「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2016年08月01日

カール・フランプトンの勝利と2枚の旗

日本時間で7月31日(日)の昼ごろ、米ニューヨークでボクシングのタイトルマッチが行なわれていて、英国では早朝4時とかいう時間帯だったにも関わらず、NIのリストはけっこう賑わっていた。タイトル保持者であるメキシコのボクサー、レオ・サンタクルスに挑んだのは、北アイルランドのカール・フランプトンだった。

ボクシングは競技団体がひとつではなく、体重別の階級も細かくて、普段、特に関心を持たずにいる自分には難しいのだが、この試合は「WBA」という競技団体の「フェザー級」という階級のタイトル戦だった(階級についてはウィキペディアに一覧表がある)。試合は、目の肥えた人々が口々に「すごい試合だ」とツイートするような充実した内容だったようだが、判定の結果、フランプトンが2-0で勝ち、チャンピオン・ベルトを掲げた。

それだけでも北アイルランドは盛り上がるだろうが、さらに、今回フランプトンは、1つ下の階級(スーパーバンタム級。かつて「ライトフェザー級」と呼ばれていた階級)から1つ上げてフェザー級で王者に挑んだのだが、以前の階級であるスーパーバンタム級では既に世界を制していた。つまり、「2階級制覇」だ。これは、北アイルランド出身のボクサーとしては史上初の偉業達成となる。

というわけで、1ヶ月ほど前にはフランスでサッカーの代表チームを応援してぴょんこぴょんこしていた人たちが、また「うわぁい♪」と盛り上がっている。

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サッカーは、今年のEuro 2016の大会まではかなり「オレンジか、緑か」の区別が目立っていたのだが(北アイルランド代表をサポートするのは「オレンジ」側で、「緑」の側でサッカーに熱心な人々はアイルランド共和国代表をサポートする、というのが基本的な図式だった)、ボクシングは「オレンジ」も「緑」もなく、北アイルランドの人々をひとつにまとめるスポーツだ。

というか、あの「紛争」の時代に、ボクシングをそういう存在にした人がいる。フランプトンの所属ジムの「おやっさん」で、80年代にボクサーとして活躍したバリー・マクギガンである。

そこらへんのことは、既に書いたものをご参照いただきたい。

2016年02月28日 ベルファストのボクサーと、「クロス・コミュニティ」
http://nofrills.seesaa.net/article/434378595.html


ニューヨークでのタイトルマッチで、判定の結果が告知されフランプトンが勝利を手にしたときに、リング上で喜びを爆発させるバリー・マクギガンの写真が報道写真として回っている。とてもいい写真だと思う。





判定結果が告知された直後、リング上でフランプトンがインタビューに答えているときに、インタビュアーが「アイルランド」について言及した際、カメラが観客席に並んだ2枚の旗をとらえる。アイルランド共和国の(というより、あれではコート・ジヴォワールなのだがw)トリコロールと、北アイルランド(アルスター)の十字。下記映像の1:00のところから数秒間。(映像の最初のほうでフランプトンが対戦相手のサンタクルスに賞賛と感謝の言葉を述べ、サンタクルスが静かに立ち去る場面がある。)


これが、2016年の風景だ。

モニタ画面の中では、「プロテスタント」も「カトリック」も、「十字の旗」の人々も「トリコロール旗」の人々も、"our wee man" の勝利に、ぴょんこぴょんこと飛び跳ねていた。"Wee" というのは標準語ではlittleに置き換えうる「親しみを表す表現」だが、フランプトンは実際に小柄な人だ(身長180センチ以上が珍しくないアイルランドで、165センチ)。タイガーズ・ベイの「小柄な青年」が、世界の前で「北アイルランド」のイメージを塗り替えていく。










Irish Republican News(ナショナリストの側でもガチな人たちのアカウント)と、ナイジェル・ドッズが、同じことを同じ内容でツイートしているなんて、これまで見たことがない。









試合後、フランプトンが祝杯をあげに訪れたニューヨークのアイリッシュ・パブは、ひょっとしたら、35年前には「ハンガー・ストライカーを支援しよう!」という集会現場となり、募金箱が回されていたかもしれない。でも今を生きる人々には、そんなことは関係ない。少なくとも、タイガーズ・ベイ出身であることを「誇りに思う」と述べているこのノーザン・アイリッシュでアイリッシュの青年にとって、積極的に引き継ぎ、語り継ぐべき「記憶」とはそういうことではないだろう。

カール・フランプトンが、師匠のバリー・マクギガンについて語っているインタビューの映像があった。





「北アイルランド紛争」の中で、ベルファストに戻ってボクシングを通じた活動をしようとした元IRA義勇兵(ムショ帰り)が、いろいろあって、IRA内の強硬派から妨害を受けるというストーリーのフィクションの映画がある。バリー・マクギガンやカール・フランプトンのサクセス・ストーリーとはまた違う物語である。1997年制作だから、グッドフライデー合意のほんの少し前の映画だ。
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Boxer_%281997_film%29



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フランプトンの試合について、残念なニュースが1つだけ流れてきている。試合を見るために北アイルランドからニューヨークを訪れた人が、現地の食堂でトラブルになってボコられて病院送りとなり、試合が見れなかったというニュース。



フランプトンは、地元北アイルランドでの応援に大変感謝していると述べ、「お礼ができるとしたら、年内にベルファストでの試合をすることかな」とも言っているので、また年内にベルファストがぴょんこぴょんこと盛り上がることがあるだろう。

今年は、イースター蜂起100周年とソンムの戦い100周年ということで、対立を再燃させる主義主張と歴史観が横溢するんじゃないかという心配もあったのだけど、杞憂となりそうでよかった。







カール・フランプトンのTLより。


















フランプトンがRTしている人が言ってる「1985年」はこれ。



師匠のバリー・マクギガンのTLより(シェーン・マクギガンは息子さん):







北アイルランド自治政府の2トップ:









追記。カール・フランプトンという存在の現地でのすごさが、フランプトンのことだけ書いても全然伝わらないので。

※この記事は

2016年08月01日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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