kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2008年04月21日

DUP新党首、つまりNI新首相、ピーター・ロビンソン

この5月上旬に北アイルランド自治政府首相(ファーストミニスター)とDUP党首を辞するイアン・ペイズリーに代わって、自治政府首相とDUP党首となる人物が、先週、正式に決定した。事前に報じられていた通り、ピーター・ロビンソンである(CAINでの人物紹介)。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/7353569.stm

ピーター・ロビンソンは、1948年12月、ベルファスト近郊の生まれ。1926年生まれのイアン・ペイズリーより22歳若く、1960年代生まれのイアン・ペイズリー・ジュニアより20歳ほど年長である。1970年に結婚し、3人の子供がある。夫人のアイリス・ロビンソンもDUP所属の政治家(英国会議員)。

元々は不動産業者だったロビンソンは、1971年のDUPの立ち上げのころからの党員で、1973年から党の役職をつとめる。英国会議員になったのは1979年。以来、英国政府が「北アイルランド和平」に動くたびに、「カトリックとの妥協だ」として非難し強硬に反対するDUPで、中心的な役割を果たすも、DUPの特徴である「宗教(フリー・プレスビテリアン教会)によるつながり」とはやや距離を取った、実務家というかそういう感じの人のようだ。というか、「やたらと頭の切れる名参謀」という印象が何となくある(そんなに熱心にニュースを追ってきたわけでもないのだから、多分に、ルックスのせいもあるだろう)。

しゃべってるところ:
http://www.youtube.com/watch?v=GA_NCcxK1AQ
(2007年のNI議会選挙前のDUPの宣伝ウェブキャスト。)

でも、「ロビンソンで決まった」という報道のひとつで、ガーディアンにヘンリー・マクドナルドが書いた記事に "cold-blooded and businesslike Peter Robinson" とあったのには、さすがにお茶ふいた。"cold-blooded" は、いくらヘンリー・マクドナルドの煽り文体でもひどい。(笑)
http://www.guardian.co.uk/politics/2008/apr/14/northernireland.northernireland1

マクドナルドの記事から:
An estate agent by profession, Robinson joined the DUP shortly after its foundation in 1973, rising up through the ranks to eventually become the party's deputy leader seven years later.

He also gained a reputation for being a hardliner on security issues, calling for the reimposition of internment for republican suspects during the Troubles and the reintroduction of capital punishment.

Robinson gained national notoriety with a blood-curdling speech against the Anglo-Irish agreement during a mass loyalist rally in 1985, when effigies of Margaret Thatcher and Irish tricolours were burned from the public platform outside Belfast city hall.

His opposition to the Anglo-Irish accord took him across the border in August 1986, when he and 500 loyalists "invaded" the village of Clontibret in the Irish Republic.

His "invasion" cost him a short time in custody and a fine of £17,500 – the price for keeping him from serving a longer and potentially dangerous prison sentence in southern Ireland.

Some loyalists were outraged that Robinson was prepared to pay a fine rather than go to jail for the unionist cause.

そっか、1985年のアングロ・アイリッシュ合意(サッチャー政権下での「北アイルランド和平」)のときの強硬な反対の演説が、「血も凍るような blood-curdling」ものだったのか。

これですな。
Thursday 10 July 1986
Ian Paisley, then leader of the Democratic Unionist Party (DUP), and Peter Robinson, then deputy leader of the DUP, along with 4,000 Loyalists staged an early morning protest in which they 'took over' and 'occupied' Hillsborough, County Down. The action was part of the continuing protest against the Anglo-Irish Agreement (AIA).

Monday 10 November 1986
Ulster Resistance Formed
Loyalists held a closed meeting at the Ulster Hall in Belfast. The main speakers at the meeting were Ian Paisley, then leader of the Democratic Unionist Party (DUP), Peter Robinson of the DUP, and Ivan Foster. During the meeting a new organisation, Ulster Resistance, was formed to 'take direct action as and when required' to end the Anglo-Irish Agreement (AIA). [Ulster Resistance was to take the place of the 'Ulster Clubs' that had been formed on 2 November 1985.]
http://cain.ulst.ac.uk/events/aia/chron.htm


ちょっと真面目にDUPの政治家のあれこれも本を読まないといけない。本を読んでるとどうしても「ミリタントの証言」とかのきっついところを読んではうへーとかうはーとかなってしまってそれしか覚えていないような状態なので。

また、ピーター・ロビンソンはフリー・プレスビテリアン教会の信徒ではない (Unlike other leading figures in the DUP, Robinson does not belong to Paisley's fundamentalist Free Presbyterian Church. He is an independent Methodist ...) 。

そして:
Robinson has been mindful to win over the more secular but still avowedly unionist Protestant middle class.

He has done so by toning down much of the born-again Christian rhetoric and offering an image of the DUP as an efficient, technocratic party that can not only defend the union but can also deliver on bread and butter issues.

うむー、DUPからボーン・アゲインな宗教臭さを引いてミドルクラス寄りにしたら、UUPじゃん。と思ったら、DUPは今後UUPとの連携を強める方向だとかいう報道があった(19日付け、BBC)。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/7355979.stm

で、ピーター・ロビンソン自身はメソジストでファンダメさんではなく、
Privately Robinson regards concentrating on religious issues such as the promotion of creationism in schools and hostility to the gay community as a waste of time.

お茶ふいた。「創造論やら同性愛コミュニティへの敵意といった宗教的な問題に取り組むのは、時間の無駄だと個人的に見なしている」って、じゃあ副党首にガチのファンダメのナイジェル・ドッズ(@ホモフォビア発言多々)を持ってきたのは、ファンダメな層からの支持を当て込んでってことか? いや、それは深読みのしすぎだろう。

ヘンリー・マクドナルドの分析の部分をもう少し:
So why did Robinson, who once advocated hanging IRA leaders, decide to get into coalition with top figures in the republican movement?

Although ambition to be top is one factor, the most important reason is Robinson's pragmatic core.

Behind all the past, often incendiary rhetoric, Robinson is a realist.

He would have been aware that the British government would have had a Plan B if devolution was not restored last year, the alternative being to increase Dublin's influence over Northern Ireland's affairs.

To secure the union, Robinson (ironically just like the man he and Paisley supplanted, David Trimble) had to swallow hard and accept that his former foes in Sinn Féin had a right to sit in a power-sharing executive, albeit one in a building where the Union Jack still flies.


「現実主義者ゆえに自身の原理原則を曲げて」との指摘。ただしこのあとの部分で、「ペイズリー&マクギネスの、仕事の話だけでなく冗談を言い合って笑う『チャックル・ブラザーズ』の関係は、ロビンソン&マクギネスでは見られることはなかろう」とし、今後のファーストミニスターと副ファーストミニスターの関係を、Brothers Grimm(「グリム兄弟」と、英語の形容詞のgrimをかけている)になぞらえている。





# 以下、書きかけ

※この記事は

2008年04月21日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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