「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2017年08月28日

「立て続けのテロ」と「過剰反応」が乱れ飛び、「情報操作」も加わって、何が何やら……という日々

欧州では夏も終わりつつある8月第3週、理不尽な暴力が多くの命を奪い、地域社会に傷を負わせた。8月17日にスペイン、カタルーニャのバルセロナとカンブリス(カンブリルス)で車を使った攻撃があり(この事件に関わったテロリストのグループは、現時点で全員死亡もしくは逮捕・起訴されている。バルセロナの事件の前日にアルカナーという町にあるガスボンベ・ボム工場が誤って爆発したため、ボムを使った大規模な攻撃計画が頓挫し、代わりに車突入という手段がとられたと思われる)、その詳細な状況もまだわかっていないうちに18日にはフィンランドのトゥルクで刃物を使った攻撃がなされた(殺傷の容疑者は1人で起訴済みのほか、現時点で逮捕されていない国際手配者あり)。カタルーニャのテロで尊い命を奪われた被害者は、現時点で16人(事件後ずっと入院していたドイツ人女性が亡くなって1人増えた)、フィンランドでは2人。

続く8月第4週は、犠牲者が出たという話は聞かなかったものの、やはり「テロ」やそれに類する事件が、立て続けに複数個所で起きた。23日(水)の夜にオランダのロッテルダムで行なわれる予定の米バンドAllah-Lasのライヴに対して何かが行なわれるいう情報をつかんだスペイン当局からオランダ当局に連絡があり、結果、ライヴは中止となった(このときに、たまたまそのライヴハウスの近くを「ガスボンベを積んだ車」がふらふらと走っていたため、運転手のスペイン人が逮捕されたので情報が混乱し、Twitterなどでは「欧州のシェンゲン・エリアをdisる会」みたいなBrexit支持のアカウントなどが根拠も示さず自分たちの主張をわめきたてていたが、その車はライヴの中止とは無関係であることが判明している)。この事件では翌24日にはロッテルダムからあまり離れていないブラバント州の町で、22歳の容疑者が逮捕され、さらに2人目の容疑者も逮捕されたが、その後起訴されたとかそういう報道は私は見ていない。そもそも「Allah-Lasという名前のバンドに脅迫」などという事実があったのかどうかも判然としない。スペイン当局がオランダ側に緊急事態を告げるきっかけとなったのはチャットアプリTelegramの投稿で、Telegramはイスイス団メンバーやその支持者が使っていることで有名ではあるが、イスイス団以外の一般の人々も普通に使っている。

His arrest had followed a tip-off by Spanish police on Wednesday afternoon who said they spotted a message on the Telegram chat-app about a possible terror attack, two Dutch newspapers reported, citing unnamed sources.

...

Dutch media said the message appeared to have been posted online by the suspect, with some newspapers suggesting it may have been a prank which backfired.

...

The 22-year-old suspect, identified by Dutch media as Jimmy F., was arrested during a pre-dawn raid on Thursday in a small village 40 kilometres (25 miles) south of the bustling port city where US rock band the Allah-Las was due to play on Wednesday.

"The decision to cancel the Allah-Las concert was mainly based on one chat message," the authoritative NRC daily reported.

...

--- Police quiz suspect as questions loom over Rotterdam gig threat
26 Aug 2017 01:13AM (AFP)
http://www.channelnewsasia.com/news/world/police-quiz-suspect-as-questions-loom-over-rotterdam-gig-threat-9158340


というわけで、ロッテルダムのこの事件(というか「騒ぎ」)は、おそらく前週のスペインでのテロを受けた過剰反応だろう(その過剰反応をさらに大きなものとしたのが、「ガスボンベを積んだ車が標的のライヴハウスの周囲にいた」という要素だったのだが、結局それは事件とはまったく無関係だった。ただソーシャル・ネットで人々が「かんべんしてくれよ」とか「世界はいつからこんなふうになってしまったのか」とかいった感情の言葉をやり取りする際に、恐怖の増幅剤として作用したという点においては、「騒ぎ」には関係があった)。私自身も、そのタイミングでは気が抜けない理由があったため、欧州情勢ウォッチについては「念のため」とか「大事をとって」というモードに入っていて、自分でも過剰反応していたのではないかと思う。

そのように「水曜日に何だかわけのわかんないことがあったな」という週も終わりにさしかかり、英国では8月最終週のバンク・ホリデー・ウィークエンド(音楽のレディング・フェスが行なわれる週末)に入ったころ、またほぼ同時に「テロ」の発生が伝えられた。1件はベルギーの首都ブリュッセル、もう1件は英国の首都ロンドンである。

