「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2020年06月28日

【訃報】ボビー・ストーリー

ボビー・ストーリーが64歳でこの世を去ったことが、6月21日に公表された。27日にはベルファストに無言の帰宅があった。

「ボビーなんとかって、誰それ?」と思われるかもしれないが、北アイルランド紛争、特にIRAについて文献を読めば必ずこの人の名前が出てくる。一回り年長のジェリー・アダムズ、故マーティン・マクギネスといった人々とともに、シン・フェインとIRAを、武装闘争の時代、「機関銃と投票箱」の時代、和平と紛争転換の時代と移り行く流れのなかで、引っ張ってきた重鎮のひとりであり、地域社会の顔役であった。というか、IRAなので、まあ、そういうことだ。マーティナ・アンダーソンもジェリー・ケリーも「彼は前面に立って引っ張ってきた (he led from the front)」と語っている。(っていうかこの "He led from the front" 言説は《物語》ですね。今のIRAによる「リパブリカン正史」の物語。アンダーソンタウン・ニュースもそれを強調している。)

Sinn Féin has announced the death of leading IRA figure Bobby Storey, who allegedly acted as the organization's head of intelligence during the Troubles.

Storey was an influential figure in the republican movement throughout the troubles in Northern Ireland and the subsequent peace process.

He had been unwell for a significant period of time and died on Sunday at the age of 64.

Storey became involved in the republican movement from a young age when he was interned without trial as a teenager.

https://www.irishcentral.com/news/bobby-storey-ira-head-of-intelligence-dies


以下、この訃報に際しての言葉を書き留めておく。












































写真にある通り、背の高い人で、ジェリー・アダムズ(身長190センチくらい)が誰かと並んだときに首の角度がこうなることはほとんどない。



ボビー・ストーリーは1983年のロング・ケッシュ(メイズ)刑務所からのIRAの集団脱走の首謀者のひとり。

映画Maze(邦題は『メイズ 大脱走』)にも少しだけ出てきていた。「ボビー」としか呼ばれていないけれど。











もちろん、この訃報については、「あちら側」では「故人を讃える」のとは逆方向の言葉がたっぷり出ている。2つだけ貼り付けておこう。


デマも流されてる。ボビー・ストーリーは1956年生まれ。ジーン・マコンヴィルさん殺害事件は1972年だから、ストーリーが16歳のときだ。ストーリーが仮に、言われているように、IRAの情報部門のトップだったとしても、そのことは1972年に彼がマコンヴィルさんの拉致と拷問・殺害に関与したということにはならない。だが、人々は「IRAの情報部門」と聞けば「10人の幼い子供を一人で育てている母親を拉致して殺したひどい連中」と思う。その連想に乗っかったデマである。

なお、ジェイミーは別枠。1つだけ。

そこら辺の話。


それと、家に戻ってきた棺を出迎える人々がソーシャル(フィジカル)・ディスタンシングを気にしてもいなかったようだが、北アイルランドは今、新型コロナウイルス感染拡大を阻止するために葬儀も参列者を極限まで少なくするなどしているわけで、ボビー・ストーリーだけ特別に扱っているならそれは北アイルランド自治政府の一角に収まっているシン・フェインとしてはとんでもない欺瞞で、これは禍根を残すようなことにもなりかねない。

※この記事は

2020年06月28日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 07:00 | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