中の人たち・共感者たちが「チャンス」ととらえるようなことが現実に起きているものだが(例えば2011年3月の大震災を「考えを広めるよい機会」ととらえた陰謀論者が、Twitterのような場でさかんに「地震兵器」説を吹聴していたように)、Brexitをめぐるこのナショナリズム煽動、"Us vs Them" 思考でのThemに対する敵意の煽動は、ただ単に現実を「好機」として利用するだけでなく、その現実を変えてしまう力を持っている。

それを前に、どこまで、諦めずに否定的な目を持ち続けていられるか……私は実のところ、もう見ていたくないし、見ていられないという気分だ。まさかあの英国が、目の前でこんなふうになっていくとは、と悲しく思っているが、実は常に英国はそういうものだったのだろうとも思っている。自分がどこを見ていたのか、というだけの話で、実際にはこれまでも常にそうだったのだろう。ただし、それがメディアを通じて「拡散」されて私のところまで届く英国像ではなかったのだ。ネットとSNSの時代でメディア(媒体)なく情報が届くようになっただけなのだ。そして、それを受け止めるだけの環境(例えば、それについてよく知っていて、隣にいてくれる友人、など)があるかないかが作用している。


ティモシー・スナイダーの『暴政』は、20世紀の政治(特に1930年代と40年代)に起きたことから「20のレッスン(教訓)」を引き出し、箇条書きでまとめたメモに肉付けした薄い本だが(日本語版は新書サイズで、解説を入れても140ページくらいである)、その第9章が「自分の言葉を大切にしよう」という章だ。

これは、元の英語では、"Be kind to our language." となっている。原文が "be kind to" であることを確認したとき、私は少なからず驚いた。訳語以前の意味の問題として、これは「大切にしよう」というより、「ひどい扱いをしないようにしよう」ということだろう。つまり、「自分たちの言葉というものを、乱暴に、雑に扱わないようにしよう」。
Be kind to our language. Avoid pronouncing the phrases everyone else does. Think up your own way of speaking, even if only to convey that thing you think everyone is saying. (Don't use the internet before bed. Charge your gadgets away from your bedroom, and read.)

https://www.facebook.com/timothy.david.snyder/posts/1206636702716110


スナイダーは言う。「寝る前はネットを使わないようにしよう。機器の充電は、寝室から離れた場所でするようにしよう。そして本を読もう」(拙試訳)。「ネットの強み」として1990年代から喧伝され賞賛され、私(たち)も基本的によいものだと思っている「双方向性」は、ブラッドベリの『華氏451度』でも、オーウェルの『1984』でも、決して「よいもの」として描かれてはいない。

奔流のようなニュースのペースに乗って、メインストリームの政治家たちが無責任に吐き散らす憎悪と煽動のための言葉が降り注ぐとき、自分の身を守るには、まずそこから離れることだ。そして、言葉が欲しければ、(まともな)本を読むこと。

ていうかせめて、そういう「憎悪と煽動のための言葉」を「拡散」することは、なるべくしないほうがよい(私も拡散しないようにしているのだが、ときどき、どうしてもメモっておかねばならないと思うことがある。マーク・フランソワ議員の発言のツイートなどは、そのひとつである)。「何だこれは」と思って、もっともっと見て確認したいという欲求が心の中に沸き起こっても、その欲求を抑制したほうがよい。それは、抑制できない思いをエサにして、自分の中でどんどん広がっていくものだ。気付けば自分もBBCのカメラの前の議員と同じように「○○人がー」と脅威論を唱えるようになっていきかねない。

私たちの時代の政治家は決まり文句(クリシェ)をテレビにどんどん注ぎ込みますが、テレビでは、同意したくない人間でさえその決まり文句を繰り返すことになります。テレビは、政治的言語に対し映像を伝えることで異議を唱えるのだと称していますが、次から次へと映像が送られては「解像感」さえ殺がれ、意味を咀嚼するのが難しくなります。何もかもが急速に起きるのですが、なにひとつ現実のものとして捉えられないのです。……つまりは、私たちは、次々と押し寄せる波にうたれてはいるのですが、大洋を視野に収めることはないのです。

――ティモシー・スナイダー(池田年穂訳)『暴政―20世紀の歴史に学ぶ20のレッスン』(慶應義塾大学出版会、2017年)55-56ページ

※引用元原文ではカッコ内はルビ、下線は傍点であることをおことわりしておく。


暴政:20世紀の歴史に学ぶ20のレッスン
暴政:20世紀の歴史に学ぶ20のレッスン  
On Tyranny: Twenty Lessons from the Twentieth Century
On Tyranny: Twenty Lessons from the Twentieth Century


ガーディアンの書評より:
In the brief chapter that follows the suggestion to “think up your own way of speaking”, Snyder, a professor of history at Yale, dwells on the insights of Victor Klemperer, the great Jewish philologist who studied the ways that the Nazis commandeered language before they commandeered everything else. Klemperer noted how Hitler’s language explicitly undermined all and any opposition. “‘The people’ always meant some people and not others… encounters were always ‘struggles’ and any attempt by free people to understand the world in a different way was ‘defamation’ of the leader.”

Snyder does not name America’s 45th president in the course of this book, but the nascent administration is never far from his thoughts. Throughout his march to power, Trump used a narrowing of language in an identical way to that which Klemperer described, and has emphasised his populist project by the subordination of word to image. This is a presidency being shaped by the techniques and tone of television and Twitter and YouTube, rather than the progression of rational argument through sentence and paragraph. Trump’s admission that he never reads a book all the way through is symptomatic of his rhetorical style. He offers a “highly constrained [language] to starve the public of the concepts needed to think about the past, present and future”, Snyder argues. In the president’s frame of reference events are only ever bad or sad or mad. With his Dr Seuss vocabulary, he can present the world as a place of simplistic oppositions, stripped of nuance.

https://www.theguardian.com/books/2017/mar/20/on-tyranny-twenty-lessons-from-twentieth-century-timothy-snyder-review

※この記事は

2019年02月05日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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