結論を先に書けば、ブリュッセルのほうはもう驚くこともなくなってしまった「ありがち」なパターンのテロ事件だということがその場でわかった。一方のロンドンの事件は、当初は「過剰反応」に思えたのだが、そう思えたのは実は当局が情報をコントロールしていたからで、事態が落ち着いたあとに明らかにされた情報を見る限り、かなりシリアスなことになっていた(いる)のではないかと思われる。以下、その詳細。

まずブリュッセルのほう。




この事件については、かなり早い段階で、イスイス団の犯行声明が出された(例の「イスイス団の兵士」という文言での声明がAl-Amaqによって投稿された)。


BBCの記事によると、兵士に襲い掛かり、その場で撃たれて病院で死亡した容疑者はソマリア出身で1987年生まれ。2004年にベルギーに来て、5年後(2009年)に難民認定を受け、2015年に市民権を取得してブリュージュに暮らしていた。ごく最近の犯罪歴(暴行など)はあったが、テロに関連する活動では知られていなかった。事件時、偽物の火器とクルアーンを2冊所持していたという。

30歳で、13年も前にベルギーに来ていることを考えると、この容疑者が過激化したのはベルギーに来たあとだろう(ソマリアで過激思想にはまって、スリーパーとして欧州に送り込まれたというよりも)。ベルギーは、今更説明を必要とする人などいないだろうが、欧州大陸のイスラム過激派の中心地となっている。

ブリュッセルではこの6月にも、鉄道駅をボムった男(36歳のモロッコ人)が兵士に射殺されている。
http://www.bbc.com/news/world-europe-40352351

続いてロンドンのほう。こちらは、後から見れば、上に述べたロッテルダムのケースとは逆に「過剰反応」を引き起こさないように入念に情報が操作されていた。だから、この下に事件発生後のツイートを時系列で貼り付けるが、最初のほうはあとから判明した事実とは全然違う話になっている。これは英国ではときどきあることで、そのことについてもいろいろ思うところはあるが、そこまで書いてるゆとりはない。

事件が起きたのはバッキンガム宮殿に続く大通り(The Mallらへん)で、この通りは特に規制もなく普通に人々が歩いている通りなので(車も通れる)、何か騒ぎになっているのに気づいた通行人が何人か、現場の様子(といっても夜間で、パトカーがたくさんいることくらいしかわからない)を撮影してネットにアップしていた。報道機関もそういう映像を使っていた。


警察の最初のプレスリリース:


BBC Newsのテレビでの第一報:


BBCの最初期の報道(今は文面が変わっているかもしれない):









しかしこの話が、事実とは全然違っていたことがやがて明らかにされた。






この事件では、このあともう1人が逮捕されている。


ただし、28日(月)夜(日本時間)になっても、ロンドンの件で「イスイス団の兵士が」云々の声明が出たという情報は見ていない(SITE Intelligenceでチェックしている)。

ちなみにバッキンガム宮殿は英女王夫妻の居城であるが、事件当時は王族はここには誰もいなかった(女王夫妻は夏は決まってスコットランドに滞在)。ロンドンでは、ウエストミンスター橋での車暴走テロがあったときに、容疑者が国会議事堂の敷地内に入ろうとしたということで「民主主義への攻撃っ!!!!!!!!!!」といううっとうしいほどの過剰反応があったが(IRAが首相官邸に迫撃砲を撃ったこととか、INLAが議事堂の駐車場内で議員の車に爆弾を仕掛けたこととか、保守党の党大会会場にIRAがボムを仕掛けて起爆させたこととかに比べたら、1台の車に乗って刃物男が突撃を試みたことは、どうしたって小さなことにしか見えない。そういう「経験」や「歴史」を売りにしてきたのが英国だったんだけどねえ)、今回の宮殿前の事件では「王室への攻撃」という過剰反応を起こさないように注意を払っているように見えた。が、情報操作そのものがそういった過剰反応抑制を目的としていたのかどうかはわからない。

そしてこういうことがあると、保守党の緊縮策での「警察の人員カット」への批判がなされる(最近こういう批判については、「労働党側」「保守党側」は関係なくなってきているように思う)。


ロンドンの件は、容疑者が起訴され次第また、Twitterにメモっていこうと思っている。


※この記事は

2017年08月28日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:20 | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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